Captain Fantasticを観てきた


あいかわらずヒマな日々、映画Captain Fantasticを観てきました。

カンヌ映画祭で、Un Certain Regard(≪あるまなざし≫って日本語で訳されてる?)賞を取った作品。
マット・ロス監督自身の子供時代の経験が、ある程度反映されているらしい。
なんでも、消費社会に対する「もうひとつの在り方」を求めた監督のお母さんと、そういう価値観のコミュニティで子供時代を送ったのだそうです。

映画のシチュエーションはもっと極端で、父子だけで森の中で暮らしているんですが。

なんといっても子供たち6人が、素晴らしいです。

私がメキシコへ渡った時も、ここまで徹底してはいなかったとはいえ、似たような価値観を持っていたし、今でも、こういう生き方へのあこがれがあったりするんですよね。

でも、年取ったらどうする?体に障害があったらどうする?、人間が文明を発達させたのは、そういうときでも、ちゃんと生きていけるように、ということだったんだと思う。
問題は、「便利」「快適」があたりまえ、と思いこんで、必要なものとそうでないものを自分自身でちゃんと見極めないところにあるんだと思う。

ベルギーに暮らし始めてからも、ピレネーの山奥でそういう暮らしをしている友人たちのところに、何回も遊びに行きました。
年取ってタイヘンになってきて街に降りた人もいるし、子供が生まれたことで、街へ降りた人もいる。

子供たちには、多くの選択肢が存在することも教えないといけないし、それに、人の存在というのが関係性の中で成り立つことを思えば、他の人たちとのかかわりを完全に断つわけにもいかないでしょう。

ま、何を言っても、挫折した自分の言い訳っぽくなるんでイヤなんだけど。(笑)

よい映画でした。
深い愛情に涙・涙、でありました。


ドキュメンタリー映画 La Terre Abandonnée、ドランの Juste la fin du monde、その他いろいろ

毎回同じことを言ってますが、時間の経つのが速ーーーい!
もう10月も中旬です。
9月は信じられないくらい良いお天気で暖かくびっくりでしたが、10月に入り涼しい、というか、もう肌寒い天気です。
日も確実に短くなり、朝いつまでも暗いので、いったん起きても、目を閉じさえすればどれだけでも眠ることができちゃいます。
以前は早寝・早起きオバサンを誇っていましたが、仕事も少なくヒマなので、夜更かししてその分朝寝坊という、たいへんゼイタクな日々を送っています。
朝寝坊して一番まずいのが、ダラダラしちゃうことで、それで何もしないまま、夜遅くまでそのままダラダラ過ごしちゃうってこと。
体重も2キロ増えちゃった・・・。
毎日寝る前に体重を計っては、「明日こそは世界平和のためにハンガーストライキを・・・」と思ったりしているのだけどね。
おなかがすくと、そんなこともう忘れているし・・・。

と、時間はけっこうあるのだから、ブログの更新でもしようと思いつつ、これもダラダラと今日に至ったという次第。

まず、ベルギー人、ジル・ローラン監督がフクシマで撮影したドキュメンタリー映画 La Terre Abandonnée (見捨てられた大地)。
完成直前に、ローラン氏は、3月11日に起こったテロに巻き込まれて亡くなりました。
でも、彼の仲間が完成させ、10月5日にブリュッセルのBOZARで、初めて一般公開されました。
日本語を、私の子供たちにも手伝ってもらって、フランス語に翻訳する仕事をさせてもらったんです。
(後で、日本語の文字おこしをやはりこちらの友達がやったのを知りました。方言なので難しく、福島出身の人に助けてもらったとか。)
それが縁で、上映には子供たちとともに、招待していただきました。

映画はとても良い出来上がりだと思いました。
制作側の声高な主張は一切なく、動物たちを放っておけないというのが一番の理由で、放射能汚染地区に残った松村さんたちの暮らしぶりを、淡々と描いてあります。

映像は、まるで一編の詩のように美しく、そこで暮らす人たちの誠実さもひしと感じられ、とても感動しました。

やはりその日観た友人が、
≪ゾーンの中で生活することを決めた人達の「覚悟」のようなものを感じました。彼らは放射能を無視してはいません。ちゃんと測って、どこになにがあるか理解しながら生活しています。安全だと思い込もうとしている人達とは違います。なんだか、ひとつの道筋を示されたような気がしました。それがなんだかは解らないけど。≫
と言っていて、なるほど、と思いました。

日本でも公開されるはずです。
在日ベルギー大使館で上映される、という話も聞いたし、劇場でも公開されると聞きました。
京都では、来年の夏上映されると、プロデユーサーの方が言っておられたと思います。

機会があったら、ぜひご覧になってください。

私も、子供たちも、この映画の制作に関わることができたのを、とても誇らしく感じています。



もう一つの映画、最近すっかりはまっちゃっていたグザヴィエ・ドランの最新作 Juste la fin du monde 。

日本では「まさしく世界の終わり」とタイトルが訳されているようですが、「まさしく」ではなくて「たんなる世界の終わり」っていう方がぴったりかも。
まだ20代なのに、映画界でものすごく注目されているドラン、もう俳優陣もすごいです。
ケベック訛はこの映画では一切なし。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが、とても大きく評価され、もうきっとロス・アモーレス・ぺロスのような感じの映画は作らなく ―作れなく― なってしまったように、ドランも変わるのでしょうか? ハリウッドではなくフランスだから、またちょっと違うのでしょうか?)

映画館に上映時間よりずっと早く着いちゃったんで、ソファーにかけて本を読みながら時間をつぶしたんですが、その本に、
「人間には生を増大するんじゃなくて、生を超えようとする動きがある。生以上のものを目指す」
といった記述があって、それが、すぐ後に観た映画と妙にシンクロしてしまいました。

この映画、もう亡くなった劇作家の、ジャン=リュック・ラガルスという人の戯曲がもとなんですね。
今フランスでもっとも上演されている作家だそうです。
全然知らなかったのでWikiったら、私と同じ年に生まれた人。
もうずいぶん前、私がまだ小さかった3人の子供たちのお母さんをやっていた頃に亡くなってました。

東京では来年2月封切りとのこと。
ドラン・ファンには楽しみですね。




その他いろいろのその1。

しばらく前に、電気供給会社を変えたことを記しました。
以前は、ランピリスという、その頃はエコロジックという評判だったところと契約していたのですが、ある日ニュースで、その会社がトータルに買収されたことを知って、友達に聞いたりネットで調べたりして、よりエコロなベルギーの会社の、メガというところに変えたのです。

数日前に電話が鳴ったので受話器を取ると、トータルの売り込み、「トータルがベルギーでも電気を供給することになったことを知ってますか?」と。
それで、「お宅がランピリスを買収されたことを知ったので、ランピリスからメガに変わったのです。そちらに変わることはしないから、いくら売り込んでも時間の無駄ですよ」と言うと、「私の時間の無駄より、あなたのおカネの無駄を心配してください」だと。
「私は貧乏人だけど、この件に関しては料金は二の次です。多国籍企業も嫌いだし、絶対変わりません」と返事をすると諦めてくれました。
意思表示ができて、少し気持ちよかったわ。


その2。

ヒマなんで、arteやRTBFでTV放映された番組を、ネットでいろいろ見ています。
そのうち、バリ島で、「バイバイ、プラスティック・バッグス」というアクションをやっている子供たちの話。
YOUTUBEにもアップされていたので貼り付けます。

この子たち、バリ島にカナダ人ジュエリーデザイナー、ジョン・ハーディという人が作った、グリーン・スクールという学校で学んでいるんですが、ほんとうに生き生きとしています。
このハーディ氏が教育の重要性を語るんですが、彼のいうことが、最近ちょっと考えていたことと同じだったんで、ほおおっと思ったことでした。

今、世界中が大きな転換期にある中、学校で教えることって、これから必要なことに見合っているのかしら、私たちのような高度成長期に生きるのに必要だったスキルって、これから必要とされることとズレているのかもしれない、と、そんなことをつらつら考えていたんです。
そしたらハーディ氏も全く同じことを言い、そして、「高等教育を無事終えても、仕事のない若者がいっぱいいるでしょう」と。
そうなんですよね、まったくそのとおりなんです。
せめてこれだけは、と私たち親がよかれと思って子供たちに強いていること自体に、大きな問題があるのかもしれない。
なんて思ったわけです。
私はいつも子供たちに、自分がしたいと思ったことをしなさい、と言ってきてはいるんだけど・・・・。

追記・ ↑ 若い人たちが、「これが今から必要」と感じて、学び、研究し、考えたことに対し、私たち年寄りが、それを生かすチャンスを与えるに至ってない、とも言えますね。



その3。

RTBF(ベルギー仏語放送局)で放映されたドキュメンタリー番組で、Bande à Bonnot 。

http://www.rtbf.be/auvio/detail_retour-aux-sources?id=2150600

20世紀初頭、フランスでジュール・ボノを中心に集まったアナーキストの一部が、まるで強盗団のごとく振る舞うに至り、ついには警察に殺された、という話。
メンバーの中には、非常に暴力的になった者もいれば、最後までパシフィストだった者もいました。
まるでボニー&クライドのフランス版ですが、最初はそこにイデオロギーがあったあたりがちょっと違いますね。

ボノは殺されたとき35歳でしたが、他のメンバーは皆20歳くらいですごく若い。

有名な話だそうだけど、私はこの番組を見て初めて知りました。
ダエッシュのことを連想したりもしたのですが、思えば、テロや戦争のない時代なんてあったのでしょうか?
今、まるでテロの頻発する特別な時代のように言われていますが、世界がこれだけカンタンにつながったために規模が国際的になり、情報の伝達が速いために、すぐ我々の知るところとなるだけで、実は何も変わっていないのかもしれない。
そう考えると絶望的にもなりますが、同時に、今生きていることを考えると、そこに希望も覚えます。



いろいろと記しておこう、と思ったことは他にもいっぱいあります。

たとえば、大統領候補を狙っているサルコが、自分が大統領になったら、移民政策と国家安全政策に関する、二つの国民投票をやる、なんて口走って、「国民投票ってデモクラシーか?」って問われた話とか。
(サルコのトランプ化みたいな言い方されてた。)

でももう書き疲れたので止めます。

ベルギーの監督によるフクシマのドキュメンタリー映画


以前ブリュッセルのテロ事件のときに書いた記事でも少しふれた、ベルギー人ジル・ローランさんによる映画が完成、公開されることになりました。

地下鉄マールベーク駅の爆発で、作品完成間近に、監督本人は亡くなられましたが、遺志を継いだ仲間のみんなで完成させたのです。


http://www.cvb-videp.be/cvb/fr/catalogue/film/id/249#film-video


日本でも、NHK毎日新聞などで記事になったそうです。

http://mainichi.jp/articles/20160827/k00/00e/040/246000c


http://gillesfilm.hatenablog.com/entry/2016/09/03/225907


在日ベルギー大使館で公開される、という話を耳にしました。
皆さんも、機会があったらぜひ観てください。

私は10月5日に観にいきます。

やはり地下鉄の駅でで亡くなった次女の友達ですが、彼女、イラストレーターになるのが目的で、ブリュッセルのカンブルにある有名な美術学校で勉強するためにスウェーデンから来た人なのです。
仲間たちが、彼女の死を無駄にしないために、彼女の残したイラストで本を出版するプロジェクトを立ち上げました。
そしてこの本も、今月中旬に出版されました。

グザヴィエ・ドランの監督作品


もう9月です。
こうやって、あっという間に2016年も終わっちゃうんでしょうね。

テロの余波で本当に仕事が少なく、フリーランスの身としては、「働いてナンボ」であるからして、のんきにしている場合ではないのかもしれないけれど、のんきにしないからといって状況がかわるわけでもなく、そんならこの自由な時間を利用して、いろいろ楽しんだり、しようと思いながらなかなかできなかったことを片づけたり、という感じで過ごしています。

7月の末には、毎年こちらに遊びに来てくれる友人がまた来てくれたので、一緒にベルリンを訪ねたり、ニースを訪ねたりしました。

今回ベルリンでは、前回行かなかった文化フォーラムにある絵画ギャレリーに行ったのですが、そのコレクションのリッチさには、ものすごく驚かされました。
時間がどんだけあっても足りないくらいのコレクション、2日間そこで過ごしましたが、それでもまだ未練が残るくらいの規模でした。


ニースでは、数年前に出かけた際には、どこまで行っても1ユーロだった乗り合いバスが、1.5ユーロに値上げになってましたが、それでもたったの1.5ユーロですもんね、有効活用するしかありません。

テロで80人以上が亡くなってまだあまり日も経っていませんでしたが、街は落ち着いた賑やかさで、海もきれいでしたよ。

今回は、仕事が少ないおかげで、気持ちの上で完全に自由だったので、なんだかものすごく楽しめましたわ。
還暦間近のおばさん二人組だというのに、まるでお子ちゃまみたいに楽しんでしまいましたよ。
やはり、遊びのときは遊びに徹底した方がいいんだな、と確認。



さて、今日は、久々にブログでも更新しようか、と、映画の話。
でも私は映画の説明が上手にできるわけじゃないので、観たよ、ってことだけですが。

とても若くてかわいらしい、話題の俳優・監督であるカナダ人、グザヴィエ・ドラン
今まで観たくてもなかなか機会に恵まれず、1本も観てなかったんだけど、今ちょうど彼の作品の回顧上映をやっていて、時間もたっぷりあることだし、これは行かねば、と。

全部で5本、続けて上映されます。
まず1本観てきました。

Les Amours Imaginaires(2010)です。

カナダのフランス語なので訛っているんですね。
あ、そうか、ケベックの人だもんね、と…。(笑)
ところどころ、私が慣れているフランスやベルギーのフランス語とは表現の仕方も異なり、そういうところでは字幕スーパーがつきました。

ほとんどが、若い出演者たちの顔のアップ、これもほかの映画とはずいぶん違う印象でしたが、これ以外の作品をまだ観ていないので、なんとも言えませんが。

ドラン監督の美的好み、ってのも伝わってきました。
本人演ずるフランシス、エゴン・シーレみたいな髪形をしているな、そういや少し似てるかも、なんて思いつつ観ていたらば、部屋にシーレの絵が飾られている場面もありました。

特にストーリーらしいストーリーがあるわけでもなく、若者たちのアップと、音楽と…。
もう2度と戻れない、大昔の若い時代を思い出しつつ、ちょっと切ない気分になりましたよ。

さて、これから、J'ai tué ma mère (2009) Laurence Anyways (2012) Tom à la ferme (2013) Mommy (2014) を日曜日までに制覇であります。(笑)



追記・

J'ai tué ma mère を昨日、Tom à la fermeを今さっき観終えて帰宅。
後者は怖かった、とても怖かったです。
どの作品も、音楽がいい、それと色もいい、と思う。

この21日から、今年カンヌでグランプリを受賞したJuste la fin du mondeが上映されるとのこと。
来年公開の作品は、もうできあがっているらしい。これは英語作品だって。

追記2・

今さっきMommyを観て帰宅。
これで4本観たことになるけど、この作品が一番素晴らしいと思った。
すごくつらいけど…。
痛々しさが、ケベック訛りのせいでさらに深く感じられてしまった。

7月21日


7月21日は、ベルギーの国のお祭り日です。
建国記念日、と言った方がわかりやすいかな。
なんでこの日かというと、1831年のこの日、オランダから独立して最初の王位に着いたレオポルド1世が、国民と憲法に忠誠を誓う宣誓を行った日だから、ということらしい。

そういうわけで今日、恒例の王様のディスクールがありました。
なかなかいいこと言うじゃん、と思って聞いたのだけど、
(王様のスピーチ、ちゃんと聞いたの実は初めて。テロのせいで仕事が少なくてヒマな日々なのですよ。)
7分間ほどのディスクール、テロ事件、難民の話、ポピュリズムのはなしからBrexitにまで話は及び、ベルギーの、そしてヨーロッパの、「理想」の再確認だったと思う。

で、初めて知ったけど、後で学者やジャーナリストが、話の内容を分析して批評するのね。
10点満点の7.5点から8点と点数つけてました。


ニースでは、革命記念日に、ひどい事件が起こりました。
秋葉原事件を思い出しました。
日本でも大きく報道されたと思うので、いろいろ書き記す必要もないと思いますが…。

一昨日の夜はドイツで、17歳のアフガニスタンから難民としてやってきてた若者が、電車の中で斧とナイフで乗客を襲うという事件も起こりました。

こういう耐えがたいような事件がずっと続くので、なんだかすっかり涙もろくなっちゃって・・・。


もう何回も書きましたが、次女クンの「決心」の言葉が、そのたびによみがえり、そしてまた泣きたい気持ちになります。
目の前にいる人に、思想信条、見た目や好き嫌いに一切関係なく、よくしてあげること、それしかないという次女クンの結論と決心は、とても正しいと思う。
言うのは簡単だけど、という反論はあるかもしれないけど、たぶんほとんど絶望状態だった次女クンの思いはホンモノだと感じるし、私はそれを見習うしかないと思っています。


あと数日したら、毎年遊びに来る大学時代の下宿友達がやってきます。

一緒にベルリンを訪ね、いったんブリュッセルに戻ってから、次にまたすぐニースに行くことにしてます。

海岸には、追悼の花やろうそくがいっぱいでしょうね・・・。
エルネスト・ピニョン・エルネストの展覧会を観たくて決めた旅だったんだけど・・・。


今日ニースに暮らすFBの知り合いがアップしていた映像が美しかったので、ここに貼りつけます。

と思ったけど、うまくいかないので、その映像のある記事のリンクを貼りつけます…。
オバサンは何が問題でうまくいかないのか、???であるので。

http://www.nicematin.com/faits-de-societe/cette-video-rend-un-hommage-magnifique-aux-nicois-66065

精神の健全さについて


私がいつもいろんなことで参考にする竹下節子さんのブログ記事、しばらく前から、精神科医中井久夫氏が、精神の健全さについて15の規準について語られたのを、竹下さんがカトリックにすりあわせたものを記されています。
一番新しい記事がその13。
今日、その1からまとめ読みしたのだけど、その5を読んでいて、テロで友人を失った次女クンの言葉と重なったので、ちょっとここに貼りつけようか、と思った次第。

彼女が私に言ったのはまさしくこの文章そのままだったのです。
逆に言えば、友達の死に、ほとんど絶望状態だったとも言えますね・・・。
一昨日一緒にランチしたんだけど、3・22のテロ事件は、ずっと自分から離れないし、これからも離れないだろう、と言ってました。

「移民の子弟のゲットー化、大国のエゴ、新自由主義経済のひずみ、軍産共同体のまやかし、テロを引き起こすいろいろなマイナスの要因ばかりを考えると絶望しかない。
自分にできることなど何もない。
ただ、恐れてびくびくして引きこもりがちになるばかりだ。

けれども、自分にできそうなレジスタンスに最小化していけば、少しの努力(暗譜するとか、私のきらいな集団行動に服するとか)を通して楽しい分かち合いが実現し、ポジティヴな気持ちになれた。」

http://spinou.exblog.jp/25712240/