2017年、今年最初に観た映画


みなさま、明けましておめでとうございます。

ベルギーでは寒い日々が続いています。
って、もっと寒いこともあったのに、ここ3年ほど、氷点下になることのほとんどない冬だったので、当たり前の寒さに驚いているところ。
なんでも、冬の到来が遅い時は、とても寒い冬になるとか。
(トラムでお隣に座った高齢の方がそう教えてくれました。)
そういえば、今年は9月に入っても、夏みたいなお天気が続いていたなあ…。

自由業の私は、お勤めの人が忙しくしているときにも、ヒマでダラダラしていますが、年末年始は少し忙しく、今日ようやくのんびりした時間がもてました。

というわけで、久々に映画館へ。

今年最初に観た映画は、チリ・アルジェンチン・仏・米作の『ネルーダ』。
パブロ・ネルーダを扱った映画では、『イル・ポスティーノ』が心に残っていますが、全然趣が異なっています。

まるでBDを読んでいるみたいだった。

来年がよい年であることを願いつつ、今年最後の更新です


今年初めに、心から平和なよい年であることを願いましたが、残念ながら、悲しいことや怒りを感じることばかり続いた2016年でした。

人類なんて、何千年かけてもちっとも進歩しないのだろうか、たとえ「3歩進んで2歩さがる」というリズムでも、全体を見たら少しずつ進歩していると信じたいなあ、と。
そういう話を、先日ブリュッセル自由大学で行われた哲学学会に参加された日本の哲学者の方に言ったら、そういうことを研究するのも、ほんとうは哲学者の仕事なんだけど、との返事をもらい、そうか、と、ずっとそんなことを考えています。
そういう研究をしている人は誰だろう、と。

そしたら先日、ベルリンでのテロ事件の直後に、arteでいつも放送されている、ゲストを招いて時事問題について語り合う28minutesという番組に、フランスの哲学者・科学史家であるミシェル・セールがゲストに招かれていました。
ああ、そうだった、この人は人類の進歩について語る哲学者だった、と思い出しました。

人類が経験したことのないカタストロフに直面した時、いつも新しい人々が現れて、それを解決する方法を見つけ出す、という、非常にオプティミスティックな考えをする人です。

人類の歴史は暴力だけではない、と言っていました。
そして、今でも、フランスとドイツの国境を自由に超えるとき、自分は感動に涙する、と。

それで、前述の哲学者さんに「新しい人々」の話をしたら、新しい人々とは一種の希望のことかもしれない、「受胎告知」もそのような希望かもしれないですね、と言われました。
おお、受胎告知か!
なるほど、と、さすがの連想に感心してしまいました。
でも「どこかで歴史は退歩に向かっていくのではないかという思索も必要」と…。

さらに、いつもTBSクラウドで聴く荻上チキさんのラジオ番組で、≪新刊『地球の歴史」が話題の鎌田浩毅さんプレゼンツ!一歩間違えば今の地球はなかった!?地球46億年の5大事件」≫を聴き、やはりなんだか気持ちが大きくなって、少し元気が出ました。

地球の何十億年という歴史や、宇宙の壮大な歴史の研究をしている方たちは、概してオプティミストなのかな?

宇宙から見たら、私がいつもむかつく人々や、私が尊敬してやまない人々や、私自身や、みな埃ですらないのかもしれないですもんね。

その埃にも満たない私も、日々生きています。
大切な人々には、健康で充実した人生を送ってほしい。

というわけで、今年最後の記事を〆にします。

明日は私の誕生日なので、子供たちがそれぞれボーイフレンドと一緒にお祝いにやってきます。
ありがたいことです。

最近のこと、いろいろ


12月になりました。
毎年、師だけでなくオバサンも走り回る月なのですが、まだまだ3月のテロ事件の余波でヒマな毎日なので、映画を観に行ったり、王立アカデミーの講義を聞きに行ったり、ネットで公開されているドキュメンタリーを視聴したり、呑気な日々を送っています。

日はどんどん短くなり、夜が明けるのは遅く、夕方5時にはもう暗くなります。
それで街はイルミネーションが美しく、毎年恒例の音と光のショーも始まりました。
今年はクラシック音楽ではなく、ポップソングで明るいイメージ、光も色とりどりです。

こちらで「青い鳥」(ちなみに「青い鳥」を書いたメーテルリンクはゲントの人です)という日本語のオンライン情報誌があるんですが、そこに今年の様子がすでにアップされていますので、リンク貼り付けます。

http://www.aoitori.be/event/402-christmas.html

最近観た映画は2本。
ケン・ローチのI,Daniel Blakeと、いつも映画の情報満載のSPYBOYさんのブログで紹介してあったSing Street。

前者は、もう辛くて…。
ベルギーでもありそうな話です。
ケン・ローチの作る映画は、いつもものすごいリアリティですよね。
先日arteで、彼の映画の作り方に関するドキュメンタリーを見たのですが、彼は俳優陣に、ストーリーの細かいことは直前まで知らせないのだそうです。
ランド・アンド・フリーダムを例に話していましたが、仲間が死ぬことを知らない、死ぬことになる俳優も、それを直前まで知らない、という具合です。

後者については、SPYBOYさんのブログを読んでいただいた方が絶対いいので、リンクしちゃいます。

http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20160711/1468235720

きっとみんなアイルランド訛りで話していると思うので、そのあたりを聞き分けることができたら、さらにじわっと来るのかもしれない。



日本でとても話題になっているアニメ「この世界の片隅に」ですが、こちらの友人に話したら、とても興味をいだき、さっそくアマゾンでこうの史代さんの原作3巻を購入。
何回も読んじゃったそうですが、それをプレゼントしてくれたので、今読んでます。
2巻まで読み終えたところです。
素晴らしいですね。

主人公すずは、亡くなった母と同じ年だわ。
寅年生まれだったから。

こうの史代さんの好きな言葉がカバーに記されています。
ジッドの「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」です。
思えば、映画やマンガやロックミュージックといったサブカルチャーの持つ一番大きな力がこれかもしれないなあ、と。

サブカルチャーといえば、ここんとこずっとarteで、ギリシャ神話の神々に関する話が、毎週2本ずつ放映されています。
おもしろいんで欠かさず見ているんですが、ギリシャの神々ってはちゃめちゃですね。
怒りっぽかったり、傲慢だったり、惚れっぽかったり、嫉妬深かったり…。
ギリシャ・ローマ的なものこそ自分たちのルーツだと信じ、それが昔の知識人たちの教養だったわけだけど、これって今でいうところのサブカルチャーだったんだな、なんて思います。


それと、いろんな人が亡くなりました。
秋にはいろんな人が逝っちゃう、という印象があるけど、気のせい?

中でもフィデル・カストロの死は、ものすごく大きな話題でした。
亡くなった当日だけではなく、今でも、ニュースで扱われるだけでなく、ドキュメンタリー等、過去の分も再度放送されています。

時代を作った大きな人物ですよね。
寂しいことです。

ずっと前に観たことのあるドキュメンタリーをまた見ました。

http://www.rtbf.be/auvio/detail_fidel-castro-l-enfance-d-un-chef?id=2163275

父親の苗字であるカストロを名乗るのに、父親が正妻と離婚し、フィデルの母親と結婚するのを待たなければいけなかったこと、イエズス会の学校では、手に負えない困ったクンでもあったらしい。
そういう子ども時代から始まるドキュメンタリー。
とてもおもしろいです。

ガブリエル・ガルシア=マルケスが、キューバ共産主義は独特だ、と評価していたことや、メキシコにいた頃、グアテマラとの国境で会ったドイツ人の若者が、「キューバはいいよ、またこれからキューバに行くんだ」と言ってたことを思い出します。


あれもこれも、忘れないように書き記しておこうと思ってたけど、なんだかもうめんどくさくなってきてしまった…。

年のせいか?
このクリスマスで59歳だもんね。
来年は還暦ですよ。ウソみたい。
ま、精神年齢はノーテンキだった若い頃のまんまですが、体力の方は、やはりだんだん年とともに衰えてきてるかも。
これは自然の定めだから仕方ありません。(笑)

ま、できる限り、元気に楽しくやっていくのみ、であります。

みなさん、よい年末年始を!

ディカプリオの映画『地球が壊れる前に』(Before the Flood)

今ならディカプリオの「地球が壊れる前に」が無料で見られます。(11月8日まで)
友達に教えてもらって、今観終えたところ。
とてもよかったので、より多くの人に観てもらおうと、リンク貼り付けます。

とくに、NASAのDr.Sellersの話と、最後のディカプリオのディスクール、希望を感じた。


http://style.nikkei.com/article/DGXMZO08898510Y6A021C1000000?channel=DF260120166525

Captain Fantasticを観てきた


あいかわらずヒマな日々、映画Captain Fantasticを観てきました。

カンヌ映画祭で、Un Certain Regard(≪あるまなざし≫って日本語で訳されてる?)賞を取った作品。
マット・ロス監督自身の子供時代の経験が、ある程度反映されているらしい。
なんでも、消費社会に対する「もうひとつの在り方」を求めた監督のお母さんと、そういう価値観のコミュニティで子供時代を送ったのだそうです。

映画のシチュエーションはもっと極端で、父子だけで森の中で暮らしているんですが。

なんといっても子供たち6人が、素晴らしいです。

私がメキシコへ渡った時も、ここまで徹底してはいなかったとはいえ、似たような価値観を持っていたし、今でも、こういう生き方へのあこがれがあったりするんですよね。

でも、年取ったらどうする?体に障害があったらどうする?、人間が文明を発達させたのは、そういうときでも、ちゃんと生きていけるように、ということだったんだと思う。
問題は、「便利」「快適」があたりまえ、と思いこんで、必要なものとそうでないものを自分自身でちゃんと見極めないところにあるんだと思う。

ベルギーに暮らし始めてからも、ピレネーの山奥でそういう暮らしをしている友人たちのところに、何回も遊びに行きました。
年取ってタイヘンになってきて街に降りた人もいるし、子供が生まれたことで、街へ降りた人もいる。

子供たちには、多くの選択肢が存在することも教えないといけないし、それに、人の存在というのが関係性の中で成り立つことを思えば、他の人たちとのかかわりを完全に断つわけにもいかないでしょう。

ま、何を言っても、挫折した自分の言い訳っぽくなるんでイヤなんだけど。(笑)

よい映画でした。
深い愛情に涙・涙、でありました。


ドキュメンタリー映画 La Terre Abandonnée、ドランの Juste la fin du monde、その他いろいろ

毎回同じことを言ってますが、時間の経つのが速ーーーい!
もう10月も中旬です。
9月は信じられないくらい良いお天気で暖かくびっくりでしたが、10月に入り涼しい、というか、もう肌寒い天気です。
日も確実に短くなり、朝いつまでも暗いので、いったん起きても、目を閉じさえすればどれだけでも眠ることができちゃいます。
以前は早寝・早起きオバサンを誇っていましたが、仕事も少なくヒマなので、夜更かししてその分朝寝坊という、たいへんゼイタクな日々を送っています。
朝寝坊して一番まずいのが、ダラダラしちゃうことで、それで何もしないまま、夜遅くまでそのままダラダラ過ごしちゃうってこと。
体重も2キロ増えちゃった・・・。
毎日寝る前に体重を計っては、「明日こそは世界平和のためにハンガーストライキを・・・」と思ったりしているのだけどね。
おなかがすくと、そんなこともう忘れているし・・・。

と、時間はけっこうあるのだから、ブログの更新でもしようと思いつつ、これもダラダラと今日に至ったという次第。

まず、ベルギー人、ジル・ローラン監督がフクシマで撮影したドキュメンタリー映画 La Terre Abandonnée (見捨てられた大地)。
完成直前に、ローラン氏は、3月11日に起こったテロに巻き込まれて亡くなりました。
でも、彼の仲間が完成させ、10月5日にブリュッセルのBOZARで、初めて一般公開されました。
日本語を、私の子供たちにも手伝ってもらって、フランス語に翻訳する仕事をさせてもらったんです。
(後で、日本語の文字おこしをやはりこちらの友達がやったのを知りました。方言なので難しく、福島出身の人に助けてもらったとか。)
それが縁で、上映には子供たちとともに、招待していただきました。

映画はとても良い出来上がりだと思いました。
制作側の声高な主張は一切なく、動物たちを放っておけないというのが一番の理由で、放射能汚染地区に残った松村さんたちの暮らしぶりを、淡々と描いてあります。

映像は、まるで一編の詩のように美しく、そこで暮らす人たちの誠実さもひしと感じられ、とても感動しました。

やはりその日観た友人が、
≪ゾーンの中で生活することを決めた人達の「覚悟」のようなものを感じました。彼らは放射能を無視してはいません。ちゃんと測って、どこになにがあるか理解しながら生活しています。安全だと思い込もうとしている人達とは違います。なんだか、ひとつの道筋を示されたような気がしました。それがなんだかは解らないけど。≫
と言っていて、なるほど、と思いました。

日本でも公開されるはずです。
在日ベルギー大使館で上映される、という話も聞いたし、劇場でも公開されると聞きました。
京都では、来年の夏上映されると、プロデユーサーの方が言っておられたと思います。

機会があったら、ぜひご覧になってください。

私も、子供たちも、この映画の制作に関わることができたのを、とても誇らしく感じています。



もう一つの映画、最近すっかりはまっちゃっていたグザヴィエ・ドランの最新作 Juste la fin du monde 。

日本では「まさしく世界の終わり」とタイトルが訳されているようですが、「まさしく」ではなくて「たんなる世界の終わり」っていう方がぴったりかも。
まだ20代なのに、映画界でものすごく注目されているドラン、もう俳優陣もすごいです。
ケベック訛はこの映画では一切なし。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが、とても大きく評価され、もうきっとロス・アモーレス・ぺロスのような感じの映画は作らなく ―作れなく― なってしまったように、ドランも変わるのでしょうか? ハリウッドではなくフランスだから、またちょっと違うのでしょうか?)

映画館に上映時間よりずっと早く着いちゃったんで、ソファーにかけて本を読みながら時間をつぶしたんですが、その本に、
「人間には生を増大するんじゃなくて、生を超えようとする動きがある。生以上のものを目指す」
といった記述があって、それが、すぐ後に観た映画と妙にシンクロしてしまいました。

この映画、もう亡くなった劇作家の、ジャン=リュック・ラガルスという人の戯曲がもとなんですね。
今フランスでもっとも上演されている作家だそうです。
全然知らなかったのでWikiったら、私と同じ年に生まれた人。
もうずいぶん前、私がまだ小さかった3人の子供たちのお母さんをやっていた頃に亡くなってました。

東京では来年2月封切りとのこと。
ドラン・ファンには楽しみですね。




その他いろいろのその1。

しばらく前に、電気供給会社を変えたことを記しました。
以前は、ランピリスという、その頃はエコロジックという評判だったところと契約していたのですが、ある日ニュースで、その会社がトータルに買収されたことを知って、友達に聞いたりネットで調べたりして、よりエコロなベルギーの会社の、メガというところに変えたのです。

数日前に電話が鳴ったので受話器を取ると、トータルの売り込み、「トータルがベルギーでも電気を供給することになったことを知ってますか?」と。
それで、「お宅がランピリスを買収されたことを知ったので、ランピリスからメガに変わったのです。そちらに変わることはしないから、いくら売り込んでも時間の無駄ですよ」と言うと、「私の時間の無駄より、あなたのおカネの無駄を心配してください」だと。
「私は貧乏人だけど、この件に関しては料金は二の次です。多国籍企業も嫌いだし、絶対変わりません」と返事をすると諦めてくれました。
意思表示ができて、少し気持ちよかったわ。


その2。

ヒマなんで、arteやRTBFでTV放映された番組を、ネットでいろいろ見ています。
そのうち、バリ島で、「バイバイ、プラスティック・バッグス」というアクションをやっている子供たちの話。
YOUTUBEにもアップされていたので貼り付けます。

この子たち、バリ島にカナダ人ジュエリーデザイナー、ジョン・ハーディという人が作った、グリーン・スクールという学校で学んでいるんですが、ほんとうに生き生きとしています。
このハーディ氏が教育の重要性を語るんですが、彼のいうことが、最近ちょっと考えていたことと同じだったんで、ほおおっと思ったことでした。

今、世界中が大きな転換期にある中、学校で教えることって、これから必要なことに見合っているのかしら、私たちのような高度成長期に生きるのに必要だったスキルって、これから必要とされることとズレているのかもしれない、と、そんなことをつらつら考えていたんです。
そしたらハーディ氏も全く同じことを言い、そして、「高等教育を無事終えても、仕事のない若者がいっぱいいるでしょう」と。
そうなんですよね、まったくそのとおりなんです。
せめてこれだけは、と私たち親がよかれと思って子供たちに強いていること自体に、大きな問題があるのかもしれない。
なんて思ったわけです。
私はいつも子供たちに、自分がしたいと思ったことをしなさい、と言ってきてはいるんだけど・・・・。

追記・ ↑ 若い人たちが、「これが今から必要」と感じて、学び、研究し、考えたことに対し、私たち年寄りが、それを生かすチャンスを与えるに至ってない、とも言えますね。



その3。

RTBF(ベルギー仏語放送局)で放映されたドキュメンタリー番組で、Bande à Bonnot 。

http://www.rtbf.be/auvio/detail_retour-aux-sources?id=2150600

20世紀初頭、フランスでジュール・ボノを中心に集まったアナーキストの一部が、まるで強盗団のごとく振る舞うに至り、ついには警察に殺された、という話。
メンバーの中には、非常に暴力的になった者もいれば、最後までパシフィストだった者もいました。
まるでボニー&クライドのフランス版ですが、最初はそこにイデオロギーがあったあたりがちょっと違いますね。

ボノは殺されたとき35歳でしたが、他のメンバーは皆20歳くらいですごく若い。

有名な話だそうだけど、私はこの番組を見て初めて知りました。
ダエッシュのことを連想したりもしたのですが、思えば、テロや戦争のない時代なんてあったのでしょうか?
今、まるでテロの頻発する特別な時代のように言われていますが、世界がこれだけカンタンにつながったために規模が国際的になり、情報の伝達が速いために、すぐ我々の知るところとなるだけで、実は何も変わっていないのかもしれない。
そう考えると絶望的にもなりますが、同時に、今生きていることを考えると、そこに希望も覚えます。



いろいろと記しておこう、と思ったことは他にもいっぱいあります。

たとえば、大統領候補を狙っているサルコが、自分が大統領になったら、移民政策と国家安全政策に関する、二つの国民投票をやる、なんて口走って、「国民投票ってデモクラシーか?」って問われた話とか。
(サルコのトランプ化みたいな言い方されてた。)

でももう書き疲れたので止めます。