5月に入ってまたフォトがアップできるので、最近のものをアップ。
嬉しい。
うちから一番近くにあるつまずきの石です。
この方、ベルギーの水泳チャンピオンで、ベルギーで初めて公共のプールを作った人。
第2次大戦中にレジスタント活動、それで捕らえられブレーンドンクの収容所で銃殺刑に…。
これは前回の記事に書いた私のホームドクターのキャビネの近くにあるつまずきの石。
レジスタント活動ゆえに捕らえられ、スカールベークで銃殺刑に処せられた学生さん。
先週は天気がとてもよかったし、イースター休暇後は「エッセンシャルじゃない店」も普通に開いたので、ちょいと必需品の買い物に出かけたり、けっこう動きました。
そのついでにフォトを撮ったのです。
ジャン・ダルデンヌ通り。
1900年頃、この通りはまるごと新しくされたので、↑ の銅板の貼られた家は、彼が住んだ家そのものじゃありません。
後で以前ここに貼り付けたサイト「つまずきの石ガイド」を見たら、この通りにもつまずきの石がひとつある。知らなかった。
今度見てこよう。
オードリー・ヘプバーンが生まれた家。
カイエンヴェルト通り。
つまずきの石ガイドのサイトを見つけた時に友人にも教えたら、彼女も出かけるときは必ず目的地近くの石をあらかじめ調べて立ち寄っています。
昨日はガティ・ドゥ・ガモン寄宿学校跡で15枚(!)のつまずきの石を見てきたそうです。
15人というのは、校長先生である女性がかくまっていた4歳から18歳の12人の子供たちと、レジスタント活動をしていた校長先生夫妻と彼らの一人娘。
校長夫妻の22歳の一人娘さんは、1人は助けてくれるというんで、いったん捕らえられたものの助かっています。
彼女は戦後、ベルギーの3つの都市で、境遇に恵まれない子供たちを助ける活動をした人です。
校長先生とゲシュタポのその時のやりとりがすごい。
学校で働いていた若い女性、唯一ドイツ語が分かったので通訳として傍にいた。
彼女の証言です。
「ゴキブリたちに勉強を教えて恥ずかしくないのか」とゲシュタポ。
「ユダヤ人だろうとユダヤ人でなかろうとなんの違いもない。あなたたちこそ子供たちに戦争をもたらして恥ずかしくないのか」と校長先生。
ゲシュタポはそれに対して、「ゴキブリたちは小さい時につぶしておくのだ」と返した。
通訳を務めたその女性はその言葉にショックを受け、その後レジスタント活動に加わることになります。
捕らえられた12人の子供たちのうちひとりは、メヘレンの収容所に連れていかれた後、疥癬の治療を受けることを許され病院に通えたゆえに、協力を得て逃亡に成功。
このサイトに記された時点で87歳で存命。
今年で90歳のはず。
この学校には、寄宿舎には入らず通っていた子供たちもいて、いったんレクシスト(ベルギーのSS、レオン・ドゥグレルが作った組織)に捕らえられるも、見張りが一人しかいなかったおかげで逃亡に成功しています。
ルイ・マル監督の『さよなら子供たち』を思い出しながら読んだことでした。
今週の美術史の講義、ルーベンスを終えヴァン・ダイクに入ったのですが、サベンテム(ブリュッセルの空港のある町)の聖マルタン教会に、ヴァン・ダイクの作品があるのを初めて知りました。
こんなに身近なのに何も知らなかった…。
ブリュッセルに来る前に住んでいたモンスから2㎞の町も、教会は聖マルタン。
このマントで有名な聖人、日本語だと聖マルチヌスかな?、西洋人として最初の聖人です。
生れはハンガリーあたりですが、あちこち移動して最終地はフランスのトゥール。
いつもこういう大昔の人の話を読むと、その生涯の移動距離に驚かされます。
今と違ってたいへん困難な移動に違いなかったのに、すごいなあ、と。
講義では、ヴァン・ダイクの作品としてこれ ↓ も観ましたが、まるで1900年頃のシンボリズムの作品みたいで驚かされます。
↑ の作品があるローマのギャレリー・コルジニ、ネットで調べたら、その所蔵品のすごいこと!
もうこれは行くしかないかも、と思っちゃった。
カラヴァッジョのナルシスが一番観たいなあ。
やっぱりすごいな、イタリア。
ということで、この記事 ↓ 貼り付けて今日はオシマイ。