インタビュー記事の続き

なんだけど、ずいぶん書き上げたところで、なぜだかわからないけど消滅・・・、泣きたい気分になったけれど、でも、こうやって日本語にしようとじっくり読むと、いろいろまた考えさせられたりもするし、かんばって続けるのである。
読んでくださっている方もおられるしね。


このTallocheを演じる俳優、興味深いです。

おもしろいな、と思ったのは、監督が、ジプシーたちに関するだけでなく、町長に代表されるものにも、新しいクリシェを提供しようとしているところ。
たしかに、こういうクリシェを創造し、それをモデルとしてやっていくことで、いろんなことが変化していく力がうまれるのでしょうね。


というわけで、続きです。





12・ロマの子供たちの就学の必要性を語られましたが、この映画自体が、教育的な力を持っていますよね。観る者、特に子供たちは、ロマの自由を妨害する(1894年に可決されたアナーキー処罰法である)凶悪事法の存在を知るでしょう。何よりもまず学校でこの作品を観てほしいと、願われているのではありませんか?



まったくそのとおりです。
この作品が学校で鑑賞され説明されることは重要です。
いつの日か、学校の教科書から、ロマや放浪者が人さらいの代表だといった、そういう記述が無くなることを望みます。
学校は長い間、こういうレイシズムに、一役かっていたのです。
この作品は、ジュストへのオマージュというばかりでなく、共和国の教師たちへのオマージュです。
私は、テオドールやランディ嬢にあらわされている人々に、深い敬意を抱いています。
何もしなければ絶対何も変わらないような、そういう問題に「何かをする」ことを決意し実行する人たちが好きです。
私はわざと、テオドールという人物を町長という設定にしました。
というのも、例外を除いて、こういう立場にある人たちは、ロマにとっては、汚らわしい虫けらなのです、こういう人々にとってロマが汚らわしい虫けらであるのと、ちょうど逆さまですが。
ロマがやってくると、町が乱れ汚れる、とよく言われます。
こういうクリシェと同様に、町長のクリシェも壊し、社会的制裁からロマを救うため部下とも闘うような、そういう人物像を設定したのです。
私が幼い頃、私を助けてくれた人物は教師でした。彼は、フランス共和国とその社会的公正さを、信じている人でした。




13・どのように俳優たちを指導しましたか?



誰にもシナリオを渡しませんでした。
撮影の前日の夜、翌日のシーンを話して聞かせ、テキストは当日の朝渡す、という方法をとりました。
俳優のそれぞれと、じっくり話をしました。
ルーマニアのジプシーたちは、ホロコーストのことを全く知らなかったのです。
チェオセスクのことに至るまで、話をしました。




14・James Thiérréeとは?



彼には、私の知っているロマの奇談を語りました。
Tallocheには、危険を察知するアンテナを持って欲しかったのです。
雷雨を察知する鳥みたいに。
そしてJamesは、本当に動物みたいです。
たとえば、ダンスのシーンのために私が書いた、「撃つな」「殺しをやめろ」とロマの言葉で叫ぶ音楽で踊るJamesは、まるで大地と愛し合っているようでした。
大地と一体になっているようでした。大地と交歓する動物です。




15・家に着いたTallocheが、家中の水道の蛇口を開け、水を解放しようとするすごいシーンがありますが、これはあなたのアイディアですか?



このシーンは、ロマを定住させようというのが、愚かな考えだということを訴えるために作りました。
ロマは、石に宿ると信じる悪霊が怖いので、壁で囲まれた家に住むことはできません。
テオドールの家は、彼らに提供された廃墟と正反対のものとなります。
悪霊が棲む刑務所のようなものなのです。
川を流れるはずのものである水が、水道の中で囚人となっているのを見たTallocheは、水を解放します。そして階段を泳ぐのです。
彼の好きにするように任せることに決めたのであって、もちろん、彼が階段を泳ぐなんて、全く予期していませんでした。




16・スタントマンはつかわずに木から飛び降りるように頼まれたわけですが、危険をともなっていましたね。



私はスタントマンを使うことを申し出ましたが、当然ながら彼はそれを拒否しました。
彼は、何回も木にのぼり、のぼる時につかんだところをよく観察し、落下がどういうものか分析しました。
そこで私は、彼がたいへん上手な空中ブランコ乗りでもあることを知ったんだけど、まったくなんでもこなす人物で、私が言ったことといえば、「さあ、始めようか」だけでした。



17・Tallocheが線路を走って転び、ヘブライ語の書かれた腕時計を見つけるシーンですが、これが映画の中で重要なところのひとつかと思うんだけど・・・



列車、線路、そしてドイツ人。レニ・リーフェンシュタールが撮ったよな感じで撮影したアーリア人たち。暴力的な描写はいっさいなく、ただナチだということだけ示しています。
不安が頂点に達し、Tallocheは何かが起こっていることを、線路の続くところに殺人収容所があることを理解します。
彼は恐怖を抱きトランス状態になって走り出し、線路に身を投げ出します。
このシーンの撮影のときの彼は、私がどの俳優にも今まで見たことのないものでした。
顔に石ころが食い込むほどだったのです。
危険を感じたところでこの腕時計を発見する、抹殺への道、ナチによるすべての抹殺、ユダヤ人たちと同様にジプシーたち。
その他、消されたすべてのもの。この腕時計とそこに記されたヘブライ語が、それらすべてを意味しているのです。



18・ひとりのジプシーが「どこへ行ったか誰にもわからないように、ここから出て行けば自由になれるかもしれない」と言うシーンがあります。



それです、それが自由なのです。
どこに行って何をするのか、言わなくてもいいこと。
凶悪事法の手帳に、ジプシー達は、町に着いたとき、あるいは出るとき、警察か町長に出してもらうビザを持っていることが義務付けられていました。
この手帳は、1969年まで、フランスではロマに義務付けられていたのです。
このジプシーの言う一言は、そういうことに異議を唱えるものです。



19・あなたにとってこのフィルムは、現在の状況を反映させているものですか、それとも過去の再構築でしょうか?



私は書きながら、現在の状況を反映させたいと考えました。
現在も、死の収容所というゴールがないことを除けば、状況は変わりません。
抹殺を掲げる政治はないけれど、心理的にも政治的にも、何も変わっていません。
ベルルスコーニのイタリアでは、ロマは今でも法外に置かれています。
ルーマニアハンガリーでも同様です。
フランスでもよく、ロマは非衛生的な場所に追いやられて暮らしています。
フランスではジプシーに、24時間以内であれば同じところに留まってもよい、としていますが、つまり、一箇所にしばらく留まるには、信じられないくらいたくさんの許可を得なければならないということです。




20・映画の最後に、あなたがデルフィヌ・マントゥレと一緒に書いた歌を、カトリーヌ・ランジェールが歌いますね。
何と言ってますか?



今朝やってきたばかりのロマたちはもう2度と戻ってくることはない。
他の者たちに幸運を。もし誰か僕たちがどこに行ったのか気にしているようなら、僕たち、この広い宇宙の主は、(狭い世界の)天国から、(狭い世界の)光から、放り出されたのだと、教えてあげて。

終わり。