またまたロベスピエール、その他いろいろ


一昨日の日記に加えてもうひとつ、ロベスピエールディスクールでやっぱり、へええっと思ったのだけど、食糧問題で苦しむ民衆のために、ジャコバン党が経済を統制して、買占めや投機でで暴利をむさぼる人を取り締まろうとした際、「経済活動の自由」という理由でジロンド党が反対した時に述べたというもの。


>権利の中でも第1の権利は、生存する権利である。それゆえに、社会の第1の法は、社会のすべての構成員に生存する手段を保証する手段である。他のすべての法は、この法に従属する。



これはすごいと思う、しかもまだまだ同じ問題で人が今闘っていることことを思うと、そして、当時あれだけの人がギロチンにかけられたことを思うと、そのあたりにニンゲンの抱える何か大きな問題というか、課題があるんだろうなあ。

考えることを止めてはいけない、と思いますね。

ロベスピエール、もし今の時代に生きていても、きっと我々のリーダーだったでしょうね、なんて頭のいい人でしょう。



今、ちくま学芸文庫阿部謹也さん著「中世賎民の宇宙」を読んでいるんだけど、まず最初の「私たちにとってヨーロッパ中世とは何か」の中に記されていた


>私の考えでは国際化とは外国人の心性のなかに伝統的な日本人の心性とされているものに対応するものを発見する作業、努力であり、それが容易に発見できない場合は創り出してゆこうとする努力のことである。


という文章に、むちゃくちゃ共感。


さらに、「ヨーロッパ・原点への旅」に、


>・・・・・私は、1969年から71年にかけて、2年間にわたるドイツ滞在期間中に多くの人びとと付合い、何ものにもかえることのできない経験をした。それは郵便配達夫、スーパーの店員、文書館員、肉屋の主人、おちぶれた伯爵夫人、独身の老婦人などのおりなす日常生活の世界にふれたことであり、そこで私はヨーロッパ社会の一人一人の人間と私たちとの間には何の違いもないということを身をもって確認したのである。今でも付合いがつづいているこれらの人びととの間には、たとえ日本とドイツの間で戦争が起こったとしても敗れることのなあい関係が結ばれていると私は信じている。ところが集団としての人間関係に目を向けるとき、そこにはきわめて大きな彼我の違いがある。集団のなかでの付合いのかたちやルールの違い、家庭内における夫婦や親子の関係の違いだけでなく、個人と個人の間でさえある種の普遍的なるものの存在が大きな位置を占めており、わが国におけるニンゲン関係のあり方と如何に異なっているかを痛感させられたのである。



と記されているところを読んだ時には、もうほんとうにそのとおりだと、ああ、やはり私が感じているように感じておられたのね、と感動したわけです。




このニュース、

http://www.asahi.com/business/reuters/RTR200811120115.html?ref=reca

制裁金の額がすごいですね。



米国の大統領選について、私の好きなブログのひとつ、macskaさんのブログでまとめてあり、興味深く読みました。

http://macska.org/article/243