1月4日から「正月」の特別感(?)がなくなり気がラクになりました。
気合を入れて掃除をしないといけない、とか、特別な食事をしないといけない、とか、けっこうなプレッシャーでもある。
(結局実行はしていない。)
別にお正月じゃなくとも、気合を入れた掃除を終えたときはいい気分になるし、おごちそうを食べるのも好きではあるのだが…。
「めでたい」という言葉は自分でも違和感なく使うし、誕生日にしろお正月にしろ「おめでとう」という祝福の言葉は、自分から発しても人からいただいても、メデタイ気分になるのはホントだったりする。
合格おめでとう、というときの「おめでとう」と、新年おめでとうやお誕生日おめでとうの「おめでとう」は、フランス語やスペイン語へ翻訳するときは同じ言葉や発想にはならないんですよね。
メキシコにいるとき、この「おめでとう」というニッポン語の話になった時、テストに合格したようなときと、誕生日やお正月のように自分が特に努力しなくとも自動的にやってくることは違うのに、どうして同じ「おめでとう」を使うの?と訊ねられたことがあります。
そのとき、あらホント、なんで?と思ったのを今でも覚えているのである。
「褒めたたえたい」とか「喜びたい」といった意味だろうから、決して矛盾はないと思うのだが…。
などと、正月気分という一種の呪縛を終えホッとした私は考えたりしたのであった。
さて、今年に入って最初の用事は血液検査でありました。
1月2日、採血に行くとき通ったハル門。
昔ブリュッセルを囲っていた城壁には7つ門があったのですが、そのうち今でも残っているのはこの門だけ。
今はミュージアムになってます。
午前9時少し前。
翌日は、いくつかの書類にサインするために銀行へ。
担当してくれた若いオニ―サンとはマンガとアニメの話で盛り上がり楽しかった。
で、上述したように、4日になるとすっかり「呪縛」から解放された。笑
そして昨日は、今年最初の仕事を無事に楽しく終えたのである。
去年5月から、自分のお金の使い方を把握するためにつけていた家計簿。
思っていたよりもっとパッパラパ―なのだと気づけたので、これでもうよし、先月からもうつけないことに決めています。
めんどくさい、というのもあるけれど、何よりそういうことをアレコレ考えるのを止めることにした。
ま、どうにかなるでしょ、どうにもならないようなときは死ねばすむし、みたいな。
元気だから言える傲慢な考えかもしれないけど、けっこう本気でそう思ってます。
とても美しい、と思ったフォト。
My grandmother says they lived in a huge igloo. She spoke so highly of her dad Pipqanaaq. She said her dad was hardworking that kept his family alive during the cold harsh winters. pic.twitter.com/HBrUbT0jTj
— Jordan Kunni (@JordanKonek) December 30, 2022
ホントのハチを初めて見た。
元日に聞いて以来すっかりお気に入りになったドイツのAMK。
ベルリンTV塔が映っている、
2回しか行ったことないのに「懐かしい」などと思ってしまう私である。