ゲイシャの話 続き

前回記したゲイシャの話の続きです。

仏語史の先生にメールを送り、すぐ返信もいただいたので記しておきます。

 

講義を興味深く聴講していることを述べたうえで、≪ゲイシャ≫を女性言葉のよい例だとは思わなかったわけを説明させてもらいました。

まず、ゲイシャって西洋人の日本に関するクリシェであること、ゲイシャ=日本女性という誤った情報を与えかねないこと、私自身は芸者さんに会ったことはないが、彼女らが使うランガージュがあるとしたら、それはその職業と関わっていると思うこと、などを伝えました。

 

そしたらすぐに返信が届きました。

講義の後、彼女自身≪ゲイシャ≫について調べられたそうです。

そして、昔知り合った日本人から聞いて曖昧にしか理解していなかったことをはっきりさせることができてよかった、と感謝を表明されていました。

モノゴトはとても複雑なのに、時間が限られた講義の中では十分言及できないこともおっしゃっていました。

 

ああ、ホッとした。気分すっきり。

 

この先生、昔アイススケートをやっておられたそうで、40年前(講義のときは30年前と言っておられたが…)更衣室で日本人チームのコーチと英語で会話をした際、「オンナ言葉オトコ言葉」というのが日本語にはあることをゲイシャを例に話してくれた、ということです。

それ以降さらに知ろうとしていなかった、今回自分の曖昧だった理解を修正できてよかった、と。

更衣室で話したとなると女性ですよね。

その英語はアプロキシマティフだったそうなので、理解が曖昧だったのもわかります。

説明したその日本人の方も、その英語力ゆえに込み入った話はむずかしかったんでしょうかね、わかりやすくみんな知ってる(であろう)ゲイシャって例を挙げたのかもしれません。

 

仏語史の講義をきっかけに、私もいろいろ考えちゃいました。

 

日本のフィクションではゲイの人がオネエ言葉を使うことが多いですが、これもオトコ言葉オンナ言葉が存在するからで、例えば仏語ではそんなの存在しないよね、とか、自分自身を「ボク」とか「オレ」とかって言うのは敬語表現では使わない、もしかしたらオンナ言葉って敬語表現に近いのかな、日本語の敬語表現は上下関係を表すから日本の年寄りは女性蔑視から抜けられないのか、女の子が自分のことを「ボク」と言ったりするのはその上下関係を抜けるためか、などなど、勝手にいろいろ考えてます。

 

クリシェというとあまりポジティヴな印象はないのだけど、あえて新しくクリシェを生み出すことで、人々のあり方に影響を与えることもできると、以前映画「リベルテ」が発表されたとき、その監督だったトニー・ガトリフのインタビュー記事を読んで「目から鱗」だったことも思い出します。

偏見や差別に充ちたクリシェを壊し、目指すべきヴィジョンを体現する新たなクリシェを想像することは時には必要なことなのかも、とも思います。

 

 

 

今日は、昨日友人がFBにリンク貼ってたYoutubeのビデオがすごくよかったんで、それを貼ってオシマイにしよう。

www.youtube.com