昨日のお昼のニュース、「今フランスから入ってきたニュースです。ジェーン・バーキンが亡くなりました。」と閉じられました。
ええっ・・・と思いネットで検索すると、その30分足らず前にアップされたニュースがヒット。
少女の頃から彼女のことが大好きな友人に、さっそく「亡くなった」とメールしたことでした。
ロック少女だった友人は英国通でもあります。
彼女によると、英国での報道はフランスのそれとはちょっとトーンが異なったっぽい。
フランスに去った人ってとらえてるんだな~英国の人々、ということでありました。
それからは、もうあっちもこっちもこの話題、夕方のニュースも最初の10分は彼女へのオマージュでありました。
フランス語圏ではホントに人気の女優・歌手でありました。
訛っているとこも魅力なんだと思います。
(ジーン・セバーグやアンナ・カリーナも訛ってますしね。あ、そういえば、ロミー・シュナイダーはあまり訛ってる感じがしないなあ…。)
ガンズブールがBBのために作った Je t'aime, moi non plus は、ガンズブールによる歌として英国で初めて大ヒットしたのだそうです。
BBが拒否したので、当時ガンズブールに惚れまくっていたジェーン・バーキンが歌うことになったのだとか。
私はといえば、やはり少女の頃に観た映画が最初の出会い。
その映画が少女の私にはひどいもので(今見たら違う印象を持つのかもしれないけど・・・)、全然良さがわからない、というのが第一印象だったんですよねえ…。
上述の友人の話を聞いてからは、ずいぶん違って見え始めたのではありますが。
私にとって生のジェーン・バーキン体験は、子供たちと出かけたブルターニュのロック・フェスティヴァル≪ヴィエイユ・シャルー≫でした。
そのころ3女はまだ小学生、ダンナ抜きで出かけたのである。
リール駅からこのフェスティヴァルに出る夜行バスに乗ったのだけど、そのときはバスを待っているとき、ズボンのポケットにナイフを持ってる酔っ払いに絡まれて、ものすごく怖い思いをしたのであります。
ポリスを探して、そのそばに貼りついて難を逃れました。
ベルギーに比べれば、数倍厳しく仕事をする印象のフランスのポリスです。
そのそばにいれば少しは安心だと思ったのである。笑
(ベルギーでは職務質問なんてされたことありませんが、フランスでは何回も経験しました。)
フェスティヴァルは楽しかった。
キャンプしながら、です。
朝には近くの農家のおじさんが、搾りたてのおいしいミルクを無料でふるまったりしてくれるんですよねえ。
このときの私の一番の目当てはピンクフロイドディープパープル 。
ステージがいくつもあって、それぞれの出演者が決まったプログラムがある、で、観客はそのプログラムを見ながら、あっちのステージ、こっちのステージと、自分のお目当てのステージのために動き回るわけです。
で、そのとき、ディープパープルの直前がジェーン・バーキンだった。
良い場所を確保したいので、それまでいたブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのイブライム・フェレールのステージを早々に抜け出し、ジェーンのステージの方に移動しました。
(イブライム・フェレールは、このフェスティヴァルの直後に亡くなりました。今調べたら2005年。だからこのフェスティヴァルの思い出は、2005年の7月中頃の話です。)
そのとき私たちの周りにいたのは、ほとんどが次のディープパープル目当ての人たちなので、彼らが「ジェーン、もうわかったから、早く交代して!」と、聞こえない最大限の声でふざけたりしてました。
このフェスティヴァルで私が一番気に入ったのはフランツ・フェルディナンドだったなあ。
ジェーン・バーキンといえば、このときのことをいろいろと思い出すのであります。
今ちょっとヴィエイユ・シャルーのサイトを見たら、今日が最終日だ。
もうこの歳になったら、キャンプしながらの音楽フェスなんてとてもムリ。
ほんと、子供たちが小さいころ、あっちこっちに行きましたけどね。
経験しといてよかった。
それからしばらくしてからは、子供たちは彼女らの友人たちと出かけるようになり、母は置いてけぼりでしたし。笑
Jane Birkin, Paris, 1965.