降ったり晴れたり曇ったり、不安定で、しかも最高気温も15℃は超えないくらいの、ちっとも5月らしくない日々でしたが、もう6月になろうとする時になってようやく、「美しき5月」って感じになってきました。
美しき5月といえば、68年の5月革命の歌を思い出してしまい、Youtubeで検索して聴いてしまった。
革命の歌って、やはり心を熱くしますね。
イタリアのベッラ・チャオもそう。
で、クストリッツァ風のベッラ・チャオを貼り付けちゃう。
でも、別にこういう革命の気分ではありません。
よいお天気で気持ちよく穏やかな気分。
コロナはICUの患者数が500を切りましたしね。
昨日のニュースによると、Rtが0.84です。
天気がいいので、また近所の「つまずきの石」参りしてきました。
ついでにうちの裏のでっかいカエデの樹のフォトなんかも撮っちゃった。
鳥がさえずり、街中にいるのがウソみたい。
最初に足を運んだのがモリエール通りのつまずきの石。
レジスタント活動ゆえに捕らえられ処刑された方ですが、この方のおかげで、捕らえられていた何人ものレジスタント活動家が逃亡に成功したそうです。
モリエール通りってこんな感じ。
プラタナスとカエデの並木道。
こちらの街並み、どこも通りに面してペタっとくっついた家々が並んでますが、その裏にはちゃんと庭があります。
うちの裏のでっかいカエデの樹も、そういう庭の樹なわけです。
くっついた家々は壁を共有してます。
次がブリュッグマン通りのもの。
兄弟です。
ふたりともレジスタント活動ゆえに処刑されてます。
弟のユラさんは、二人の仲間と一緒に、メヘレンから東へ連行されるユダヤ人たちを、列車の動きを妨害することで救おうとした人です。
彼らが妨害したのは、メヘレンから28回出た列車のうち20番目のもの。
1943年4月19日のことです。
一応参考まで以前書いた記事 ↓ を貼っておきます。
大戦時の強制収容所跡2か所 - ちびころおばさん備忘録 (hatenablog.com)
欧州のあちこちからアウシュヴィッツへ向かった約100の列車のうち、妨害に成功したのはこれだけだったのだそうです。
このとき車両には1631人の人たちがいて、彼らが解放できたのが17人。
逃げようとして殺された人もいますが、ほとんどの人が、彼らが解放したにもかかわらず車両に残ったのだそうです。
これは考察に値する出来事・テーマだと思う。
まだちゃんと視聴していませんが、その時の証言とユラさんに関する話のビデオです。
ユラさんはこの後捕らえられ、ルイーズ通りにあったゲシュタポのオフィスに連れていかれ拷問されますが、それでも脱出にいったん成功、しかしその後再度、今度はお兄さんと一緒に捕らえられ処刑されてしまいます。
昨日の朝のニュースで初めて、Tokyoオリンピックについて少し長めに話されましたよ。
ほおっと思って聞きましたが、その後、昼のニュースでも夕方のニュースでもちょいと取り上げられていました。
コロナ禍の中、「非常事態」が延長されたこと、中止するか延期するかして欲しいという人が国民の大多数であること、ワクチン接種率がものすごく低いこと、メジャーな新聞の社説で中止すべきだとの意見が出たがその新聞社自体がスポンサーであること、など。
お金の問題について、こんなはずじゃなかった、という損失の大きさについても話は及び、具体的な数字をあげて、サッカーの欧州リーグカップの損失の話もしていました。
実は、去年行われるはずだったけどコロナで今年に延期になった2020欧州リーグカップ、開催地としてブリュッセルも意欲的だったんですが、試合会場のパーキングがフランダースとまたがっていて、両地域政府が意見の一致に至らず開催地になれなかったんです。
で、上述のニュースは、ブリュッセル、今となっては開催地になれなくてラッキーだったね、と締めくくられました。
そういうわけで、コロナ禍の中、延期になった欧州リーグカップが始まります。
RTBFのサイトのアーカイヴで、1985年のヘイゼルの悲劇のビデオを見つけて視聴しました。
まさしく今日、5月29日のできごとだったと気づきました。
貼り付けますが、日本では視聴できないかも…。
Wikiにもけっこう詳しい日本語の記事があったので貼り付けておきます。