事故後の国鉄電車、エル・グレコ展とフリーダ・カーロ展



昨日は、3女をブリュッセルからひとりでこちらへ向かわせるのは不安だったんで、迎えに行き、ついでにボザール宮殿で今開催されている展覧会をふたつ鑑賞してきました。

往路、9時45分発の電車に乗りましたが、モンスの駅を20分遅れで出発、日頃より遅い速度でアルまで、それ以上電車は進めないので、そこからはみんな降りて、国鉄が用意した大型バス2台でブリュッセル南駅へ。
南駅から、やっぱり遅れたり乱れたりして時刻の定まらない空港行きに乗り換え、3女と待ち合わせしていた中央駅へ向かいました。

普通は50分くらいの道のりに、かかった時間、2時間。

文句をいう人はいません。
当然のこと、事故という予定しない出来事によるトラブルだし、前日がストだったので、どのような動きになるか、見当もつかないのです。

アルでは、構内放送はオランダ語とフランス語と両方でなされましたが、バス乗り場や運転手さんはオランダ語しか話しません。
それも、3女をお迎えに行かないと不安だった理由のひとつ。
ま、まわりに必ずバイリンガルトリリンガルの人が何人かはいるんで、助けてもらえることは間違いないんですが。

ご存知のとおり、ベルギーでは仏・蘭・独の3つの言葉が公用語
ドイツ語圏はリエージュのドイツとの国境あたりのほんのわずかなコミューンでしか使われません。
ベルギー全体で6割がオランダ語を話す人、4割がフランス語を話す人。
オランダ語圏とフランス語圏はきれいに分かれていて、ずっと昔ローマ人の力が及んだところまでがフランス語圏、ゲルマンが強かったところがオランダ語圏です。
(ちなみにオランダとベルギーの国境はプロテスタントカトリックの境)
ブリュッセルは、地図を見ると、オランダ語圏にすっぽりはまっていて、オランダ語とフランス語の両方が公用語で、フランス語を話す人のほうが多いのです。
で、ブリュッセルからフランス語圏へ向かうときは、必ずいったんオランダ語圏を通ります。
モンスからブリュッセルへ向かう電車が事故を起こしたのは、オランダ語圏のアルを少しブリュッセルに出たBuizingenという町のことでした。

往路、バスでその町を通りました。

帰路は、中央駅から、40分遅れでで出発した電車に乗り、モンスまで乗り換えなしで行くことができましたが、徐行運転で、16時発の電車がモンスに到着したのは、やはり2時間後の18時でした。

今も病院の帰り、モンス駅で帰宅するバスに乗り込んだんで、ついでに様子を見てみたところ、モンスとブリュッセルの間を走る電車は、2本に1本だけ、それも30分くらいの遅れで、なんとか動いているという状態です。

今朝のニュースによると、生き残った片方の電車の運転手が、「信号無視はしていない」と言ったとのこと。


ブリュッセルまで出かけたついでに、ボザール宮殿で開催中の、エル・グレコ展とフリーダ・カーロ展を鑑賞してきました。

国鉄には、B-EXCURTIONという、往復チケット+イヴェントの入場券というのがあって、エル・グレコ展がその対象になっていたんで、それを利用しました。
モンスーブリュッセル往復+入場券で16.6ユーロ。
うちは子供が3人で大家族割引というのが利用できるので交通費は半額、ブリュッセルまで普通往復9.4ユーロ払いますが、その割引が使えない人は18ユーロするんで、この入場券込みのチケットは、展覧会行かないでもお得です。(笑)
入場料がオトナ10ユーロなんで、大家族割引がある私にも、この方がお得だった、というわけです。

デッサンの先生が、エル・グレコが大好きで、これだけの作品がいっぺんに観られる機会はめったにないから、と勧めていたんですが、なるほど、なかなか見ごたえがありました。
ルーベンスと同じ時期の人というだけでなく、とてもたくさんの弟子をかかえて大きなアトリエを運営していた、という特徴もおなじなんですね。
若い彼がイタリアにいた頃の絵を観ると、エル・グレコとはわからない、特徴のないもので、独特のものをその後に発展させたことがよくわかります。
わざとデフォルメしたような筋肉の描き方とか、なかなかユニークではありますね。

フリーダ・カーロ展は、全部で25点ほどの作品が展示されていて、初めて観るものがほとんどでした。
オートポートレートは、彼女の苦しみ・悲しみが表現されているものが多いですが、他の人の肖像画はすごく美しくあたたかく、彼女のやさしさがあふれているなあ、思いました。
会場には、彼女や彼女の家の写真が、スライドでずっと映し出されていましたが、メキシコではすぐ近所に暮らし、トロツキーの家と両方、何回足を運んだかわからないくらいしょっちゅう行っていた場所なんで、ものすごく懐かしかったです。