今年の冬は、気温で言うと全然寒くなく、でも、天気が悪くて、雨と風がすごい。
このひと月、ほとんどお天道さまにお目にかかっていないんじゃないかな。
コペンハーゲンで今開かれているサミットは、いつものサミットよりもっと大きな注目を浴びている気がします。
先日行われた、このサミットをめがけてのブリュッセルでのマニフェスタシオンには、うちの長女と次女も、友人を誘って参加したようです。
とくに次女は、文化人類学専攻ということで、同級生もみんなこのような問題に敏感なようすで、コペンハーゲンまで行く道筋も設けてあったらしいのですが、行って帰ってくるだけで300ユーロで、本人手が出なく諦めたようでした。
うちでは自家用車もナシにしたし、完全にではありませんが、ほとんどベジタリアンの生活になりました。
他に何ができるか?
子供たちが大きくなったし、親としても、自分の子どもだけじゃなくて、いろんなことに目を向ける余裕もできてきたしね。
昨夜はフランス2チャンネルで、またヤン・アルトゥス・ベルトランによる番組とディベートが放送されました。
下のアドレスをクリックしていただければ、その番組の中の一部、世界のいろんなところの人たちが、気候の変化が生活にどのような影響を及ぼしたか、訴えているところが視聴できます。
地球温暖化の今の一番の被害者は、バングラデッシュだと言っていました。
この国のCO2放出量は、ニューヨークひとつよりも少ないのに、と言っていたと思う。
近いうちに、国土ほとんどが水面下となるそうで、人々は生きていくために移動をしています・・・。
フランス語講座は、先週から病気でお休みしていた先生が戻りました。
自分の訛りは横に置いとくとして、やはり訛っていないフランス語を聞くのは、耳に気持ちいいです。
授業内容も、身の上話のような会話中心から、文法や分析といった、書くこと中心に戻ったんで、私は嬉しい。
代わりに授業をしたルーマニア人の先生は、ベルギーにはものすごい人種差別があり、自分はものすごく苦労した、と、何回も言っていました。
私は彼女の言うことを聞きつつ、半分は自分自身がひがんでいるんじゃないか、なんてことを、正直言うと感じていました。
「訛っていると言われた」という不満も言われてましたが、ほんとうに訛っているんだもの、それって「人種差別」と違うじゃん?
というわけで、本来の先生が戻ってきたんだけど、この先生、おしゃべりが好きで、3時間の授業のうち、1時間はおしゃべり、30分は休憩、で、授業らしい授業は1時間半くらいしかなく、週に2回しかないんだから、もっと厳しくやってもらってもいいのにな、というのが、私を初め大方の本心。
でも、他にほとんどないんですよね、言葉の学校で中級以上となると。
生徒の方、プロモーション・ソシアルという学校の性格上、出入りがけっこう激しく、ずいぶん新しい人が増え、また、出てこなくなった人も増えました。
私の好きなリトアニア人のロレッタは、ダンナの転勤でリトアニアに12月29日までに戻らなければならない、というんで、もう出てきません。
子供が3人いるし、学校の手続きや引越しの準備とかで、忙しいのでしょう。
クラスには、他にも旧共産圏の国の人が何人かいますが、全員が口をそろえて、学校教育がいかに厳しかったか、という話をします。
それに比べると、ベルギーの子供たちはほんとうにのんびり学校生活を送っている、と。
クラスのほとんど全員が、高等教育を終了した人ですが、チュニジア人の女性は、チュニジアで高校を終えたものの、卒業試験をクリアしないまま、つまりバカロレアを取得していない、それでベルギーで高等教育の機関に入学できない、と言います。
彼女がいつも言うのが、「わたしたち外国人は、学校にも入れないし、そのせいで仕事もみつけられない」。
あんまり「わたしたち外国人」を連発するんで、昨日は先生が怒りました。
仕事が見つからないのは、外国人であるためじゃない、ベルギー人だって仕事を探している、と。
そして、ありとあらゆる仕事に、外国人が従事している、君は問題の所在を「外国人であること」においているが、本当にそうなのか、よく考えなさい。
バカロレアを取得していないことが壁になっているなら、ここでそれを取得する方法があるんだから、まずそれから始めなければいけないだろう、と。
わたしも、ベルギーは外国人に対してとてもおおらかだ、と日頃感じているんで、先生の言うことはもっともだと思ったことでした。