いろいろ

私と同じくらいの年頃の酪農家の方がひとり、原発に生活を破壊され自殺されたとの記事を、2日くらい前からあちこちで見かけますが、今日読んだ新聞の記事によると、

原発に手足ちぎられ酪農家

という辞世の句を残されていたそうです。

なんと悲惨なことでしょう・・・。
言葉もありません。



言葉もない、と言えば、もうひとつ。

長女と次女が通っていた中等学校の、当時の校長先生、特に長女は1年生のときクリスマス休暇の後にその学校に転入して以来、卒業するまで、この先生にはとてもかわいがってもらったのです。
自分のしたいことがなかなかできない、ということで、その後リタイアされ、私と同じデッサンの教室に通っておられたのでそこで時々会ったり、南仏とこちらを往ったり来たりされたり、今年に入ってからは、3人の子供さんの上ふたりに赤ちゃんが生まれ、その手伝いをされたり、義理のお母さんの世話をされたりと、ゆったり過ごされていたのです。
ところが先週末、長男さんが奥さんとふたりとも、友人の結婚式に呼ばれ出席したその帰り道、交通事故で亡くなりました。
赤ちゃんは先生のところに預かっていたのだそうですが、なんということでしょう。
新聞には、「居眠り運転でふたり死亡」という簡単な記事・・・。

この亡くなった長男さんにもお会いしたことがありますが、さわやかな印象の好青年でありました。

なんでこんな目に遭わなければいけないのか、誰にもわからない、そういう出来事がまたひとつ・・・ですね。

この土曜日がお葬式だそうです。


いつまでも終わりのないフクシマダイイチの話や、胸が詰まるようなこういう悲しいニュースの中、少し嬉しいこともあります。

3女が18歳までのプログラムを、ひとつ、またひとつと終了しているのです。
先週ヴァイオリンの公開試験が終わり、昨日ピアノの公開試験が終わりました。

試験が終わってから、3女がヴァイオリンの先生にお礼を言いに行くと、先生が、自分の方こそありがとう、と。
家族みんなが、音楽と音楽教育を大切に思っていることが教える自分たちの側にも伝わってくる、それがとてもありがたかった、と言われたそうです。

3女はいろいろ考えすぎるところがあって、そういうときには「とりあえずこれを・・・」という風になかなか動けないところがあって、ピアノにも長いこと触ることができないでいたんですが、この2ヶ月か3ヶ月くらい、ようやくまた弾くことができるようになりました。
そうやって迎えた試験だったので、「ま、できるだけやれば・・・」と、昨日は聞きにでかけたのですね。
ところどころミスはあったものの、なかなか心地のよい演奏で(親ばかです・笑)、「よかったね、ちゃんと終わって」と思っていたところ、夜先生が、「審査員の先生が、そのタッチがいい、と評価してくれたよ」と喜んで電話をかけてくれました。
とてもよい点数をいただいたらしい。
こういう教育は一生のものなんで、点数なんてほとんど無意味なんだけど、やっぱり嬉しいものです。

あとは学校の試験が22日まで。

3女の中等教育の終了をもって、家族のステージがまた大きく変化していくんで、感無量のクマは、ときどき涙目になっています。