考えたことなど


放射線治療の第1回目に一昨日行ったらば、先週木曜日のスキャンで、その前日につけた印の変更を行った方がよいことがわかった、というんで、マルカージュのやり直しを行い、結局治療は今日がスタートになります。

この日お迎えに来てくれたヴォランティアさんは、元気いっぱいの68歳の女性。
車の運転が大好きだそうで、仕事を終え年金生活に入って数年後から、このサーヴィスのメンバーに登録し、2年経ったそうです。

わたしの入っている健保組合のサーヴィスだから、ヴォランティアさんもみんな同じ健保に入っている人たちかと思っていたらば、そういうことはなく、この女性はもうひとつ他の健保組合のヴォランティア運転手もやっているとおっしゃっていました。

いろんな話を聞かせてもらい、なかなかおもしろかったです。
特に何か予定外のことでも起こらない限り、治療にはいつも彼女の運転で出かけることになりました。
これからもいろんな話を聞かせてもらえるでしょうから、また機会を見つけてここに記したいと思っています。



さて、数日前のmixiの日記ですが、さらにコメント欄が続いています。

マイミクさんからコメントをいただいたことで、こういう風に話がかなり盛り上がり、とても刺激になりました。
そして、いろんなことを思い出したり、ぼんやりしていたことがはっきりしたり、考えの違いもはっきりしたり、そういうことがとても気持ちいいです。


ベルギーでぺドファイルのマルク・デュトゥルー事件が起こったとき、夜中にニッポンの父から電話がかかってきて、
「ベルギーなんかにいないで、子供たちを連れて、今すぐニッポンに戻って来い」
(注・そのメンバーにクマは含まれていないのである。あはは。)
と怒鳴られたんですね。
うちの父親というのは、イラクの人質事件の時に「自己責任」大合唱が起こりましたが、ああいう物言いをするニッポン人の代表みたいな不快な人格をしており、ま、こういうリアクションは「またか・・・」という感じで驚きはしなかったのだけど、帰って来いって怒鳴られたって、こちらはこちらでここで生きているわけで、何言ってんだい、っていう気持ちだったんです。
きっと、外からわかったような批判を述べるわたしなんかに、ニッポンのみなさんが抱く気持ちも、そのときのわたしの思いと通じているだろうな、などと考えたりもしました。


やはり、マイミクさんに教えていただいたブログ「世に倦む日々」が、アキバの事件をくり返しとりあげていて、これも、なるほど、と思いました。

http://critic5.exblog.jp/i3/


前述の日記でマイミクさんと話してしみじみ思ったことは、ニッポンにおける「個」というものが、ニッポンを出てもうずいぶん時が経ってしまったわたしのようなものにとっての「個」とは、ものすごく違っている、ということ。

価値の大転換、当たり前と思い込んでいることの大転換を図るのは誰か、というところの違いです。

(余談だけど、ずっと前からとても不思議に思っていたことに、「負け犬の遠吠え」「オニババ化するおんなたち」といった本が、ニッポンで異常な話題になるのは何故?というのがあるんです。
たしかに本としてある程度話題になるのはあたりまえかもしれないけれど、それにしても・・・、と。
これって、この「個」というものの受け止め方が、ニッポンではものすごく違っていて、「個」の話は「わたし」「あなた」になってしまうからなんですね。
それで、ほとんど攻撃した人と攻撃された人とのケンカみたいになっちゃう。
ずっと持っていた脳内の?マークが、ようやく解消したという気分。)

手放すべきものを持っている人は手放し、今の社会の大前提を当たり前のことと思い込んでいる人たちには、そうじゃないんだよ、と教えること、それがそのうち社会全体の大前提の転換につながるのではないだろうか、と思うんです。

たとえば「もやい」の湯浅さんなどは、「そうじゃないんだよ」と、困っている人々をその思い込みから解放し、具体策を教えることによって、その「大転換」を図っておられると思うんです。
雨宮さんも、浅尾大輔さんという方もそうだな、と思いました。
生田さんもそうですね。
素人の乱」の松本さんの起こす騒ぎは、ものすごく魅力的だし。
わたしの知らないところ、誰も知らないところにも、そういう具体的な行動をしている人がきっといることでしょう。
そういう人々に期待します。

しばらく前にトラカレかチキさんのブログかで知ってお気に入りに入れているLand and groundというブログがあるんですが、昨日読んだ記事に、ものすごく共感しました。

http://d.hatena.ne.jp/innhatrang/20080618

正しいことを言うばかりでは何も変わらないというのは、絶対間違いないと思います。



何回も言いますが、先日聴いたJCcastの武田さんの考えに賛成です。
でも、あのままで会話が終わってしまったら、「ニッポンの親にはそれだけのリテラシーがあるのか」という問いでオシマイになっちゃう。
わたしから見れば、「リテラシー」などという立派なものの不足じゃなくて、単に「ヒマ」の不足なのになあ、と・・・。