勝利の日

今日はベルギーの第2次大戦勝利の日。

 

だいたいフリーランスで仕事していると、平日もウィークエンドも祭日も関係なく、特に今は籠っているしでますますわからない、それで、今日は祭日だったっけ?と調べてみた。

 

1945年5月8日23時01分に、連合軍が公式に勝利を宣言。

でも、それぞれの国が異なる日に戦争を終えていて、ベルギーについて言えば、1944年の9月・10月に解放されたけど、12月にまたアルデンヌにドイツ軍がアントワープ攻略を目的に米軍を攻撃してきた、いわゆるバルジの戦いが終わる1945年1月に終戦

 

長いことこの日は学校と役所のお休みの日だったけど、1983年に祭日を1日減らすことになり、影響少ないし、というんでこの日がお休みでなくなったのだそう。

 

なるほど、何でも調べてみるものだな、と思いました。

 

ちなみに、第1次大戦終結の日である11月11日は祭日です。

(1918年11月11日11時に公式に終戦宣言がなされた。)

 

parismatch.be

 

5月ってけっこうお休みが多い月なんですが、今日は祭日でないと判明、メーデーの後はイエスさま昇天の日とペンテコステの月曜日(今年はそれぞれ13日、24日)がお休みです。

 

 

 

今日FBで拾った画像、おもしろいな、と思いました。

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ロベールの辞書に新しく入れられた言葉のうち、その年を象徴するような言葉をそれぞれふたつずつ選んである。

私が生まれた年のふたつは、スプートニクとスクープ。

小学校の時、各教室にTVが置かれるようになり、そのTVでアポロの月面着陸を見たことなんか思い出したり...。

 

 

 

週に少なくとも2回くらいはいっぱい歩こうと決め、木曜日は午後から雨になるというんで、朝のうちにグランプラスあたりまで徒歩で往復してきました。

ついでにフォトを撮ったりもしたのでアップします。

 

8日からカフェ・レストランはテラスでの営業ができるので、この日はもうあちこちで準備をしてました。

 

 

 

5月に入ってレインボー月間、あちこちに虹の旗も飾られていました。

今年のプライドはオンラインで22日に行われます。

 

www.brussels.be

 

 

グランプラスは平日の午前中ということで、ほとんど人はいませんでしたが、今日土曜日の午後から天気が良くなりはじめ、日曜日は夏のような陽気になるらしいから、テラスも開くことだし、賑わうことでしょう。

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今日も少しブリュッセルの歴史的エピソードを紹介しちゃおう。

 

グランプラスから小便小僧のいるところに入ったところに、昔 à la ville de Courtrait ア・ラ・ヴィル・ドゥ・クルトレというホテルがあって、1873年7月、そこにヴェルレーヌが彼の母親と泊っていた。

そこにイギリスでけんか別れして放ってきたランボーがやってきた。

またケンカになり、ヴェルレーヌがピストルで2発発砲。

最初の1発がランボーの手に当たっちゃった(確か左手だったと思う)。

この日の朝、ヴェルレーヌはピストルをゲットしてます。

買った場所は、何回か私がここにフォトをのっけた美しいアーケード街ギャレリー・ロワイヤル・サンチュベールの、今は Le pain quotidien というパン屋さんの場所にあった武器屋さん。

LPQ Belgium - All day bakery and restaurant

その後やはりギャレリーにあるカフェでアブサンを飲んでホテルの部屋に戻ったそうです。

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この事件、ブリュッセルで裁判が行われたので、当時の資料はブリュッセルの王立図書館にあります。

懲役2年の実刑判決で、ヴェルレーヌはモンスの刑務所で2年服役してます。

おもしろいと思ったのが、彼の出所後、裁判に関わった人々が彼を講師に招き文学講演会を催した、という話。

 

ベルギーは近代BD(こちらのマンガ)発祥の地、それでBDの主人公たちの壁画がいっぱいあります。

小便小僧のそばにもいくつかあり、唯一コピーライトにうるさいHergéエルジェのタンタンは避け、

(万が一、こういうブログに載せて見つかったらタイヘンですもんね。エルジェ自身はもうずっと前に亡くなっていて、ご本人さまはコピーライトにうるさくないかもしれないんだけど。)

ダニィさんのを貼り付けておこう。

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www.danybd.com

 

アルデンヌにあるダニィさんちには、何年か前に仕事でお邪魔しました。

パートナーさんが、彼のBDに登場するヒロインにそっくりでビックリ。

それを言うと、彼女にはそれが一番の誉め言葉だよ、とおっしゃいました。

 

一番記憶に残っているのが、エジプトだったか、旅行に行ったら彼の作品をちょっとだけ地元用にアレンジした海賊版が出回っていたというエピソード。

コピーライトという点からどう思う?と訊ねたら、「そういうのが出回っているってのがすごく楽しい」と。

オシャレでかっこよくニコニコと優しくて、仕事の思い出の中のベスト10に間違いなく入るわ。

そこでごちそうになったシャンパン、これまで味わった中で一番おいしかったし。

 

 

フォトはこれで最後。

13世紀の城壁の一部です。

14世紀には街がもっと広がり、城壁が新たに作られることになるんですが、

(現在は旧ブリュッセルを囲む自動車道になっている)

まだこうやって残ってます。

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大学の講義、今週文学が終了、美術史も来週で終了。

これから学生たちは籠って試験に備えます。(って、これまでもコロナ禍のせいで籠っていましたが。)

こちらの学生たちは、皆ホントによく勉強します。

自分の学生時代を思うと、よほどオバサンになった今の方が勉強している気さえする。

当時私は、試験になると勉強し、勉強するとおもしろくなるんでやる気が出るものの、試験が終わるとそんな「やる気」なんかまたパッと忘れたような日々が…。

 

9月からどうしようかな、と考え中。

コロナ禍は収まり始めそうな気配とはいえ、私自身は今年はもう仕事はないと覚悟しており、来年もすぐには元通りにはならないだろうし、時間的には問題ないんだけど、オンラインに慣れすぎて、教室に通うってのに抵抗が…。

情けないことです。

講義は、1回こっきりのコンフェランスや王立アカデミーの講義と違って、確かに中身が濃く深いのだけれどねえ…。

 

王立アカデミーといえば、一番最近聴講した講義は「ベルギー憲法の未来」でありました。

新しい国ですから、憲法は当時世界で一番リベラルなものでした。

だからこそいろんな人が亡命もしてきた。

でもこれまで改正はあまり行われておらず、きちんと時代にそくした議論をしなければいけない、という話。

(これまでの改正は、連邦制になったときのものがほとんど。基本的な権利についても具体性に乏しいそう。)

 

講師の憲法学者が「最近はポピュリズム政党の台頭が世界的に激しく、こういう政党の共通した特徴が憲法を変えようとする動きだ」おっしゃっていましたよ。

 

講義はアーレントの言葉で締めくくられました。

 

Un gouvernement constitutionnel est "un gouvernement essentiellement limité, dans son autorité et dans l'usage de sa force, un gouvernement sous contrôle des gouvernés".

Et de préciser qu'"il s'agit de limiter, autant qu'il est possible et autant qu'il est necéssaire, l'espace étatique du gouvernement pour permettre une liberté extérieure à la sienne".

 

ネットの翻訳機で訳したら

****

憲法上の政府は、「その権限とその力の使用において、本質的に制限された政府であり、被治者の管理下にある政府」です。 そして、「それは、政府の国家空間を、それ自体の外部の自由を可能にするために、可能な限り、そして必要な限り制限することの問題である」と明記する。

*****

ヘンな日本語だなあ…。

 

 

 

 

5月に入ったので

5月に入ってまたフォトがアップできるので、最近のものをアップ。

嬉しい。

 

 

 

うちから一番近くにあるつまずきの石です。

この方、ベルギーの水泳チャンピオンで、ベルギーで初めて公共のプールを作った人。

第2次大戦中にレジスタント活動、それで捕らえられブレーンドンクの収容所で銃殺刑に…。

 

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これは前回の記事に書いた私のホームドクターのキャビネの近くにあるつまずきの石。

レジスタント活動ゆえに捕らえられ、スカールベークで銃殺刑に処せられた学生さん。

Peut être une image de plein air

 

 

先週は天気がとてもよかったし、イースター休暇後は「エッセンシャルじゃない店」も普通に開いたので、ちょいと必需品の買い物に出かけたり、けっこう動きました。

そのついでにフォトを撮ったのです。

これはマルクスエンゲルス共産党宣言を書いた場所。

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ジャン・ダルデンヌ通り。

1900年頃、この通りはまるごと新しくされたので、↑ の銅板の貼られた家は、彼が住んだ家そのものじゃありません。

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後で以前ここに貼り付けたサイト「つまずきの石ガイド」を見たら、この通りにもつまずきの石がひとつある。知らなかった。

今度見てこよう。

 

 

オードリー・ヘプバーンが生まれた家。

カイエンヴェルト通り。

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つまずきの石ガイドのサイトを見つけた時に友人にも教えたら、彼女も出かけるときは必ず目的地近くの石をあらかじめ調べて立ち寄っています。

昨日はガティ・ドゥ・ガモン寄宿学校跡で15枚(!)のつまずきの石を見てきたそうです。

www.kazernedossin.eu

 

stolpersteine-guide.de

 

15人というのは、校長先生である女性がかくまっていた4歳から18歳の12人の子供たちと、レジスタント活動をしていた校長先生夫妻と彼らの一人娘。

校長夫妻の22歳の一人娘さんは、1人は助けてくれるというんで、いったん捕らえられたものの助かっています。

彼女は戦後、ベルギーの3つの都市で、境遇に恵まれない子供たちを助ける活動をした人です。

校長先生とゲシュタポのその時のやりとりがすごい。

学校で働いていた若い女性、唯一ドイツ語が分かったので通訳として傍にいた。

彼女の証言です。

「ゴキブリたちに勉強を教えて恥ずかしくないのか」とゲシュタポ

ユダヤ人だろうとユダヤ人でなかろうとなんの違いもない。あなたたちこそ子供たちに戦争をもたらして恥ずかしくないのか」と校長先生。

ゲシュタポはそれに対して、「ゴキブリたちは小さい時につぶしておくのだ」と返した。

通訳を務めたその女性はその言葉にショックを受け、その後レジスタント活動に加わることになります。

 

捕らえられた12人の子供たちのうちひとりは、メヘレンの収容所に連れていかれた後、疥癬の治療を受けることを許され病院に通えたゆえに、協力を得て逃亡に成功。

このサイトに記された時点で87歳で存命。

今年で90歳のはず。

 

この学校には、寄宿舎には入らず通っていた子供たちもいて、いったんレクシスト(ベルギーのSS、レオン・ドゥグレルが作った組織)に捕らえられるも、見張りが一人しかいなかったおかげで逃亡に成功しています。

 

ルイ・マル監督の『さよなら子供たち』を思い出しながら読んだことでした。

 

 

 

 

 

今週の美術史の講義、ルーベンスを終えヴァン・ダイクに入ったのですが、サベンテム(ブリュッセルの空港のある町)の聖マルタン教会に、ヴァン・ダイクの作品があるのを初めて知りました。

こんなに身近なのに何も知らなかった…。

www.vlaamsemeestersinsitu.be

 

ブリュッセルに来る前に住んでいたモンスから2㎞の町も、教会は聖マルタン

このマントで有名な聖人、日本語だと聖マルチヌスかな?、西洋人として最初の聖人です。

生れはハンガリーあたりですが、あちこち移動して最終地はフランスのトゥール。

いつもこういう大昔の人の話を読むと、その生涯の移動距離に驚かされます。

今と違ってたいへん困難な移動に違いなかったのに、すごいなあ、と。

 

講義では、ヴァン・ダイクの作品としてこれ ↓ も観ましたが、まるで1900年頃のシンボリズムの作品みたいで驚かされます。

 

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↑ の作品があるローマのギャレリー・コルジニ、ネットで調べたら、その所蔵品のすごいこと!

www.barberinicorsini.org

もうこれは行くしかないかも、と思っちゃった。

カラヴァッジョのナルシスが一番観たいなあ。

やっぱりすごいな、イタリア。

 

 

 

ということで、この記事 ↓ 貼り付けて今日はオシマイ。

www.tokyo-np.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームドクター

よいお天気が続いていましたが、今日は天気予報のとおり久々に灰色の空です。

雨も降るらしい。

 

さて、今日のメモは「ホームドクター決定」であります。

 

ブリュッセルに暮らし始めてからも特に体調に不安はないし、年に一度、ガン専門医との面接に備えて各種検査もするので、それが健康診断の役割を担っていることもあって、本来はホームドクターを持たないといけないんですが、ついついダラダラと放ったままにしていました。

 

「ちゃんとホームドクターを決めてね」とガン専門医にも言われてたし、私自身、「風邪もひかないのよ」と自慢するようなお年頃でもないので、さすがになんとかしよう、と動きました。

コロナ禍で思い知った、備えよ常に、の個人バージョンでもあります。

 

3女推薦のドクターに電話すると、もうこの6月に完全に引退する、とのこと。

そうか、高齢のお医者さんだと引退も近く、すぐにまた他のドクターを探さないといけないことになる、と気づきました。

 

先日ワクチンのことで友人と話していたら、彼女のホームドクター、最新の情報テクノロジーを使わないらしく、彼女のデータが彼女がかかっている他のドクターとちゃんとシェアされない、だから他の医者を探そうと思う、とのこと。

ふむ、これも気をつけるべき点のひとつだわ。

 

そういうわけで、インターネットでドクター探しをしましたが、その基準は「若い・近所」としました。

若い人なら、価値観も新しいに違いないだろうと思いますし。

加えて、普通の人で金の亡者じゃないこと、これは会ってみないとわかりません。

 

ネットで予約方法その他を見ることで、情報テクノロジーを使いこなしているかもわかります。

 

驚いたのは、お医者さんにもレストランやホテルみたいに、ネット上では5点満点の採点があること。

ま、こういうのは人間関係、好み・相性があるでしょうから、ふーん、くらいの参考にしかしませんが。

 

この人がいいかな、と思っても、「新規の患者さんは受け入れません」つまりもう手いっぱい、というドクターもいる。

 

そんなこんなで行きついたのは、うちから徒歩で10分足らず、まだ予約のスペースがたくさんあったドクターです。

手いっぱいじゃない、というのは、よほど人気がないか、若くてまだ開業して間もないか、そのどちらかだろうと予想し、後者であることを祈りつつ予約を入れてみました。

 

で、昨日行ってきました。

若くておだやかな、金の亡者じゃない、ちゃんとテクノロジーを使いこなす人でした。

めでたい。

この機会に、ずっと前からやろうと思っていたDossier médical global (グローバルドキュメントというシステムで、きちんとデータを共有することで、同じ検査を何回もやるといったムダを省くのが目的で、このシステムを使うと医療費の個人負担も減る、というもの)の手続きもしました。

手続きといっても、その医者に「やってください」と頼むだけですけどね。

 

しばらく前からの懸案事項解決で、気分すっきり、です。

 

 

さて、いくつかリンクを貼ってオシマイにしよう。

 

www.franceculture.fr

 

walloniebelgiquetourisme.be

 

speakupoverseas.com

 

gendai.ismedia.jp

 

www.rtbf.be


 

 

 

 

今日のメモ

今日もよいお天気。

4月に入ってからずっと、この時期の平均気温からみると冷たかったんですが、ここにきてようやくその平均気温とやらに追いついた感じ。

 

昨日ちょいと用事があって出かけたら、道端でばったり近所のお弁当屋さんにお会いしました。

台湾人ご夫婦のお弁当屋で、ここのトンカツ弁当がすごくおいしいんです。

私がブリュッセルに暮らし始めた頃は既にテイクアウェイのお店でしたが、以前はレストランだったとのこと。

既に作ってあるものが並んでいるお店ではなく、注文を受けてから作ってくれるんで、出来立てでおいしいし、とても清潔、値段もリーズナブル、特にトンカツは出来立てホカホカ・外側パリパリ・お肉は厚くてジューシィ。

 

それが、このコロナ禍の中、もうずっと閉まっています。

 

きれいなマダムとインテリ風の容貌のムシュと二人でやっていて、ダンナさんはあまり体が丈夫そうでないので、ずっと閉店なのが心配でした。

もうこのまま開かなかったらあのトンカツが食べられなくなるか(心配ってそれ?)、と。

 

マダムに会った機会に「ずっと閉まってるね」と訊ねてみると、「お客さんからの感染が心配だったんでずっと閉めてるのよ。昼は学生たちがいっぱい来るしね。ワクチンを二人とも接種し終わったら開けるよ」とのことでありました。

元気そうで安心しました。

 

 

 

イースター休暇も終わったので、今週から大学のコンフェランスや講義もスタートです。

 

昨日の2週間ぶりのコンフェランスは、レバノンの大学を出た後、米国の大学でドクターを取り、現在ブリュッセル自由大学の教授をやってるレバノン人の方が講師、テーマは

« Relations interculturelles dans un monde globalisé et civilisé »

グローバル化され文明化された世界における異文化間関係」(← 自分で訳するのが面倒だったのでネット上の翻訳機を使ってみた)

でありました。

 

 

どのような状況で異文化社会でのインテグレーションが進むか、と、異文化社会に入った人の側からの条件と、受け入れ側がいかに偏見を持たないで異文化からやってきた人と共生できるか、という受け入れ側の条件の話。

「そりゃそうだよね」と、ある意味当然と思われる内容でしたが、ちゃんとしたデータをもとにお話されました。

 

社会の成熟と発展は、異文化との触れ合いが多ければ多いほど進むこと、また、異文化社会にやってきながら、その社会の言葉も身につけず、自分のオリジンである社会の文化に固執し、同じ文化出身の者たちだけで集まり固まることの危険についても話されていました。

こういうケースでは、入ってくる情報も一方向のものになってしまいますから。

 

ずっと前、まだ日本にいた頃によく目にしたことのひとつに、「異人種が混ざり合うほど優れた子供が生まれる」ってのがありました。

ほんとかいな、と、話半分でしたが記憶には残ってます。

これって「人種が混ざり合うから」ってんじゃなくて、「異文化が混ざり合うから」ということなら、それはそうかも、と思っています。

ある文化の中でのタブーは、異文化の人が破ってくれるし、固定観念にも縛られませんしね。

そういうことも思い出しながら聴いたことでした。

 

毎回コンフェランスは最後の質疑応答がわりとおもしろいんですが、昨日は今問題になってる米国でのアジア人に対する差別の話も出ました。

コロナ禍の中でのトランプの言動が大きな原因だ、と、まあわかってたことですが、そうおっしゃっていました。

このトランプを支持するデモをやっていた人々のいる国がひとつ、アジアにありますね。

 

 

今日のコンフェランスのテーマは、絵画の中の食材、です。

絵画が制作された時代の食糧状況とともに、シンボルとしての食材の話。

おもしろそう。

 

 

 

今朝のラジオのニュースで、王立美術館の館長さんがアレシャンスキー展の紹介をされていました。

その中で、COBRAのムーヴメントに関するミュージアムアムステルダムコペンハーゲンにはあるのに、同様にムーヴメントの中心地だったブリュッセルにはない、と話しておられました。

マグリットの作品をしっかり集めてマグリット美術館をつくることができたように、将来的にはブリュッセルにもCOBRA美術館が作られるんだろうな、と思わされました。

私が生きている間にできたらいいな…。

 

アレシャンスキー展と同時に、オーストラリアのアボリジニー・アートの展覧会もやってます。

このふたつに共通するテーマが≪Desapprendre いちど学んだことを忘れる≫だと館長さん曰く。

なんか、いいな、と思いました。

 

 

さて、いくつかリンクを貼っておこう。

 

 

spinou.exblog.jp

 

 

www.franceculture.fr

 

 

www.rtbf.be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しばかりメモ

よいお天気です。

毎日4分ずつ日も長くなっていますしね。

よいお天気なのに籠っていてはもったいない、という自分も持ってる≪一般常識≫が、どうしても外に出る気にならない私自身にはものすごいストレス。

 

明日はどうしても出ないといけない用事があるので、「明日は出かけるし」と思うことで、何とか精神を保っております。苦笑

 

今日でイースター休暇が終わるので、そしたら美術館もひとがうんと少なくだろうから、そしたら美術館を訪ねることぐらいはするはずだしね。

 

 

さて先週水曜日に行われた政府のコロナ対策会議ですが、明日以降少しずつ規制が緩められます。

www.rtbf.be

 

不要不急の国境を超える旅行が、お薦めできません、というのは残るものの、明日から禁止ではなくなる。

これも国ごとに規制の仕方いろいろなので、単なる旅行に出かけるのは、けっこうめんどくさいのではないか、と、この状況で出かける人の気持ちは、私にはあまり理解できませんが…。

 

学校ですが、幼稚園・小学校・中等学校の2年生までは、明日から100%教室で授業。

中等学校の3年生から6年生までは、教室とオンライン半分ずつのハイブリット方式。

大学は教室での授業は20%まで。

 

クライアントとの接触が避けられない職業は、26日から再開可。

「エッセンシャルじゃない業種」も、26日から「予約制」にしなくともよい。

 

26日から、外で集まっていい人数が、4人から10人。

他の家庭を訪ねていい人数が、1人から二人に。

 

などなど。

 

一番注目されていたレストラン・カフェの再開と文化の部門などですが、

前者は、彼らの「5月1日から可」という期待を裏切り、「5月8日からテラスのみ可」で、後者は、これも期待を裏切り「5月8日から屋外で規模50人まで可」ということです。

 

1週間遅れでしかもテラスのみ、という決定に、レストラン・カフェの方たち、失望して怒っていましたが、政府の方は、1週間でワクチン接種もずいぶん進み状況がよくなるから、と。

 

ノーテンキの私ですら、もうコロナ話はうんざりなのですから、ましてや他の人々は…と思います。

 

 

夏になる頃はもっと普通に近い日々が送れるようになって、人々の不満の声が少なくなるといいなあ…。

 

 

 

最近読んで、そしてTVのニュースでも聴いて、へええっと思ったニュース。

 

 

ドゥル(アントワープ)にある、ベルギーで一番古い原発、ほんとは2015年に廃炉になるはずが、結局2025年までに延びちゃった。

でも、その延長は、法律に照らすと2022年までしか有効でないので、法律自体を整えないといけない。

そこで、その法律を整えるにあたって、4月15日から市民から原発についての意見を聴くアンケートがスタートした、という話。

これは、原発から1000キロ以内の14か国にまたがる範囲に暮らす人全てが答えることができます。

6月15日まで。

アンケートの内容は、環境問題、Bio多様性、健康などに渡ります。

 

どんな意見が寄せられようと、2025年廃炉になることは動きませんが。

 

↓ に貼り付けたニュースにTVのビデオもくっついていますが、市民が「このような大事なことをこれまで訊ねてこなかったのはおかしい、この姿勢に賛成」といったことをインタビューに答えていますし、エネルギー担当相(ちなみに女性、43歳。緑の党)も話をしています。

www.rtbf.be

 

 

昨日更新されたビデオニュースドットコムも、フクシマの汚染水を海に捨てることについてのお話でした。

www.videonews.com

 

日本だけの問題じゃありませんしね。

ちゃんとした話し合いをして欲しいですよね。

コロナ禍で世界がそれどころじゃないときに、こんな大切なことを勝手にカンタンに決定されては困ります。

 

上に貼り付けたビデオは、会員しか視聴できませんが、↓ は会員でなくとも視聴できると思います。

トリチウムについて詳しく知ることができるし、もっと他の方法があるはず、ということもわかります。

www.videonews.com

 

 

拡散した方がいいと思ったので、貼り付けます。

 

第1回目のワクチン接種

昨日最寄りのワクチン接種センターで、1回目を受けてきたのでメモ。

アストラゼネカかと思いきや、ファイザービオンテックのワクチンでありました。

(そういえばアストラゼネカについては、血栓といった副作用云々以前に、契約通り供給しないってのが大きな問題だったんで、たぶん量的に少ないんでしょうね。)

 

小心者の私、余裕を持って出かけたら、予約時間の30分以上も早く到着。

待合室に座って呼ばれるのを待ちました。

時間通りに6つあるキャビネットのひとつから呼ばれました。

キャビネットでは、看護士さん(と思うが、単なるお手伝いの人かも)とお医者さんのふたりで迎えてくれます。

アレルギーの有無といったちょっとした問診の後、私は左は乳がんの手術をしているので避け、右の上腕にほとんど痛みを感じないチッカン。

頭痛や微熱と言ったこともあるかもしれないけど、その時は鎮痛剤を飲んでね、3日以上それが続くようなら医者にかかってください、とのことでした。

その後、異常な反応がでないかしばらく大きな部屋で待った後、大丈夫というんで帰宅しました。

 

頭痛も何もありませんでしたが、睡眠不足でもなかったのに数時間後やたら眠たかった。これが副作用だったのか?

 

2回目の予約は5月18日です。

 

ここにきてベルギーでのワクチン接種はアクセルが踏み込まれた感じで、今日の朝のニュースによると、ベルギーに住む人の5人にひとりは少なくとも1回の接種を済ませたそうです。

 

明日の午前中、また政府の対策会議が開かれます。

 

現在2000あるICUのベッドのうち、Covidの患者さんに使われているのが900ちょっと。

他の患者さんもいるので、Covid用は1000をリミットに想定してあるので、もう限界ギリギリです。

ただ、今が最悪状態で、これからだんだん落ち着いていく感じはある。

 

レストラン・カフェやお客さんと接触する美容院といった職種は、5月1日に再スタートは難しいのかな?

ま、いずれにしろ、5月中にはオープンできそうな気はしますが。

 

 

 

今朝FBで、House of European history で ↓ こういう展示会をやってることを知りました。

第2次大戦中に、フェルメールの作品だと騙して、自分の作品をゲーリングに売りつけたオランダ人の話が紹介されていました。

昨日もアップした占領下のアート市場についてのドキュメンタリーで、この時期美術品の売り買いがとても盛んだったこと、それで贋作もものすごく多く出回ったことを知ったばかりだったので、おお、このタイミングで!と嬉しくなりましたが、サイトを見ると、この展示会はもうすでに去年の10月には始まっていて、ちょうど自分がそのテーマに敏感になっていただけだったんだ、と思いました。

気をつけていないと、いろんなことに気がつかないまま取りこぼしているんでしょうね。

historia-europa.ep.eu

他の例に人魚の話があり、フォトは日本のものです。

そこの解説に、コロンブスも3回人魚を目撃したと言ってた話が記されてました。

「言われているほど美しいものではなかったが」って。

可笑しい。

アニメのワンピースのココロおばさんを思い出しちゃった。

 

House of European historyというのは、EU懐疑主義の人々の増加が問題になった頃、加盟国が自国の歴史ばかり教える傾向があり、欧州全体の歴史を知ることがおろそかになっているのでは、というので、それまでもあったEUに関するミュージアムに加え、新たに作られたものです。

EUミュージアム同様に、入場無料。

とはいえ、ベルギーの外の国に住む人には、近くはないですけどね。

ブリュッセルに暮らしていると、こういうもの全て身近だけど…。

 

 

最近は、本を読まなくなっちゃったのをごまかすように、「フランス語の勉強にもなるし」という言い訳を付け加えつつ、ドキュメンタリーをよく観ます。

 

最近視聴したもののうち、上述のドキュメンタリー以外では、英国のフィリップ殿下が亡くなった日に視聴した彼のドキュメンタリー(全然知らなかったことだらけでした!)と、大戦直前にプラハからユダヤ人の子供たちを救いだしたニコラス・ウィントンさんのドキュメンタリーが、ものすごくおもしろかったです。

 

 

 

おもしろかったビデオ、再視聴したのでメモ

今日は午後、ワクチン接種センターに行ってきます。

なんだかソワソワワクワクします。

新しい体験をするとき、とか、事態が急変(乗るはずだった電車が何故か動かない、乗ってた電車が訳も分からないまま動かなくなった、みたいな)したとき、とか、そういう時と似た、ちょっとコーフンした気分。

 

今のところ良いお天気、でも天気予報によると、今日もコロコロと天気が変わるらしい。

私が行く接種センターは徒歩で20分足らずのところ、歩くときよいお天気だったらいいんだけど、あまり行きなれない方角なので、方向オンチの私は、道を間違わないように、と、そっちの方がちょいと心配です。

 

 

さて、前回の記事に記した≪占領下のアート市場 Le marché de l'art sous l'occupation≫というビデオ、昨日もう一度、いろいろメモしたり調べたりしながら視聴しました。

www.rtbf.be

 

1時間ほどのビデオです。

読んでくださる方に「おもしろい」と感じてもらえるくらいちゃんと記したいところですが、能力以上のことを望むと固まってしまい何も書けなくなるので、ま、自分用のメモってことで…。(って、言い訳からスタート 苦笑)

 

ナチスによってユダヤ人が所有していた美術品が没収されたこと、キュビズムダダイズム・エクスプレッショニズムといった近代のアートを、彼らが退廃芸術と決めつけ処分したこと、などなど、すでによく知られたことですが、このビデオ(arteによる2021年のもの)の新しいところは、これまで公開されることのなかった競売の記録(カタログ等)が、競売を行ったパリの会社Drouotの方針により、資料としてちゃんと示されているところです。

そして、「アート市場」という視点から制作されているところ、でしょう。

 

Drouotという会社は、第2次大戦後、英米の会社に追い越されますが、以前は世界のアート市場の80%は彼らが扱っていた。

 

Drouot(ドゥルオ)のサイト

www.drouot.com

 

今のトップの方。

www.gazette-drouot.com

1970年生まれということで若い。

ビデオにも登場されますが、彼の方針がなかったら、このドキュメンタリーの制作は不可能だったようです。

ものすごく有能な感じがします。

「もし自分がその時代にこの会社のトップだったら、はたしてどのような反応をしただろうとよく考えます。当時の反ユダヤ主義というものがどんなものであったのか、私たちの世代は実は理解できていないのかもしれないとも思う。」

とおっしゃっていました。

苗字を見て、ご先祖様はイタリア人かな?、と思って読んでみると、お父さんはブルターニュ出身、お母さんはヴェネチア出身だそう。

ご本人はビブリオフィル(本愛好家)だそうで、15・16世紀のヴェネチアの書籍について詳しそうです。

 

1930年代、アート市場の景気はよくなかった。

それが戦争が始まるとものすごい勢いで伸び、美術品の価格も10倍となる。

この会社の地下に保管してあるカタログを見ると、1940年のものは4~5㎝の厚さのもの1冊なのに、1941年以降はものすごい量です。

 

退廃芸術と決めつけられた作品は世界中の愛好家に売られ、ドイツ軍の資金となります。

ヒトラーゲーリングがアート好きだったのは有名ですが、彼らが好んだ作品は、没収されたり競売で購入されてドイツ・オーストリアに運ばれます。

占領下、フランス政府は莫大なお金をドイツに支払わないといけなかったんだけど、それを資金にドイツはフランスで美術品を購入していました。

ゲーリングクラナッハやヴァン・ダイク、特にフランス・ハルスが大好きだったそうです。

彼が占領下のパリを訪れたのは40年11月から44年7月まで21回、自分専用の列車でやってきて、帰路運び出した美術品は4000箱。

没収した美術品の量は膨大で、彼自身がヒトラー用に«H»、自分用に«G»と分類しました。

 

戦後ニューレンベルグの裁判で、ゲーリング同様死刑判決を受けたアルフレッド・ローゼンベルグ、彼は占領下の全ての地域で価値ある美術品を没収した人です。

フランスにおいては、没収品は最初はルーヴルに保管していた(というのも、ルーヴルのコレクションは、戦争が始まる直前に、当時の館長の判断で運び出され保護されたので、建物は空っぽだった。)のですが、それでも場所が足りない。

そこでJeu de paumeに保管すると決めたのもこの人。

Jeu de Paumeでは、「退廃芸術品」はカーテンで仕切られたところに隠されました。

 

私がこのドキュメンタリーで初めて知った人たちですが、まずオットー・アベッツ。

占領下のパリに乗り込んできたのは、彼が37歳の時。

妻がフランス人だったこともあって、パリは自分の街であるかのように詳しく、パリ在ドイツ大使としてわがもの顔にふるまった、上の指令など関係なく、やりたいようにやった人です。

彼の最大のミッションは、ユダヤ人の所有する古典美術作品の調査と没収です。

10万フラン以上の価値のある美術品を所有する者に申告を義務づけたのもこの人。

 

ニューレンベルグの裁判では、この人は5年の禁固刑。

検索したら、1954年4月、彼が刑期を終え刑務所を出たという記事を、ル・モンドのアーカイヴで見つけました。

www.lemonde.fr

 

それとブルーノ・ローゼというSSで美術史家。

彼の美術史家としての専門分野は、17世紀のフランダースとオランダのアート。

ゲーリングは彼の知識を高く評価、パリにおいてより興味深い作品を見つけるよう命じます。

SSなんだけど制服を着ることはせず、パリ中を自由に動き回る。

アート市場という視点からは、占領下のパリにおける重要人物です。

この人への判決は禁固2年。

WIKIってみると ↓ 彼の行った活動のうち、一番上に記されているのが「美術作品の盗み」です。

fr.wikipedia.org

 

もうひとり、ちゃんと調べたかったのが、ヒトラーリンツに作ろうと計画していた美術館のために、オットー・アベッツ同様に美術品の収集を命じられた人物。

どうしても名前がうまく聞き取れなくて調べられなかった。

フィルドバンゴーリットとか何とか聞こえるんだけど、いろんな綴りで試みても、どうしても探して出せませんでした。

 

上述の人々は別の形で、このアート市場に関わった故に裁判に上った人が二人。

スイス人です。

 

ひとりは戦前「退廃芸術作品」や戦中の没収品の競売をやったテオドル・フィッシャー。

今もある会社です。

www.fischerauktionen.ch

この人は莫大な罰金の支払いを命じられたそうですが、それだけ。

 

もうひとりはビュールレ・コレクションのエミル・ゲオルグ・ビュールレ。

この人は印象派の作品13点の返還を命じられたのみ。

当時のスイス一の大金持ちだった彼、実際は633点の作品を購入したことがわかってる。

前回の記事にも書いたポール・ローゼンべルグのコレクションだった没収作品を、戦後すぐにローゼンべルグに直接購入したいと申し出、受け入れられたりもしたそうです。

 

このスイスの二人が、想定されたよりずっと軽い判決を受けたのは、当時のアート市場重要な人物だった故、とのこと。

 

 

いずれにしろ、現在いろんな美術館が所有する作品の中に、占領下、不当な方法で没収されたりしたものが、かなりたくさんあるわけです。

たとえその美術館は正当な方法で購入したとしても、元をたどればいろいろと疑われる。

 

そういうことをはっきりさせないことには展示もできない、そういう美術館もいっぱいあるわけです。

調査をもっと進めないといけない。

 

ルーヴル美術館がコロナ禍の中、所蔵品を全てオンラインで公開したことが話題になってましたが、館長さんが、これは上述したような「作品のルーツを探る」目的もあるからだと言ってました。

このように公開されている作品の中に、もし本来自分のファミリーに属するはずのものがあるなら、ぜひ訴えてください、と。

これはルーヴルに限った話ではないわけです。

 

コロナ禍のおかげで、ゆっくりと変化していたもののスピードが加速しましたよね。

 

そういう意味でも、おもしろいなあ、と思いました。

 

おもしろい話はもっといっぱいあったんだけど、もう疲れちゃったのでこのお話はオシマイ。

 

 

他にえええっと思ったニュース。

 

ショッキングな記事です。

指紋を取るのに、遺体まるごと運ぶのを避け、手だけ切り取って運んだという話。
まだ日本にいた頃読んだ何かの記事に、ボリヴィアでチェの腕時計を持っている人に会った、という話を読んみました。
誰の記事だったかは忘れたけど。
プレゼントされたのかなと思いつつ読み進むと、処刑されたときそこにいた兵士だったからだとわかり、「ああ、そういうことか…」と、すごくショックだった。
この記事読んでますますショック…。

www.rtbf.be