ちょっとばかり考えた

今日はちっちゃな脳みそで考えたことなどを、ゆーっくりメモしておこうかな、と思います。

今月は仕事を入れず、まるまるひと月お休みにしてるので時間はたっぷりある。

時間がたっぷりあるのは毎度のことなんだけど、私の脳内はいつもいっぺんに、あれをしなければ、これをしなければ・・・とものすごく騒がしい、悲しい性格なんですよねえ。

そういうわけで、「今月はヒマだぞ」とわざわざ自分に言い聞かせる必要があったりする。

 

でもその7月も、もう半分が過ぎそうですけど、ね。

 

 

 

ここ数日、私が一番見かけるのは、ミラン・クンデラが亡くなったというニュースと、この作家に関する記事です。

 

 

これ ↓ は有料記事なので数行しか読めないけど、Milan Kundera, le plus européen des écrivains, est mort という見出しにに、「すごいな」と思いました。
一番有名な作品は、L'Insoutenable l'égèreté de l'être (存在の耐えられない軽さ)ですかね。
80言語に訳されていると、ドキュメンタリーで言ってました。
(このタイトルもなかなかのものだと思うわけです。タイトルをみただけで、読みたい!と思わされる。)
これは、ずーっと前にうちの近くの図書館で借りて読みました。
その頃は今よりもっともっと仏語がヘタクソだったし、なにより自分の持つ語彙があまりにも少なかったので、ほとんど何もわからなかったと思うけど、一応読了はしたのである…。
 

www.telerama.fr

 

この記事 ↓ は無料で読めます。

www.telerama.fr

1980年のインタビュー記事 ↑ です。

この記事の見出しもいい。

小説というのは寛容を学ぶ場であるから、全体主義とは両立しない、と。

 

さっそくarteが制作したドキュメンタリーもRTBFのサイトにアップされたので、これも視聴。

auvio.rtbf.be

 

「存在の耐えられない軽さ」が映画化された時の監督はフィリップ・カウフマンでしたが、もともとミロス・フォアマンに監督やってもらいたかったものの(←プロデューサーが? 視聴しなおさないと誰がそう思っていたのかわからない...)、チェコ在だった彼の家族に何らかの災いが及ぶ危険があったために実現不可だったのだそうです。

 

「自分が書きたいのは、(それぞれ)唯一の愛の在り方だ。」と言ってます。

その「愛」は、それぞれの「個」の在り方なわけだけど、私たちはみな歴史のコンテクストの中に生きているわけで、どうしても「政治的」になっちゃうんですよね。

 

「母親が亡くなった時、自分と故国を結ぶ唯一の糸が切れた」と言ってましたが、「それすごくわかる」なんてずうずうしくも思ってしまった...。

 

↑ に貼り付けたドキュメンタリーの中にも紹介されている動画がFB上にアップされてました。

1984年のもので、彼がメディアに登場した最後のもの。

これはブイヨン・デ・クルチュール Bouillon de Culture という、ベルナール・ピヴォというフランスの知識人の番組です。

(フランスの2チャンネル。あらゆる文化人をゲストとして招待して話を聞く、というもの。非常におもしろかったので、うちでは毎週見てました。)

L’écrivain Milan Kundera est mort à l’âge de 94 ans. Pour sa dernière apparition à la télé en 1984il évoquait l’érotisme dans son roman "L’insoutenable légèreté de l’être".

www.facebook.com

 

 

こういった記事を読んだり見たり考えたりして、アートに政治を持ち込むな、と騒ぐ人がいっぱいいる社会(為政者が法律で縛っていてそうなってる、というわけでもないからほんとに驚く)は、やはり最初から≪西洋≫の在り方からうんと遠いのではないか、と思ったりしました。

今どこでもめちゃくちゃ苦労している「デモクラシー」という在り方、ここでは数千年にも及ぶいろんなことを経てきてもまだ今の苦労があるわけで、開国してから、あるいは第2次大戦が終わってから、ひょいっと表面だけ取り入れても...ねえ...。

土台が異なるんだからきっと独自の方法があるはず、「民」の意識が伴わないなら、いっそのこと「良い独裁者」を立てる方法を模索した方がよいのでは?などと、少し意地の悪いことを考えてしまったのである。

 

私が持ってるクンデラ本は、裏切られた遺言 というエッセー本のみ。

ニッポン語に訳されたものです。

また読もうと本棚から引っ張り出してきた。

翻訳なんて最初から不可能だというのが最近の私の考えではあるものの、専門家の人が訳したものは、私がヘタなフランス語で理解するものよりは何倍も優れているはずなので。

 

FB上でこんなフォトがアップされてました。

 
C'était l'année de 1968 quand Milan Kundera invita Julio  Cortázar, Gabriel García Márquez et Carlos Fuentes à visiter Prague. Les temps étaient durs, à peine trois mois de l'occupation russe vers la Tchécoslovaquie.

 

 

 

最近のベルギーのニュースでへええっと思ったものふたつメモ。

 

ひとつは、フランス語圏で小学校から性愛の教育を導入する、という話。

年間4800万ユーロの予算が付くそうです。

www.rtbf.be

 

もうひとつは、ワロニアで生産される武器の輸出がストップされた、という話。

これは「輸出された武器がロシアへ流れている」ことが、RTBFの取材によって明らかになったから、だそうです。

 

 

 

あいかわらずBLマンガを読みまくってます。

オメガバースってのを知ったのもそのつながりなんだけど、これってこちらではほとんど知られてない設定なんです。

今後のことはわかりませんが、アメリカで生まれニッポンで受け入れられれている性愛に関するこの設定、たぶん社会の在り方とかなりかかわっていますよね。

興味深いです。

 

 

 

ゆっくりいっぱい書こうと思ったけど、もうめんどくさくなっちゃった。

 

なのでフォトを1枚貼り付けて、オシマイにする。

 

Frank Sinatra selfie, taken at his apartment in Hoboken, New Jersey, 1938.