ブログを更新する時間はあまりないのだけど、私が「文化遺産の日」と勝手に訳している Journées du Patrimoine (Heritage days)が9月16日と17日だったので、そこで見聞きしたことは、忘れないようにここにメモ。
今年のテーマは「アールヌーヴォー」でした。
もう数年まえから、欲張って何か所もまわることはせず、1日に1か所か2か所だけガイドの説明付きの場所を予約、やっぱり参加してよかった。
1日目
IRPA(Institut Royal du Patrimoine Artistique)で、ほぼ修復が終わりつつあるミラノの教会所有の祭壇を見てきました。
もちろん修復にかかわった方の解説付き。
フォトは、所有者とのかかわりでしょうか、NGでした。
これは「文化遺産の日」の機会に、ということでアールヌーヴォーとは関係ありませんが。
この機関には少しずつだけど毎月ここには寄付しているので、いつもいろんな興味深いメールが届きます。
ひと月前くらい前に ↓ に貼り付けたご招待が届いたので速攻で申し込んだのでした。
例によって、参加無料。
ミラノでヴァカンスを過ごしていたこの機関の前々ディレクターが、帰路の飛行機に乗るまで時間が少しあり、バジリク・サン・ナザロ・マッジョーレに入った、そこでそれまでドイツのアトリエで制作されたと思われていたこの祭壇を見て、いや、これはブリュッセルのヤン・ボルマンのアトリエで作られたものだろう、と思った。
このプロジェクトはこうして始まったわけです。
このチーム、この祭壇の発見の直前に、同じアトリエで制作されたサン=ジョルジュの祭壇(今回見せてもらった祭壇よりもっとでっかい)の修復を終えたばかりだったそうで、ものすごく感動したらしい。
ミラノから届いたときは、まず裏側に記されたアトリエのサインを確かめたそうです。
ちょうど先週末から、ニッポンで初期フランダース派の研究をしている若い友人が来て滞在しているんで、彼女の分もあらかじめ申し込んで一緒に出かけたのですが、めったにない機会だと、ものすごく喜んでいました。
文化遺産は市民全ての財産であるということが徹底しているなあ、と再確認もしていました。
2日目。2か所。この日は車乗り入れ禁止なので、公共の交通機関は無料。
まずマロール地区にある現中等学校の建物、1910年に創立された女子のための師範学校だったところです。
以前にもここにメモしたと思いますが、1900年ころここには東欧からたくさんのユダヤ人が移住してきて、職人街だったことがある。
第2次大戦のときにそのほとんどが強制連行され殺された。
だから「つまずきの石」がたくさんあります。
こんな壁画も。
1893年から始まるアールヌーヴォー、第1次大戦が始まる前までの短い間の流行ですが、この間に建てられたものはまるまるアールヌーヴォー様式ではなくても、その特徴がみられるわけで、↑ の建物もそういう特徴が見られます。
建築家はアンリ・ジャコブス。
この方はお父さんが教育機関のインスペクターを務めていた関係もあり、ブリュッセルのいろんな学校の建築にかかわった。
見学が終わった後で、100年記念に発行されたという写真集も無料で提供されました。
(たぶん売れ残っていたもの)
せこい私は、こういうことがあるとますます嬉しい。
この後はスカールベーク区でのウォーキング・ツアーに申し込んでいたので、そちらに向かいました。
中央駅からバスに乗ろうと歩いていると、何やらマニフェスタシオンが行われていました。
ポリスがいたので、何のマニフ?と聞くと、9月から小学校より始まる性愛教育に反対するマニフだ、と。
極右団体や、超保守的なキリスト教・イスラム教団体などが背後で動いて、フェイクニュースがSNS上でも多いらしく、それに煽られた主にイスラム教徒の人たちが「反対!」と騒いでいるらしい。
性愛教育の中心は、体の仕組みを知ることと、自分の体は自分のものだという意識を育てること。(だと、私は理解している。)
それなのに、フェイクニュースに煽られた人たちは「3歳の子供に自慰行為の仕方を教えるなんて!」みたいな怒り方をしているんですよ…。
シャルルロワでは、4件だったか5件だったか、学校の放火まで起きた。
中央駅のマニフを避けながらバス停へ向かいバスに乗り込み、2つ目のガイドツアーへ。
スカールベーク区をガイドのお兄さん(歴史専門)と一緒に2時間歩きました。
集合住宅。
昔の女の子の区立幼稚園・小学校の入り口。(今は共学の学校です。)
道に対しては向かって左側に数軒のプライヴェートな家が並び、その先に男の子の学校の入り口があります。
ファサードはかなり上等の石を使い装飾もしてあるんですが、これってお金がかかるんです。
だから道に面するところの学校部分を少なく抑え、その真ん中はプライヴェートな家づくり用に売った。
だから中に入ると、実際はかなり大きな学校がその奥に広がっている。
託児所・幼稚園だったところの床のモザイクが可愛い。
ニッポンの影響かしら?と思わされたグラフィット。
女の子の学校のホール。
ちっちゃい子用に、階段の手すりには低いものもつけてある。
背の高い手すりのうえにボタンみたいな丸いのが残ってますが、これは手すりを滑り台みたいに遊ばないようにつけてあったもの。(笑)
↑ をさらに通り過ぎると、男の子用と女の子用に半分に分かれた体育館。
男の子用のパートの壁の壁画には、「祖国愛は自己犠牲にまで到達する」といったことが記されている…。
他の見学者の人たちと顔を見合わせて苦笑したことでした。
男の子の学校のホール。
この学校 ↑ も、建築家はアンリ・ジャコブス。
この近辺、19世紀に工業が特に発達したところではないんですが、それでも労働者の住宅として1860年代に建てられた大きな家がいっぱい残っていて、ちゃんと有効活用されてました。って、これはアールヌーヴォーに全然関係ないけど。
詳しくメモする余裕なし、だけど、少しでもメモしてないと後で完全に忘れちゃうので、今日の更新の目的は「後で思い出せるように」でありました。
FB上で見つけた可愛いフォトを貼ってオシマイ。
Little boy about to receive a dog for his birthday (1955)