2週間ぶりの更新。
毎年恒例の文化遺産の日、土・日を終了したのでメモです。
毎回どこに行こうか迷いますが、揺るがぬポイントは、「こういうときでないと絶対に入ることができない場所」ということ。
いろんなミュージアムも自由に入ることができるんですが、これはミュージアムパスがあればいつでも入ることができるし、パスが使えない所でも、ミュージアムである限りお金さえ払えば入ることができますから。
ただここ数年は、以前のように何か所も欲張らなくなった私です。
1日につき、午前と午後一か所ずつ。ガイドの案内つきのみ。
Covid騒ぎの頃から、人数制限の必要性からか、全て予約制になりましたが、それ以前は、場所によっては自由に見学できるところもあったので、ついでにあちこち歩き回っていました。
で、今回予約しながら気づいたのだけど、今年からCovid以前のように、予約を入れなくとも自分で自由に入ってみることのできる場所がいっぱいありました。
さて、その予約ですが、1週間前の週末から・・・とサイトに書いてあったのですが、なんといってもすぐ満員になるので逃すまいと、時々チェックしておりました。
数日後には、「9月中旬に入ってから・・・」と表現が変わった。
前の週に入ってから毎日チェック、で、木曜日、午前中にチェックしたらまだ予約不可状態だったのが、どうせまだだろうと思いつつも午後にもちょいとチェックしたら可能になっていて、なんと、一番狙っていたところはもう既に満員!
私みたいに狙ってチェックしている人は他にもいるんですよねえ…。
ガイドの案内で回るやつは、仏語の案内はだいたい1時間に1本ずつ、ひとつのグループの定員は15人くらい。
狙っていたところは、土曜日の午前中2時間のみ公開だったのです。
たったの2時間となると定員は少なく、あっという間に満員になるのも仕方ない。
というわけで、気を取り直して「日頃は絶対入れない場所」のガイドツアーを選んで予約しました。
土曜日・午前 Hôtel Haerens
heritagedays.urban.brussels
この建物、現在はバイオメトリック認証によるセキュリティに関わる会社Semlexの持ち物で、それこそ通常は絶対に入れないところ。
うちから徒歩で20分ちょっとの距離で近いのだけど、必要性がなくて歩かない方にあるので、この建物に関しても、今回のイヴェントで初めて知りました。
fr.wikipedia.org
中には入れましたが、フォトはNGでした。
当然ではあります。
普通は中に入るだけで、身分証がチェックされるところです。
ここ、元はアンパン氏のもとでエンジニアだったアーレン氏の邸宅です。
大きな通り、アヴニュー・ブルグマンに面したところがファミリーの入り口、すぐ横の小さな通りに面した入り口は、アーレン氏が建てさせたアパルトマンの入り口で、こちらは貸していた。
またまたブルグマンさん登場、このブルグマン通りは19世紀に彼の投資で作られた道で、その頃はまだ家も20軒くらいしかなく、裕福な人たちが「田舎」にピクニックに出かける道だったそうです。
1870年代にトラム(と言っても、レール上を馬が引く)が通った道でもある。
建築家はアントワン・クルテンス。
オルタのもとで研修生だった人。
自然光の取り入れ方とか、オルタの影響が大きい。
アンパン邸の建築家ミシェル・ポラックにも影響を受けている。
空調にもとても気を使った作りになっている。
クルテンスというのはアーティスト一家で、アントワンの祖父が画家のエドワール、お父さんが画家のフランツ、3人兄弟の他の二人、エルマンが画家で、アルフレッドが彫刻家、で、この方が建築家。
今回のガイドツアーに参加された一人は、アルフレッド・クルテンスのお孫さんでした。
(たぶんそれをアピールするために参加されたんだと思う。)
fr.wikipedia.org
家具類やライトは、もう最初のものは失われていますが、持ち主さんの好みで創建と同時期の作品が集められ使われています。
ライトがすごくカッコよかったけど、フォトを撮ることができませんからね。
残念。
持ち主で上述の会社の社長さん、ちょいと検索したら、もとはアレッポ生まれのシリア人。
学問のためにベルギーにやってきて、ダイヤモンド業で財を蓄え、今の会社を立ち上げた。
土曜日に、この建物の中でちょっと見かけた男性がこの方でしたわ。
土曜日・午後 Palais de la Folle Chanson
heritagedays.urban.brussels
全く知らないで予約を入れたんだけど、上述の建築家クルテンスの代表的な作品が、午前に見たアーレン邸と午後のパレ・ドゥ・ラ・フォル・シャンソンでした。
この建物は、以前に外観だけは専門家の案内で見たことあるし、自由大学へ行くトラムの通る道沿いにあるので存在は把握してました。
でも、こういう時でないと中に入ることは不可ですから、ガイドツアー逃すまじ・・・と大慌てで予約を入れたのである。
そしたら同じ建築家だったと後で知り、おおおっと嬉しかったです。
玄関ホールへ入るところの階段の手すりも、そのカーヴがかっこいい。

ホール
左の二つの扉は、創建時からのエレベーター。
正面は郵便受け。

こんな大きな建物なのに、アパルトマンの数はわずか14、現在は12ファミリーが住んでいるそうです。
1軒の面積、250㎡。
窓が多くて明るいのも特徴。
家の幅によって税金額が変わるのは知っていたけど、窓の数も税金に関係あるのは初めて知りました。
窓がいっぱいってことは、税額も上がる、つまり裕福ってこと。

案内してくれた専門家の方。
エレベーターは3人乗り、杖をついていた老人カップルのみこれを使用。
我々は階段で7階まで上ったのである。


踊り場のライト



5階のアパルトマンの入り口に、こんな表示が!

カフカが、通訳者が言葉を失うほどの講演を行ったのは、たぶんここ、と書いてあった。
カフカって、ブリュッセルに来たことあったの?
調べてみないと…と思った。
建物のてっぺん。
星形のところ。
修復する予定なんだけど、ブリュッセルの政府がまだできてないので(苦笑)援助額が不明、住人の負担がどのくらいになるのか、ここに住んでる人々がいくら裕福とはいえ・・・、とのことでした。


1階の部屋の所有者がアーティストさんで(例えば、階段のところのモービルはこの方の作品)、中に入れてもらえました。
部屋っていうか、作品が展示されたギャレリーだった。
入ったところから、玄関ホールを振り返るとこんな感じ。

床にあったスィッチ(?)
昔、使用人を呼びつけるためのものだった。

むむむ、なんだかものすごくめんどくさくなってきた…。
しかし、今のうちに記しておかないと忘れちゃうから、がんばるわ。
日曜日・午前 BOZAR
heritagedays.urban.brussels
BOZAR宮には、コンサートだエクスポジションだと、けっこう足を運ぶ機会はあるのだけど、考えてみれば、ガイドの案内で建物をまわったことないよね、と思い申し込んだのである。
で、普通は入ることのできない王家専用の場所とか、アート作品を運ぶ時にしか使わないというエレベーターに乗ることもでき、満足したミーハーな私である。
建物が大きいので、案内も1時間半に及びました。
建築家はオルタ。
クルテンスは、この建物建設中に研修生だったので、どこかで関わっているはず。
建物のマケット。
アクセスできない所に、いくつも空間があり、そこから自然光が入る仕組みになってる。
BOZAR宮の入り口は、ロワイアル通りの下にあります。
てっぺんがちょうど通りの高さ。
というのも、通りより高く建ててはいけない、というのが、最初から決まっていたのだそうです。

王家のメンバーの入り口。
ガラスはオルタが好んで使ったアメリカのティファニーのもの。
フォトでは感じられないけど、思わず「おおっ」と声が出たくらい美しかった。

王家のサロン

付き添いの人たちのスペース(だと思う)

ここを出てすぐに王家用の座席への扉。
床は全てベルギー産大理石。(他の床にはモザイクやグラニットが使用されてる。)

窓を開けると、16世紀のクレーヴ-ラーヴェンシュタイン邸が見える。

fr.wikipedia.org
別の場所の床。
モザイクはフリーメイソンのコンパス

ここも初めて入るスペースだった。

やはりアメリカのガラス。そのデザインもアメリカのフランク・ロイド・ライトに影響を受けている。
オルタは第一次大戦のころアメリカにいたので。

このアメリカのガラスは、今は既にノウハウが失われ、入手できなくなっているのが問題だそう。
このBozar宮ですが、実は今も修復の真っ最中、完全に閉めて修復すれば速いのでしょうが、そういうわけにもいかず…。
アントワープの王立美術館が11年間完全に閉まっていて、一切活動ができませんでしたから、そういうことを避けるためでもあるそうです。
本来の色に戻すかどうかもまだ決定していない場所が ↓ ある。
もともと暗い色だったんですね。
そこまで戻すと、今のニーズに合わないのでは?とも言える。
毎週修復のメンバーのミーテングが行われているそうです。

敷地面積が8000㎡、建物の総面積は3万㎡だそうです。
日曜日・午後 Hôtel Espérance
heritagedays.urban.brussels
ヌーヴ通りにはノートルダム・デュ・フィニステールという教会があって、そこの横にある幅の狭いフィニステールという道を入ったところにあるカフェ・レストラン+ホテル
ヌーヴ通りはよく通るんですけど、このカフェは初めて知りました。
建築家はレオン・ゴヴァ―ル(ヴァン・ビューレン邸の建築家)
ところで、フィニステールというと、私にはフランスのブルターニュのフィニステール(Finisterre = 地 Terre の終わり Finis の意)しか思いつかないので、いつも「なんでこの教会はフィニステール?」と思っていました。
そしたら今回その件についてガイド曰く。
ここが旧ブリュッセルの街の果てだったから、だそうです。
賑わうカフェの横の階段を上るとホテル。
カフェとホテルはTVドラマ(メグレのシリーズなど)に使われたそうです。
カフェは創建当時のまま、ホテルの方は一部屋だけ当時のものを残し、他は改装されています。
今回は保存している部屋を見せてもらいました。
この部屋、1泊130ユーロだそうです。
他の部屋はもっと安価。

内部の窓はコンゴの川をイメージしてある。

ホテルはもともと娼婦さんと過ごすためのものだったそうで、カフェの席もコンパートメントになっているところがあって、「部屋を使うよ」という店に知らせるベルがあったとのこと。
コート掛け


階段の壁

130ユーロの部屋


バスタブのところに立ってる左の3人はスペイン人。
一番左の若者が、終了後私に話しかけてきた。
聞けばニッポン語勉強中で、私をニッポン人とみて話しかけてみた、とのこと。
マヌくん、カディス出身で私と同じイクセル区在。
翻訳・通訳(西・仏・英・アラビア語)をしているのだそうです。
カディス、大昔にバックパックで旅行した時、向かう途中のバスの窓から海の向こうのアフリカ大陸がドカーンと見えたときにはもう感激して、見知らぬ隣の席の人に、「あれ、アフリカですよね、ね、ね、ね!」と話しかけないではいられなかったのでした。
マヌくんはブリュッセルに来て16年だそう。
いいところだよね、と言いあっこしてすっかり気が合い、今度一緒にお茶でも…ということになりました。
気が合うミュータント化したよそ者は、皆ブリュッセルが大好き。笑
その他にもメモをいくつか。
「ぐりとぐら」の作者さんの話。
うちの子たちもこの絵本で育ち、今は孫くんがこの絵本大好き。
(ちゃんと ぐりとぐら と言える ← バババカ自慢 笑)
diamond.jp
上述のアーレン邸の近く、道の敷石を木の根っこが持ち上げてるところがいっぱいありました。
たぶんポプラだと思うんだけど、ちょっと調べたら、根が浅いので倒れやすい、と書いてあって、浅いところで成長するから敷石を持ち上げるのかな?と思ったのである。


最近FB上で見かけて気に入っているアーティストふたり
この方 ↓ のを見ると、真似っこして自分でもやってみたくなる。
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この方のは、色がいい、そしてめちゃかっこいい。
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今日のところはこれでオシマイ。
追記・カフカの件。
カフカが亡くなったのが1924年、この建物は1928‐1931年のものだから、上述の「できごと」は少なくともここじゃないよね。
このプレートにも1924年は記してある。
でも、そしたらこれって単なるジョーク?
そうとも思えないなあ…。
誰が住んでるのかな?作家さん?カフカのファン?