安楽死の話、その他いろいろ

次女くんは昨日、友人をサポートするために、夕食の後モンスの街へ出かけ、帰宅したのは午前2時でした。

この友人、しばらく前にうちに泊まった身長190センチの3人の若者のひとり、父ひとり子ひとりの家庭なんだけど、そのお父さんが明日月曜日に安楽死することになっているのです。

もう1年くらい前からの闘病生活で、事業を営んでいた父親の仕事を代わりに務めなければいけないというんで学校もやめ、今19歳の彼には、うちの次女くんたち以外、友人もいないんですよね。
離婚したお母さんはブリュッセルで別の男性と暮らしていて、ほとんど会ったりしないそうだし、きょうだいもいないし、いろんなことを分かち合う人々にいっぱい囲まれているとはいえない状況、これは辛いだろう・・・と思います。

夜中の12時になったとき、「あと24時間で月曜日・・・」と、震えていたそうです。

それを聞いて、なんというか、死刑を待つようなものだなあ、と・・・。

安楽死といえば、やはりしばらく前にmixiの日記に記した、ベルギーはオランダ語圏の作家であるウーゴ・クラウスの安楽死の話をしました。
昨日か一昨日、村上龍のメルマガJMMの中で、楽しみにしているハーグの便りが届き、そこでその話題が取り上げられていました。

この記事によると、彼の安楽死はフランス語圏ではあまり話題にならなかったこと、彼の作品はフランス語圏ではほとんど読まれないこと、などが記されていましたが、そういうことはないのではなかろうか、と思ったのでした。

クマは学校で読まされたそうですし、うちの街の図書館では、彼の死後に特設コーナーも作られましたし。

私の「話のタネ」メモには、前回のベルギー首相ギー・ヴェロシュターットが、今年をサバティック・イヤーとする、と記しています。
「多文化共生」に関する本の執筆に励むとか。
去年だったか、この人の著作がEUのベスト本として表彰されました。
この人、ウーゴ・クラウスとも親しかったということで、作家の安楽死後、新聞に追悼文が掲載されていましたから、文学系に関心の深い政治家なんですね。

去年の6月に総選挙が行われた後、今年の3月まで政府なしのベルギーでしたが、どうもうまくいかない様子、この6月ごろ再選挙ということになるかもしれないらしいです。


昨日の日記で、マイミクさんが教えてくださったのですが、英語式のゲントという言い方は最近のもので、80年代まではガンという表記だったそうです。
ガンというのはフランス語式でGandと書きます。
ゲント自体はオランダ語圏にありGentと書いてヘントと読みます。
オランダ語圏・フランス語圏の言語に関する歴史的背景を考えるなら、中立的な英語読みゲントという表記も、悪くはないかもしれません。

そういうことを考えながら、メルマガで読んだウーゴ・クラウスの話を再び思い出したのでした。

クラウスの自伝的小説という「ベルギーの悲しみ」からの引用。

> ぼくたちの村にはフランス軍がいた。……フランス兵たちは野卑で、いつも酔っていて、女をみると乱暴し、ぼくたちの食べ物を盗っていった。……だからドイツ軍がやってきたとき、彼らの規律のよさと礼儀のよさにぼくはびっくりした。フランス軍とは大違いだった。……ぼくたちは誰もが彼らと仲良くしようとした。だからドイツ軍が負けはじめ、撤退をはじめるのをみてぼくは失望し、ついには彼らを軽蔑するようになった……。