文化遺産の日、その他いろいろ

ベルリンに出かけていた長女も、昨日ブリュッセルに戻り、ニッポンにいる次女も、今日はニッポン時間の午後9時頃、成田で飛行機に乗り込みヨーロッパに向かうはず、3女も学校が始まって2週間以上が経ち、ヴァカンスでストップしていたいろんなことが少しずつ普通のリズムに戻りました。

私も美術学校やフランス語のクラスがそろそろと始まり、しばらくぶりに教室の友人に会ったり、新しい知り合いができたりと、毎年のことながら、9月は忙しく、たいへんな速さで過ぎていきます。

もうすっかり秋で、涼しいどころか寒いくらいになってきましたが、まだまだ日は長いので、いろんなところでいろんな行事が行われています。

Journées de patrimoine 文化遺産の日もそのひとつ。
この日は、その年のテーマのもと、ありとあらゆる歴史的な建物などが解放され、ガイドつきで、いろんなところを無料で訪ねることができます。
ワロニアとフランダースがそれぞれ先週のウィークエンドに、そして、昨日と今日がブリュッセル文化遺産の日です。
ブリュッセルの今年のテーマは「石」です。

以前うちで車を持っていたときは、ワロニア地方のいろんなところも訪ねましたが、廃車してからは、交通手段のあるブリュッセルのみ、毎年この日は大いに利用させてもらっています。

いっぱいありすぎて、昼ごはんも抜いて歩き回っても、1日に3つか4つが限界。
今年は、あらかじめ予約しておかないと参加できないバスでまわるツアーと、証券取引所、ヴァンエートゥヴェルドゥ邸を見てきました。

証券取引所にはロダンの作品があるという話を聞いていたんで、この機会に見てこようと思ったのと、ヴィクトール・オルタによるVanEetevelde邸は日頃公開されていないので、こういう日じゃないと絶対見られません。

ブリュッセル市内にある、目を引くような大きな建物はほとんどすべて、ベルギーの2代目の王様、レオポルド2世の時代に建てられたもので、証券取引所もそのひとつ。
ロダンは当時、普仏戦争に出征するのを避けるために、石を彫る会社と契約を結び、証券取引所の仕事を引き受けたこの会社の一員として、建物の装飾をしており、「彼の作品」というわけじゃないので名前は記されていないのです。

VanEetvelde邸の主、VanEetvelde氏は、やはりレオポルド2世の時代の政治家で、外務大臣のような地位にあり、当時植民地として支配していたベルギー領コンゴに対する投資を促すために、いろんな人々をそこの家に招待しては話し合いをもっていたらしい。
話し合いをするためのもっとも重要な食堂は、アフリカをテーマとして作られており、壁の装飾は象の鼻からデザインされています。

そういう初めて見るもの、知ることがいっぱいで、この行事、もうおもしろくておもしろくて・・・、それでほとんど毎年参加しているわけです。

午前中のバスツアーですが、もうずっと以前に電話で予約しておいたもの。
市内にあるアールヌーヴォーとアールデコの建築物を、バスで3時間かけてみて回る、というもの。
ARAU(Atelier de recherche et d'action urbaines)という団体のメンバーがガイドをつとめてくれます。
この団体は、68年の革命の空気の中、ブリュッセル住民の権利を守るために、街の破壊などと戦ってきたヴォランティアの組織。
私が予約したツアーは、朝10時に出発、二人分予約しておいたんで、クマも一緒に参加しました。

クマは「参加している人やガイドが気に入らなかったら、途中で抜けるから」なんて言いながらの参加でした。

最初に訪ねたのは、やはりオルタによる百貨店だった建物で、現在はBD博物館として使われているところ。
30分ほどガイドの説明を聞いてバスに戻りましたが、クマが来ない、それなのにドアを閉めて出発しそうになったんで、私はあわてて、「うちのがまだ戻っていないんですけど」と言うと、ガイドの女性が、「男性がひとり、しないといけないことがあるからと抜けましたけど」と言うんです。
ひげの男性でしたか?と聞くと、はい、そうです、とのこと。
まあ、クマじゃんか、私に何も言わないで抜けるかな、と、あきれた上に、他の参加者の手前かっこ悪くて、私はプンプンです。
で、バスが出発、窓側に座っていた人が、「あ、お宅のご主人が手を振っていますよ」と言ってましたが、私は怒っているんで、知るか、アホ、という感じで振り向きもしませんでした。

そういうことで、その後も街のいろんなところの家々を見て回り、最後にアールデコ建築のフォレの区役所を見て、そしてスタート地点に戻りました。
その後は証券取引所に行ったんですが、30分ほど並び、30分ほどの見学。
建物を出ると、ガードマンの人が、ひげの男性があなたを探していました、今正面に向かいましたよ、と教えてくれたんで、建物の正面に回ると、クマがいました。
彼は彼で、まだ自分がバスに戻っていないのに、なんで待ってくれるように言わないのだ、とプンプン。

そこで初めて「途中で抜けたひげの男性」というのが、別人であったことが判明。

わはは、こういうことってあるのね。

何も言わないで抜けたと思って私は怒り、待ってもくれないとクマは怒り、そのときは笑い事じゃなかったけど、あとで考えると可笑しくて可笑しくて、今も笑っちゃいます。

ま、そういう珍道中っぽい文化遺産の日でありました。