第1次大戦中、世界1周の旅をしたベルギー兵士たちのはなし


今、数日後に控えた仕事を前に、戦争の勉強に打ち込んでます。
戦争史好きな方のご案内をすることになるらしいので、
ある程度のことを把握しておかないといけないから。

そんな話を長女としていて、彼女から教えてもらった話。
なんともベルギーらしいシュールな話なので、
書き留めておこうと思います。

1915年、第1次大戦のさなか、総指揮官である当時の王様、アルベール1世から、
東部戦線に送られたベルギーの装甲車部隊、
1917年、引き上げてこいという命令が下った時にはキエフにいて、
その時点では、西の方の来た時の道は、
ドイツ軍・オーストリア-ハンガリー軍、さらにはロシア革命故に通れず、
反対側をグルーンと、世界1周して、
1918年、ほとんど戦争が終わった頃、
ようやくボルドーにたどり着いたんだそうです。

シベリアを横断、ウラジオストックから米国の船に乗ってサンフランシスコに上陸。
陸路NYへ。
米国はドイツに対する連合国の戦いぶりに盛り上がっていたので、
大歓迎を受けています。
そして1918年5月にNYから船に乗り、1918年6月にボルドーに到着しています。

リンクをふたつ貼り付けておきます。

仏語ですが、彼らの旅のルートや写真といったものもあるので、
よかったら見てみてください。

http://connaitrelawallonie.wallonie.be/fr/histoire/atlas/le-tour-du-monde-en-guerre-des-autos-canons-belges-1915-1918#.Ws4AKJcuBPY

http://www.cafard.eu/sites/default/files/news/attachments/Pers%20-%20FR%20-%2003.04.15%20ACM%20dans%20JOUNAUX%20de%20GUERRE.pdf

WIKIの記事も貼り付けちゃおう。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Autos-canons_belges

「ヒーロー」について考えている私


先月23日に、フランスのカルカッソンヌの近くの小さな町で、
(以前、家族でピレネーの山奥に住む友人を訪ねるたびに、このあたりはうろうろしたので、町の様子もすごくよくわかる…。)
テロリストがスーパーマーケットを襲い、そこにいた人々を殺したり、人質にして立てこもるという事件が起きました。
そして、丸腰でその人質の身代わりになり殺されたアルノ―・ベルトナム中佐のことも、日本で報道されたのではないか、と想像します。

この方をヒーローとして、フランスが国をあげて讃えました。

そこで感じたことふたつ。

フランスのために、共和国のために、と強調されることへの違和感。
この方はきっと、異なるコンテクストの中でもきっと、自分を犠牲にしてでも他者の命を救うことをいとわない人であったに違いないと思うので。

それと、ヒーローという言葉の意味。
日本語だと「英雄」と訳されるのを覚えていたんで、もしかしたら、ヒーローはヒーローで、日本語の「英雄」とは似て非なるものなんじゃないか、ということ。

ベルトナムさん、のどを掻き切られて亡くなったんですね…。
むごいことです。

士官学校をトップで出られた軍人さんであるこの方のお母さんは、事件の状況を知り、身代わりになったという人物は、自分の息子に違いない、とすぐに思ったそうです。


というわけで、ああでもない、こうでもないといろいろ考えていたところ、arteの28minutesでも、「ヒーロー」について、いろんな話がされました。
ああ、私がこの言葉が気になったのは、当然だったんだ、と思ってしまった。

https://www.arte.tv/fr/videos/075223-151-A/28-minutes/

いつも読ませてもらっている、竹下節子さんのブログでも言及されていました。

https://spinou.exblog.jp/29395618/
https://spinou.exblog.jp/29398853/
https://spinou.exblog.jp/29401720/

それに、毎週視聴しているビデオニュースドットコムでも、「英雄」の話。
今回は5金スペシャルなので、無料で配信されています。

ここでも、きっと宮台さんの言うところの日本語の英雄という言葉の意味と、ヒーローという言葉の意味に、違いがあることがかかわっている気がしました。

http://www.videonews.com/marugeki-talk/886/

実はこの前書いた記事に、暦を一周して人生のオマケ部分スタート、と書きましたが、「楽しむぞ」というのももちろんだけど、万が一、テロや天変地変に遭遇したとしたら、オマケ状態の自分がまっさきに、自分の命はリスクにさらしてでも、周りの誰かの命を救わないといけない、などとも思ってます。
実際にそういう事態になったとして、小心者の私が、はたしてどこまで実行できるか、はなはだ疑問ではあるのだけど。
だから、何か起こるたびに、もし自分だったら、と、脳内シミュレーションをやったりしているのでした。

そういう風なので、フランスでの事件は、私にとってすごく大きかった。

もうずいぶん前になりますが、米国のアーミッシュのコミュニティの学校で、子供たちが何人も撃ち殺されるという痛ましい事件が起こった時、年長の女の子が、年下の子供たちを守るために、「私を先に撃って」と進み出て最初に撃ち殺されるということがありました。

そういうことも思い出したり…。

とりとめなくいろんなことが頭と心に浮かんでくるばかりで、ちゃんと書き記せないのだけど、これからもちゃんと考えるために、ちょいと記録しておこうと思った次第です。
 

トーナメント@王立アカデミー


昨日の夜、時々講義や講演を聴きに行く王立アカデミーで、ベーシック・インカムについて、賛成・反対に分かれてのディベートがあり、申し込めば聴けるというんで行ってきました。
TVでもライブで放映され、その後はビデオで視聴できます。
(私も映ってるかも・笑)

https://www.rtbf.be/auvio/detail_les-tournois-de-l-academie?id=2323255

双方の意見を聴き、どちらが納得のいく話ができたか、聞いた後に自分のスマホで投票するというものでした。
自分がベーシック・インカムに賛成か反対かではなく、発言者の話について評価してね、ということでした。

今後何回か、同じ設定でテーマを変えて、同様のトーナメントをやるとのこと。

もうちょっとちゃんと記しておきたいけど、今朝ものすごく早くから仕事に出なくてはならず、寝不足で脳みそが働かないので、一応忘れないように記しておこうと思った次第。

ベルギーの王立アカデミーは、マリア・テレジアが創設させたアカデミーがモトで、欧州ではアカデミー・フランセーズに次ぐ歴史があります。
いろんな講義が、登録さえすれば無料で聴講できるという気前のよいものです。
こういうところが、なんともありがたいわあ。

久しぶりの寒さ


ここ数日とても寒い日々が続いています。
ここ何年か、氷点下になることがほとんどない、あまり寒くない冬が続いていたので、すごく久しぶりです。
それでニュースでもさかんに取り上げられていますが、以前はこのくらいの寒さは普通だったような気がするな。
もっとうーんと寒いこともあったし。

それより晴天が嬉しい。
明け方と黄昏時の空の美しさは最高。
マグリットの「光の帝国」そのものです。

でもこんなに冷たいと、野宿者さんたちが凍死しちゃうんで、各地区で寝泊まりできるところに避難させたりしています。
ブリュッセルの地区によっては、こんなに寒いときに野宿するというのを禁止する方針をとり、強制的に宿泊施設に連れて行くところもあり、人の自由をうばうのでは、と、ちょっと問題になったりもしています。

日曜日には、寒い中、政府は難民の人たちにもっと人間的な対処を、というデモがあり、何千人もの人が参加。
私のうちにおいで、と訴える人たちもいます。
(うちの子供も、友人とシェアしている家に、エチオピアの若者を泊まらせたりしていました。)
市民が政府にこんな風に訴えないといけない状況って何よ、と怒っている人も。

https://www.rtbf.be/info/regions/detail_manifestation-de-soutien-aux-migrants-des-tentes-le-long-du-trajet-pour-simuler-une-jungle-de-calais?id=9850308

私はこの日、暖房のきいた快適な自宅でダラダラ過ごしていたので、後でニュースで見て、ちょっと恥じたことでした…。

久しぶりの日記

このブログ、更新しないままほとんど1年が過ぎてしまいました。
久々に更新。
タイトルも変えちゃった。

去年のクリスマスで60歳になりました。
去年はずっと会う人ごとに「還暦だ!」と言いまくり、これが物忘れやドジの、ものすごくいいエクスキューズになることを発見(笑)。
それに、暦を一周して振り出しに戻ったことだし、これからは人生のオマケ部分のスタートと、とにかく残りの人生を楽しむぞと思っています。
明日死んでもかまわないし、それに、いざとなったら死んだふりで乗り切ろう、と(笑)。
というわけでタイトルも変更。

2月も半ば過ぎ、日もだいぶ長くなってきたし、お天気のいい日は、お日さまもずいぶん高くなりました。
春がもうそこまで来ています。
嬉しいものです。

ということで…。

「この世界の片隅に」を観たこと、東日本大震災の6年目を迎えたこと、ヨーロッパのこと


28日しかない2月は、飛ぶように去ってしまい、もう3月も中旬です。

今日は久々に、「しないといけないこと」にプッシュされることのない日曜日。
おまけに暖かい、青空の広がる良いお天気で、3月になると、冷たい凍えるような日があるかと思うと、こういう春の日もあります。日も長くなったし、嬉しいことです。
今月末には、サマータイムに突入。暗い冬もようやく終わりです。


ずっと楽しみにしていたアニメ「この世界の片隅に」を、先月末観てきました。
毎年カーニバルの頃、ブリュッセルのフラジェで行われるアニメフェスティバル「ANIMA」。
「君の名は」も「この世界の片隅で」も、絶対上映されるに違いない、と思っていたら、そのとおりでした。
上映の2週間ほど前にチケットをゲットしようとしたら、先に上映される「君の名は」はもうソールドアウト。
この世界の片隅に」の方は、ぎりぎりでゲットできました。よかった。

欧州では初公開ということで、プロデユーサーの方がいらっしゃっていて、上映前に少し話をされました。
上映後にはディベートもやります、とのことでしたが、なにせ上映開始が22時、とてもディベートまで残る気力がなく、残念ながらこれはパス。
後で参加した人の話を聞くと、ディベート後は、残った人たちみんなでビールを飲みに行ったそうな。
かえすがえすも残念なことだけど、夜中12時をまわっちゃうと、おばさんにはつらい。(笑)

原作のマンガも読んでいたので、お話の内容は知っていましたが、証言をもとにできうる限り忠実に描いたという映像も、期待していた通り、とても美しかった。

観客の反応も良かったと思います。笑い、涙を流し、終わった時には拍手が起こっていました。


昨日、3月11日は、東日本大震災からちょうど6年目でしたね。
私は仕事が入っていたので、何にも参加しませんでしたが、友人が鎌仲ひとみさんの映画の上映会を開いたし、いつもものすごく頑張っているデユッセルドルフの「さよなら原発デユッセルドルフ」の人たちは、デモをやりました。
また、今日から、彼らが主催する樋口健二さんの写真展も、デユッセルドルフでスタートです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201703/CK2017031102000204.html

先月19日には、アーヘンで、おしどりマコさんの講演もやりました。
アーヘンは近いので、友人たちと聞きに行きました。
その時のことを、一緒に行った友人がその時の動画つきの記事にしていているので、貼り付けます。
皆さんにもぜひご覧いただきたいと思います。

http://www.speakupoverseas.net/learning-from-fukushima/


動画と言えば、フクシマ出身、モントリオール在住で、一昨年パートナー氏がサバティック・イヤーということで、家族4人で1年間ルーヴァンにいた知り合いが教えてくれたこの動画。

"Fukushima, A nuclear story" by Matteo Gagliardi (2016) is now on VIMEO for free screening till March 16, 2017.
https://vimeo.com/207604996

以下鑑賞サイトよりそのまま引用:

映画『福島原発の悲劇』(英語版原題 "Fukushima: A Nuclear Story")

この映画は、昨年3月11日にイタリアのSKYTG24テレビ放送で初公開され、その後、アメリカ、カナダ、ブラジルも含めて、世界16ヶ国で放映されました。が、日本では未だ正式公開されてはいません。全テレビ局おことわりしました。

しかしながら、これは、特に日本人の為に作られた映画なのです。日本の人々がこの映画を観れるように、その権利を守るために、今から1週間にかけて、無料配信致します。

是非御覧ください。

そして、宜しければ、是非コメントをお寄せください。

宜しくお願い致します。



ということで、私も今から観賞します。



さてさて、ローマ条約から今年で60年。いろんなところで反EUの動きがあり、危機を迎えているEUです。

もうあと数日で、オランダの選挙ですね。どういう結果になるでしょうか。

以前にもちょいと記したことのある、申し込みさえすれば、だれでも無料で聴講できるベルギー王立アカデミーの公開講義でも、「欧州は歴史上の転換期にあるのか」というテーマで、3回連続の講義が先週スタートしました。
第1回目は、「現在の危機と過去の危機」(歴史学的視点)というテーマで、歴史家のロナルド・サッスーン氏によるものでした。イギリス人ですが、カイロ生まれでフランスやイタリヤでも学んだという、多文化の方、フランス語も訛なし(笑)でした。
ヨーロッパのどこの国も、自国の歴史は学んでも、欧州全体の歴史を学ばず、隣国のことすらよく知らない、と話されていたのが印象的でした。

ブリュッセルに住んでいると、「EU」はとても身近だけど、よその国の人たちには全然身近じゃないんでしょうね。
EUももっと広報に力を入れないといけないのかな?
EU市民ひとりひとりが負担するおカネなんか、本当にわずかなんだけど、そういうことも誰も知らないんだもんねえ。
それに、最初にEUを作った人たちは皆年を取り、今のEUの人たち、エリートっぽすぎるのかもしれない。


今週のテーマが、「グローバリゼーションにおけるヨーロッパの位置」(経済学的視点)、来週が「地政学的変化と、そのEUへの影響」(地政学的視点)です。

うちの子供たちが学校で学ぶことを見てきた経験からいうと、ベルギーという国自体が若い国だからか、EU本部があるからか、あまり「自国のこと」ばかり教え込まれてきた印象はありません。
だいたい中央集権国家じゃないし、ナショナリズムもない国だから(10年くらい前に、当時の首相も国歌が歌えないことが判明。大笑いになったことがあるくらい。)。
少なくとも私には、小国のベルギーにとって、EUの中で、いろんな自由が保障されているのは、恩恵ではあっても、全然「損」な感じがしません。

これもいつも話題にする独・仏合同で作っているTV局arte、ここでちょうど、ローマ条約60周年ということで、10回シリーズで2500年に渡る欧州の歴史の番組をやってます。

http://www.arte.tv/sites/temps-forts/60-ans-traite-de-rome/


もうひとつ、昨日のニュースの、現在のアフリカの干ばつによる深刻な飢饉に関する話が印象的でした。
80年代の飢饉の際には大きな話題になり、ものすごく多くの人が助けようと寄付もしたのに、今はほとんど誰も心配しようとしない、これはいったいどうしてだろう、と。
インタビューに答えて、一人の人が、「難民問題などで、だれもよその心配をするどころじゃないのだろう」と言ってましたが、多くの人に心の余裕がなくなってきている、ということでしょうか。


と、今日はこの辺で。
今から上述のビデオを鑑賞します。

ユートピア


ルーヴァンのミュージアムMでやっているユートピアをテーマにした展覧会を観に行ってきました。
行こう行こうと思いつつ、モタモタしているうちにもうオシマイになる日も間近、これはもう今行くしかあるまい、と昨夜オンラインでチケットを購入。

トマス・モアの「ユートピア」がルーヴァンで出版されて去年で500年、というんで、去年の9月に始まった展覧会。

私の苗字、しょうほうじ、は、正法地、と書きます。
末法の反対である正法の地、というんで、仏教のお浄土の意味らしいのだけど、考えてみれば、これってどこにもない場所、ユートピアのことだ、と、今日はじめて気づいてしまった。

http://www.mleuven.be/fr/%C3%A0-la-recherche-dutopia

うちの本棚から文庫本の「ユートピア」を探し出してちょっと読んでみると、モアとその友人たちの書簡は、アントワープ、メッへレン、ルーヴァンなどで書かれています。

ブルージュに行くたび、トマス・モアが外交特使としてブルージュを訪れた際に滞在したという建物のそばも通ります。

彼らユマニストたちが生きた時代も、人々は今と同じような問題意識を持っていたのだ、と、彼らが生きたその地で思いを馳せることにちょっと感動してしまった。

デユーラーが2年に渡ってネーデルランドを旅したのもその頃だもんね。

500年かあ・・・。