昨日日記に書いた安富歩さんのツィートで、ラートカウというドイツの歴史学者の名前を知りました。
そしたら今日たまたま、このラートカウ氏の書いたテキストを読むことができ、しかも立命館大学の大島堅一さんによるインタビューを視聴することができました。
この方は、非常に多角的な視点から歴史を分析することによってはじめて、未来に向かって開かれた歴史学となる、という考え方をされる学者で、ドイツの脱原発の歴史を記されていますが、非常に興味深い。
インタビューも、私にはとてもよい勉強になりました。
たいへん謙虚な方で、自分は外部の人間だから、間接的な情報のみでの発言になるが・・・、という前置きで、「なぜフクシマの事故が起こったと思うか」という質問に、3つの理由を挙げられました。
まず、日本は最高の技術国であるが、こと原子力に関しては、もっともすぐれた技術者がひっぱっていったというのではないという印象がある、ということ。
次に、米国でも地震の多いカリフォルニアは避けて原発を作ったというのに、地震国でありながら、地震を軽視していたのではないか、ということ。
そして、3つめに、環境保護運動というものが、力をもてなかったこと。これは、反公害運動が、ドイツでは手本にされるくらいだったことを思えば、不思議に思える、と。
ドイツの運動の歴史に関しては、けっして他の国に比べて早く運動が起こってきたわけではないこと、1971年にはまずフランスで反原発運動が起こったのだけど、中央集権国家であるフランスでは、より激しい国家権力による運動つぶしが見られたこと、そして、1972年にドイツの最高裁で、経済より安全の方が重要であるという判決がなされたことが大きな流れをつくったこと、などが説明されました。
そして、地域の経済問題として、原発に頼らざるを得ないというのは間違いだと、原発というのは巨大なものであるが、それゆえに逆に雇用は減り、地域の経済は発展しない、地方分散型の経済に貢献するのは再生可能エネルギーの方であり、ドイツの例をみても、このおかげで雇用は生まれ、経済は活性化してきた、とおっしゃっていました。
日本は世界でも最高の、ソーラーと電子に関する技術を持っている国であり、日本が抱えているのはエネルギー不足の問題ではなく、アイディア不足の問題なのではないか、と。
これも、自分は外部の者だから傍観者として言わせてもらうけれどという前置きで、一部のエリートによるトップダウンではなく、地方による円卓会議といった形で決定を下し、ボトムアップの方法で政策が決まるような、新しい政治の形をつくることによって、危機は乗り越えられると思う、と言われていたと思います。
聞き間違いがあるかもしれないけど・・・。