3月21日からスタートするブリュッセル首都圏のローカル通貨

その地域だけで使える通貨については、これまでこのブログでも触れたふたつの映画でも紹介されています。

 

どちらも記事の中の動画はもう表示されないけど、リンクを貼り付けます。

 

Sacrée Croissance

shohoji.hatenablog.com

Demain

shohoji.hatenablog.com

今月21日から、ブリュッセル首都圏で使える通貨Zinne(ジンヌ)がスタートします。

monnaiebruxelloise.be

興味深いので、昨日の夕方、説明会が開かれたので聞いてきました。

たくさんの人が集まるかと思いきや、関係者も入れて20人ちょっとしかいなかったのが、ちょっと想像してたのと違ったけど…。

 

こういうローカルな市民通貨は、ベルギーでは初めてでなく、フランス語圏だけでも、すでに11ほど存在しているのだそうです。

例えばリエージュのValeureux ヴァルルー。

valeureux.be

ブリュッセルでも、EcoIris エコイリスという、エコロジーの分野だけで通用する通貨を、すでに2012年に試みたのだそうだけど、全然知らなかった。

コミューンによってはすでに試み始めていたところも。

一応これは自分の備忘のために、記事を貼り付けておきます。

Une monnaie citoyenne à Schaerbeek ? - Inter-Environnement Bruxelles

 

というわけで、昨日の話でわかったこと。

 

ファイナンスの面で、バックについてくれたのが、ブリュッセル首都圏のInnovaris 。

Accueil | Innoviris

ここがどういう使命を担っているかというと、こういうこと。↓(英語)

Mission & Vision | Innoviris

 

1zinne=1euroです。

交換所が設けられ、そこでユーロをジンヌに交換。

使用者はジンヌを銀行でストックすることはできないし、ユーロに交換することもできない。

地域での循環が目的だから当然ですね。

一方、ジンヌを受け取る側は、ユーロに交換可能だけど、その都度タックスがかかります。

交換の際に入ってきたユーロはTriodosという、持続可能な活動にしか融資しないという銀行にプールされます。

こうしてプールすることで、もしこの実験的試みがうまくいかなかった場合には保証になるわけです。

www.triodos.be

(ちなみにうちの子供たちは、この銀行を使ってます。

母は今のところ仕事の便宜上、こういう良心的な銀行は使ってないのだけど、65歳になって仕事のペースを落とす時点で、ここに口座を移す予定。)

 

ジンヌ紙幣は、0ジンヌ~20ジンヌまでの数種類。

このゼロ紙幣について、私は説明を聞いても???で、後でちゃんと個人的に質問したかったけど、説明後は参加者でがやがやしていて、内気な私(?)はそこに割り込むことができませんでした(苦笑)。

どうもものすごくユニークな意味がありそうで、興味津々なんだけど。

 

ブリュッセル首都圏の19あるコミューンの中で、ジンヌが使えるのは今のところ14。

すでに使うことのできる店は、まだ40。

これから使えるようにしていくところとして、700か所ほど的が絞ってあるそうです。

ジンヌが使える店にはそれなりの基準があって、それをクリアしないといけないそうです。

この貨幣の意味は、エコノミー+エコロジーを合体させることだから。

上述のリエージュの体験談としてなるほどと思わされたのだけど、ヴァルルーを使えるようにしたいと希望したあまり良い食材を使ってなかったケバブやさん、この通貨を使えるようにしたことで、やはりこの通貨を使えるところのオーガニックの食材を使うように変わったのだそうです。

 

3月21日は記者会見が午前中に行われ、夜はパーティも開かれるそうです。

 

というわけで、説明の内容はすべて理解したわけではなかったけど、以上のとおりメモしておきます。

はたしてどういう展開になるか、楽しみなことです。

 

 

 

 

第2次大戦中のブリュッセル王立コンセルヴァトワール

 今日で2月もオシマイです。

今日から少しずつお天気も傾いていくそうですが、2月とは思えない暖かい良い天気が続きました。

一昨日は20度を超え、「気象台始まって以来の記録」をさらに更新。

ふつう2月といえば、冬を越すエネルギーも尽き、ああ、もう勘弁してちょうだい、って感じで、寒さにうんざりする時期だというのに、今年は元気満々です。

これって異常だから不気味だったりもするのだけど、とりあえず青空を楽しもうではないか、と思っちゃいました。

ニュースでも「冬なのに春」というんで取り上げてましたが、インタビューに答える人たちも、私と同じく、「とりあえず良い天気を楽しみます」と言ってて、みんなおんなじ気持ちね。

 

というわけで、またまた記事更新。

というのも、一昨日聴きに行った王立コンセルヴァトワールでの講演がとても面白かったので、わすれないように記しておきたくて。

 

第2次大戦中のコンセルヴァトワールについての話でした。

興味をそそられたので、行きたいとはずっと思っていました。

(これも入場無料、しかも事前予約も必要なし、というもの)

まったり過ごす夕方は家を出るに少しエネルギーが必要なところ、ひとりだったらまたまためんどくさくなったかもしれないのだけど、ちょうど数日の予定で日本からやってきたC子さんも聴きに行くというんで、久しぶりに会えるね、というのがよいモチベーションになりました。

C子さんはベルギー音楽研究者、こちらの自由大学に研究員として来ているときに、音楽学専攻の学生だったうちの長女くんと仲良しになった若者です。

講演はものすごく興味深いものだったので、行ってよかった。

C子さん、ありがとう!

 

 www.conservatoire.be

お話はコンセルヴァトワールの図書館の館長さんによるものでした。

図書館には、当時のいろんな文書・手紙などが全部残されていて、それらを読むことでいろんな事実が明らかになっているのでした。

講演は、1941年、ベルギーを統治していたナチから「ユダヤ人学生をリストアップせよ」と命令されたことから始まり、解放後のコンサートに至るまでの話で、話される内容の時期に合わせた選曲、あるいは実際その時期に行われたコンサートの曲を、合間合間に音楽院の学生たちが演奏するという構成でなされました。

 

ベルギー人作曲家Alex de Taeye の Douleur

www.youtube.com

当時の学長のお兄さんである作曲家Joseph Jongen のDeux pièces en trio, Op.80

 

www.youtube.com

ベートーベンのエグモンド序曲

www.youtube.com

その次が Elgarの Pompe and Circumstance, Op.39だったけど、聴いたのと同じ規模のビデオが見つからないのでパス。

そして最後がガーシュインのパリのアメリカ人、これも同様にパス。

って、上に貼り付けたエグモンド序曲も、当日聴いた規模とはちがうんだけど、これは外せない、と思ったので。

エグモンドは、フェリペ2世統治下、オルヌ伯爵とともにブリュッセルのグランプラスで、反逆のかどで見せしめのように首をはねられた伯爵さま。

ナチ統治下で行われたコンサートでは、反体制の象徴のようなこの曲に、ナチは怒りまくったそうです。

 

強制連行されたユダヤ人学生たちのその後、亡くなった子もいれば、収容所で演奏させられたことで生き残った子もいる。

生き残ったヴァイオリニストの女の子は、ヴァイオリンの弦が切れると自分の命もオシマイなので、ずっと恐怖を感じていたそうです。

 

ありとあらゆる学校から締め出された子供たちのために、ユダヤ人子女のための学校を創設する計画もあったそうだけど、これは実現せず。

 

当時の図書館司書の女性は、レジスタント活動を行っており、学生たちが強制労働に送られることを免れられるように手伝い、重要な楽譜等をドイツ軍から守り、また、レジスタントやユダヤ人家族を図書館でかくまったりもしていたとのことでした。

そこで働く人しか知らないもう一つの出入り口を、うまく使ったそうです。

こういう風にひそかに抵抗活動をした人もいれば、ナチに協力した人もいたわけで、終戦後その罪を問われた人も内部にはいました。

 

この講演は、数年前に行われた、音楽学者たちによる研究の一部です。

それって本になっているので、ほしいな、と思い、それをC子さんに言ったら、

「Iちゃん(←うちの長女くん)もこの研究の一員だったから、その本は持ってると思います」との返事。

あ、そういえば、一時期、大戦時のベルギーにおけるキャバレーの音楽活動についてなんか書いていたな、と思い出した次第。

そのときは、へえ、おもしろい研究やってるじゃん、と思ったのみだったダメな母親…。

検索したら、こんな記事がありました。

www.rtbf.be

Au revoir les enfantsを観たばかりだったんで、講演の話もとてもリアルに迫りました。

レジスタント活動をした図書館司書さんをひとり取り上げただけでも、小説1冊、映画1本に値します。

 

今まで王立アカデミーの講演しかチェックしてなかったけど、定期的に行われているコンセルヴァトワールの講演も、しっかりチェックしなければ、と思ったことでした。

 

せこいことばかり言って恥ずかしいけど、無料というのがありがたい。

お金がなくとも文化的生活ができる、ということですもんね。

 

さようなら子どもたち

ここんとこずっと、春を思わせる晴天と暖かさ。

10日ほど前には、最高気温が18度を超え、これまた気象台始まって以来とニュースで言ってました。

カーニヴァルの頃はいつも寒くてたまらないのに、その後も毎日昼間は気温も15℃近い。

気持ちいいので、仕事がオフの今日は、午前中から窓をずっと開けっぱなしにしています。

午後5時ごろになると、お日さまの角度が低くなってひゅんと冷えてきますから、そしたら窓は閉めないといけなくなるんだけど。

 

 

前回の記事にちょいと記したように、メキシコ映画ROMAの登場人物のひとり、フェルミンにルイ・マル監督のAu revoir les enfantsを思い出させられました。

コレージュで雑用の仕事をしていた登場人物、なんという名前だっけ…、と考えていたらば、ちょうどうまいことにベルギーのフランス語TVラジオ局RTBFで放送されたらしく、サイトから視聴できることを発見。

 

おお、いいタイミング!とばかりに鑑賞することに。

 

www.rtbf.be

1987年のこの作品、劇場で観たことはありません。

最初に観たのはTVで。

次女の出産の手伝いで、今は亡き母が日本から手伝いに来てくれていて、一緒に観たのでした。

母は、言葉なんか全然わからないくせに、泣きながら観てました。

そして観終わってから、当時2歳だった長女を抱きしめていました。

そういう思い出と結びついた作品です。

 

そういえば、長女の出産の少し前から子供たちが少し大きくなるまで、映画館で映画を観ることなんてありませんでした。

でも、TVでよい作品がけっこう放送されるし、放送中にコマーシャルで中断されることもないので、それほど深刻な欲求不満を感じることもなかったなあ、と思います。

 

コミュノテ・フランセーズ(フランス語圏の文化・教育などにかかわる政府)がやってる映画や音楽のディスクを借りれる図書館みたいのがあって、そこからよくDVDを借りて、よいと思う作品は、子供向けであるなしにかかわらず、子供たちと一緒に観ていました。

そうやってDVDで鑑賞したのが2回目。

(子供たちが大きくなって、「たとえよいものでも、子供の世界の見え方は、大人のそれとは違うから、作品によってはトラウマにもなったよ」と意見されましたが…。すんません>子供たち・苦笑)

 

で、今回観たのが3回目、ということになります。

 

思い出せなかった登場人物の名前はジョゼフでした。

ルイ・マル監督の1974年の作品 Lacombe Lucien も同様にTVで観たのですが、この作品の主人公ルシアンも「ジョゼフ」。

そして、ROMAのフェルミンも「ジョゼフ」。

 

ネットでいろいろ見てたら、こんな興味深い記事を発見。

www.franceculture.fr

この映画が撮影された町で、撮影にかかわった人たちへの、30年後のインタビューです。50分ちょっとの音声あり、です。

1987年にルイ・マル監督に行われたインタビューも、4分くらい聞けます。

後者のインタビュアーは、かなりおバカ、というか、ありえない質問の仕方で、ちょっとむかつきましたが…。

 

11歳だったルイ・マル監督自身の経験に基づいた作品が Au revoir les enfants なわけだけど、ジャン神父のモデルになったジャック神父のことを密告したのが誰なのか、本当のところは謎のままなのだそうです。

証言によるとゲシュタポは、かくまわれていた3人の少年がいる3クラスと、フランス語の授業をしていたジャック神父のところへ直行したそうなので、ちゃんと情報を得ていたことは間違いない、とのことでした。

 

監督が、この体験がずっと「何故?」と自分に問いかけ、これだけ時間が過ぎても、何故だかわからないままだ、と答えているのが印象的です。

 

ずっと昔に読んだアハロン・アッペルフェルドのインタビュー記事を思い出してしまった。

この人も、この自分自身の体験について、ずっと「何故?」と問い続けてきたが、今になってもわからない、と答えていました。

目の前で母親や祖母が撃ち殺され、強制収容所へ。

たまたま電流の通ってなかった鉄条網から脱出して森へ逃げ、盗賊団にかくまわれて生き残ったという体験は壮絶だし、何より私にとって忘れられないのが、「やっぱり子供だったんですね、森で遊んだ記憶があるのです」という話でした。

 

 

以前この日記でも触れた、アンドレ・グリュックスマンも、カトリックの宿舎でかくまわれて生き延びたひとり。

shohoji.hatenablog.com

 

 

年を取った分、思い出も増え、少しは知っていることも増え、同じ映画作品一つとっても、自分の感じ方も「増えて」きた気がするなあ…。

 

 

 

 

 

ROMA  イタリア ファン・エイク その他いろいろ

毎日「今日はこれを済まそうリスト」を作ります。

引き受けた仕事がないとき、誰かとの約束がないとき、怠け者の私は、これを作らないとついついダラダラと過ごしてしまい、後でちょいと後悔することになって、精神衛生上よくないので。

だけど、この「リスト」、自分で作っておきながら、これはこれでけっこうストレスなんですよねえ。

簡単に済むことはいいとして、ちょっと気合を入れないといけないこともあるんで。

前回記事をアップしてからそろそろひと月、今日は「ブログを更新する」をリストに入れてしまった…。

そういうわけで、またまた備忘のために書き留めておきたいこといくつかであります。

 

 

まず、最近観た映画 ROMA

www.youtube.com

いろんな賞を取りまくっているらしいし、懐かしいメキシコの映画だし、これは観に行かねば…と、12月に公開され始めたときから思っていました。

15年くらい前に観たTemporada de Patosをイメージしてしまいましたし。

1968年にトラテロルコ事件の起きた広場にその後建った住居ビルの中の、アパート内での何時間かの出来事を描いたもの。

お金はほとんど使ってない映画で、思わずクスクス笑っちゃう、なんとも言えない映画で、けっこう好きだったのです。

 

www.youtube.com

でもROMAは、Temporada de Patosとは、ずいぶん異なるものでした。

監督の幼少時代の思い出をもとに描いたものなのですね。

何故この映画がたくさんの賞をゲットしたのかな、とずっと考え中。

日本の人たちの感想をちょいと見ると、うーん、どれも私の感じたものとは全然違う。

住み込みの家政婦クレオ、雇い主にそれなりに大事にされていて、その家の子供たちもなついているので、「心温まる」「優しい」みたいな感想ばかりでありました。

優しい人も、意地悪な人も、ケチな人も、寛大な人も、どこの社会にも同じくらいの割合でいるのだと私は思います。

私の知ってるメキシコの家庭で、家政婦さんに意地悪なところはひとつもありませんでした。

この映画が描いている家政婦さんと雇い主家族の関係は、けっこう当たり前のもので、全く特別なものじゃないと思います。

 

私は映画を観ながら、あ、そうだった、といろんなことを思い出しました。

 

家政婦さんがやってくれるので、家には洗濯機も掃除機もないこと。

路を渡るときはいつも、車にはねられそうでびくびくしたこと。

メキシコでトルタというと、ボリージョと呼ばれるプチパンに、いろんなものを挟むサンドイッチだったこと。

(仏語の字幕スーパーでは、タコと訳されていて、間違ってるじゃん、と思ってしまった)

メキシコのいわゆる中流家庭の子供である友人が、市場で働いている人々が交わしている会話が全然何言ってるのかわからない、と言ってたこと。

長女をメキシコで出産したとき(私の場合は、映画に出てくるような大病院じゃなかったのですが)、医者が何人もついてくれて、ベルギーよりもずっと手厚かったこと。

などなど。

 

クレオに妊娠させちゃうフェルミンには、ルイ・マル監督の「さようなら子どもたち」と、だいぶ前に読んだ本、「コーラを聖なる水に変えた人々」を思い出させられました。

 

次は今年の旅行計画。

今日の記事のタイトル、ローマだからイタリアか、と思わせてしまいますが、これはまた全然異なる流れで、6月にイタリアを旅行することに決めました。

 

いつもとても楽しみに読む竹下節子さんのブログの記事に、↓というのがあって、読みたいなあ、と思ったのですが、なんといっても積読状態の本が山ほどあり、もう死ぬまでに持ってる本が読み切れないんじゃないか、と、「もう本は買わない」と決めた私。

「1935年に聖書の中国語訳に着手して2012年に故郷のシチリア島列福されたフランシスコ会のガブリエル・アレグラが1942年から45年に北京でテイヤール・ド・シャルダンとかわした会話の記録のフランス語訳」

spinou.exblog.jp

本って、所有の欲求もそそられますしねえ。

悩ましいことだ、と言ってたら、毎年うちに遊びに来てくれる大学時代の下宿仲間が、35年前に一緒にアッシジを訪ねたことを思い出すねえ、と。

彼女のパートナーが当時フィレンツェに留学していて、そこを拠点に、ふたりでアッシジにも行ったのでした。

鉄道駅からまっすぐ歩いて行く道すがら、たしか5月中ごろだったと思う、ポピーの赤い花が咲いていたのが記憶に残ってます。

聖フランシスコ教会に日本人の神父様がいらして、案内をしましょうと言ってくださったのに、あまり時間がなくてお断りしたのです。

今思えば、なんともったいないことをしたのだろうと悔やまれます。

そんな話をしているうちに、また行きたいね、ということになったのでした。

思いついたらすぐに具体化しないと、またまた「行きたいね」という話だけで終わっちゃうんで、即フィレンツェまでの航空券ゲット。

ボローニャトリエステ→フェッラーラ→アッシジフィレンツェと2泊ずつくらいで宿もゲット。

楽しみなことです。

 

 

1月29日に橋本治氏が亡くなりました。

実は私は本は一つも読んでいません。

だけど、気になる作家さんのひとりでした。

で、内田樹氏のブログの追悼記事がおもしろかった。

追悼・橋本治 - 内田樹の研究室

 

>自分の主観的判断を自制することのできる人は少なからず存在するが、「自分の知っていることを知らないことにする」という技術を駆使できる人は少ない。

 

ずーっと昔、大学生だったころ、すごいおバカを主人公にした少年マンガで、主人公が「クイズしらんぷり」に出場するってのがあったのを思い出してしまった。

クイズが出され、その答えを最後までしらんぷりできるものが優勝するってやつ。

みんな我慢できなくてつい答えてしまって失格するけど、主人公はほんとに知らないから優勝。

って、内田樹さま、アホなことを思い出し、申し訳ないけど、このマンガもある意味、深いよね。

 

実存主義者はその昔「私が何ものであるかは、私が何を思ったかではなく、何を成し遂げたかによって決まる」ということを主張していた(遠い昔のことなのでうろ覚えだが)。その理説に即して言えば、「橋本治」は意志と行動の間のタイムラグがあり過ぎて、ほとんどの行為について、「やろうと思ったけれど、途中で自分が何をする気だったか忘れた」「なんか、どうでもよくなった」ので、実存主義的には何ものでもないことになる。

 

不遜ながらめちゃくちゃ親しみを感じてしまった。

 

 

最後、ヤン・ファン・エイクについて。

人類の宝ともいえるゲントの祭壇画「神秘の仔羊」は、もう数年前から少しずつ修復中です。

三連祭壇画を開いたところの下段が今修復中ですが、その修復が終わった時点でゲントでヤン・ファン・エイク展が行われます。

2020年2月から。

もうチケットが売られ始めてます。

vaneyck2020.be

まだ1年あるのに、時間予約制のチケットが、少しずつ売れ始めてる。

すごい。

去年6月のニュースで、ファン・エイクが描いた仔羊くんの顔が、今まで見ていたものと全然違うことが判明。

びっくりしたことでした。

www.rtbf.be

修復の様子は、ゲント市美術館で観ることができます。

↑のニュース後としては初めて、久しぶりに昨日観に行ってきました。

土曜日だったので、修復活動をしている人たちはお休みでしたが、5枚のパネルが見やすく並べられていました。

上に重ねられたものを剥がすところまで終わった様子で、今後今年いっぱいかけて、忠実に色が整えられていくのでしょう。

 

ということで、おしまい。

リストのひとつが消せる。めでたい。

 

最近のこと、いろいろ

もう1月も後半に入りましたが、皆さま、あけましておめでとうございます。

 

冬至を過ぎて、少しずつ日も長くなり、お日さまの位置も、少しずつ高くなっています。

暗くて何もしたくない、という状態から、一日に何か一つくらいはやろう、という気分になってきました。

めでたい。(笑)

 

ということで、ブログ更新。

 

年末・年始は仕事でした。

多くの人が休んでいるときは忙しい、逆に、多くの人が忙しくしているときはヒマ、という仕事をしている私です。

同じ仕事をしている者たちで、年が明けたら集まって新年会を、というアイディアが出て、幹事をやって、と頼まれました。

私ってイニシアティヴをとる能力が全くなく、結局、ほかに二人いた幹事さんに全部お任せ状態でありましたが…。

みんなで集まって宴会、なんて、思えば大学時代のコンパ以来でありました。

メンバーは皆フリーランスで仕事をしているんで、こうやって集まるのは初めてでありました。

 

王立美術館に、アントーン・ヴァン・ダイクによる、フランソワ・デュケノワの肖像画があります。

 

 

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フランソワ・デュケノワ

 

この肖像画の人は、有名なブリュッセルの小便小僧

(日本の観光ガイドブックでは、世界3大がっかり、なんて言われているようですが、ブリュッセルではものすごく大切にされているブロンズです。)

を作ったジェローム・デュケノワの二人の息子のうちのお兄さん。

ずっと以前に、もうすでに引退されている仕事の先輩から甥っ子だと教えられ、調べもせずに信じ込んでいて、今まで息子とは知らないでいました。お恥ずかしい。

宴会で仲間から指摘され、およよ、という感じで調べてみると、とても興味深いことがいろいろ出てきました。

フランソワも、弟のジェローム・デュケノワ2世も、父親同様に彫刻家です。

兄はイタリアで活躍、イタリアで亡くなっています。

バチカンの聖アンデレ像なども制作しているので、かなり認められた人だったのでしょう。

25歳でスポンサーに死なれ、自分で生活の糧を稼がないといけなかったそうですが、上述のような大作より、小さな作品を多く作ったそうで、それもお金を稼ぐ必要があったからなのかな?

弟は、ゲントの聖バーフ大聖堂にある、とても見事なトリースト司教の墓なども作ってます。

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Wikiを読むと、この墓の制作中に、8歳と11歳の男の子への性行為によって有罪判決を受け、完成後死刑になってます。

遺体は燃やされたそうです。

しかも、フランソワの死は、兄の才能に嫉妬した彼が毒殺したという疑いもあるとか。

いやはや、調べてみると、いろんなドラマがあり、興味は尽きません。

 

 

先月は何回か聴講を申し込みながらも、当日になってめんどくさくなり、さぼって行かなかった王立アカデミーの講義ですが、今年に入って2回、シンポジウムを聴きに行きました。

何回か触れていますが、王立アカデミーの公開講義は、申し込みさえすれば、誰でも無料で聴講できます。

 

1回目のシンポジウムは、17世紀、スペイン領ネーデルランド(現在のベルギー)とフランスの間のアートにおける交流について、というテーマで、王立美術館で行われました。

スペインとフランスの間は継承戦争の真っ最中、そんな中でも、アートに関してはいろんな行き来があったわけで、そういうお話。

当時はネーデルランドの絵画がパリではとても売れていたそうで、アントワープの画商たちが盛んに活動していたらしい。

でもこういう現実は、書かれたものの中では、ローマの流れをくむ正当なものではないということで、けっこう無視されてきたとのこと。

 

ルーベンスや前述の小便小僧ファミリィの時代は30年戦争の真っ最中。

当時大人気だったルーベンスは、よその国の宮廷に出入りすることができるという理由で、スパイのような活動もしたらしい。

たいへんな時代だったはずなのに、作品を見る限り、感じるのは当時の豊かさばかり。

そのあたりも、ちゃんと勉強したら、きっとものすごくおもしろいことだろうなあ…。

 

二つ目のシンポジウムは、EUにおける移民問題についてでした。

会場はいつも通りブリュッセルのアカデミー宮でしたが、このときはオランダ語圏のアカデミーと合同のもので、会場では仏・蘭語の同時通訳がつき、聴講に来た人全員に、翻訳を聞くためのヘッドセットが用意されていました。

ちなみにランチも用意されていました。

コーヒーやジュース、スープ、いろんな種類のサンドイッチにデザートまで。

いやしんぼの私はめちゃ嬉しかったです。(笑)

 

王立アカデミーとして、まず最初に、反ポピュリズム・反ナショナリズムを謳うことでスタート。
移民の人たちの、国家に与える経済的影響なども、ちゃんと数値で示していました。
各国の人口推移をグラフで見ると、それぞれの国が全く違う様相を見せているのも興味深かったです。
 
正直に言うと、話を全部集中して聞いているわけでなく、時々ふーっと他のことに脳みそがそれると、言葉のハンディもあって、ちゃんとわかってないのであります。
それでもいくつか心に残る言葉がありました。
 
移民問題イデオロギーの問題にすりかえることなく、きちんと現実をみつめないといけない。現実問題としてとても複雑な要因があるから、それを単純化してはいけない。
2015年、シリアの難民問題が起こった時、もっときちんと対処しておけば、今ずいぶん異なる状況であっただろうが、これからでも遅くない。難民に対するホスピタリティというのは、難民の人の権利である。難民問題は外からやってくる問題ではなく、ホスト国の問題でもある。などなど。
 
特に印象に残ったのが、家族ごと迎えることの重要性。
家族全員を受け入れる方が、社会によりなじみやすい、と。
それと、どんなに凶悪なテロリストであったとしても、人としての権利が保護される、と。
そして、移民としてやってくる人の能力を、最大限発揮させてあげることが大切だ、と…。
 
 
17世紀アートに関するシンポのランチタイム、美術館のレストランでたまたま隣に座ったご婦人もやはりシンポを聴きに来ていて、いろんな話をしたんですが、彼女は「すべての分裂を生むのが宗教だ」と、宗教に批判的。
私は宗教自体が悪だとは全然思わず、その宗教を道具として分裂を起こさせることが悪だと思うので、そう言ったんですが、全く聞き入れてもらえなかった…。
 
その数日後に、ボタニックで今行われている、エルネスト・ピニョン・エルネストの展覧会を観に行きました。

www.botanique.be

一昨年ニースでも観ましたが、今度はブリュッセルでやってるんで、喜んで行ってきた次第。

ストリートアートの人なので、ほんとは展覧会で観るってのは、ちょっと違ってるかもしれないんだけど。

そして、しみじみ、宗教的だなあ、と感じたのです。

このアーティストは、分裂を生んでいる現在の状況に抗議している人だから、やはり、決して宗教自体が、社会の分裂を生んでいるのではない、と、強く思ってしまった。

 

 

忘れないよう、今年に入ってからのことを記しておこうと書き始めたけど、ずいぶん長くなってしまった。

 

 

そこで、若者たちの記事をふたつ書き留めておしまいにします。

 

その①

1月10日木曜日、オランダ語圏の高校生が、気候問題に対するデモをブリュッセルで行いました。

平日なんで、授業はさぼって、です。

毎週木曜日に行うということでしたが、翌週、つまり今週の木曜日には、フランス語圏の高校生も集まり、さらに大規模なものとなりました。

www.rtbf.be

授業さぼって大丈夫?とのインタビューに、将来のために学校で授業を受けなさいと言われるけど、それならまず未来を壊さないで、との回答。

もっともです。

参加した高校生は、皆一人一人ちゃんと校長先生と話したうえでやってきてるとのことでした。

 

 

その②

 うちの長女くん、もう3年か4年前から、友人と二人で、女性の生理についてフィルムを取っていて、ドキュメンタリー映画を作るつもりだったみたいなんだけど、結局ブログという形で公開することに決め、去年の夏にスタートさせました。

その時点でFBではリンク貼ったりもしたんだけど、このブログでもリンク貼っておこうかな、と思ったので。

coolmenstruation.wordpress.com

ちょうど時を同じくして、日本でも同じテーマで映画が公開されたりもしているようで、同時進行であちこちで、というのが面白いことだと感じました。

ちなみに長女くん、去年の6月、軍の救急車だったというでっかい車をキャンピングカーに改造、ボーイフレンドと旅に出ました。

東欧をまわった後イタリアへ、年末からギリシャにいるようです。

私もいろんなことしてきましたが、もうこの年になると、まず快適さを求めてしまい、とてもそんな旅行をする気にはなりません。

だから、若いうちに何でも経験してね。

 

 
 

はたしてどうなる?

前回の日記に記したとおり、連立政権が崩壊したベルギー。

首相は中道右派のMRという政党

(前回も中道右派と書いたけど、右派ってのが正しいか、自信ない。リベラルな政党、フランス語でリベラルと言うと、英語のリベラルと違って、経済リベラルって感じかな?左翼じゃない。同性婚とか、そういうのにいっさい抵抗を表明しない政党です。ってか、首相を見る限り、そういうのは賛成だと思う。← 賛成ってのもヘンなくらい、同性婚などはベルギーでは当たり前化しているんだけど。)

なんだけど、N-VAが連立政権を降りたので、この政党だけではマイノリティというわけで、単独でやっていいのか、という問題が起こったわけです。

 

一昨日の議会、19時30分のニュースでライブで国会中継していて、おもしろかったのでずっと見ていました。

 

結局首相はその場で辞任を表明、その足で王様のところにその旨伝えに行きました。

ベルギーでは、政府が混乱するとき、王様のところに行って報告する、というのは、皆が落ち着くための時間稼ぎとして、これまでもお決まりの行動らしい。

 

連邦議会の建物とブリュッセル公園を挟んで真向かいにある王宮は、王様が執務を行うところ。

ニュースでは、そこに向かっているようなことを言ったので、ええええっ、王様ったらこんな時間にもお仕事?と驚いたら、それはやっぱり間違いで、住まいであるブリュッセル首都圏の北にあるラーケン宮でした。

そりゃそうでしょ、そういうことになるとはじめからわかってたならともかく、20時ごろとなると王様もご自宅よね。(笑)

 

その辞任を王様が受け入れれば、辞任が決まり。

決まっても決まらなくても、これからどうなるか、全く不明。

 

今のところ、王様の方では保留ということで、昨日から、各政党のトップがひとりずつ、王宮に赴いて、王様と話し合いをしています。

 

来年の5月26日は選挙、あと半年だから、それより前に選挙をやるってのは、だれも望んでないと思うのだが…。

 

マラケシュでの国連の難民問題に関する協定(協定だの指令だの、適当にいろいろ訳してますが、本当は日本語ではどういう表現にしないといけないのか、私はよくわからないので、このへんまちがってたらごめんなさい。)については、議会では過半数が賛成だったので、いくらN-VAが脅かしても、そんな脅しには負けられないところ。

そこまでは当然なんだけどね。

 

極右に近いN-VAと組むのが悪い、と、10月の地方選で大躍進した極左政党のPTB(トロツキストだったと思う)とエコロ(緑の党)は、とても強気で攻撃していました。

 

選挙が早まらないととすると、今のどの政党がどの政党とどう組むか、ですよね。

 

たとえば、今日の19時30分のニュースでは、CDH(キリスト教民主党)の党首がゲストで、PTBとは絶対組まないと言ってました。

彼らは反レイシズムを謳ってるので、当然極右とも組まない。

 

ベルギーでは前々回の選挙後、なかなか合意に至らず、1年半も内閣が組めなかったこともあるぐらいだし、このドタバタが5月の選挙まで続くってこともあるかも…。

ニュースでは、このままの混乱が続けば、予算関係で大きな問題が出るようなことを言ってましたが...。

 

 

さて、もう2019年まであと10日ほどですね。

もしかしたら、この日記が今年最後になるかもしれません。

 

どうぞ皆さん、よい年末年始をお迎えください。

 

 追記・30分くらい前のニュースによると、王様がシャルルミシェルの辞任を受け入れたとのこと。(ベルギー時間12月21日13時)

考えないといけないことがいっぱいありすぎる

日が短くて、暗い。

ここ数日ほとんどお日さまも照らないんで、よけい暗い。

暗いと何もしたくない。ほんとになーんにもしたくない。

 

それなのに、考えないといけないことや、注視しておかないといけないことがいっぱいありすぎて、困ってしまう。

このブログに、そういうことを忘れないように記しておこうと、しばらく前から思っているんだけど、暗いもんだからその力もわいてこない。

記そうと思うと、人さまが読むこともあるのだから、いいかげんなことは書いてはいけないし、ちゃんと記す前にいろいろと調べて確認もしておかなければ…、なんて考えるので、よけい力が湧いてこない。

 

ベルギーでは、今ちょいと騒ぎになっていることや議論になっていることがいくつかあるんで、そのことを記しておこうと思っているんだけどね…。

そういうわけで、あまり確認もしないまま書くんで、事実関係に間違いがあるかもしれません。

 

日本でも話題になっているイエローヴェストのマニフ。

フランス同様ベルギーでも行われていて、先週の土曜日にも行われ、そして今日も行われました。

先週は破壊行為に及んだ人たちがいたんで、今日はより多くのコントロールが行われたようです。

 

その翌日の日曜日には、地球温暖化に関するマニフが行われ、これはホントに大規模で、ベルギー中から75000人の人がブリュッセルに集まりました。

このときは、国鉄も運賃を安くし、ブリュッセル市内のメトロ・トラム・バスも無料になったので、より人々が集まりやすくなったことも関係しているでしょう。

 

実はその前に、ブラックフライディっていうんで、買い物する人のために国鉄が運賃を安くするというサービスをしたらしい(私はこんなことしてたの知らなかったけど)、そこに環境問題が深刻なテーマになっているこの時代に、こんなことだけに安くするなんてなによ、という批判が起き、それでマニフのためにも安くした、ということらしい。

ブラックフライディなんて、以前は話題にもなってなかったのに、たしかに、何よそれ…、という気がするよね。

 

で、これだけたくさんの人が、しかも非常に平和的に意思表示をしたのに、ベルギーはCOP24の環境問題に関する指令について反対と答えちゃった。

 

これだけの数の市民が意志表明したというのに、政府の態度は何よ、と多くの人が失望し怒っているわけです。

 

ちなみに、イエローヴェストに対して、環境問題でマニフしている人たちは、グリーンヴェストなんて呼ばれてます。

 

そして、あなたはどっち?といった質問に、どちらでもある、という人たちもいっぱいいます。

 

それと、国連による難民に関する協定に関する問題。

この協定に賛成するなんて許さない、と、連立政権のうちの極右に近い片っぽが脅しをかけてきたのです。

もう片っぽの中道右派政党に属する首相が、その協定のためにマラケシュに行こうもののなら、自分たちは連立政権を降りる、とまで脅されてます。

そういうわけで、政府が崩壊するかも、という状況にあるベルギーです。

極右に近いN-VAという政党、その背後には極右のヴラームス・ブラングがいて、実は今、ブラームス・ブラングを支持すると言って、米国のバノンとフランスのル=ペンまでアントワープに来てる状態。気持ち悪すぎる。

 

(ちなみに今この記事を書いている最中、この件に関して、首相の記者会見がライブで中継されているところ)

 

↑ というわけで、今首相の記者会見での発表を聞く限り、

「すでに7月にベルギー国として協定を支持することを表明し、また今回のN-VAの«待った»の後、国会でも協定を支持することが絶対多数によって支持された。私はマラケシュに行く。N-VAは従って政府から退くことになる。」

とのことであります。

 

よく耐えたね、ミシェル首相。

でも、これに堪えられなかったら、この政党に次はないもんね。

堪えるしかあるまい。

 

この件に関しての議会での議論もライブで中継してましたが、そのとき、この協定を批准しないなんて、伝統的ベルギーの国の在り方に反する、と言ってる議員がいて、ちょっと感動しました。

 

さて、上述したような問題と少し異なる、過去を問う問題も。

 

2013年から改修工事に入っていたアフリカ博物館が、またオープンします。

今日が落成式で、明日から一般公開。

Home | Royal Museum for Central Africa - Tervuren - Belgium

 

 これを機会に、ベルギーの植民地政策を振り返る動きがあるのです。

所蔵品を返すべきか、といったことも含めて。

以前は、コンゴの人たちの視点など一切抜きの、偏見に満ちた展示だったのだけど、新しくなった今は、反省の下に大きく変えられたそうです。

 

追記:加えて、これまで全くなかった「女性の視点」もスタッフに女性が加わることでなされた、とのことです。

 

ニュースやドキュメンタリー番組などで、植民地支配していた時の状況が取り上げられています。

 

そういえばずっと前に、MIXIの日記に、レオポルド2世に関して記したことがあったなあ、と思い出し、探してきたので貼り付けます。

中に貼り付けている3つのリンクのうち、今でも読めるのはひとつだけですが。

 

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2005年11月の日記

 

LE ROI BLANC, LE CAOUTCHOUC ROUGE, LA MORT NOIRE

わたしは見ていないんだけど、2日か3日前の夜、arteで放送されたドキュメンタリーのタイトルです。

http://www.arte-tv.com/fr/semaine/244,broadcastingNum=500395,day=7,week=45,year=2005.html

クマが見て、たいへんなショックを受けて、いっぱい話してきかしてくれたのですが、わたしも全然知らなくてショック・・・、ちょっと衝撃的ですが、みなさんにもお話します。

ベルギーの独立は1831年、国としては非常に若いのですが、2代目の王様レオポルド2世の頃が、一番豊かでした。
なぜ豊かだったかというと、ベルギー領コンゴと呼ばれた植民地を持っていたからです。
このコンゴ、実は最初、レオポルド2世個人の持ち物でした。
それを後にベルギーの国のものとしたのですが、ここまでは、一応わたしも知っていたのです。

驚くのはこの王様の支配の仕方。

ある人は、ヒットラースターリンポルポトと並ぶ虐殺者として並べているほどです。

この番組のタイトルは、白い王=レオポルド2世、赤いゴム=生産されアントワープ港に下ろされるゴムは黒人奴隷たちの血で赤かった、黒い死=虐殺された黒人たち、を、それぞれ指しています。

レオポルド2世、反ヒューマニティの罪で、つい最近、裁判にかけられるところを、資料等すべてブリュッセルのラーケンにある王宮で、証拠隠滅のために焼却してしまったらしい。

日本語で検索したら、

http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/searchdiary?word=%a5%e2%a5%ec%a5%eb

こういう日記を発見。
前述のドキュメンタリーの内容と大きく重なっているので、ご覧ください。

ベルギー領コンゴ、「切りおとされた手の国」と呼ばれていたらしいです。
ゴムの生産量が少ないと、奴隷たちは1回ごとに指を1本ずつ切られ、しまいには手を切り落とされてしまい、それでもゴムの木に登って働かなければならなかったらしい。

リベラシオンの記事「切りおとされた手の国」です。

http://home.tiscali.be/be074683/coupees.htm

絶句・・・。

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 ↑ こういうことも含めて、今また皆が過去を振り返っているところです。

 

レオポルド2世のことを書いた日記を探していて、こんなのも見つけちゃった。

 コンゴの話にも通じているし、貼り付けておこう。

 

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 2006年4月、ポルトガルやスペインを家族で旅行したときの日記

 

メデリンの町の丘の上には、14世紀に建てられ15世紀末に修復された教会があって、エルナン・コルテスがそこで洗礼を受けたのだそうですね。
こういう小さな町の地理的構造は、それこそ500年経とうと、ほとんど変わっていないでしょうから、丘の上から町を見下ろしつつ、ああ、コルテスも、こうやって町を眺めたことがあったのだろうと、なんとも言えない気持ちになりました。

そうやってぼうっとしていると、おじいさんがひとり近づいてきて、話しかけられました。
クマが相手をしていましたが、私たちがメキシコにいたこと、長女がメキシコ生まれであることを知るととても喜び、
「コルテスのおかげで、あの連中も、怪物を祭ったりいけにえをしたりするような、恐ろしい信仰から開放されたのだからねえ」
と、誇らしげに語ったりしていました。
それを聞いていた子供たちが、この時代に、まだそのような発想でものを捉える人たちがいるのかと、メデリンを去りながら、たいへんショックな様子でした。

 

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力が湧かないわりにはがんばったぜ。(笑)