地球はせまい&差別について考えたこと

今日は仕事がオフ。
というか、オフにしてもらった。
というのも、ルーヴァン大学の医学部で研究者をやっている方のお宅にお呼ばれなので。

これはもう奇遇というか、その方は、私が手伝っていたレストランに、やはりルーヴァンの医学部で研究者をやっているパートナー氏と、お客さんとしていらっしゃったことで知り合ったのだけれど、なんと、同じ諫早の出身、小学校から高校まで同窓なのだった。
以前この日記に書いたとおり、お寿司の板さんも諫早生まれ。
はるばる離れたブリュッセルの、せまーいレストランの空間に、同じ町出身の人間が3人もそろうなんて、地球は狭いとしか言いようがない。
しかも、ルーヴァンの彼女がその出会いを実家のご両親に話したところ、これまたなんと、お母さまは、亡くなったうちの両親と同じ短歌会にいらっしゃったということで、私の父や母のこともよくご存知だと判明。
こういうこともあるのね、と、本当に驚いたのだけど、実家のご両親も、遠くにお嫁さんにいっている娘さんの近所に、同郷の人間が住んでいるということに、ずいぶん安心もされたのだろう、とても喜ばれた。

そのご両親が今ベルギーにいらっしゃっていて、ぜひお昼を一緒に、と、お宅にご招待にあずかった、という次第。
私も、これはなくなった両親のお導きか、と、とても嬉しいので喜んでお受けしたのだった。

そういうわけで今日はオフ、昼前に出かけますが、その前に最近思ったことなど記しておく。


私に仕事をくれるアムステルダムのオフィスが、私のような仕事をしてくれる人を探していて、レストランで知り合ったふたりの若者を紹介することになった。
日本語ができないといけない仕事なので、ひとりは日本人の女の子で、もうひとりはベルギー人の男の子、まだ学生さんですがウェルナーくんという。

ウェルナーくんは、ルーヴァン大学の日本学科で学び、沖縄で1年半ほど、さらに福島で2年ほど留学生活を送ったこともあり、日本語がとても上手。
しかも、オランダ語圏の人に多く見られる語学の才能に秀でたひとりで、フランス語と英語はもちろん、ドイツ語、デンマーク語、スペイン語もこなす。
(余談だけど、ウェルナーくんのお兄さんは、日本語こそ話さないけど、さらにヘブライ語セルビア語その他もこなすそうだ。どうなってるんだろう、彼らの脳みそは・・・。)

そうやって私が仕事に引き込んだ責任者なので、私の仕事に一緒に来てもらって研修をさせたのだけど、そのときいろんな話をして、私自身も考えさせられることがいっぱいだった。

ウェルナーくんは、お母さんがオランダ語母語とし、お父さんがフランス語を母語とする。
暮らす地域がオランダ語圏なので、普段はオランダ語を使うのだけど、お父さんはブリュッセルに出るとフランス語しか使わないことにしていた、と。
さらに、祖父は、ブリュッセルに出るときは、わざわざフランス語の新聞を小脇にかかえ、オランダ語圏の人間とわからないようにしていたという。
別に「その方がかっこいいから」とかっていうんじゃなくて、オランダ語圏の人間だということで、殴られたり、不当な扱いを受けていたから、というのだ。
第1次対戦で自ら前線で戦った、といった、今までいい噂しか聞いたことのなかった3代目の王様、アルベール1世についても、彼や軍のトップがフランス語しか話せないため、その指示を理解できなかった前線のオランダ語圏兵士が、ものすごくたくさん無駄に犠牲になった、というようなことも教えてもらった。
とにかく、一昔前は、オランダ語圏の人々は、フランス語圏の人々から、不当な扱いを受けていた、ということだ。

総選挙の後、1年半もの間、無政府状態だったベルギーの、その問題の背後には、ものすごく長きに渡る「差別状態」があったということなのね。
「ベルギーがコスモポリタンな国だなんて、神話にすぎない」という人々は、そういう歴史を知っていたわけだ。

私はフランス語圏の人たちとしか今までこういう話をしたことがなかったので、もっと軽い話しか聞いたことがなかった。
義理の父はオランダ語圏の出身だったけど、ブルジョワ家庭に育ったので家庭内ではフランス語を使い、学校教育もブリュッセルでフランス語で受けている。
普通にオランダ語もわかっていたが、クマが子供時代、義理の母は、自分が理解できないから、という理由で、父子の会話をオランダ語で行うことを禁じていた。
(私はこの発想にはとてもあきれていたが、当時の普通のフランス語圏のおばさんには、疑問もわかない発想だったのかも。でも、クマはそのせいでオランダ語がちゃんと身につけられなかったことをさかんに残念がっていた。)

ウェルナーくんと話しながら知った「ベルギー」と、今まで私が知っていただけの「ベルギー」、その違いに驚いたのだった。
差別を受けてきた側と、当然のように差別してきた側の、この世界の違い、歴史や事実に関する無自覚、鈍さというものを、しみじみ思った。

あの「和解と多様性」というものは、どちらかといえば、オランダ語圏の人たちが言って初めて多くの価値をもつのかもしれない。

こういう差別の構造は、される側にははっきりしていても、する側にはなかなか見えない。
される側の抗議と闘いによって、そういう差別構造がなくなってからも、差別されてきた人々の心の、ずっと深いところに根を張っているものに、差別してきた側に属する人間は、ものすごく無神経なのだとも思った。


原発の問題にも、差別の問題が根を張っている。
そういう自覚なしに、反対を叫ぶ、ということに対する批判もよく聞くし、まったくその通りだと思う。

でも、とにかく「とりあえず」反対の声をあげていきたい。

それにしても、難しいテーマだなあ・・・。