建築家たちの話がおもしろかった

雨ばかりの悪天候が終わったとたん、とても寒くなりました。

それでも青空の方が暗い空よりずっといいので嬉しい。

日はまだ短くなっていますが、日のある間は雨の日よりずっと明るいですし。

明日から12月ですね。

 

昨日の朝、9時30分ころ。

真っ暗な中、マンモグラフィー+エコグラフィーのために病院に出かけ、終えて帰宅する頃、我が家の近くの空。

明るいとエネルギーもアップ、昨日はいい気分でした。

 

 

28日火曜日 王立アカデミーでフランドル伯爵についてのコンフェランスを聴講。

 

講演者は米国人、子供時代をブリュッセルで過ごした方。
中等学校までブリュッセルで、その後米国に戻って向こうの大学で研究したのち、こっちに来てルーヴァンで研究を続け、今は米国の大学の先生。
フィロローグなので、古い文献に基づいてフランドル伯爵の血脈について話されました。
私はといえば、瞬きしただけで上下の瞼がくっつくというものすごい睡魔に悩まされましたが、内容は興味深かったです。
フランドル伯爵も英国やフランス王の王女を嫁にしているので、王家とのつながりありという誇りがあった。
こちらの歴史では一目置かれたていたファミリーです。
 
このファミリーの家系については、4回にわたって記されており、最後のが13~14世紀のもの。
これはお上の命令で記されたものでなく、記した人の興味で書き上げたものだ、って言ってたと思う。
(睡魔が聴くのを邪魔したので、聞き間違いということもありうるが・・・)
代々みな同じ名前を付けるのでまぎらわしい、だからわけわからなくならないようにまとめたい、という願望がモトらしい。
おもしろーい、わかるよ、その気持ち!(笑)と思いました。
フランドル伯爵に関しては、ボードワンとアルヌルという二つの名が繰り返し登場します。
 
フランスのSaint Omer(サントメール)にあるSaint Bertin(サンベルタン)修道院がフランドル伯が眠る教会だった。
サントメールって、ついこの前の大雨の被害でひどい目に遭ったところのひとつです。
この小さな街には、子供たちが小さかった頃、家族で1泊旅行したことがあります。
日帰り可能な近いところなんですが、たしかその頃リール近郊の美術館でやっていた「メキシコーヨーロッパ往復」という展覧会をついでに見たかったので、一泊してゆったり観光したのでした。
水路がいっぱいあったような記憶あり。
この修道院のことを知ってたら訪ねたのに…と悔やまれます。
モノを知らないと、こうやって貴重な機会を逃すんですよね。
悲しいことです。
 
昨日、29日水曜日 王立アカデミーで「美術史における新しいパースペクティヴ」4回シリーズのうち3回目。
この日は若い建築家の女の子たち二人が講演者。
早朝からの病院での検査ゆえに、やや睡眠時間少なめだった私、また睡魔が襲ってきたらいやだなあ・・・と心配しつつでしたが、全く眠くならなかったです。
講演者のキャラクターもあるし(若々しく元気いっぱいだった)、内容もとても面白かった。
研究者のキャラクターが他の研究者とちょっと異なるのは、建築物というのが、イヤでも今現在そこに暮らす人たちを巻き込んでいくものだから、同じアートの世界とはいえ、絵画といった美術品の歴史研究とは性格を異にするのかもしれない、などと考えました。
 
ひとりはULB、ひとりはリエージュ大学の研究者。
前者は、以前にもここで紹介したと思うけど、journées du patrimoine(文化遺産の日)に対して数年前から行われているイヴェント Journées du matrimoine に関わっている一人です。
カンブルの美術学校(後にドイツへ行き、バウハウスのモトを築いたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが創立した学校)の建築科で学んだ女性たちの話でした。
しばらく前にここに記した建築家、シモーヌ・ギルセン=オア、彼女についても話が聴けました。
彼女が作った建築物の前を、私はそれと知らずにしょっちゅう通っていたことを初めて知ったし、彼女の夫が第2次大戦中ナチに射殺されたことは知ってましたが、彼が、これもここで何回か記した、Groupe G のメンバーの一人だったことは初めて知りました。
 
それと、ああ、そうか、そういう発想はしたことがなかった、と思ったのがベギン会のこと。
自己の資産、不動産を持っていたベギンたち、女性としては欧州の歴史上例外的だったんです。
ベギン会って、やっぱりめちゃくちゃ興味深いわあ。
 
後者は、第2次大戦の後、住民の生活向上を目指してトータルな発想のプロジェクトとして行われたDroixheを、現在の視点で再読する、という内容。
このプロジェクトを担当したGroupe EGAUというのも初めて知りました。
特に、経済的な困難を抱えた人たち、子供たち、高齢者、病気や障害を抱えた人たち、そういう人々が暮らしやすいように、と、熱意をもっていろんなことを考え抜いている。
もちろん、現在の問題にそのまま使えないこともあるんだけれど、このモデルニストたちの発想には学ぶことがたくさんある。
作られたもののうまく機能しなかった施設や仕組み、その後壊されてしまった施設や仕組みの設計図に関する話は、なかなかエキサイティングでありました。
ここで、今英語圏から始まった【Care】という建築のタームも初めて知りました。
仏語に訳さずあえて英語のまま使われているのは、仏語ではそのコンセプトが一言で表せないから、と。
普通はSoinと訳される言葉ですが、その言葉では不十分でResponsabilitéなどなど、もっとトータルな意味だそうです。
おもしろーい、と思いました。
 
もっといろいろメモしたけど、後で見直さなければ…。
今日は4回シリーズの最終回、第2次大戦後の芸術史に関する講義を聴きに行ってきます。
その前にいくつか済ませたいこともあるし、この辺でオシマイにしておこう。
バタバタしたくないですからね。
 
自分用のメモ。
 
例によってSNS上で見かけたフォトなど。
 
昔のブリュッセル北駅。
今はすっかり変わっちゃって面影なし。
ここでマルクスエンゲルスはじめ、東から来た亡命者たちはブリュッセルに降り立った。

同様にすっかり変わっちゃった南駅。
ヴィクトル・ユーゴーやジュリエット・ドゥルエはここに降り立った。

 
この辺はEU議会地区なので今はすっかり変わったけど、駅舎はそのまま別の役割を担って残っている。
銅像は今も立ってる、ジェイムス・コクリル氏。

 
今朝FB上で見かけ、美しいなあ、と思ったフォト。
A daughter teaching her mother how to read, Alabama, 1890.