ゲントに行ってきた (PSあり)

ものすごく久しぶりにゲントに行ってきました。

 

コロナ禍に突入する直前に、Van Eyck展を観に行って以来です。

shohoji.hatenablog.com

 

この ↑ 後もう1回観に行きましたから、それ以来。

 

私はゲントの街が大好きです。

街の規模、美しさ、大学があるからかかっこいい若者が多くて生き生きしているところ、古いものと新しいものが共存していて、もしオランダ語がわかるならここで暮らしてみるのにな、と思ったりします。

ブルージュも美しいですが、16世紀にカルロス5世が港を完全に閉じてからどんどん衰退し、19世紀にはほぼ死んでしまった街、今は「観光地」、ですから私はゲントの方に魅力を感じます。

 

大聖堂が地下と神秘の仔羊の鑑賞のさせ方を変えてから初めて、どうなったのかずっと気になっていたのでした。

それで「よいしょ」と重い腰を上げ行ってきた、というわけです。

 

 

ランチを食べたレストラン(手前)の路地。

まさしくフランダース!と思わされます。

レストランの中はこんな感じ。

もう昼の時間が終わりそうな頃に入ったので、何かの集まりと思われる客以外は私たちだけでした。

たぶん建物はめちゃくちゃ古い。

梁を見るとわかるのである。

典型的なベルギー料理の一つ、ワーテルゾーイを食べました。

ワーテル Water というからには、昔は水煮だったと思うのですが、今はクリームたっぷり。

チキンとお魚があるんですが、ここではお魚です。

タラとサーモンでした。

美味しかったあああ。満足しました。

 

 

手前が鐘楼。その右後方が大聖堂です。

大聖堂の中のローラン・デルヴォーによる説教台。

こういうものすごく立派な説教台がフランダースでは18世紀前半に流行りました。

私が知るかぎり最も豪華な説教台。

こんな感じで ↓ 展示されてました。

実際に見るホンモノの美しさには、このヘタクソなフォトでは程遠いですが…。

 

聖バーフさん。

小便小僧の作者ジェローム・デュケノワの二人の息子のうち、弟くんジェロームJRが作った司教トゥリーストの霊廟。

このジュニアはソドミーの罪で処刑されたのでお墓も残ってない。

 

大聖堂の前の広場を囲む建物。

繊維ホール、鐘楼、シアター、ちょっと後方に見えるのが市庁舎。

 

フランドル伯爵城。

街中にこんな中世のお城が残ってるってのもすごく珍しいと思います。

それにしても、昼なのに曇っていて暗いなあ…。

 

 

レイエ川沿い。

たまには晴れ間もあった。

 

珍しい木造の建物。

たしか16世紀のもの。

街の真ん中に、こんなに古い建物がいっぱい残ってるって、ものすごく珍しいと思います。

シント・ミヒール橋から見える様子。

 

 

 

 

 

今日の夕方は、知り合いのエクスポジションのヴェルニサージュに招待されているんで行く予定。

メキシコ在のアニェスという少し年下の人の展覧会。

モンスから、いつも私のために動いてくれる友人サビーヌも来るというので。

 

このふたりには縁を感じているのである。

 

メキシコに住んでいる頃、モト夫はベルギーから来る観光客をミニバンを運転してメキシコ中どこへでも案内していました。

あるとき人がいっぱい過ぎてミニバン1台じゃ足りなかった。

そこでもう一人、助っ人として登場したのがアニェスだったんです。

まだ長女が赤ちゃんだったとき、彼女はうちにもやってきたりしてました。

 

で、時は流れベルギーはモンス。

うちの長女クンが中等学校サクレクール(昔の女子高で今共学)に進学した時、クラスに長女同様メキシコ生まれの男の子がいて、なんだかんだと話が合って家族で行き来する仲になりました。

その男の子のママがサビーヌ。

 

モト夫(めんどくさいので、以後Pと記す)はイエズス会の男子校であるコレージュの頃、演劇をやってました。

コレージュの壁をはさんだお隣が女子高サクレクール。

この二つの学校は、伝統として年に一度一緒に演劇作品を上演していたのです。

で、Pがコレージュのレト(最終学年である6年生は、レト=レトリックと呼ばれる)のとき、彼が主演でドストエフスキーカラマーゾフの兄弟の異端審問官を上演したことがあった。

信じがたい大成功だった(P曰く)そうで、再演に次ぐ再演というちょっとした伝説になった年だったそうです。

 

で、サビーヌのお姉さんがサクレクール側でこの演劇に裏方として参加、子役の女の子が必要ということでひっぱりだされたのがサビーヌだった、というわけです。

Pとサビーヌが同じ舞台に立っていたと判明した時には、世の中、どうつながってるかわかんないものね、とおもしろく思いました。

 

あるときサビーヌのうちにディナーに招待されたとき、たまたまメキシコからベルギーに戻ってたアニェスも招待されていて、おお、あなたはメキシコで会ったアニェスではないか!ってことになったというわけです。

彼女らが仲良しだったことが判明。

 

ここでもつながっていた。おもしろーい。

 

 

 

というわけで、FBで見かけた服役中のドストエフスキーのフォト。

A rare image of Fyodor Dostoevsky (on the left) with other prisoners in a Guardhouse in Sennaya Square, St. Petersburg. Here Dostoevsky was kept under arrest on March 21-22, 1874, as the editor of the journal Grazhdanin (Citizen) he was fined and sentenced to two days in prison for violating the censorship rules.
The place was known as the very heart of the common folk's life, and that is why in Dostoevsky's "Crime and Punishment" the character Raskolnikov, before he went to the police to plead guilty of the murder he had committed, knelt and ecstatically kissed the ground of the Sennaya Square in a frenzy to repent.

 

 

 

 

これは観たい。

アントワープのモードミュージアムMoMuで4月からのモードにおけるマン・レイ展。

 

 

アントワープにも長いこと行ってないし、近いうちに行ってこよう。

美術館に行かないと…。

 

 

PS モードにおけるマン・レイ と上に書いたけど、このENってオランダ語

もしオランダ語なら、 モードとマン・レイ の意味になるなあ… 

今日届くそうだ 速い

2月に入っちゃいましたね。

1月もアッと言う間に終わりました。

 

今日は特に出かける用事もないので、掃除機をかけようとしていたらば、「これはオンライン書籍でなく紙で欲しい」と思ったマンガ、1月28日に注文したものが今日届けられるというメールが届き、騒音で呼び鈴が聞こえなかったらタイヘンなので、それなら…とブログの更新でもしようかと思いました。

 

速い。

ニッポンのAMAZONに注文したのに、ものすごいスピードで届くものですね。

利用したことがほとんどないので、その速さにビックリしてしまった。

 

 

 

昨日のニュースで、オーストラリアで8ミリx6ミリの小さな放射線物質のカプセルが、輸送中のトラックから落っこちた、総動員で探している、と言ってました。

そしてさっきラジオのニュースで、そのカプセルが見つかった、と。

www.rtl.fr

 

ラジオアクティヴと言えば、昨夜、ベルギー南部ワロニア、ドイツとの国境も遠くないティアンジュにある原子力発電所の第2炉(40年)がひとつ停止されました。

予定通り、なんですが、「このエネルギー危機の時代に、まだ使えるクリーンで安価な設備を停止させるとは!」という人々がデモをやってました。

クリーンで安価って…。何言ってるの?

何年か前に、使用してきて生まれたヒビにより放射能漏れも感知され、修理のために止まってたこともある。

この2号機、フランダースのドールの3号機に次いで停止されたのは2機目。

 

今後は、2025年2月にドール1、10月にティアンジュ1と停止される予定。

 

www.lesoir.be

www.rtbf.be

このデモには政治家も集まっていて、フランダースナショナリスト政党NV-A

(ルーヴァンに住んでいた杉並区長の岸本聡子さんが、この政党はニッポンの自民党に似てると、どこかに書いておられた記憶あり)

のリーダー、アントワープ市長のBart De Weverバルト・ドゥ・ウェヴァ―も来ていて、「80年使用される炉も他所にはあるのに、史上最も愚かな判断だ、今後も停止反対運動を党を上げて支える」みたいなことを言ってました。

80年も使われる原子炉なんてあるんですかね?

この人は嘘つきなので、「また平気でウソついてるな」と思い、ちょっと調べてみました。

そしたら今世界で一番年寄りの原子炉は、スイスのBeznauの1号機で今年で54歳。

fr.wikipedia.org

 

 

2016年のブリュッセルでのテロ事件の際、ニッポンのニュース番組の取材の手伝いの仕事をしました。

その際、ティアンジュにも何回か行きました。

もし発電所がテロ組織に狙われたら…という取材です。

周辺に暮らす人は、こんな言い方をしたら申し訳ありませんが、ホントにホントに最下層の人々数世帯で驚きました。

もうね、顔を見ただけで、話をする前にわかるんです。

移民に対する差別云々とか、そういうこととは全然異なる次元の話、もう何代にも何代にも渡って、そういう階層の価値観で生きてきた人々。

社会保障がありますから、裕福とはいえなくともちゃんと生活しています。

けっして不満があるわけでもない。

原子力発電所に対する不安も皆無。

 

取材に来ていたチームの英国在の女の子が最下層のひとびとについて、かわいそう、と言ってましたが、果たしてホントにかわいそうなんだろうか???

わかりません。

私はもし私自身がこのようにモノを知らないとイヤだと思いますが、それは一応ある程度の教育を受けたから思うことで、人の幸せって何なのかわからないじゃないですか。

教育を重要だとは思いますが、この階層の人々が我が子を可愛がっているところを見たりすると、教育を受けていも子供を虐待したりする人よりずっとマシじゃないか、とか思ったりすることもあるし…。

 

何がかわいそうで何がかわいそうじゃないのか、たまに考え込んでしまいますが、私には全然わかりません。

 

アンドレ・グリュックスマンが言ってたように、「よいこと」はひとそれぞれ、でも「悪いこと」は共通している、だから「地獄の口に蓋をしろ」かな…。

 

ティアンジュの発電所で働いている人たちは、少し遠くに住んでいて、いい車を運転して通って来ていました。

 

 

 

 

 

2月4日に再放送だそうです。

私は地理的理由で視聴できませんが、小松原さん本人は、ちゃんと自分自身だった、と感じられたそうです。

www.nhk.jp

 

 

アングレームのBD祭で、進撃の巨人の諌山創さんがフォーヴ・スペシャルを受賞。

Fauve というカテゴリーの賞があるんですね。

FauvismeのFauve、これもニッポン語に訳しようがない言葉かもしれない。

www.bdangouleme.com

 

 

FB上で見かけたフォトなど。

 

Dick de Herder (Hollandais, 1914-2003), Le petit gars dans la rue, Paris, 1946

詩人と呼ばれたフォトグラファーだそうです。

 

 

Gypsy boy with cello - Hungary, 1931.

 

 

これは笑った。

メキシコで暮らしている頃(1980年代末)、メトロやバスでこういう状態の女性たちをけっこう見かけて驚きました。
友人に、なんであんな頭で外出して平気なの?と聞いたら、昼ご飯に家に戻る夫にちゃんと見せるためにオシャレしてるんだから、外では平気なんだ、という説明を受け、ひょええええ、と思ったことでした。
 ほんとにそうだったのかな?
今でもそういう人たちいるのかな?
それに、このフォトの場合はどうよ…。
並んでいる 商品を見る限り仏語圏ではなさそう。これってどこ?米国?
 
Les femmes font leurs courses dans les années 1960 ...

 

 

 

賢そうな少年だったのね。

Phil Collins in 1965.

 

 

 

Led Zep @フランスのTV局スタジオ 1969

かっこいいわあ。

ジミー・ペイジが弓でギターを鳴らしてます。

www.facebook.com

 

 

もうすぐ昼だけど、マンガはいつ届くかな?

 

 

忘れないようにいくつかメモ

急に寒くなり、しかも晴れることのない暗い毎日。

今は毎日3分ずつ日は長くなっているんですけどね。

急に寒くなったけど出かける用事も多く、珍しく風邪をひいてしまいました。

たいしたことはないのだけど、咳が出たりするんで、4回行われる王立アカデミーでのピカソと抽象をテーマにした講義も1回は聴きに行ったもののその後はキャンセル、今日は友人と月に一度のランチの日だったけどそれもキャンセル。

 

それでもたっぷり寝たせいか、今日はかなりすっきりしてきました。

 

ピカソの講義は王立美術館館長のドラゲさんによるもの。

1回だけ聴いたわけですが、私の後ろに座っていたマダムたちが、ドラゲさんのちょっとしたジョークにキャピキャピ喜んだり、なんだかんだと相槌を打つのが鬱陶しかったです。

ドラゲさんってマダムたちにモテるのかな?と思っちゃった。

 

 

 

日曜日に、何回か行ったことのあるソーシャルレストランとは別の、やはり社会活動のひとつとして開いているレストランに行ってきました。

ここは料金は決まっておらず、払えない人は払わなくともよいし、払える人はいくら払ってもいいというレストラン。

払うにしても、いくら?ってのはけっこう難しい問題ですよね。

10ユーロ払うと一人分の食事を完全にカヴァーできると目安が示してありました。

ここは参加型レストランで、払うお金がないなら(あっても)準備を手伝ったり皿洗いをする、というのもOK。

毎週日曜日は「テーマの日」で、その日のテーマは「日本食」、ウクライナ人がその中心人物でした。

その週はなんだかんだで外食することが多かったんで、うちの子供たちとその仲間から誘われたときは躊躇したんだけど、ウクライナ人による日本食というのに興味をひかれたというわけです。

 

準備もほぼ整いつつある頃。

 

ここは少し狭くて、満員だったこの日はこんな感じ ↓ 。

皆で和気あいあいと食事をするんですが、私はもしひとりだったら入りにくいと感じたかも。

この日は子供たちと一緒だったんで平気でしたが。

 

味噌汁でスタート、メインはビュッフェ形式、デザートは抹茶ケーキでした。

 

私の横に座ったのは、子どもたちの友人のドイツ人、リリという名のヴァイオリニストの女の子。

ウズベキスタン生れで赤ちゃんのときにドイツに移住したのだそうです。

先祖はジョージアから300年くらい前にウズベキスタンに動いたのだと言ってました。

交通手段もほとんどないような時代に、こうやって大移動をしてきたご先祖様たちの話を聞くと、毎回感動します。

 

 

お皿に乗った料理を見ると日本食には見えませんが、豆腐のガレットがとてもおいしかったです。

 

 

 

 

共感した記事。

www.bbc.com

 

 

興味深かったヴィデオ。

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美しいと思ったフォト。

 

Françoise Gilot et son fils Claude Picasso photographiés par Lee Miller, Vallauris, 1949

 

 

可愛いと思ったフォト。

 

 

↑ のフォトを見て、思い出した。

メキシコのシラウエン湖湖畔のリゾートでクリスマス休暇を過ごした時の長女くん。

お地蔵さんみたいな赤ちゃんだった。笑

 

 

 

 

 

私の行きつけのスーパーのチェーン、私がベルギーで暮らし始める数年前に、この店数軒に強盗が押し入り、買い物に来ていた人がたくさん殺されるという事件がありました。
事件は未解決なのだけど、その容疑者のひとりがタイで捕まったというニュースをしばらく前に見かけたのです。
逮捕の直接の理由は不法滞在。でもその場にベルギーの検察もいた。
この容疑者、以前にも何回も捕まりながら、決定的証拠に欠けたことで何回も釈放されています。
昔のヴィデオをニュースで見せていたのですが、カメラに向かってウィンクするふてぶてしさ、怖い人だ、と感じました。
 
で、思い出したこと。
以前家を買おうと不動産屋に問い合わせ、担当としてうちによく来ていたイケメン青年、確かマルクという名だったと思うけど、彼が探し出した家を購入したのである。
もともと自転車の選手さんだった彼。
ドパージュで体が壊れることを恐れ引退したと言ってたと思います。
で数年後、義父が亡くなったことで義父の家を引き継ぐことになり、その購入した家を今度は売ることに決めたのです。
その彼にまた担当してもらおうとその不動産屋に連絡すると、「あなた方は彼と友人なのか?どこにいるか知らないか?」と逆に質問されちゃった。
担当した家の売買で生まれた会社に入れるべきお金を持ち逃げして行方知らずだと…。
(私たちが購入した時は持ち逃げするほどの額ではなかったのね 笑)
なんでも南米に逃走したらしい。
どうしてるかしら。
そのお金を元手に、南米で悠々自適の暮らしをしてるのかな?
 
 
 
他にもいろんなことがありましたが、今日はオシマイ。
 

メモだけでもしておこう

前回の記事から1週間ほど経過。

この間のことや、フォト、おおおっと思った記事などを忘れないようにメモしておく。

 

13日、モンスのガン専門医のアポ。

血液検査の結果も心配なし、ということでした。

いい医者で信頼しているのだけど、アポ当日まで、ストや天候の影響でちゃんと電車が動くか…などといったストレスがあるのと、彼のキャビネが公共の交通機関が使えないところに引っ越ししたことで、年に1回だけとはいえモンスに行くのをちょっと負担に感じ始めていた私です。

それで、ブリュッセルの専門医(少し専門性に違いがあるのだけど、この医者もガンに関してはとてもよいと評価が高いし、私も信頼している)だけに絞ることに決め、このアポが最後でありました。

何かあったらいつでも戻ってきてOKだから、と言ってくれました。

 

その用事が済んだ後、仕事を終えた友人と会い、グランプラスのカフェでお茶。

このエクセルシオールというカフェは、モンスの最も歴史あるカフェのひとつのはず。

 

モンスの鐘楼。

 

130年前から存在するカフェ。

 

 

 

13日の金曜日でしたから、こんなのをFB上で見かけました。笑

もし黒猫があなたの通り道を横切ったとしたら、それが意味するのは…その動物がどこかに出かけているってこと、グルーチョ・マルクスのジョーク。

 

 

 

ジェフ・ベックが亡くなりました。

 

昨日はジーナ・ロロブリジータが亡くなったというニュースも。

全然知りませんでしたが、この方、≪アンガジェ≫の人だった。

もともと絵を描く方で、美術アカデミーで学んだそうで、女優になったのは偶々の巡りあわせだったとのこと。

www.rtbf.be

この記事と一緒に、ファンファンつながりでこんな記事も見かけました。

www.rtbf.be

 

 

 

ここ数日で、一番うおおっと気に入った記事はこれ。

www.rtbf.be

もし好きな映画をひとつだけ選べと強要されたとしたら(笑)これ、トリュフォーのジュール&ジム(邦題 突然炎のごとく)だと思っている私、その中でジャンヌ・モローが歌う Le tourbillon の話です。

この歌詞について女性が女性に恋に落ちる内容だとの解釈があり、LGTBQIA+のサイトにある100曲ほどのリストの中の1曲でもある、という記事です。

↑ の記事で、ヴァネッサ・パラディ、アンジェルによるLe tourbillonと、そして映画の中でジャンヌ・モローが歌うLe tourbillonが聴けます。

 

 

 

昨日はワーテルローに住む友人がブリュッセルに出てきたんで一緒にランチ。

例のソーシャルレストランに行ったんですが、昨日のメニューは、スープとラザーニャとヨーグルトでありました。

 

 

ランチの後は、聖カトリーヌ教会傍のお気に入りのカフェでお茶、というか、泡。

ここ、建物を見るとアールデコの時代のものなんだけど、働いているのはみんな感じのいい若者なのである。

 

 

 

また視聴したいと思ったヴィデオ。

1997年のものですが、2051年まで視聴できると書いてあるんで、私自身は死ぬまで何回も観ることができるわ。

auvio.rtbf.be

有名なこの絵 ↓ と、当時の自由芸術会の絵に描かれている人たちや描き込まれている美術作品についてのヴィデオ。

おもしろかったです。

これ ↑ はThéo van Ryssekbergheによる1903年の作品で、ヴェラーレンによるレクチャーというタイトルのもの。

こういった作品は、王立美術館や王立図書館が所有していて、もう何回も観たなじみ深いもので、それをこのドキュメンタリーのように見せてもらうと、本当にうれしくなります。

 

ヴェラーレンは詩人ですが、芸術の批評家としても知られています。

今探したら、Wikiに日本語もありました。

ja.wikipedia.org

この頃の知識人たちって国境関係なく交流がありますよね。

「国境による移動の困難」は、今と同じか、それ以上に存在しなかったのだと思う。

大戦へと向かうナショナリズムは、まだそれほど深刻ではなかったのではないかな?

彼の作品を独語に訳したのは、親しかったステファン・ツヴァイクだったと、どこかで読んだ記憶あり。

 

 

くっつけた絵の中で、一番右に描かれているのがメーテルリンク

ホントの音はマーテルリンクだけど、私が小さい頃ニッポンで覚えた音はメーテルリンクだった。

小6のとき、いわゆる「学芸会」でグループに分かれ出し物を決めた時、私のグループは演劇をやることになりました。

私が「青い鳥」と決め、私が脚本を書き、私が配役を決めたんです。

(振り返ってみて、なんと独断に充ちたイヤな子だったんだろう…と呆れてしまう本人である)

 

メーテルリンクはゲントの人。

ベルギーに暮らし始めて知り、おおお、縁があるわ(って、何の縁?)と思ったのである。

こういう縁(?)を感じたのは他にもあり、大学時代にドイツ語の授業で読まされたティル・オイレンシュピーゲルもそうです。

この授業は、私にはビックリするほど試験が難しくて、これはまずい、落とすかも…と先生のところにお参りに行ったので、ものすごく記憶に残っているのである。

その先生は福井大学から毎週金沢まで講義に来ていた方で、福井までお参りに行きました。

やはり不安だという同級生と二人で行ったんですが、先生のお部屋で日本酒までごちそうになり、試験も「可」で通してもらえたのであります。

(私と一緒に行った同級生は「優」だった…こやつはお参りは必要なかったんじゃないの?)

話が逸れてしまったけど、このティルは、ブルージュのそばにあるダムという小さな町の出身でここの教会に埋葬されたと16~17世紀の記述が残るそうで、そういう設定でシャルル・デコステールという19世紀の作家が小説を書いています。

ここにお墓もある。

そういうわけで、ティル・オイレンシュピーゲルにもベルギーで再会し、縁を感じたという次第。

 

 

ああ、もっといろいろ気になる記事やヴィデオがあったのだが、もうめんどくさくなってきてしまった。

 

いくつかフォトを貼ってオシマイにしよう。

 

 

かわいい。

子どもの笑い声まで聞こえてきそう。

これを見て、うちの3女が赤ちゃんの時のフォトを思い出したのである。

子ども3人連れてニッポンに行った時、姉のうちで湯上りの姉と3女。

 

 

 

Titanic survivors Marjorie and Charlotte Collyer in New York immediately following the sinking of the liner in 1912. [Colorized]

 

 

 

これも貼っておこう。

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ご近所さん限定アノン邸修復現場ご招待

日曜日、アノン邸の修復現場を見学してきたので、そのとき見聞きしたことを記しておきます。

 

今年ミュージアムとしてオープンすることは知っていたし、窓の修復が終わったことは外から見てわかっていたので、内部がほぼ終わったことでのご招待かな、と思ったのだけど、いやいや、内部は前に見た時よりもっとがっつり修復の真っ最中でした。

 

案内してくれたのは修復チームのひとり、若い建築家くんでした。

 

この状態だと今年オープンってムリでしょ、と思ったんだけど、とにかくオープンして、入場料の15~20%を更なる修復に充てつつ段階的に進めていき、最終的には2030年くらいに終了という計画だそうです。

 

今回はフォト撮影はNGでした。

 

前に入った時はフォトが撮れたんで、そのときの記事を再度貼っておきます。

shohoji.hatenablog.com

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↑ の記事で見ることができる、来客用のサロン、冬の庭、ダイニングルームなどには入ることができましたが、上の階には行けず、フレスコは修復のために布で覆われ、冬の庭もステンドグラスや壁は修復の真っ最中でありました。

一部の壁の内部の鉄筋まで見えていました。

 

フレスコについては、後に表面にニスが塗られてしまったためにとても難しいことになっている、という説明でした。

そのニスを取り除こうとすると、フレスコ自体を傷つけてしまうので。

 

↑ の記事には、ひとり娘さんがこの家を顧みなかったと書いていますが(そういう説明を受けたか、あるいは手持ちの本でそう読んだ)、彼女にとってはそこは父親の死の場所であったゆえにいっさい手をつけなかったのだ、と、今回は説明を受けました。

 

その後はスクワットされたり、内部のものを盗まれたり。

 

サロンの照明が今どきのスポットだったところがあったんですが、資料がなくてホントのことがわからない時は、想像でニセモノをつけることはせず、「不明」とはっきり示す方針なので、ということでした。

 

60年代末にこの家を手に入れた業者によって取り壊されそうになった時、この建築を行ったブランフォーの娘さんが、それを阻止するべく文化財として認可してもらう手続きをスタート、80年代初頭に文化財として認可されています。

 

文化財として認められた時点で、Hôtel Hannon と呼ばれ始めますが、この家の規模や作りは Hôtel と呼ぶカテゴリーに含むには小さすぎるということで、今はMaison Hannon と呼ぶそうです。

ちなみに、私の持ってる本は Hôtel Hannon というタイトルです。

 

ミュージアムとしてのオープンは6月1日の予定。

私が今まで入ったことのない庭から公開をスタートするつもりだそうです。

 

入場料を修復に充てるのなら、ミュージアムパスの魔法は効かないでしょうね。

 

とはいえ、徒歩3分と近いので、ときどき訪ねることになるでしょう。

修復を段階的に確認するのもおもしろいし。

 

今回は、フォトは外側から撮ったこの1枚だけ。

 

1時間毎に10人ずつくらいの規模で、という見学でしたから、予約できたのは全部で100人足らずだったと思います。

速攻で予約してよかった。

 

 

 

さて話は変わり、諸事情によりベルギー国籍取得日をニッポンの某役所に知らせる必要がありました。

ええええっ、そういう文書はどこに置いちゃった?(その後数回引っ越しをしてるし、離婚後の引っ越しでは全ての書類を持ち出したわけではないので) もしうちになかったらどこでゲットする? 裁判所の記録庫? 外務省? コミューン? とものすごく慌てましたが、思いのほかカンタンに我が家で発見。

私ってけっこうキチンとしてるのかも…と嬉しくなりました。笑

 

で、すっかり忘れていましたが、その文書で1999年6月にベルギー人になったことが判明したのである。

 

 

「正月気分」を終えた

1月4日から「正月」の特別感(?)がなくなり気がラクになりました。

 

気合を入れて掃除をしないといけない、とか、特別な食事をしないといけない、とか、けっこうなプレッシャーでもある。

(結局実行はしていない。)

別にお正月じゃなくとも、気合を入れた掃除を終えたときはいい気分になるし、おごちそうを食べるのも好きではあるのだが…。

 

「めでたい」という言葉は自分でも違和感なく使うし、誕生日にしろお正月にしろ「おめでとう」という祝福の言葉は、自分から発しても人からいただいても、メデタイ気分になるのはホントだったりする。

 

合格おめでとう、というときの「おめでとう」と、新年おめでとうやお誕生日おめでとうの「おめでとう」は、フランス語やスペイン語へ翻訳するときは同じ言葉や発想にはならないんですよね。

 

メキシコにいるとき、この「おめでとう」というニッポン語の話になった時、テストに合格したようなときと、誕生日やお正月のように自分が特に努力しなくとも自動的にやってくることは違うのに、どうして同じ「おめでとう」を使うの?と訊ねられたことがあります。

そのとき、あらホント、なんで?と思ったのを今でも覚えているのである。

「褒めたたえたい」とか「喜びたい」といった意味だろうから、決して矛盾はないと思うのだが…。

 

などと、正月気分という一種の呪縛を終えホッとした私は考えたりしたのであった。

 

 

 

さて、今年に入って最初の用事は血液検査でありました。

 

1月2日、採血に行くとき通ったハル門。

ブリュッセルを囲っていた城壁には7つ門があったのですが、そのうち今でも残っているのはこの門だけ。

今はミュージアムになってます。

 

午前9時少し前。

 

 

翌日は、いくつかの書類にサインするために銀行へ。

担当してくれた若いオニ―サンとはマンガとアニメの話で盛り上がり楽しかった。

 

 

で、上述したように、4日になるとすっかり「呪縛」から解放された。笑

 

 

そして昨日は、今年最初の仕事を無事に楽しく終えたのである。

 

 

 

 

去年5月から、自分のお金の使い方を把握するためにつけていた家計簿。

思っていたよりもっとパッパラパ―なのだと気づけたので、これでもうよし、先月からもうつけないことに決めています。

めんどくさい、というのもあるけれど、何よりそういうことをアレコレ考えるのを止めることにした。

ま、どうにかなるでしょ、どうにもならないようなときは死ねばすむし、みたいな。

元気だから言える傲慢な考えかもしれないけど、けっこう本気でそう思ってます。

 

 

とても美しい、と思ったフォト。

 

 

ホントのハチを初めて見た。

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元日に聞いて以来すっかりお気に入りになったドイツのAMK。

ベルリンTV塔が映っている、

2回しか行ったことないのに「懐かしい」などと思ってしまう私である。

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明けましておめでとうございます。

2023年最初の日、ラジオで聞こえてきて「わ、これ、いいな」と思った曲を貼っておこうと思いました。

ドイツの若い2グループのコラボで、スザンヌ・ヴェガの Tom's Diner をカヴァーしてます。

歌詞もかっこいいけど、この子たちの声がいい。それにかわいい。

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元日も観測史上始まって以来の暖かさでした。

 

今日が月曜日なので、こちらではもう通常の仕事に戻る職場がほとんどのはず。

少しでもよい年になるといいですね。

 

個人的には、今年も好きなものに囲まれ楽しくすごしたい。

 

今年もよろしくお願いいたします。