涼しくなった

すっかり涼しくなり、20℃超えるのは今日が最後、明日からずっと最高気温14~15℃くらい。

夏が終わった。

 

あと数日したらニッポンに行きます。

ネットで調べると、1週間の滞在中、毎日30℃超えるようです…。怖い。

最低気温もかなり高い。

最高・最低の差がほとんどないんですねえ。

水分をしっかりとり、ムリはしないようにしようっと。

 

 

歌舞伎座のチケットをオンラインで取ろうとしたんだけど、海外からだとメンバーになれないので普通には買えない。

問い合わせたら、ニッポンでの宿泊ホテルをアドレスにして取る海外の人がいて、それを制限することはしていません、ということでしたが、限られた日数で何が起こるかわからないし、海外枠のサイトでチケットゲット。

夜の部で勧進帳をやるんで観たかったけど、海外枠だと昼の部しか取れない・・・残念だけど仕方ない。

というわけで昼の部のチケットをゲット。

歌舞伎初体験、しっかり予習をして行かねば。

 

 

今まで気にもしていなかったけど、今回は万が一病気やけがをした時のために、保険に入りました。

何年か前にこちらの日本人の知り合いと何かの要件で話をしたとき、しばらく帰国していたのだが東京で自転車にぶつかられ倒れて頭を打ったこと、そして事故の直後は何ともなかったのにしばらく後で病院にかかる羽目になったこと、保険に入ってなかったのを後悔したこと、そういうことを言ってたのを思い出したのです。

加えて、去年仕事で会ったニッポンの方がエコノミークラス症候群で倒れ、予定より早く帰国されることになり、そのとき保険がちゃんとカバーする様子を目の当たりにしたことも思い出した。

 

それで、お守りと思って保険に入ることにした。

電話で問い合わせたところ、今回の1週間分の料金の倍以下で1年をカバーする保険に入ることができることが判明。

10月にも行くし、これから1年間、世界中のどこに行こうがカバーするということなので、こちらを契約しました。

 

私が入ってる普通の健康保険は、以前は世界中どこでもカバーしてくれていたんだけど、今はもう18歳未満でないとそのサービスをしてくれなくなっちゃったんです。

EU内は普通のでOKなんですけどね。

 

 

最近のニュースで「ほおおおっ」と思ったのが、フランスの新しい首相。

プロEUの方ですし、Brexit 騒ぎでは大活躍してたし、私はこの方わりと好きですけどね、どうなるかな。

一方、ベルギーではまだまだ連邦政府の行方が決まりません。

www.rtbf.be

 

 

その他SNS上で見かけたものなど、メモ。

 

天使。

Odilon Redon,
The Celestial Art,
1894, lithograph

 

2000年前の赤ちゃんの足跡。

こういう跡をつけさせる習慣があったのだろうと。

かわいい。

'empreinte de pas d'un bébé, sur une tuile romaine vieille de 2 000 ans, découverte à Vaison-la-Romaine. A priori, c'était fait exprès (une sorte de tradition censée porter chance)

 

かわいい、と言えば、若いジャンポールベルモンド、めちゃかわいい。

ぱっと見には「銭湯に行ってきました」って感じ。笑

 

 

様々な条件が重なってこの状態で保存されたという、鉄器時代の男性 トーロンマン。

驚く。

なんらかのセレモニーで生贄とされたのだろうと。

ja.wikipedia.org

 

ということで、オシマイ。

たぶんニッポンから戻るまで、ブログの更新はしないと思います。

 

 

 

「これはおもしろい」と思った動画など

9月に入っちゃいましたね。

2024年も慣れる間もなく終わっちゃうんでしょう。

驚くなあ…。

 

数日前のうちの近所の空気。

まだ30℃近くの暑い日が1週間に1回くらいあるんですが、いつが今年最後の暑い日かな?

 

 

昨日友人が「おもしろいよ」と教えてくれたビデオを貼っておこうと思います。

 

4回シリーズで、まだ3回目までしか視聴してないけど、ほんとにおもしろかった。

いろいろと勉強になったし。

ここにメモし終えたら、最後の分を視聴する。

 

www.youtube.com

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www.youtube.com

 

アート作品が投機の対象となって高騰してしまい、今は美術館も教会も作品の入手が難しくなっていて、以前ここにも記したと思うけど、アントワープの大聖堂にあるヤン・ファーブルのオブジェも、ルーベンスハウスにあるデヴィド・ボウイのコレクションのひとつだったティントレットの聖カトリーヌも、アントワープの大金持ちの誰かが購入して、そこに置かせてあげてるものなんです。

そういう今頃の傾向を見つつ、私も斎藤幸平氏同様、そういう動きの中の代表的人物のひとりって感じのこの方もその作品も、全然好きではなかったんですけど、話を聞いて、いやいや、そんな単純な話ではなかったわ、と思い知ったことでした。

 

 

他にこのビデオも貼っておく。

メキシコに行く前の若かりし頃、こういう人々にかぶれてたのよね。笑

「知的放浪者」ってやつ。

今もこういう人たちをカッコいいとは思うのだけど、言ってることには全面的には賛成できなくなってきた。

バーサンになったからなのか?

www.facebook.com

 

10月に3週間、ニッポンに行くことは前にここに書いたけど、それとは別に今月も1週間だけニッポンに行くことにしています。

9月の中旬に、大学のラグビー部の創部75周年記念の行事が金沢である。

仕事の都合上、9月にニッポンに行くとなると調整が難しくなるんで、この行事に参加するのは諦めていたのでした。

でも、(もしかしたら、これを最後にもうニッポンには行かないことになるかもしれないから)10月の3週間で会いたい人たちになるべくたくさん会うとなると、九州にいる時間がものすごく短くなるなあ…姉ががっかりするだろうなあ…と考えていたところ、その行事にいっぱい集まる様子を知り、「この行事のためだけに10月とは別にニッポンに行くと、1回でいっぺんにみんなに会えるじゃん」と気づいてしまった。

しかし、貧乏人の私が2回も遠出するなんて、ちょっと贅沢すぎないか…と少しばかり悩んだ。笑

で、数人に相談、「ゼイタクだからムリなんじゃない?」と言われるかなあ…と歯止めを期待したのであるが、あはは、相談した相手が皆、「明日死ぬかもしれないんだから、思いついたなら行けばいい」としか言わない。

そりゃそうですよねえ…、私を含めてみんなそういう考え方をするんだった。

(問題は「明日死なない可能性」の方なのであるが…笑)

というわけで、今月もニッポンに行きます。

このときは東京と金沢のみの1週間。

まだ暑いでしょうから長居はムリです。

 

いったん決心したら、めちゃくちゃ楽しみになってきました。

7年ぶりのニッポンです。

暑いってのはキョーフ。それと台風と地震も怖いですけど。

 

 

さて、いつものようにSNS上で見かけたフォトなど。

 

Edward Hopper, carnet de croquis

 

Fantastique document, deux artistes de "l'équipe" de mon grand-père, Francis Bacon et la sculpture "L'Homme qui Marche" dans la Cour Giacometti de la Fondation Maeght.

 

オシマイ。

 

やはりメモはしておかねば・・・

また10日ほど間が空いてしまった。

私のブログなんてほとんど誰も読まないので、間が空いたからといって別に大した問題ではないのだけど、自分にとっては後から振り返るのにけっこう役立つし、やはりメモしておかなければ…、というわけで更新。

 

もう8月も残すところ数日。

フランス語圏の学校はヴァカンスも終わり、今週から学校もスタートしました。

9月1日から公共の交通機関に値上げその他、いくつか生活上の決まりの変更が待っている。

日は4分ずつ短くなってるし…。

夏も終わりです。

 

でも今日は気温が30℃近くになるらしい。

今午前7時30分頃、外はまだ14℃。

 

 

前回記したとおり、ドクター・チェに縁のある街を訪ねたり、チェさんのご自宅にマダムを訪ねたりしてきました。

考えてみれば、私なんてそこにいる理由など特になかったのだけど、マダムが「前に一緒に来た人(←私のこと)も・・・」と言ってくださり、ずうずうしくも一緒に行った、というわけです。

やはり一人の人の人生に触れるのは感動的で、お供させてもらえありがたいことでした。

 

 

彼の蔵書が寄贈されたルーヴァン大学の図書館の東洋学セクションを見せてもらいました。

この図書館は第1次・2次大戦ではタイヘンな目に遭ったのです。

 

燃えた本...。

 

この ↓ フォトの奥に写る階段を上って進むと東洋学セクションがある。

チェさん関係のものは近いうちに友人が本にまとめるので、ここでは私が「オッ」と思ったマンガのフォトなど。

 

 

ルーヴァンではベジタリアンでオーガニックというレストランでランチ。

ものすごくおいしかった。

やはり食材がいいと、こういう特になんということもないメニューでもめちゃくちゃおいしい。

 

ルーヴァンの市庁舎

大ベギン会も訪ねてみた。

 

 

 

翌日はナミュールへ。

チェさんはナミュールイエズス会の学校に入るわけですが、その場所は今はナミュール大学の建物になり跡形もなく、イエズス会の学校は他所へ移動していました。

 

ナミュールでのランチ

オープンして2年というエクアドル人の若者がやってるレストラン

 

こういった ↓ 立体があちこちにあり、今はどこの街もストリートアートを推奨してるのね、と思った。

こういった一連の立体作品は、特に私の好みではなかったが…。

これは好き。

以前ブリュッセルのストリートアート巡りに参加した時にも見たことのある、確かスペイン人アーティストのものだったと思う。

あちこちにちっちゃなお人形を置く、ってシリーズ。

 

フェリシアン・ロップス・ミュージアム

今回は入る時間はなかったのであるが。

 

最近再開したロープウエイでシタデルに上ったのである。

 

そしてアントワープ

チェさんに縁のある昔の港のあたり。

けっこう冷たい日だったのに、泳いでる人たちがいたので驚く。

 

レッドスターライン・ミュージアム

2階にはセルフサービス+無料でコーヒー等飲めるスペースができてた。

 

以前はなかった(と思う)展望台にも上ってみた。

ザハ・ハリッドによる港湾会社の建物が見える。

 

 

 

1等や2等の人には縁がなかったかもしれない、消毒室の壁。

消毒後、3等で船に乗れたならまだラッキーだったでしょうね...。

(3等の人たちには関係のない)フィットネスコーナー。

 

 

最近SNS上で見かけて、おおっと思ったフォトなど。

 

Paris 4ème. La rue de Venise vers 1910, une des dernières ruelles du Moyen âge

 

Residents of West Berlin show their children to their grandparents living in East Berlin, 1961

 

Gustav Klimt was only seventeen years old when he drew this portrait of a girl.

 

 

オシマイ。

 

メモ いろいろ

10日ぶりの更新。

 

超早起きしないといけない仕事が続き、昨日ようやく終了しました。

 

毎日4分ずつ日が短くなってます。

数日前の5時30分ころの空、黄昏時みたいなきれいな群青色。

 

 

さて、仕事が一段落したところで、これからはプライヴェートな忙しさがスタートします。

冷蔵庫も空っぽになってるから買い物もしないといけない。

東京に住む友人が明日やってくるんで、うちの掃除もしないといけない、etc.。

 

明日やってくる友人の記事を貼っておきます。

この記事のドクター・チェの足跡を訪ねるのが、今回彼女がやってくる一番の目的なので、つきあえるだけつきあいたいなあ、と思っているところ。

www.webchikuma.jp

 

 

前回更新した後のことやSNS上で見かけたフォトなど、メモ。

 

月に1回のランチ。

今回もおいしかった。

 

スターター

友人のチョイスはビーフのタルタール

私はヤギのチーズ、今回はスモーク・サーモンが乗っかってた。

 

メイン、彼女が選んだのはタラ

私は牛肉。おいしかった。(って、おいしいって意外表現できない語彙の乏しさよ。)

 

 

 

なんて美しいんだろ…。

Photograph of the great ballerina Anna Pavlova, Circa 1912.

 

 

その性格というのが伝わってきて、なんか「いいな」と思った。

Kiki de Montparnasse photographiée par André Kertész, 1927

 

 

すごくいいな、と思ったフォト。

赤が効いてる。

Casa Degli Omenoni Milano ou Palazzo Leoni-Calchi est un palais de Milan construit vers 1565. Situé dans la rue des Homnons d’aujourd’hui, derrière l’église de San Fedele. Le nom vient des huit cadres (homnons, ou "grands hommes") de la façade, sculptés par Antonio Abondio.

 

サン・ポール・ドゥ・ヴァンスにあるMaeght財団創設者のお孫さんが、下のコメント付きでFBにアップしてたフォト。

へえええ、と思った。

J'adore cette photo de Peter Beard, prise chez lui à Montauk, vers 1975 — Mick Jagger, Catherine Deneuve et Andy Warhol. Quel mélange !

 

なんか「懐かしい」と思ったフォト。

うちは母方の祖父も叔父も写真が趣味で、普通のうちだと見かけないような私たちが幼い頃のフォトがいつもいっぱいで、まるでそのうちの1枚みたいだと思ってしまった。

Les petits enfants de Choisy-le-Roi
1945 📷 Robert Doisneau

 

 

トリュフォーの映画「突然炎のごとく」の時代のフォト。

Elégante au bois de Boulogne. Paris, vers 1910-1912
Photo © Roger-Viollet

 

この ↑ 時代の人たち、いつもすごくかっこいいなあと思うのだけど、でも、かっこよくない生活を強いられていた人々の方が圧倒的に多数なんだろうな…なんて考えていたら、数日後、こんな ↓ フォトも見かけた。

この階層の人が写真におさめられるなんてめちゃくちゃ珍しい、という解説付きだった。

Rare daguerréotype d’une dame en situation de précarité accompagnée de ses enfants .
Il ne faut pas oublier que se faire prendre en photo à la fin du 19eme siècles était très onéreux, pour un ouvrier cela représentait quasiment un an de salaire, voilà pourquoi nous avons tendance à penser que les dames élégantes en crinolines sont représentatives de cette période. En réalité, les daguerréotypes que nous avons gardé en témoignage du passé ne représentent qu’une partie infime de la population (1% à peu près),souvent des gens issus de la très haute bourgeoisie.

 

 

昨日の朝10時頃仕事を終えた帰路、スマホで見かけたニュースで、アラン・ドロンが亡くなったことを知りました。

もう健康状態が良くないことは知られていたし、本人も「もう十分生きたし悔いなし」とユータナジーを望むことを発言していたりで、亡くなったということ自体は大きな驚きではありませんでしたが、フランス映画の寵児みたいな位置にあったわけで、なんとも言えない気持ちになりました。

昨日はニュースも私がよく覗くSNSも、アランドロンだらけでしたよ。

TVニュースでは半分以上の時間を割いたし、X上つぶやきの90%はアランドロンに関するものだった。

 

彼の所有するDouchyのお城で、子供たちに囲まれて亡くなった、と。

その敷地には、彼が可愛がった35匹の犬たちも眠っていて、彼もその犬たちと同じ場所に埋葬されるそうです。

 

ジャンポールベルモンドと並べて語られることが多いですが、生まれた階層も性格も全て異なる二人です(ベルモンドは彫刻家の息子で、アカデミーで演劇を学んでいる)。

「映画」という第7芸術の最盛期を作り生きたわけで、この頃はハリウッドとは全く別に、フランス映画にはフランス映画の在り方もあり…、ほんとにいろんな意味で感慨深い。

それに、アランドロンが自身のことを「チンピラ」と「自覚」してたところがすごいと思うし、そこがいいと思う。

 

彼と一緒にいた女性たちのことも思い出しますねえ。

 

ロミー・シュナイダー、彼女は独占欲が大きかったらしい。

それで、彼女を置いてけぼりにしてナタリー・ドロンのところへ、唯一結婚したのが彼女。

一番長く彼と一緒にいたのがミレーユ・ダルク、ものすごく彼を愛し支えていたことで有名、でも子供に恵まれなかったそうで、その後彼は若いオランダ人のマヌカンと一緒になり、子供がふたりうまれる。

 

アランドロンを使った監督たちも、ひとりまたひとりとこの世を去り、取り残された感じもあったらしい。

政治的活動をしたわけではないけれど、ドゴール将軍が好きで、政治的には右よりを表明してましたしね。

 

SNS上で山ほどフォトやヴィデオを見かけたけれど、これだけ貼ってオシマイにしよう。

 

ジュリエット・グレコもいますね。

Avec plusieurs célébrités à Bruxelles chez Paul au Gaity.

 

 

以前RTBFでドキュメンタリーを見たときの感想をブログに書いていたんで、それも貼っておく。

(この記事で貼ってるドキュメンタリーのリンクはもう時間切れだけど、昨夜急遽プログラムが変更され、彼が主役をつとめた映画作品とともにまた放送された。)

shohoji.hatenablog.com

 

auvio.rtbf.be

 

昨日貼り忘れた記事

昨日、これ ↓ 心にグッと来たので忘れないように貼っておこうと思っていた。

だけど貼るのを忘れてた。

だから今貼る。

 

 

文化人類学者マーガレット・ミードに、一人の学生が「文明の最初の印とは何か」という質問をした際の彼女の答え。

 

一度折れて治ったことを示す太ももの骨、だそうだ。

 

一度怪我したらもうオシマイ、他の生き物の餌食になって終わるはずなのに「治癒した」ということは、誰かが守ったということ。

他者を守る、それこそが「文明」の始まりだと。

«Soyez civilisés.» と締めくくられてるのもよいと思った。

www.facebook.com

Il y a quelques années, l’anthropologue Margaret Mead a été interrogée par un étudiant sur ce qu’elle considérait comme le premier signe de civilisation dans une culture. L’étudiant s’attendait à ce que Mead parle d’hameçons, de pots en argile ou de meules.
Mais non. Mead a dit que le premier signe de civilisation dans une culture ancienne était un fémur (os de la cuisse) qui avait été cassé puis guéri. Mead a expliqué que dans le règne animal, si vous vous cassez la jambe, vous mourez. Vous ne pouvez pas fuir le danger, aller à la rivière pour boire ou chasser pour vous nourrir. Vous êtes de la viande pour les bêtes rôdeuses. Aucun animal ne survit à une jambe cassée assez longtemps pour que l’os guérisse.
Un fémur cassé qui a guéri est la preuve que quelqu’un a pris le temps de rester avec la personne qui est tombée, a pansé la blessure, a porté la personne en lieu sûr et l’a soignée pendant sa convalescence. Aider quelqu'un d'autre à traverser des difficultés est le point de départ de la civilisation, a déclaré Mead. "Nous sommes à notre meilleur lorsque nous servons les autres. Soyez civilisés.
- Ira Byock.

 

 

 

ついでに、このフォトも貼っておく。

 

お月さまがすごくかわいかったから撮ったのだけど、目で見たものとは大違いなのが残念である…。

 

 

8月6日21時頃 庭で。

 

太陽がいっぱい だった

前回のブログ更新から2週間経ってしまった。

7月末は仕事で、8月に入ってすぐにイタリアに行ってたので、ブログを更新する機会がありませんでした。

 

イタリアにはほんの数日だけ、3日に出て昨日7日にはブリュッセルに戻ったので、正味3日間という短い滞在だったけど、ここにメモ。。

ものすごく暑いだろうと覚悟してましたが、到着した日の午前に雷雨が通り過ぎたということで、なんと、暑いどころか涼しい風が吹いていました。

ラッキーでありました。

(でもこの日曜日には40℃近くになるらしい。)

 

というわけで、日中はもちろん暑いけど、それでも日陰に入れば風が心地よく、暑さも湿気がないので辛いものではなく、短い期間だったけどうちに籠っている必要もなくて、いろんなところに連れていってもらいました。

 

長女たちが赤ん坊連れなので、同行すれば少しは手伝いになるし、くらいの気持ちで出かけただけなのに、ちょっとした旅行気分を味わってしまった。

ありがたや。

 

それに毎日、イタリアのジイジ(うちの娘たちが私の父をジイジと呼んでたと聞いて、チビ太にそう呼ばせると決めたそうな。「ジイジ」と呼ぶと振り返るほどすでになじんでる。笑)が、とても良い食材を使ってたっぷり時間をかけて作ってくれる、めちゃくちゃ健康的な食事をいただきました。

 

その間、私らバーチャンたち(イタリアのバーチャンはチビ太には「ラウラ」と名前で呼ばせると決めていて、名前で呼ばせるっての、いいな、と思うが、私の名前にはHとRが入ってるからなあ…。)、川で泳いだり、散歩したり、近辺の街を訪ねたり、でありました。

 

 

最初の朝

朝はひんやり涼しい。

イチジクの木の下にベンチが置いてあるんで、そこに座って景色を眺めた。

リッチな庭で、オリーヴもいっぱいだけど、他に、カキ・枇杷・リンゴ・プルーン・ブドウなどなど。

 

 

1日目はオルヴィエートの街へ。

 

ドゥオモのファサード

内部

でっかい扉

 

時計台

モーリスが15分毎に鐘をつく

 

広場

 

路地

この日一緒に出かけたメンバー、左がラウラさん、真ん中がシャンタルさん(以前ここに記したラウラさんのお姉さん、この方のパパは大戦中戦死したフランス人←かなり有名で、Wikiにちゃんと記事が載ってる)、右がボストンから遊びに来ていた親戚のジェンヌさん(ラウラさんたちの母方のおばあさんとジェンヌさんのおばあさんが姉妹)。

 

夜には、「こんなにたくさんの星を眺めるのって、いったい何10年ぶり???」って思うくらいの星でした。

これ ↓ は21時頃の空

 

その日の朝にできたばかりというでっかいモッツアレラがランチに出てきたんだけど、2つあったうち小さいほうでこの大きさ。

夕食にはジイジお手製のタリアテッレ。最高においしかった。

お隣(といっても徒歩で15分くらいの距離)に住むアルゼンチン人一家もご招待。

 

2日目はバニョレジオとそこと橋でつながるチヴィータに連れて行ってもらった。

 

Bagnoregioの街

何故かカフェのトイレの壁にルパン3世

 

Civita di Bagnoregio

 

3日目は車で1時間ほどのところにある火山でできたボルセナ湖へ長女たちと。

海みたいに大きかった。

 

Barもあるし木陰がいっぱいで、誰でも水浴を楽しめるようになってる。

 

Barでは、私はこの湖の魚で作ったフィッシュ・バーガーを頼んだのであるが、ま、たいしておいしくはなかった…。

しかし、ワインはものすごく香り高くておいしかった。

おかわりしてしまった。

 

コルクの木があった。

 

背後にBarがあり、聞こえてくるのはイタリア語のみ、カンカンによいお天気で、真っ青な湖。

風景としては、まさしく「太陽がいっぱい」のラストシーンでありました。

「シニョーレ!テレッフォノ!」(たしかBarのおばさんがそう叫びますよね)ってのを思い出し、ちょっと胸に迫る…。

 

 

ほんとに 太陽がいっぱい な数日間でありました。

 

www.youtube.com

ロダン展を観にいってきた

4月からやってるモンスのロダン展、ようやく観にいってきた。

 

先日ワーテルローに住んでいる友だちと話していて、一緒に行こうか、ということになり日程を決め、ほんとに「ようやく・・・」という感じです。

そうでもしないと、「ずっとモタモタして、ハッと気づいたら終わってた」ってなことになりかねない感じでした。

 

モンスに行く、ってのがねえ…。

まだ駅舎の工事が終わらない状態ですから、そういうことも含め、めんどくささが大きい。

 

友人はモンスには何回かしか来たことがないというんで、コレジアル(教会のヒエラルキーでカテドラルの次の位、辞書で調べたら、日本語では参事会教会と言うらしい。)にちょっと寄ったり、グランプラスでランチ、ミュージアムに行く前に市庁舎の庭に立ち寄ったり。

ちょっとした遠足でありました。

(今気づいたけど、グランプラスのおサルさんの頭をなでなでするのを忘れた!)

www.mons.be

コレジアル

ここにもロダンの作品

↑ のフォトにも映ってる床石はお墓ですが、そういう財力のありそうな大きな石でなくとも、↓ こういう十字架が記されている石の下にも誰かが眠ってます。

 

モンスで生まれモンスで亡くなった16世紀の建築家・彫刻家であるジャック・デュ・ブルックの作品がいっぱいある。

これ ↓ はキリストの復活

fr.wikipedia.org

ロダンが影響を受けた作家のひとりでもある。

 

モンスの鐘楼

ヴィクトル・ユーゴーは「ティーポットみたい」と言ったそうな。

水彩画に残してもいる。

モンスの鐘楼は他の都市にあるものと比べると新しく、17世紀のバロック様式です。

 

 

グランプラスのカフェでランチ

私はDuvel、初めて見るヴァカンス・シーズンのグラス

友だちはサン・ルイというフランボワーズで味付けしたビール、初めて見た。

(私はフルーツのビールは甘いのであまり好みではない)

ハンバーガーをいただきました。

 

市庁舎の庭

ここにはロダンカレーの市民が置いてあった

 

 

ロダンによるヴィクトル・ユーゴーポートレート

たしかドライポイントだったと思う

これ ↓ いいなあと思った。

ピエール・ピュジェ(フランスの17世紀の建築家・彫刻家・画家)によるサン・セバスチャン

テラコッタです。

fr.wikipedia.org

バロックの作家の影響が大きかったことを示すため、バロックの作家のものもおいてあったし、最近の傾向としてよく見られるように、現代作家の作品も並べてあったんだけど、ここでは Blandine De Bruyckere という作家の立体やデッサンがおちこちに並べて置いてありました。

fr.wikipedia.org

 

アルザスの孤児

ロダンが初めてコンクールで入賞したのがゲントで、「アルザスの少女」という作品だったと、以前本で読んだ記憶があるのだけど、これかなあ。

その本はうちにあるはずなので、調べればわかる。

しかし、今はまず昨日の記憶をメモしておきたい。

 

ベルギーで数年過ごしてパリに戻ったロダン、彼の名を多くに知らしめた作品がこれだったはず。

モデルはベルギー兵士

 

ロダンによるカミーユ・クローデル

これ ↓ 好きだった。

堕ちた天使を抱きしめようとしてる

未完の地獄門

洗礼者のヨハネ

デッサンもいっぱい展示してありました

シーレも影響を受けたと記してあって、なるほど、と思った。

 

 

きりがないのでこの辺で。

 

 

往復の電車の中での話。

彼女はジャーナリストなので、自然と世界情勢や政治の話になるんだけど、「バルト・ドゥ・ウェヴァ―やトランプさえも、前回に比べたら少しヒトとしてマシに見えるっての、世界がますますひどくなったってことだろうね」と二人して空しく笑ったのである。