いろいろ

ニッポンから戻って以来、ちょっとアタマがおかしくなっていて、どうも落ち着きのない日々です。

長女と次女はブリュッセルだし、3女は帰国後毎日友人たちとの交流でほとんど不在、ひとりの時間がけっこういっぱいです。
でもクマがこの日曜日に戻ってくるので、この「ひとり」の時間も残りわずか・・・。
なんだか焦るわ。

夜はニッポンでもらったDVDや、ずっと以前に録画したまままだ観ていない映画などを鑑賞。

そうやって観たものの中で、NHKで放映された鶴見俊輔さんの話と、昨日観たエディット・ピアフを描いた La môme はなかなか感動的でありました。
この映画、ニッポンでは「愛の讃歌」というタイトルだったようですが、それだと彼女に対する制作者の愛情が、あまり伝わらない感じがします。
エディット・ピアフという人にとっての「歌うこと」は、これってまさしくフランス語でいうところのdon、神さまからのおくりもの、というものだなあ・・・、と。
こういう歌手を超える歌手というのは、なかなか出ないでしょうねえ・・・。

英語圏で言うと、ジャニス・ジョプリンを超える歌手も、ちょっといなさそうです。


わりと最近観た映画の中で、とても好きだったもののひとつに「ベンジャミン・バトンの数奇な人生」というものがあります。
この映画を観る少し前に「エイジレス・セルフ」という本を読んだのだけど、その本には「我々はセルフというものが年老いたとは感じていない」ということが記されていて、なるほど、と思ったことでしたが、鶴見俊輔さんの話を聞きながら、やはりそれを思い出していました。
肉体が年老いていっても、年を取らないまま、でも成長は続ける「セルフ」というものがあるのですよね。


最近いろいろ考えていることのひとつに、「ソリダリテ」というものがあります。
次女と原宿に行ったときのこと、違うところに向かうためにJRの原宿駅に戻ったら、もう信じられないくらいの人ごみで、次女クンはうわさに聞く「人混み」というのを見に行ったんで、それはそれで目的達成だったんでよかったんだけど、改札のところコントロールするために閉めてあるんで進めないのに、後ろからどんどん押すんです。
とにかく前進しようと押すわけ。
次女が「なんで押すの?押したってしょうがないんだから、こういうときはベルギーやフランスにいると、進めないんだという開き直りのもと、周りにソリダリテが生まれ、それなりに楽しいんだけど、なにこれ???」と呆れていました。
そうなんですよね、突然国鉄が動かなくなって駅に足止めくったり、そういうことは珍しいことではないんだけど、たとえばそういうとき駅のホームなんかでは、知らないもの同士の間にそれなりの共感というか友情関係みたいのが自然に生まれ、困りながらも楽しかったりするわけです。

考えてみれば、こういう「ソリダリテ=連帯」というものがニッポンで見られた稀有な例というのが、べ平連というものだったのかもしれないなあ・・・、なんて思いました。

id:kuriyamakoujiさんがブログで紹介されていた宮台真司さんの話とも、どこかつながっている気がします。

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20090818

国家は、社会が自立するための投資を行え、というような話でしたが、自立しないと、ソリダリテやフラテルニテやミュチュアリテというようなものは、生まれてこないのでしょうね。


とかなんとか、ダラダラと、いろいろ考えているのでありました。