悪天候、まだ続いてる

悪天候がまだ続いてます。

もともと天気が悪いことの方が多いところなんだけど、それにしてもこんなに毎日続いたっけ???

 

今朝の新聞で、アルゼンチンでの大統領選ではトランプみたいなことを言うハビエル・ミレイが勝った、と読んで、げえええっ、そうなったか、と思いました。

話している様子も内容も顔も全部、ずっと、げえええっ気持ち悪い、と思っていました。

あんな顔は見たくない、だから今朝のニュースも見出ししか読んでいません。

もうここんとこずっと、ニッポンのニュースも見出しだけでも見ればいい方、ホントに見たくない。

ドンッと現れる顔と記事の内容、両方とも醜すぎるので、老婆は耐えられません。

けっして繊細ではない私が耐えられないって、すごくないですか?

 

 

さて、前回から5日経ったんで、その間のことをメモしておかないと忘れちゃう。

 

木曜日の朝、長女くんが友人連れでやってきました。

友人は長女より1月早く出産予定。来月上旬には生まれます。

彼女のお父さんはイギリス人、お母さんはニッポン人です。

両親の仕事の都合でリセまでフランスで育ち、彼女はその後ブリュッセルにやってきた。

10年前から両親はニッポンで仕事をしていて近くにいないので、子供が生まれた後に何か手助けが必要なら遠慮なく言ってね、と知らせていたので、挨拶にやってきたというわけです。

私にしてみれば、自分の孫をあずかるのも、彼女の子供をあずかるのも、全く同じことなので。

名前はよく聞いてましたが会うのは初めてでした。

EU関係の英-仏翻訳の仕事をしている。

最近は仕事仲間の間で、AIの進歩による影響が話題に上らない日はない、と言ってました。

文学的な能力は人間の方が強いかと思いきや、ある文章を、例えば「ボードレール風に訳して」と頼めば、それなりにやってくれるし、と。

長女も、GPTchatでちょっとした歌をワンちゃんのために作ってと頼んだら、数秒で作ってくれた話をしてました。

他にもいろんな話をしましたが、彼女、学校教育をニッポンではなくフランスで受けることができてよかった、と言ってました。

 

この日、夕方は王立アカデミーでジュリエット・ドゥルエに関するコンフェランスでした。

講師はソルボンヌで19世紀の文学と演劇を教えているフランス人の先生。

もともとヴィクトル・ユーゴーの研究が専門だったのだけど、あるとき研究者仲間から2万通を超えるジュリエット・ドゥルエの書いた手紙の一部を読み解くことを頼まれたことがきっかけで、それまでは「マージナルな存在」にすぎなかったのが大きく変化し、彼女について知ることにのめり込んでいったのだそうです。

 

この先生が去年フラマリオンから出した本。

editions.flammarion.com

 

彼らの最後の亡命先であるガンジー島にある家、私には死ぬまでに訪ねたい場所のひとつです。

いろいろと苦労の多かった彼女の人生で、もっとも穏やかに暮らせた場所だと思う。

 

ブリュッセルにあるナショナル・バンクのミュージアムに行くと、ヴィクトル・ユーゴーがジュリエット・ドゥルエにあげた株券を彼女が受け取らず返したのだけど、それを確かに受け取ったというユーゴーから彼女にあてた手紙が展示してあったなあ、と思い出した。

ユーゴーはベルギーのナショナルバンクの発想に強く共感していて、大株主だった。)

 

 

昨日は所用で王立美術館へ。

ホントは土曜日に行こうと思ってたけど、天気が最悪だったんで。

昨日は少しはましな天気でした。

用を済ませる前に、最近改修を終わり再オープンしたマグリット美術館を訪ねようと思ってました。

が、しかし、人がいっぱい並んでいたのでパス。

作品数が20点以上増えたらしいので、しばらく前からどんな作品か気になっているんですけどね。

でも日曜日は人が多くて当然なので、今度平日に行くことにします。

 

王立美術館、ホールから世紀末セクション、マグリット・セクションへ降りる所。

 

 

SNS上で見かけたフォトやヴィデオなど。

 

ルイーズ・ミシェルとヴィクトル・ユーゴーに交流があったことを初めて知った。

"Bien cher Maître,
Si cette lettre parvient, permettez-moi de vous remercier d’abord d’avoir pensé à demander de mes nouvelles. Je ne crois pas que vous ayez reçu ma lettre en réponse.
Vous serait-il possible de contribuer à ce que mes cousins Charles et Laurent dont je vous envoie les femmes puissent être rendus à leurs petits enfants, tous deux sont prisonniers et je ne vois aucune charge qui puisse les retenir.
J’écris sans ordre et court car je veux que ma lettre passe. Je vous demande cela en grâce ainsi que ceci pour moi.
Bien faire comprendre à ma famille (que si contre ma volonté et mon serment, qui que ce soit demandait le moindre changement pour moi) je serais obligée à regret d’employer le seul moyen qui reste pour se soustraire à pareille chose. Une personne de cœur, dans ce cas-là, sait devenir libre quand elle n’aurait que ses dents pour s’ouvrir les veines. C’est ce que je ferais.
J'aime ma mère et ma famille, plus qu’on ne peut aimer, mais j’appartiens avant tout au peuple, et ce que je vous dis là, je le ferais avec autant de calme que je l’écris. Dites donc bien à mes chers cousins que je désire seulement qu’on fasse prendre patience et courage à ma mère car je reviendrai ; et que mes cousins rentrent chez eux. Quant à moi, qu’on ne me parle plus de rien. Ma détermination étant bien arrêtée je ne veux ni n’accepterais rien et je suis de ceux qui tiennent leur parole.
Que de choses je vous dirais cher Maître si l’on pouvait écrire.
Au revoir, au retour, car je reviendrai si on me laisse partir en repos.
Louise Michel » 

 

うわお、と思った。

ドストエフスキーの手稿。

Avant "Word"… manuscrit de Dostoïevski, Les Frères Karamazov.

 

 

2019年、arteの28minutesでインタビューに答えるゴダール

選挙では一度も投票したことないそうだ。

ドニ・ド・ルージュモンの言葉のように、「(それが真のものかどうかはわからないが)希望が我々を救うということは信じている」そうだ。

www.facebook.com

 

マリーアントワネットは、断頭台に上るまでに集まった群衆にもまれ、履いていた靴の片方を失ったそうだ。

ホントの話かどうかは不明だけど、彼女は死刑執行人サンソンに「ムシュー、お許しください、わざとではありません」と言ったとか…。

Le 16 octobre 1793, Marie-Antoinette descend de la charrette et gravit les marches de l’échafaud, perdant l'un de ses souliers. Voir l’histoire de l’exécution de Marie-Antoinette sur https://www.prohistoire.fr/.../1511705_l-execution-de.... Photo : Musée des Beaux-Arts de Caen, © cliché Patricia Touzard

 

 

モンドリアンのおうちだそう。

いいな、と思った。