暗くなった、その上ほぼ青空を拝めず

前回の記事をアップした翌日は嵐でした。

嵐でなくとも、ほぼ毎日曇りか雨。

青空をほとんど見ない日々。

昨日のニュースで、気象観測始まって以来、晴れ間の少ない10月としてはナンバー2だと言ってました。

 

昨日久々に良いお天気だったので、上述のような話題が出たのだと思う。

 

昨日の空。

うちの近所。

 

↑ のフォトの左の並びのアールヌーヴォーの家、よく手入れしてあるなあ・・・と感心したので、以前もここにフォトをのっけたことある。

その後仕事の準備で他の場所のアールヌーヴォー建物について調べていて、建築家エルネスト・ブルロという名を覚え、その人物について調べているうち、↑ の建物も彼の作品だと知ったんです。

ヴィクトール・オルタみたいに超超超大金持ちを顧客にした人ではなく、フツーの(!?)お金持ちを顧客にした人で、アールヌーヴォーが流行らなくなってからは、ご本人は建築家としての活動はしなくなり、第一次大戦で破壊された妻のファミリーの所有するお城を再建したり、大好きな自動車(というか、メカが大好きな人だった)のデザインをして過ごした、という人。

fr.wikipedia.org

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さて、昨日のニュースで一番印象的だったのが、オランダでの選挙結果。

www.rtbf.be

あの極右のGeert Wilders が、事前の予想のようにはいかなかったからでしょう、ものすごく不愉快そうな顔をしてましたよ。ざまあみろ、なんて思っちゃった。

昨日の時点では、まだ国外在の人たちの投票結果が不明だったんだけど、国の外に住む人たちは最初っから極右に投票するようなことはないので、結果が変わるとは思えないし。

 

私まで嬉しい。

 

ニュースでは、一番議席を取ったD66に投票したという50歳くらいの人にインタビューしてましたが、その人が

「彼らが普通の政党だから投票しました。彼らはちゃんと考えるし、それに若い。」

そう言ったんですよねえ。

ちゃんと考えるのが普通の政党、これが当たり前なのよね。

そうしみじみ思ったのである。

 

D66(中道左派)のRob Jetten は38歳、同性愛者であることをオープンにしてる、オランダ史上最年少の首相になるそうです。

 

 

 

ベルギーの話題。

今度の法の変更で、今までずーっと際限なくもらえていた(これはこれで当たり前とは言い難いのだが...)失業保険が、最長2年で切られることになる、で、この人 ↓ (雇用・農業相)が、さっそく切られるものすごく大量の人たちについて、その半分は外国人だ、と発言したんで問題になった。

事実に反するし、偏見を生むので。

実際の外国人はおよそ2割なんです。

外国籍というのと、もとを辿れば外国人というの、それを混ぜこぜにして話しているのではないか、と、ニュースでは王様を例に話してましたよ。

今の王様のお母さんであるパオラさんはイタリア人です、と。

それに、最初の王様だってドイツ人ですしね。

www.rtbf.be

 

 

今までほとんど関心がなかったというのに、今回のルーヴルでの泥棒騒ぎで、知らなかったことを知ってしまった。

www.lepoint.fr

1887年、77000もの宝石がオークションにかけられ売られたのだそうです。

1882年に議員のBenjamin Raspail が、国家予算にするために公開オークションにかけることを提案していて、それが実行されたのが1887年。

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la misère を破壊するために尽くしていない、と批判している。

"Détruire la misère", discours de Victor Hugo à l'Assemblée Nationale le 9 juillet 1849

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政府に関する不満の表現が、フランスとベルギーでは異なる、と、アメリノートンが言ってる。

興味深い。

"La haine n'est pas à ce point à la mode en Belgique qu'en France", assure Amélie Nothomb. La romancière était l’invitée du premier numéro de la nouvelle émission de franceinfo, "Le pour et le contre", vendredi 29 août. Elle s’inquiète de la montée de la haine, notamment sur la scène politique.

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フランソワ・オゾンの「異邦人」の劇場公開ゆえに、よく見かけるし耳にする「異邦人」がらみの動画やニュース。

この小説、フランスでは「星の王子さま」に次いで2番目にたくさん読まれる国民的なものだそうだ。

最初に映画化したのはヴィスコンティ

カミュ自身は嬉しくなかったっぽい。

 

もう映画館まで足を運んでまで映画を観たいとほとんど思わなくなっているのだけど、フランソワ・オゾン監督のこれはは観たい。

研究や書物による分析に、最初はいろいろ当たっていたが、もう完全にそういうことから自由になって作った、と監督が言ってました。

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前回ここに紹介しようと思いつつ、書き忘れていたこと。

 

松倉如子さん

ブリュッセルライヴハウスで歌った翌日、うちの長女のうちに歌いに来てくれたので。

長女たちはよくコンサートを開くんだけど、そのひとつ。

50人くらい集まったかな。

なんとも可愛いらしい人です。

楽しく過ごしました。

彼女はその後、やはり歌うためにパリへ。

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FB上に、6年前ということで、この ↓ フォトが出てきた。

そういえば、フランスでの仕事を終えた後、これが観たかったんで更に1泊したんだった。
 
これから同じ時間がもっと加速した状態で過ぎるわけで、そしたらそのとき何歳?などと考える、ほんと、驚くなあ…。
 大体ニッポンを出たのが87年春、その3年後にベルギーに来たのに、それほど時間が過ぎたという感じは全くなく、この調子だとあっという間にあの世に行く日がくるんだよね。
すでに楽しんだけど、これからもこの調子でいくしかあるまい。
神さま、別に長生きは望みませんので、なるべく最後までノーテンキで行けますように、よろしくお願い申し上げます。
 
 
と、自己チューバーサンは思ったのであった。
今日はこれでオシマイ。
 
 
 

今日は栗ごはんを炊こう

前回の更新から3週間も経ってしまった…。

 

今月は何故かものすごく忙しくて、ブログを更新する余裕が全くありませんでした。

 

2週間ほど前、仕事で出かけた先で、ミッションが始まって2分後(!)、すってんころりん(シックなレストランでランチすることになっていたので、ちょっとオシャレな靴を履いたのが大間違いだった)、腹ばい大の字というマンガの中でしかありえないようなふざけた転び方をしてしまったのである。

あまりのカッコ悪さに「仕事の緊張」も吹っ飛び、仕事自体はうまいこと終えることができたのであるが、その際に左手を痛め(ねん挫だと思う)、数日間手の甲と手首が腫れていました。

その腫れがひき、痛みもようやく落ち着いてきたので、皮を剝くのも平気になったし、長女くんが孫くんと一緒に拾ってきた栗で、今日は栗ごはんを炊こうと思います。

しかし、転んだとき足をねん挫でもしたらほぼ仕事にならなかったし、頭を打ったらもっと大ごとになったかもしれない、なんだかんだで運が良かった…。

笑い話で済んだし。

神さま、ありがとう。

 

ニッポンの友人にこの話をしたら、「あなた、定期的にこけるよね」と言われてしまったのである。

確かに…。

もう若い時と違い骨も弱くなってるのだから、ホントに気をつけないといけません。

 

 

 

ロベール・バダンテールがパンテオン入り、ということで、SNS上でものすごくたくさん彼の動画を見かけました。

 

そのうち、ふたつくらい貼りつけておこう。

 

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「人を殺すジャスティス」(←死刑のこと)を私は認めることができない、と言ってる動画もありました。

ユダヤ人、同性愛者、ジタン、共産主義者レジスタント・・・は、ナチスの「ジャスティス」で殺されたわけですし、今現在も、攻撃する側の「ジャスティス」で殺されている人々がいます。

 

 

 

これ、全然知らなかったので、ものすごく驚いたフォト。

モトは白黒で色を付けたもの。

1917  : Cratère de bombe, crête de Messines, Belgique
©Fernand Cuville / Wikimedia Commons [Public domain]
Cette image extraordinaire montre un cratère de 116 mètres de diamètre et 45 mètres de profondeur. Il a été laissé par des soldats britanniques qui ont creusé sous les lignes allemandes dans la province de Flandre occidentale et fait exploser 19 mines contenant 21 tonnes d’explosifs le 7 juin 1917.
Environ 10 000 soldats sont morts, dont la quasi-totalité de la 3e division d’infanterie royale bavaroise. L’explosion est considérée comme l’une des plus importantes explosions non nucléaires de l’histoire et a été entendue à Dublin et à Londres.
Le deuxième corps d’armée de l’Anzac a participé à la bataille de Messines, y compris la division néo-zélandaise. Il s’agit de l’une des opérations alliées les plus réussies sur le front occidental.

 

 

どこかで見かけたプルーストに関する記事を読んで、彼の母親がエピストリエール épistolière だったというので、épistolier という言葉を知りました。

へえええっと思ったのである。

これって、それにあたるニッポン語ってあるのかな?

どなたかご存じなら教えていただきたい。

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前回記したインヴォイスの件。

うちの会計士と今まで文書を送るのに使用していたプラットフォームは、Peppol と互換性がないようで、「来年度からそこは使わず新たなプラットフォームを用いることに決め今準備中、準備が終了したら連絡する」との返事でありました。

 

こういう記事も読んだ。

www.rtbf.be

これ ↑ を読むと、私と同じように感じ、混乱している人がいっぱいの様子で、なんだか少しホッとしたのであるが、e-インヴォイスを使わなかった際の「罰」が、罰金1500~5000ユーロだと知り、厳しいなあ・・・と驚いた。

 

 

10月14日、国を挙げてのデモ・ストでした。

15万人がブリュッセルに集結。

 

私はこの日は午前中仕事、交通機関が全部ではないけど動かないので、出かけるときも帰る時もいっぱい歩きました。

 

午前中は組合の人たちを中心に、午後は若者たちが動いてましたが、壊し屋も出没するのでポリスも午後は気が立っていて、帰路サブロン広場を徒歩で上がっていこうとすると催涙ガスでモクモク、離れていても涙が出てきたので、これはいかんとマロールからエレベーターに乗ろうと思ったんだけど、オート通りはポリスが封鎖、怖い声で「ネイ(オランダ語でノン)」と怒られたので仕方なく別の道から徒歩で上りました。

ポリスに怖い顔で怒られたのは初体験でありましたわ。

 

11月にまた大きなストが予定されてます。

 

いろいろと経済的な締め付けが予定されてますからねえ…。

 

たとえば音楽アカデミー、これまで無料で、うちの子供たちもその恩恵を受けましたが、これも来年9月から有料に。(年に90ユーロ足らず)

大学、授業料は無料ですが、毎年9月の登録料が、これまで900ユーロ足らずだったのが、1200とか1300とかってニュースで言ってました。

他にも援助金が打ち切られたり、学校では先生の数が減らされたり、などなど。

 

 

 

ジュリエット・ドゥルエについての動画。

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先日久々にゲントに行ってきました。

タイミングの関係であまり入る機会がない聖二コラウス教会で、超久々にここにあるアントーン・ヴァン・ダイクの作品を観てきた。

 

 

 

ルーヴル美術館での泥棒の話、大きな話題です。

ルパン3世みたいな話で驚きました。

www.rtbf.be

 

盗まれた8品をひとつひとつ説明してる動画があったので、貼り付けておく。

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これくらいにしておこう。

 

明日はCovidとインフルエンザの予防接種を、近くの薬局に予約してます。

Covidの変異種、感染力がすごく高いそう。

症状はひどくないということですが、つけられた呼び名がフランケンシュタインと恐ろしい。

 

今週末に時計の針を1時間戻し、「暗さ」も本格的になりますわ。

 

 

 

 

10月に入りました

日がすごい勢いで短くなり、今月末には時計の針を1時間戻すことになります。

お日さまもずいぶん低くなりましたしねえ…。

思っていた以上に、すごいスピードで2025年が終わりそうです。

 

 

2026年1月より、送付するインヴォイスはエレクトロニックであることが義務になります。

今までもすでにエレクトロニックで受け取ることはありましたが、私は自分のインヴォイスのテンプレートを用いてPDFで作成し、自分のクライアントに送ってました。

もうそれじゃダメになっちゃうんですよねえ…。

 

めんどくさすぎる…。

老婆にこういう義務を課さないで欲しいわ。

 

efacture.belgium.be

 

どのプラットフォームを用いるか決めないといけないけど、自分の会計士も関わることだし、第3四半期の〆の書類を送るついでに会計士にアドヴァイスを頼むことにしていたので、今朝それを実行したところ。

 

こういう事態に向かい合うたびに、フリーランスって「自由」の代わりにめんどくさいこと全部ひとりで解決しないといけないのだと確認します。

「自由」ったって、依頼をホイホイ断るわけにもいかないですしね。

年金もらい始めてからは、それを理由にずいぶん依頼を断ってはいますが、フリーランスはサラリーマンだった人より驚くほど少ない年金しかもらえないし、ちょっとはお金を稼ぐことも必要、仕事をすると少しは脳みそへの刺激になるし、ボケ防止にもなるかなあ…と自分を慰めています。

 

Covid騒ぎのときに仕事しなくともお金をもらえたので、それで怠け癖がつき、今もその癖が抜けないし、年は取るしで、なんでもかんでもめんどくさいです。

 

あああああ、めんどくさーい!!!

 

アニメとマンガと孫くんで癒されるバーサンである。

 

 

SNS上で見かけたフォト。

 

 

 

 

 

Journées du Patrimoine アールデコ

2週間ぶりの更新。

 

毎年恒例の文化遺産の日、土・日を終了したのでメモです。

 

毎回どこに行こうか迷いますが、揺るがぬポイントは、「こういうときでないと絶対に入ることができない場所」ということ。

いろんなミュージアムも自由に入ることができるんですが、これはミュージアムパスがあればいつでも入ることができるし、パスが使えない所でも、ミュージアムである限りお金さえ払えば入ることができますから。

 

ただここ数年は、以前のように何か所も欲張らなくなった私です。

1日につき、午前と午後一か所ずつ。ガイドの案内つきのみ。

Covid騒ぎの頃から、人数制限の必要性からか、全て予約制になりましたが、それ以前は、場所によっては自由に見学できるところもあったので、ついでにあちこち歩き回っていました。

で、今回予約しながら気づいたのだけど、今年からCovid以前のように、予約を入れなくとも自分で自由に入ってみることのできる場所がいっぱいありました。

 

さて、その予約ですが、1週間前の週末から・・・とサイトに書いてあったのですが、なんといってもすぐ満員になるので逃すまいと、時々チェックしておりました。

数日後には、「9月中旬に入ってから・・・」と表現が変わった。

前の週に入ってから毎日チェック、で、木曜日、午前中にチェックしたらまだ予約不可状態だったのが、どうせまだだろうと思いつつも午後にもちょいとチェックしたら可能になっていて、なんと、一番狙っていたところはもう既に満員!

私みたいに狙ってチェックしている人は他にもいるんですよねえ…。

ガイドの案内で回るやつは、仏語の案内はだいたい1時間に1本ずつ、ひとつのグループの定員は15人くらい。

狙っていたところは、土曜日の午前中2時間のみ公開だったのです。

たったの2時間となると定員は少なく、あっという間に満員になるのも仕方ない。

 

というわけで、気を取り直して「日頃は絶対入れない場所」のガイドツアーを選んで予約しました。

 

 

土曜日・午前 Hôtel Haerens 

heritagedays.urban.brussels

この建物、現在はバイオメトリック認証によるセキュリティに関わる会社Semlexの持ち物で、それこそ通常は絶対に入れないところ。

うちから徒歩で20分ちょっとの距離で近いのだけど、必要性がなくて歩かない方にあるので、この建物に関しても、今回のイヴェントで初めて知りました。

 

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中には入れましたが、フォトはNGでした。

当然ではあります。

普通は中に入るだけで、身分証がチェックされるところです。

 

ここ、元はアンパン氏のもとでエンジニアだったアーレン氏の邸宅です。

大きな通り、アヴニュー・ブルグマンに面したところがファミリーの入り口、すぐ横の小さな通りに面した入り口は、アーレン氏が建てさせたアパルトマンの入り口で、こちらは貸していた。

またまたブルグマンさん登場、このブルグマン通りは19世紀に彼の投資で作られた道で、その頃はまだ家も20軒くらいしかなく、裕福な人たちが「田舎」にピクニックに出かける道だったそうです。

1870年代にトラム(と言っても、レール上を馬が引く)が通った道でもある。

 

建築家はアントワン・クルテンス。

オルタのもとで研修生だった人。

自然光の取り入れ方とか、オルタの影響が大きい。

アンパン邸の建築家ミシェル・ポラックにも影響を受けている。

空調にもとても気を使った作りになっている。

 

クルテンスというのはアーティスト一家で、アントワンの祖父が画家のエドワール、お父さんが画家のフランツ、3人兄弟の他の二人、エルマンが画家で、アルフレッドが彫刻家、で、この方が建築家。

今回のガイドツアーに参加された一人は、アルフレッド・クルテンスのお孫さんでした。

(たぶんそれをアピールするために参加されたんだと思う。)

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家具類やライトは、もう最初のものは失われていますが、持ち主さんの好みで創建と同時期の作品が集められ使われています。

ライトがすごくカッコよかったけど、フォトを撮ることができませんからね。

残念。

持ち主で上述の会社の社長さん、ちょいと検索したら、もとはアレッポ生まれのシリア人。

学問のためにベルギーにやってきて、ダイヤモンド業で財を蓄え、今の会社を立ち上げた。

土曜日に、この建物の中でちょっと見かけた男性がこの方でしたわ。

 

 

土曜日・午後 Palais de la Folle Chanson

heritagedays.urban.brussels

全く知らないで予約を入れたんだけど、上述の建築家クルテンスの代表的な作品が、午前に見たアーレン邸と午後のパレ・ドゥ・ラ・フォル・シャンソンでした。

この建物は、以前に外観だけは専門家の案内で見たことあるし、自由大学へ行くトラムの通る道沿いにあるので存在は把握してました。

でも、こういう時でないと中に入ることは不可ですから、ガイドツアー逃すまじ・・・と大慌てで予約を入れたのである。

そしたら同じ建築家だったと後で知り、おおおっと嬉しかったです。

 

 

玄関ホールへ入るところの階段の手すりも、そのカーヴがかっこいい。

ホール

左の二つの扉は、創建時からのエレベーター。

正面は郵便受け。

こんな大きな建物なのに、アパルトマンの数はわずか14、現在は12ファミリーが住んでいるそうです。

1軒の面積、250㎡。

窓が多くて明るいのも特徴。

家の幅によって税金額が変わるのは知っていたけど、窓の数も税金に関係あるのは初めて知りました。

窓がいっぱいってことは、税額も上がる、つまり裕福ってこと。

案内してくれた専門家の方。

エレベーターは3人乗り、杖をついていた老人カップルのみこれを使用。

我々は階段で7階まで上ったのである。

踊り場のライト

5階のアパルトマンの入り口に、こんな表示が!

カフカが、通訳者が言葉を失うほどの講演を行ったのは、たぶんここ、と書いてあった。

カフカって、ブリュッセルに来たことあったの?

調べてみないと…と思った。

 

建物のてっぺん。

星形のところ。

修復する予定なんだけど、ブリュッセルの政府がまだできてないので(苦笑)援助額が不明、住人の負担がどのくらいになるのか、ここに住んでる人々がいくら裕福とはいえ・・・、とのことでした。

 

1階の部屋の所有者がアーティストさんで(例えば、階段のところのモービルはこの方の作品)、中に入れてもらえました。

部屋っていうか、作品が展示されたギャレリーだった。

入ったところから、玄関ホールを振り返るとこんな感じ。

 

床にあったスィッチ(?)

昔、使用人を呼びつけるためのものだった。

 

 

むむむ、なんだかものすごくめんどくさくなってきた…。

しかし、今のうちに記しておかないと忘れちゃうから、がんばるわ。

 

 

日曜日・午前 BOZAR

heritagedays.urban.brussels

BOZAR宮には、コンサートだエクスポジションだと、けっこう足を運ぶ機会はあるのだけど、考えてみれば、ガイドの案内で建物をまわったことないよね、と思い申し込んだのである。

で、普通は入ることのできない王家専用の場所とか、アート作品を運ぶ時にしか使わないというエレベーターに乗ることもでき、満足したミーハーな私である。

建物が大きいので、案内も1時間半に及びました。

 

建築家はオルタ。

クルテンスは、この建物建設中に研修生だったので、どこかで関わっているはず。

 

建物のマケット。

アクセスできない所に、いくつも空間があり、そこから自然光が入る仕組みになってる。

 

BOZAR宮の入り口は、ロワイアル通りの下にあります。

てっぺんがちょうど通りの高さ。

というのも、通りより高く建ててはいけない、というのが、最初から決まっていたのだそうです。

 

 

王家のメンバーの入り口。

ガラスはオルタが好んで使ったアメリカのティファニーのもの。

フォトでは感じられないけど、思わず「おおっ」と声が出たくらい美しかった。

王家のサロン

付き添いの人たちのスペース(だと思う)

ここを出てすぐに王家用の座席への扉。

床は全てベルギー産大理石。(他の床にはモザイクやグラニットが使用されてる。)

窓を開けると、16世紀のクレーヴ-ラーヴェンシュタイン邸が見える。

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別の場所の床。

モザイクはフリーメイソンのコンパス

 

ここも初めて入るスペースだった。

 

やはりアメリカのガラス。そのデザインもアメリカのフランク・ロイド・ライトに影響を受けている。

オルタは第一次大戦のころアメリカにいたので。

このアメリカのガラスは、今は既にノウハウが失われ、入手できなくなっているのが問題だそう。

 

このBozar宮ですが、実は今も修復の真っ最中、完全に閉めて修復すれば速いのでしょうが、そういうわけにもいかず…。

アントワープの王立美術館が11年間完全に閉まっていて、一切活動ができませんでしたから、そういうことを避けるためでもあるそうです。

本来の色に戻すかどうかもまだ決定していない場所が ↓ ある。

もともと暗い色だったんですね。

そこまで戻すと、今のニーズに合わないのでは?とも言える。

毎週修復のメンバーのミーテングが行われているそうです。

敷地面積が8000㎡、建物の総面積は3万㎡だそうです。

 

 

日曜日・午後 Hôtel Espérance

heritagedays.urban.brussels

 

ヌーヴ通りにはノートルダム・デュ・フィニステールという教会があって、そこの横にある幅の狭いフィニステールという道を入ったところにあるカフェ・レストラン+ホテル

ヌーヴ通りはよく通るんですけど、このカフェは初めて知りました。

 

建築家はレオン・ゴヴァ―ル(ヴァン・ビューレン邸の建築家)

 

ところで、フィニステールというと、私にはフランスのブルターニュフィニステール(Finisterre = 地 Terre の終わり Finis の意)しか思いつかないので、いつも「なんでこの教会はフィニステール?」と思っていました。

そしたら今回その件についてガイド曰く。

ここが旧ブリュッセルの街の果てだったから、だそうです。

 

賑わうカフェの横の階段を上るとホテル。

カフェとホテルはTVドラマ(メグレのシリーズなど)に使われたそうです。

カフェは創建当時のまま、ホテルの方は一部屋だけ当時のものを残し、他は改装されています。

今回は保存している部屋を見せてもらいました。

この部屋、1泊130ユーロだそうです。

他の部屋はもっと安価。

 

内部の窓はコンゴの川をイメージしてある。

ホテルはもともと娼婦さんと過ごすためのものだったそうで、カフェの席もコンパートメントになっているところがあって、「部屋を使うよ」という店に知らせるベルがあったとのこと。

 

コート掛け

 

階段の壁

 

130ユーロの部屋

バスタブのところに立ってる左の3人はスペイン人。

一番左の若者が、終了後私に話しかけてきた。

聞けばニッポン語勉強中で、私をニッポン人とみて話しかけてみた、とのこと。

マヌくん、カディス出身で私と同じイクセル区在。

翻訳・通訳(西・仏・英・アラビア語)をしているのだそうです。

カディス、大昔にバックパックで旅行した時、向かう途中のバスの窓から海の向こうのアフリカ大陸がドカーンと見えたときにはもう感激して、見知らぬ隣の席の人に、「あれ、アフリカですよね、ね、ね、ね!」と話しかけないではいられなかったのでした。

マヌくんはブリュッセルに来て16年だそう。

いいところだよね、と言いあっこしてすっかり気が合い、今度一緒にお茶でも…ということになりました。

気が合うミュータント化したよそ者は、皆ブリュッセルが大好き。笑

 

 

 

その他にもメモをいくつか。

 

ぐりとぐら」の作者さんの話。

うちの子たちもこの絵本で育ち、今は孫くんがこの絵本大好き。

(ちゃんと ぐりとぐら と言える ← バババカ自慢 笑)

diamond.jp

 

 

上述のアーレン邸の近く、道の敷石を木の根っこが持ち上げてるところがいっぱいありました。

たぶんポプラだと思うんだけど、ちょっと調べたら、根が浅いので倒れやすい、と書いてあって、浅いところで成長するから敷石を持ち上げるのかな?と思ったのである。

 

 

最近FB上で見かけて気に入っているアーティストふたり

 

この方 ↓ のを見ると、真似っこして自分でもやってみたくなる。

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この方のは、色がいい、そしてめちゃかっこいい。

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今日のところはこれでオシマイ。

 

追記・カフカの件。

カフカが亡くなったのが1924年、この建物は1928‐1931年のものだから、上述の「できごと」は少なくともここじゃないよね。

このプレートにも1924年は記してある。

でも、そしたらこれって単なるジョーク?

そうとも思えないなあ…。

誰が住んでるのかな?作家さん?カフカのファン?

 

 

特に予定のない月曜日

久々に特に予定のない月曜日、ダラダラ過ごすか、あるいは、気合の入った掃除をするか…、と考え中なのだけど、「考え中」ってのが、すでに「ダラダラ」を示してますな。

 

とりあえず、ここ数日のこと、忘れないようにメモなど。

 

9月2日、アントワープに行ってきました。

目的は、今だけ入ることができるヘンドリック・コンシアンス広場のノッテボームの部屋に入ること。

「今だけ入れる」っての、例によってミーハーな私の好物です。

consciencebibliotheek.be

Oscar Nottebohm さんの名前にちなんでいるんだけど、この方はこの部屋が出来上がる1年前、1935年に亡くなっています。

本や美術品のコレクターだった。

生涯結婚することなく、子供もいなかったので、本のコレクションはこの部屋に、美術品のコレクションはアントワープの王立美術館に、ということのようです。

もともとはドイツ出身で、アントワープに移住して財を成したファミリー。

nl.wikipedia.org

仏訳をコピペしておく。

>Oscar Nottebohm était le petit-fils de Diederich Wilhelm Nottebohm, qui avait émigré de Bielefeld et s’était installé à Anvers. Sa famille était bien connue pour ses dons, y compris son oncle August Nottebohm, qui a fait don de 100 000 francs belges à la ville d’Anvers pour faire rénover la ville. Son frère Frederik Benjamin Nottebohm a également fait une donation en 1913. Sa mère, Maria von Laer, a également fondé un hôpital pour les maladies de la peau connu sous le nom de clinique Nottebohm en 1901. Oscar Nottebohm lui-même a fait un certain nombre de dons de peintures à la ville d’Anvers entre 1908 et 1917. Après sa mort, il a laissé d’importantes sommes d’argent à diverses fondations. Il légua 50 000 francs au Fonds permanent de dotation pour la bibliothèque municipale et le musée Plantin-Moretus et 25 000 francs à la Bibliothèque du peuple, où, sur la suggestion de Lode Baekelmans, des livres pour enfants furent achetés pour les nouvelles salles de lecture pour enfants. En outre, une exposition a été organisée à la Volksbibliotheek un an après sa mort, où l’on exposait le portrait du donateur et certains des livres achetés. Son testament stipule également qu’il a laissé au Musée royal des Beaux-Arts d’Anvers non seulement 100 000 francs, mais aussi des peintures, des sculptures, des catalogues de ventes aux enchères et des livres d’art. En outre, le Vleeshuis et le Steen ont reçu 50 000 francs. Les armoiries de la famille ont été accrochées à l’une des fenêtres de l’hôtel de ville d’Anvers lors d’une inauguration solennelle le 13 mars 1937 par le bourgmestre Camille Huysmans.

この方だけでなく、ファミリーのいろんな人も寄付しまくってる。

nl.wikipedia.org

ヘンドリック・コンシアンスというのは、19世紀のフォルクロール作家(子供の頃に亡くなったお母さんが語り聞かせてくれたフランダースの民話の影響か)、Wikiってみたら、お母さんはアントワープの方で、お父さんはブザンソン出身のフランス人、ナポレオン時代の海軍としてアントワープに滞在、ナポレオンが破れ仏革命軍がアントワープから撤退した後も残った、って書いてあった。

nl.wikipedia.org

私でもタイトルだけは知っていた、金拍車の戦いの話「フランダースの獅子」の作者さんだった。

初めて知った。

nl.wikipedia.org

もともとここはイエズス会広場だったけど、ノッテボームさんもコンシアンスさんも、私がちょこちょこ読んだ限り、イエズス会と特に関係があるわけではなかったです。

 

この広場にはイエズス会の聖カルロスボロメウス教会がある。

建築家はルーベンス、内装はルーベンスとアントーンヴァンダイクが一緒にやったそう。

当時「この世のパラダイス」と呼ばれたほどの豪華さだったらしいけど、創建100年後、落雷で内部は火事で焼失、今の内部はその後のもの。

「この世のパラダイス」見てみたかった。

教会側に立って見た図書館。

左端に写ってる扉がノッテボームの部屋に入る入り口。

 

近くにデュ―ラーが滞在した家がある。

 

内部。

 

私の暮らす地区が開発された時のメセナ、ジョルジュブルグマンもドイツからやってきて財を成したファミリーだったなあ・・・と、ノッテボームの話から思い出したことでした。

shohoji.hatenablog.com

 

2日は子守を頼まれていたので、早々にブリュッセルに戻りました。

アントワープ中央駅、24番乗り場で電車を待っていた時、目の前の壁の青いライトに、抽象画みたい、と思ったのでフォト。

 

 

 

その他もろもろ。

 

先日ニュースで、「初任給の平均」の話に驚いてしまいました。

何に驚いたのかと言うと、「給与の平均」なんてかつて聞いたことなかったから。

ニッポンからいらっしゃる方に、「ベルギーでは、新卒の平均初任給っていくらですか?」と聞かれる際は、「そういう発想もデータも目にしたことない」と返事をしていた私なので。

そもそも「平均」に意味ある???

学業を終えても、想定した仕事がない場合、「求職中」を選ぶ者も多いし…。

ニュースのテーマは、初任給の「額」ではなく、大卒とそうでない場合の差が縮まった、というものだったんだけど。

www.rtbf.be

 

昨日のマニフの記事。

ポリスの発表では参加者7万、主催者発表では11万、今朝は13万という発表も見かけた。

www.rtbf.be

 

 

もうすぐ恒例の journées du patrimoine です。

先週末にプログラムが公開されました。

予約の受付が今週末に始まります。

人気の場所はあっという間に満員になるので、気をつけておかないと。

heritagedays.urban.brussels

 

 

そういえば、こういう ↓ 怖いニュースもありました。

www.rtbf.be

 

 

こういう記事も読んだ。

www.fnn.jp

 

 

このくらいにしておこう。

 

 

 

 

 

 

最近見たものなど

涼しくなりました。

27℃くらいまで気温が上がる日が2日ほどありましたが、たぶんそういうのはもうオシマイ、最高気温が20℃前後という快適なお天気です。

 

仕事が入っていたので、そのための勉強をしたり、孫くんの守りをしたり、ミュージアムを訪ねたりしているうちに日々が過ぎて行きます。

あっと言う間に8月も終わりそう、速い速い、驚くばかり。

 

 

今年の6月、サンコントネール公園にある歴史・芸術ミュージアムに、アールヌーヴォー・アールデコ・モデルニズムのセクションが新たにオープンしました。

ずっと観に行きたかったんだけど、暑いのと公共交通機関の工事とで、とても動く気持ちになれなかったのですが、涼しくなりましたからね、行ってきました。

 

新しく展示品をゲットした、というのではなく、もともと所有していたのを、きちんと場所を整えて公開した、というもの。

今年で「アールデコ」100周年ですし。

 

この公園はベルギー独立50周年記念なんだけど、その頃の王様であるレオポルド2世がここで万博を開催(1897)、それは「ベルギー王国」の力を近隣諸国に見てもらうことや、ベルギーの市民に植民地コンゴ(当時王様の私有地だった)を持つことによる豊かさを見せる、ってのが一番の目的だったりしたのよね…。

 

アールヌーヴォー芸術ってのも、その流れだったりするわけです。

この芸術を担った建築家や彫刻家たちのパトロンは、当時財を成した桁外れの金持ちたちですもんね。

 

www.artandhistory.museum

www.artandhistory.museum

 

ミュージアム自身は、1925年のアール・デコラティフ展覧会では何も購入しないことにしたのだけど、この展覧会においてベルギー館の委員長をしていたアドリアン・ヴァン・デル・ブルク伯爵が政府を説得、宝くじを発行することで利益を上げたらこの展覧会の出展品を購入することになり、実際に購入に至ったのだそうです。

 

このアドリアンさんについては、検索してもこの記事しか見つけられませんでしたが、それなりにおもしろかった。

由緒あるファミリーの方。

www.sudinfo.be

エコシーヌにあるお城 ↓ に関係あり。

fr.wikipedia.org

12世紀に遡る ↑ の城を、この人 ↓ が購入、

fr.wikipedia.org

この人 ↓ が亡くなるまで、このファミリーが所有してたのを、↑ のアドリアンさんが買い戻しました、という記事だった。

fr.wikipedia.org

 

さて、ミュージアムに戻ることにする。

 

王立美術館の19世紀末セクションが、いつ再オープンするかも知れないままずっと閉まっているのが残念なところ、絵画以外の工芸品や彫刻作品などがここで観られるのがとても嬉しく感じました。

 

ミュージアムの所有するものには、ミュージアム発足時のものに上に記した作品、さらに彫金・宝飾のヲルフェウス兄弟からの寄付も加わっています。

 

ヲルフェウスさん

 

貼り付けてある解説で、こういうことも知った。

このミュージアムは1889年にスタート。

すでに国が所有していた「お宝」の保管や公開だけでなく、スタート当時の新しい工芸品等を購入することも目的のひとつだった。

で、1894年、当時の額としてはかなり大きな3155フランで最初のコレクション購入、その後毎年のように、1901年に政府から「スト―ップ!」がかかるまで、委員長である美術・音楽評論家のオクタヴ・モースが中心となり購入しまくったらしい。

 

オクターヴさん

Wikiってみて、あ、この人の肖像画なら何回も見たことあるわ、と思った。

アナ・ボックの従兄弟だったり、いろいろ「へええええ…」と思うことあり。

おもしろいなあ…。

fr.wikipedia.org

 

いろいろ観たもののうち、いくつかフォトを貼っておきます。

当時の値段が表示されているものもありました。

照明も展示物です。

照明も重要かつ不可欠なもの。

石油・ガスから電気への転換期でもありますからね。

電気に変わることで、煤などで壁が汚れることもなくなるので、その流れで壁などの色が明るいものへと移行。

 

アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ

グスタヴ・セルリエール=ボヴィ

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オルタ

シャルル・ヴァン・デル・スタッペン

台はアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ

美しいなあ…

 

 

 

アールデコの時代に突入

 

また来ようっと。

 

 

ちょいとショップへ。

このミュージアムはモアイ像を所有しているのだけど、そのコピーがドカンと置いてあります。

 

このミュージアムにはレプリカを製作するアトリエがあって、小さいものから大きなものまで作ります。

中には私たちがフツーに購入できるものもあります。

アトリエは毎週木曜日にだれでも見に行けるので、いつか行こう…と思いつつまだ行ったことがない、今度行こうっと。

 

 

ミュージアムといえば、9月2日にアントワープのヘンドリック・コンシアンス図書館に行ってきます。

15世紀にスタートした図書館です。

まだちゃんと勉強してませんが、イエズス会の学校のあったところなので、イエズス会に関係あると思う。

そこで、この7月から9月15日まで、特別にこの ↓ スペースが公開されているので。

consciencebibliotheek.be

 

 

SNS上で見かけた動画などを貼り付けておく。

 

その中でも一番「うわああああ」と思ったのがこれ。

全然知らないアーティストでしたが、圧倒された、というか、驚いた、と言うか…。

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その他いくつか。

 

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しばらく前にニュースで、リベリアの大統領と米国の大統領の会談に際、米国の(以下略)が「見事な英語力ですね」と感心した、ってのが報道されました。

リベリア公用語は英語だって知らんのかい?」と言うのが目的みたいなのだが、この ↓ 動画では、なぜ英語が公用語になったか、が説明してある。

奴隷として米国に連れてこられた人たちのうち、政策としてアフリカに戻された人たちがいて、その場所がもともとの彼らの出身地とは関係なく今のリベリアだった、ということらしい。

1回チラッと視聴しただけで、ちゃんと視てないので、後でもう1回視聴しようと思う。

公用語が英語って知らないだけでなく、なんでそうなったか、歴史的背景も知らんのかい、という動画。

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これくらいにしておこう。

 

夕方に孫くんの守りをする際、19時過ぎにベッドに入れるんだけど、その後、ばーちゃん、ばーちゃんと何回も呼ぶのが聞こえるのであります。

いやもう、かわいらしくて知らんぷりができない…。

で、なんだかんだとつい一緒に遊んでしまい、昨夜も彼が寝付いたのはは21時近くでしたわ。

この調子だと、ママやパパには内緒よ、と、親の見ていない所で一緒に悪の道に進むバーチャンになりそうで怖い…。笑

 

 

 

ヴァカンスも終わる頃です

8月も下旬に入り、もうすぐヴァカンスも終わります。

7月に出かけた人が8月に出かける人と入れ替わり、その8月組も戻ってきたらしく、

街の車の量が増えた気がします。

 

天気予報のとおり2度目の熱波は1度目よりは少しマシでしたが、それでも私には暑すぎて、用事の合間にビールを飲まずにいられなかった。

このビール、苦くて好き、でも十分冷えてなかったのが残念だった。

 

その後少し時間があったので街をうろうろ、マンガやグッズを売っている店にちょっと入ってみたのだけど、BLマンガの仏訳がいっぱい出ていることに驚いてしまいました。

これ ↓ がその一部。

 

BLマンガといえば、一昨年上下巻いっぺんに出た「后宮のオメガ」、オメガバースの設定をとてもうまく使っていると思うし、話のテンポもよく(私はイライラさせられるグジグジ・イジイジしている主人公が苦手)、なにより絵がとても美しいのでお気に入りです。

で、その続編が最近出たので速攻で購入しました。

この主人公がαのハーリドとΩのイリヤなんだけど、このイリヤは機械工学の知識と技術を持っていて、時計を作ることができる。

 

先日久しぶりにYoutube山田五郎さんのビデオ ↓ をとてもおもしろく視聴、そこで紹介された時計のひとつが、イリヤが作ったものと同じもの(ビデオを再視聴してたしかめたわけじゃないので、少し違うかもしれないが)で、おおおおおっと思ったことでした。

作者さん、歴史上実在したその時計を参考にしたのね、と。

www.youtube.com

 

オメガバースという設定、初めて読んだときは「へえええ…」と思い、月に一度のランチの友人に話したのだけど、本好きの彼女が全然知らなかったので、仏語圏では知られていないのかとちょっと調べたことがありました。

2010年に米国で登場した設定らしく、ニッポンのマンガではBLの分野でよく見かけます。

少数派のΩへの差別が前提なので、似たような差別が存在する社会だとより使われる設定だったりするのかな?と思ったり。

そういえば、2年くらい前に仕事で会ったニッポンの大学の日本文学の先生が、学生の書いた論文にオメガバースを扱ったものがあったとおっしゃっていました。

 

ja.wikipedia.org

 

 

上述したように熱波も去り過ごしやすくなったので、先日久しぶりに、近所にあるオルタ・ミュージアムに行ってきました。

ミュージアムもいろいろ変化があるので、何か変わったかな?と思ったわけです。

徒歩で10分かからない距離、お気軽に思い付きで出かけたらば、なんと、満員で2時間後のチケットしか取れませんでした。

アールヌーヴォーとアールデコ、なんだか今頃は以前にも増して人気があるようです。

オルタ・ミュージアムは、第1次大戦前に彼が住んだ住居と仕事のための事務所・アトリエで、規模は普通の住居2軒分。

そういう規模なので、たくさんの人をいっぺんに入館させるわけにはいきません。

 

フォトは全面的に禁止、外観は今修復中で覆われていて見えませんから、ここにアップできるのはサイトのリンクくらい。

前回より見学できるスペースが増えていました。

hortamuseum.be

 

 

暑さの真っただ中、仕事で行ってきたところのフォトもアップしておこう。

 

アントワープ

プライドが行われた直後だったので、虹の旗がいっぱいだった。

プライドの主催者の人が、ようやく勝ち取った権利も、守っていかないとすぐにまた壊れてしまうから、とニュースで言ってました。

今回は国外からも多くが参加する、かなりの規模のプライドでした。

アントワープ出身の有名なドラマツルグ(って、私は知らなかったのでWikiった)、Wilem Ogier の像と、近くにある彼の家の壁にあるプレート。

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↑ 仏語以外の言語、何があるかと見てみたら、アフリカーナがあったので、おおっと思ってしまった。

興味深い。

こういうところに、歴史的背景が見てとれる、と思う。

 

ブルージュ

 

ヨハネ病院の中のメムリンクによる三連祭壇画

ヨハネ病院の病院長さんたち

一画に残るお墓

道端

 

 

昨日は、やはり久しぶりにマグリット美術館に行ってきました。

今まで見たことない作品が何点かあったし、今までじっくり見たことない作品をじっくり見たり、マグリットの言葉をじっくり読んだり…、おもしろかったです。

 

開館当時は一切撮影できなかったことを思えば、最近はものすごくおおらか。

彼が嫌いなもの、好きなもの。読んで、いいな、と思った。

友人の一人、詩人のポール・ヌジェ

 

ついでに、古典のセクションもちょいと見てきた。

ヤン・ブリューゲル2世によるゴルゴダの丘、ものすごく寒そう。

 

 

その他。

 

ホテルでチェックインするとき、パスポートやIDカードを提示することを求められますが、イタリアで10万ものツーリストのインフォが盗まれ、ダークWEBで売られていたという話。

怖い。

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ベルギーの難民に対する政策が、今回の連邦政府の方針でさらに厳しくなりました。

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TVのニュースでも、オンライン新聞でも、見たくもない顔がドカーンと出てくるので、それだけで気がめいりますが、自分といえば、ガザで飢える人々の姿に涙しながら、自分のお腹のまわりの贅肉に「どうしたものか・・・」と考えたりしてる…、これはこれでものすごく醜い…。

 

 

メモはこのくらいにしておこう。