今日は朝から仕事だし、ブログの更新どころじゃないのだけど、昨日の記事についてFB上で友人たちと会話したことで、「衝撃」の中身が分かってすっきりしたので、それをメモしておこうと思った。
ブリュッセルのお祭りオメガングも有料だし、長崎のお祭りおくんちでも、ひとマスなんぼで有料の席があり、そういったことに抵抗を感じたことはいまだかつてないのである。
昨日は琵琶湖の花火の有料席の値段もだけど、何より「目隠し」が衝撃だったのです。
せこい、と。
友人の故郷では戦国時代から花火祭りがあり、ひとマスなんぼの座敷席が存在し、家族や友人でその席を買って楽しんだ、と。
なんでも花火の生産が日本一で、そういう伝統があった、とか。
で、彼女が、
>最近になってあちこちでやっている花火大会は、そういう伝統の知恵が生かされていない。だからスマートにできないんでしょうね。日本社会は良いものがいっぱいあるのに、それを生かすのが本当に下手。残念で仕方ないです。変なところに力が入って、異常にダサいことになる。
って言っていて、ああ、そうだ、それだ、と思ったのである。
値段もだけど(出せる人は出せばいいだけの話だし…)あの目隠しが、「粋」とか「エレガント」とかの真逆、それでものすごく不快だったんだ、と気づいた。
昨日はここで記事を書くことで、「私の問題じゃないし」と落ち着いたのだけど、友人のコメントを読むことで「衝撃」の中身がわかってすっきりした…。
ついでに、数日前に初めて知って、うわあ、すごい、と思ったビートボクサーの話。
ビートボックスと呼ばれる音楽があり、その技術たるや、ほんとにすごい。
昔はアル・ジャローとかに感動してたけど、それどころじゃないくらいのすごい技。
フォトを貼ってオシマイにする。
Albert Einstein and Marie Curie talking near a lake, c. 1929.