昨日更新したばかりだけど、メモしておきたいことが発生。
おもしろーい、と思った記事。
この記事を読んで、ちょっとテーマはずれるけど、長女が2歳か3歳だった頃、1・2・3・4・5・・・とちゃんと数は言えるのに、彼女には見えないようにダイニングのテーブルの下をコツコツコツ・・・と叩いて、「いくつ叩いた?」と聞いても全く答えられない、それで、数を言うことと数えることって全く違うのね、と確認したことを思い出したりもしました。
言葉が生まれ体系化されることで初めて思考でき思想が生まれる、というのは前々回の記事にも書いたことです。
メキシコで暮らし始めた頃、スペイン語力アップを目指して自分の脳みそからニッポン語を排除しようとした時、自分のスペイン語力の低さ(特に語彙の少なさ)ゆえに、「どんどんバカになっていく」というものすごい恐怖を味わったことも思い出しました。
本当はメモしておきたいことはいっぱいあります。
というのも、最近よく昔のことを思い出すから、です。
中学校・高校時代の好きな先生のことはメモしましたが、他にもいろいろ思い出しています。
昔のことばかり…、って、自分が終わってるってことかな?という思いがあって、ここでメモするのもバカみたいかなあ、と。
別れた夫は昔演劇をやっていて、その頃のレオ・フェレやアルマンド・ガッティやダルデンヌ兄弟やアリアーヌ・ムヌーシュキンと一緒に活動したことをよく語っていて、最初は興味深く聞いていたんだけど、だんだん「おい、昔ばなしだけかよ、今何してんだ!」と批判したくなっちゃったんですよねえ。
その意地悪な批判が自分自身に戻ってきた感じがするわけです。
ミーハーおばさんが還暦過ぎて「人生のボーナス部分、1日単位で生きてます状態」だと思ってるんで、ま、それでもいいか、とは思ってるんだけど…。
今日はよいお天気なんで、籠っていることに罪悪感もあるのだけど、自由大学のコンフェランスのテーマが旧約聖書の「契約の箱」の話、オンラインで聴くことにします。
mourir moins bête (少しでもバカ度を減らして死ぬ)であります。
もうそれほど残された時間は多くないでしょうし。