おもしろかったビデオ、再視聴したのでメモ

今日は午後、ワクチン接種センターに行ってきます。

なんだかソワソワワクワクします。

新しい体験をするとき、とか、事態が急変(乗るはずだった電車が何故か動かない、乗ってた電車が訳も分からないまま動かなくなった、みたいな)したとき、とか、そういう時と似た、ちょっとコーフンした気分。

 

今のところ良いお天気、でも天気予報によると、今日もコロコロと天気が変わるらしい。

私が行く接種センターは徒歩で20分足らずのところ、歩くときよいお天気だったらいいんだけど、あまり行きなれない方角なので、方向オンチの私は、道を間違わないように、と、そっちの方がちょいと心配です。

 

 

さて、前回の記事に記した≪占領下のアート市場 Le marché de l'art sous l'occupation≫というビデオ、昨日もう一度、いろいろメモしたり調べたりしながら視聴しました。

www.rtbf.be

 

1時間ほどのビデオです。

読んでくださる方に「おもしろい」と感じてもらえるくらいちゃんと記したいところですが、能力以上のことを望むと固まってしまい何も書けなくなるので、ま、自分用のメモってことで…。(って、言い訳からスタート 苦笑)

 

ナチスによってユダヤ人が所有していた美術品が没収されたこと、キュビズムダダイズム・エクスプレッショニズムといった近代のアートを、彼らが退廃芸術と決めつけ処分したこと、などなど、すでによく知られたことですが、このビデオ(arteによる2021年のもの)の新しいところは、これまで公開されることのなかった競売の記録(カタログ等)が、競売を行ったパリの会社Drouotの方針により、資料としてちゃんと示されているところです。

そして、「アート市場」という視点から制作されているところ、でしょう。

 

Drouotという会社は、第2次大戦後、英米の会社に追い越されますが、以前は世界のアート市場の80%は彼らが扱っていた。

 

Drouot(ドゥルオ)のサイト

www.drouot.com

 

今のトップの方。

www.gazette-drouot.com

1970年生まれということで若い。

ビデオにも登場されますが、彼の方針がなかったら、このドキュメンタリーの制作は不可能だったようです。

ものすごく有能な感じがします。

「もし自分がその時代にこの会社のトップだったら、はたしてどのような反応をしただろうとよく考えます。当時の反ユダヤ主義というものがどんなものであったのか、私たちの世代は実は理解できていないのかもしれないとも思う。」

とおっしゃっていました。

苗字を見て、ご先祖様はイタリア人かな?、と思って読んでみると、お父さんはブルターニュ出身、お母さんはヴェネチア出身だそう。

ご本人はビブリオフィル(本愛好家)だそうで、15・16世紀のヴェネチアの書籍について詳しそうです。

 

1930年代、アート市場の景気はよくなかった。

それが戦争が始まるとものすごい勢いで伸び、美術品の価格も10倍となる。

この会社の地下に保管してあるカタログを見ると、1940年のものは4~5㎝の厚さのもの1冊なのに、1941年以降はものすごい量です。

 

退廃芸術と決めつけられた作品は世界中の愛好家に売られ、ドイツ軍の資金となります。

ヒトラーゲーリングがアート好きだったのは有名ですが、彼らが好んだ作品は、没収されたり競売で購入されてドイツ・オーストリアに運ばれます。

占領下、フランス政府は莫大なお金をドイツに支払わないといけなかったんだけど、それを資金にドイツはフランスで美術品を購入していました。

ゲーリングクラナッハやヴァン・ダイク、特にフランス・ハルスが大好きだったそうです。

彼が占領下のパリを訪れたのは40年11月から44年7月まで21回、自分専用の列車でやってきて、帰路運び出した美術品は4000箱。

没収した美術品の量は膨大で、彼自身がヒトラー用に«H»、自分用に«G»と分類しました。

 

戦後ニューレンベルグの裁判で、ゲーリング同様死刑判決を受けたアルフレッド・ローゼンベルグ、彼は占領下の全ての地域で価値ある美術品を没収した人です。

フランスにおいては、没収品は最初はルーヴルに保管していた(というのも、ルーヴルのコレクションは、戦争が始まる直前に、当時の館長の判断で運び出され保護されたので、建物は空っぽだった。)のですが、それでも場所が足りない。

そこでJeu de paumeに保管すると決めたのもこの人。

Jeu de Paumeでは、「退廃芸術品」はカーテンで仕切られたところに隠されました。

 

私がこのドキュメンタリーで初めて知った人たちですが、まずオットー・アベッツ。

占領下のパリに乗り込んできたのは、彼が37歳の時。

妻がフランス人だったこともあって、パリは自分の街であるかのように詳しく、パリ在ドイツ大使としてわがもの顔にふるまった、上の指令など関係なく、やりたいようにやった人です。

彼の最大のミッションは、ユダヤ人の所有する古典美術作品の調査と没収です。

10万フラン以上の価値のある美術品を所有する者に申告を義務づけたのもこの人。

 

ニューレンベルグの裁判では、この人は5年の禁固刑。

検索したら、1954年4月、彼が刑期を終え刑務所を出たという記事を、ル・モンドのアーカイヴで見つけました。

www.lemonde.fr

 

それとブルーノ・ローゼというSSで美術史家。

彼の美術史家としての専門分野は、17世紀のフランダースとオランダのアート。

ゲーリングは彼の知識を高く評価、パリにおいてより興味深い作品を見つけるよう命じます。

SSなんだけど制服を着ることはせず、パリ中を自由に動き回る。

アート市場という視点からは、占領下のパリにおける重要人物です。

この人への判決は禁固2年。

WIKIってみると ↓ 彼の行った活動のうち、一番上に記されているのが「美術作品の盗み」です。

fr.wikipedia.org

 

もうひとり、ちゃんと調べたかったのが、ヒトラーリンツに作ろうと計画していた美術館のために、オットー・アベッツ同様に美術品の収集を命じられた人物。

どうしても名前がうまく聞き取れなくて調べられなかった。

フィルドバンゴーリットとか何とか聞こえるんだけど、いろんな綴りで試みても、どうしても探して出せませんでした。

 

上述の人々は別の形で、このアート市場に関わった故に裁判に上った人が二人。

スイス人です。

 

ひとりは戦前「退廃芸術作品」や戦中の没収品の競売をやったテオドル・フィッシャー。

今もある会社です。

www.fischerauktionen.ch

この人は莫大な罰金の支払いを命じられたそうですが、それだけ。

 

もうひとりはビュールレ・コレクションのエミル・ゲオルグ・ビュールレ。

この人は印象派の作品13点の返還を命じられたのみ。

当時のスイス一の大金持ちだった彼、実際は633点の作品を購入したことがわかってる。

前回の記事にも書いたポール・ローゼンべルグのコレクションだった没収作品を、戦後すぐにローゼンべルグに直接購入したいと申し出、受け入れられたりもしたそうです。

 

このスイスの二人が、想定されたよりずっと軽い判決を受けたのは、当時のアート市場重要な人物だった故、とのこと。

 

 

いずれにしろ、現在いろんな美術館が所有する作品の中に、占領下、不当な方法で没収されたりしたものが、かなりたくさんあるわけです。

たとえその美術館は正当な方法で購入したとしても、元をたどればいろいろと疑われる。

 

そういうことをはっきりさせないことには展示もできない、そういう美術館もいっぱいあるわけです。

調査をもっと進めないといけない。

 

ルーヴル美術館がコロナ禍の中、所蔵品を全てオンラインで公開したことが話題になってましたが、館長さんが、これは上述したような「作品のルーツを探る」目的もあるからだと言ってました。

このように公開されている作品の中に、もし本来自分のファミリーに属するはずのものがあるなら、ぜひ訴えてください、と。

これはルーヴルに限った話ではないわけです。

 

コロナ禍のおかげで、ゆっくりと変化していたもののスピードが加速しましたよね。

 

そういう意味でも、おもしろいなあ、と思いました。

 

おもしろい話はもっといっぱいあったんだけど、もう疲れちゃったのでこのお話はオシマイ。

 

 

他にえええっと思ったニュース。

 

ショッキングな記事です。

指紋を取るのに、遺体まるごと運ぶのを避け、手だけ切り取って運んだという話。
まだ日本にいた頃読んだ何かの記事に、ボリヴィアでチェの腕時計を持っている人に会った、という話を読んみました。
誰の記事だったかは忘れたけど。
プレゼントされたのかなと思いつつ読み進むと、処刑されたときそこにいた兵士だったからだとわかり、「ああ、そういうことか…」と、すごくショックだった。
この記事読んでますますショック…。

www.rtbf.be

 

 

 

 

 

 

興味深いドキュメンタリーを視聴した

今日も天気予報のとおり、ひんやり曇ったお天気なので籠っている私。

 

で、RTBFのサイトで、またまたRetour aux sourcesの番組を見つけ、おもしろそうだったので視聴。

期待以上におもしろかったのでメモ。

番組自体はもう1回視聴し直して、キーパーソンと思える人々についてちゃんと調べてから、もうちょっと詳しくメモしようかな、と思ってるんだけど、とりあえず1回見て、ほおおっと思ったことなどを。

 

Le marché de l'art sous l'occupation

www.rtbf.be

 

番組のテーマは、占領下のアート市場について、です。

いつものようにビデオ視聴後、スタジオに招かれた専門家が解説をしてくれるんですが、今回はドキュメンタリーにも登場するブリュッセル自由大学のファイナンスの先生であり美術史家でもあるキム・オーストルリンクスさんと、リエージュ美術館の学芸員で美術史家のグレゴリィ・ドゥソヴァージュさん。

 

ナチ占領下のパリでユダヤ人から没収した美術品の競売を行ったのは、Drouot(ドゥルオ)という会社ですが、現在のこの会社のトップの人の、当時のことを明らかにしよう、という方針がなかったら、こういうドキュメンタリーの制作はできなかっただろう、と。

第1世代の人たちは、できれば忘れたかった、だからあまり語られなかったのだけど、次の世代、つまり私たちの世代以降ですね、その人たちは事実をちゃんと知りたい、ということです。

そういう沈黙の時代があったから、まだまだわからないことがいっぱいある。

ちゃんとわからないと展示もできない作品が、まだまだいろんな美術館にたくさんあるそうです。

 

1930年代はアート市場については「不景気」だったのが、1940年からものすごく多くの美術品が売買された。

 

当時パリで美術品のギャレリーを経営していた人の多くがユダヤ人、彼らは国外に亡命したり、レジスタント活動を行ったりしましたが、そのうち私もちゃんと名前を知っていた人がポール・ローゼンベルグ

この人はフランスのアンヌ・サンクレールというジャーナリストの母方のおじいさんです。

アンヌ・サンクレールが米国籍を持っているのは、彼女の両親がこの時期ナチを逃れて米国に亡命したファミリーの人だから。

アンヌ・サンクレールって、フランス大統領の有力な候補でもあったドミニク・ストロース=カーン(こちらでは略してDSKと呼ばれる)、IMFのトップも務めたものすごく頭のいい人でしたが、女癖が悪い(というか、すごくもてたらしい)ゆえに、米国のホテルで強姦をはたらいたと訴えられる大騒ぎを起こして失脚しましたが、そのDSKと夫婦です。

アメリカでの訴訟だったんで、この米国籍を持つアンヌ・サンクレールがいっぱいお金も出して、なんとかこのスキャンダルは終了しましたが…。

そういやこのスキャンダルの際、死刑廃止に尽力したロベール・バダンテールが、TV

でDSKを一所懸命擁護していた記憶があります。

フランスの大統領選間近の事件だったから、それも関係していただろうし、米国とフランスの文化的違いも関係していたかもしれませんね。

 

そういうことを考えつつアンヌ・サンクレールのことをちょいとWIKIって、この人のお父さんのモトの苗字はシュヴァルツ、ドゴール将軍のもとで闘った時にサンクレールという名を使い、NYに渡った際にそれを苗字にした、と知りました。

 

それを読んで、うちの長女がメキシコで誕生した際の、出生届の証人のひとりを思い出しちゃった。

彼女は、お母さんがドイツ人、お父さんがドイツのユダヤ人、大戦直前にメキシコに亡命したカップルの間に生まれた人でした。

モトの苗字はヴァ―レンシュタイン、ユダヤ人とすぐわかる名前なのでメキシコでヴァレリィと変えたのよ、と言ってたんです。

メキシコシティではフランス学校とアメリカ学校を出ており、スペイン語の他に、英語・仏語・独語そして日本語を話してました。

たとえばフランス語については、私のモト夫が、完璧、ネイティヴなみ、と言ってましたよ。

おもしろいのは、飼っている犬とはドイツ語で話してたこと。

犬のしつけにはドイツ語が向いているのよ、って彼女は言ってました。笑

 

というわけで、あまりドキュメンタリー自体とは関係ないことばかり書きましたが、また近いうちにちゃんとまとめてみたいと思います。

 

 

話変わってコロナの件。

 

昨日オンラインのニュースで、60歳以上の人でまだワクチン接種の案内を受け取っていない人はぜひ登録してください、と読んだので、記事に載っていたワクチン接種センターに電話しました。

こういう記事が出たことだし、混んでてどうせっながらないだろ、と思いながらもダメモトで電話してみると、意外にもあっさりつながり、予約を入れることができました。

そういうわけで、私の第1回目の接種は、12日月曜日です。

接種センターはブリュッセルに9か所あるんですが、そのうち徒歩圏にある一つを選べました。

私の予想では、アストラゼネカのワクチンじゃないかな。

話題になっていた「副作用で血栓をおこすことがある」という件、その後の研究でワクチンとの関りが確認されました。

といっても全体でいえば10万人にひとりにすぎないんですが、ただそれを年齢別でみると、若い人の方が年寄りよりずっとリスクが高いことが判明。

それで、このワクチンは今後55歳未満の人には打たれないことに決まったのです。

そういうわけなので私に打たれるのはアストラゼネカかな、と思ったわけです。

 

上述の結果を受けて、フランスではすでにアストラゼネカのワクチンを接種した55歳未満の人は、2回目の接種は別のもの(ファイザーのことだと思う)にするそうです。

それでも効果にかわりはない、ということ。

ベルギーはまだこういうケースでどうするか未定。

 

 

 

 

 

寒さが少しだけ去った

大家が最速で問題解決してくれて、火曜日の午後から暖房もちゃんと働いてくれてます。

大きな問題じゃなくて、ひとまず安心しました。

 

天気予報によると、木曜日はまあまあのお天気、金曜日は最高気温も10℃を超え晴天、週末はまた天気が崩れるとのことなので、木・金の2日はちょいと出かけようと思いました。

 

そういうわけで、今日木曜日は王立美術館にアレシンスキー展を観に行こうと、徒歩で出発。

道中いろいろとフォトを撮りました。

 

 

シンボリズムの画家、フェルナン・クノップフのアトリエだった家。

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日本でもよく知られてる彼の作品といえば、これかな。

日本語では「スフィンクスの愛撫」というそうです。

彼の作品のモデルはいつも妹のマルグリット。

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ルイーズから裁判所の方へまっすぐ行かず、今日はブルバードを右に折れてエグモン公園を抜けることにしました。

 

ルイーズは私のフォトを貼り付けるより、ストロマエのビデオを貼っちゃいます。

www.youtube.com

 

右に折れると前方にホテルが見えます。

このホテル、オバマ大統領が来た時泊ってたところ。

そういうときはこのあたりのセキュリティが本当にものすごくて、仕事が終わって帰宅するのに身動きできずタイヘンでした。

トランプが大統領に就任して初の欧州訪問(NATOの新しい建物の落成式出席のためだった)のとき、ああ、またタイヘンなことになるのか…とゾッとしましたが、彼はアメリカ大使館に泊ったので結局なんの影響なくホッとしたことでした。

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このブルバードは昔の城壁だったところで、この道を超えるとブリュッセルブリュッセル

上述したように、このホテルの横からエグモン公園に抜けました。

公園を抜けるとき横に見えるのは外務省です。

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公園には、オーストリア統治時代の元帥で、ウィーン会議の際「会議は踊る、されど進まず」と言ったプランス・ドゥ・リーニュPrince de Ligne(ベルオイュというところにこのファミリーのお城がある)の像や、

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ピーターパンの像などがあります。

このピーターパンは、ロンドンのケンジントン公園にあるのと同じもの。

今日はフォトを撮ってブログにのっけようと思ったんで、まじめに解説を読んだんですが、オリジナルは1910年制作のもので、これは1924年に作者のジョージ・フランプトンが友情の証としてブリュッセル市にプレゼントしたものだそうです。

第2次大戦のときドイツ兵がここを通った際の銃痕が残る、と書いてあったんで、探したけどわかりませんでした。

 

公園を抜けるとマルグリット・ユルスナ―ルに捧げられた小さなスペースがあり、彼女の文章があちこちに記されてます。

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そこを通り抜けると、プチ・サブロン公園の裏にある道に出ます。

その道に面したエグモン宮。外務省です。

エグモン伯爵については、以前書いたことがあると思うんだけど、ベートーベンのエグモンド序曲のエグモンさん。

1568年、スペイン統治の時代にアルバ公爵によって処刑された人。

shohoji.hatenablog.com

 

プチ・サブロン公園、小さいフランス式庭園。真ん中に立っているのが、エグモン伯爵とオルヌ伯爵。

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ネーデルランドで活躍した有名人の像も立っています。

日本でもよく知られているとなると、メルカトールさんかな。

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ベルナール・ヴァン・オルレイ。

カルロス5世の叔母さん、マルグリット・ドートリッシュのお気に入りだった画家です。

 

と、そのフォトをアップしようとしたのにできない。

今月はもう容量がオーバーしちゃったんだ、と気づく私。

有料プランは日本の人にしか使えないって書いてあるから、プラン変更もできない…。

 

せっかくいっぱいフォト撮ったのに、しょうがないけどお写真はオシマイ。残念無念。

マルクスゆかりの場所やブリューゲルの家などなど、はりきって撮ったのになあ…。

 

 

ま、そういう風にユラユラと美術館に到着、例によって友の会カードのおかげですいすい進めたんだけど、アレシンスキー展の会場だけは人が並んでました。

並んでまではちょっと…、と思ったんで、バカンスが終わってから日をあらためてまた来ようと今日は断念。

 

まっすぐ帰らず、今度はグラン・サブロンの方からちょっとユラユラしてみようか、と。

というのもこのあたりをどんどん下りていくと、よく足元につまずきの石があるんです。

そのフォトを撮って紹介しようかな、と思ったから。

でもそう思って歩くとなかなか行き当たらないものですね。

いつもぼんやり歩いているんで、どこで見たかはっきり思い出せない。

 

つまずきの石についての日本語の解説、こういうのを見つけました。

ナチズムを現代に伝える「つまずきの石」 - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

 

ま、なんだかんだで3時間くらい歩き回って帰宅。

 

 

つまずきの石についてちょっとネットで調べていて、「つまずきの石ガイド」というサイトがあるのを発見。

stolpersteine-guide.de

うちから歩いてすぐのところにも2カ所かあると知りました。

サイトの地図のその場所をクリックすると、その石に記された人がどういう人だったか、どういう理由でナチに連行され、どこでどのように亡くなったか、そういうことも全部わかるようになってる。

うちの近所のふたり、いずれもブレーンドンクの収容所で処刑されていました。

ブレーンドンクの強制収容所についても、以前ここに記しました。

shohoji.hatenablog.com

 

 

明日は最高気温も10℃を超え天気も良いらしいので、気づいた勢いで近所のつまずきの石をに行ってこようと思います。

 

 

今読み直してたら、ピーターパンのフォトもエグモン宮のフォトもアップできてないことを発見。

残念。

それと、マルグリットばかり3人登場したことにも気づいちゃった。

 

 

更に寒くなった

天気予報のいう通り、更に寒くなりました。

 

昨日降った雪が解けずに残ってます。

朝は青空 ↓ でしたが、この記事を書いている今、また雪が舞っている。

 

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今日がいちばん「いろいろ」らしい。

風も強いし、ちょいと出かける用事があるのだけど、滑って転ばないように気をつけないと…。

 

実はこのタイミングで暖房が故障しちゃっていて、今うちの中は17℃であります。

建物全体の暖房の本体が地下にあり、そこで温めた水が建物中をぐるぐる回って温めてくれるんだけど、その本体が故障。

ま、この前までけっこう暖かかったし、先週なんて夏みたいな陽気だったので、暖房が故障したのだって気づきませんもんね。

しかもヴァカンスの真っ最中、昨日はイースターマンディだから修理に来てもらうなんて絶対無理だし、今日は来てくれるかな?

大家が恐縮してましたが、彼のせいじゃないもんね。

本体の故障の原因が何か、ってのがちょっと気になるところです。

ちょいと部品を変えるだけで済むならいいけど、そうじゃなかったら1日や2日では治せないでしょうし。

ここの暖房は重油によるものなんですが、これもCO2排出の問題で段階的に禁止となるもの、もし丸ごと変えないといけないとなると、ガスを使うものに変えないといけない。

 

大家さんもタイヘン。

毎月家賃を払うことを考えれば、物件探して買った方がいい、と知り合いたちからよく言われます。

たしかに支出の最も大きな部分は家賃ですが、店子の気楽さが大事なので、そういう願望はないです。

主婦をやっていた頃、家の修理や改築(屋根の修理もガスの配管も、床の張替えその他なんでもやりました)、ものすごく広い庭の仕事、そういうのを全部体験、もうこういう類のことはお腹いっぱい、この歳になった今は、もうけっこうです、なので。

 

子どもたちにも「何も残さないからね」と言ってあります。

気楽さはお金で買えませんわ。

 

おお、こんなことを書いているうちに、雪はますます強くなってきています!

今日は家を出るのやめるわ。決定。

 

 

さて、今朝FBで見て笑ったフォト。

イギリスのアーティストさんがアップしていました。

可笑しい。

 

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 追記・今13時。暖房の修理完了の様子。ラジエーターがカチカチ言い始めたので触ってみたら熱い。めでたい。

 

寒くなった(追記あり)

夏のような天気が数日続きましたが、昨日からひゅーんと気温が低くなり、来週は雪や霙まで降るそうです。

ま、春がこんな感じなのはいつものことで、驚きはしませんが。

ちょっとくらい天気が悪かろうと、日が長いので平気です。

 

 

エイプリルフールの日、私はやっぱりニュースでだまされちゃいましたよ。

 

昼のニュースで、ナミュールのムーズ川をゆったり運んでくれる小型ボートを紹介していて、TEC(ワロニアの公共バス会社)が新たに運営します、バスのチケットで乗れます、とのことでした。

お、これはいいな、私も乗りたい、と思ったので、さっそくTECのサイトで調べたけど何の情報もなし。

ヘンだなあと思って、もう1回ニュースでチェックしようと思ったけど、それもできない、あれれ…、というところで、あ、だまされた!と気づいた次第。

2人か3人くらいしかお客さんが乗せられない船だし、これじゃ採算が取れないだろうとは思ったんですけどね、完全に本気にしてしまった。

だって楽しそうだったんだもん。

でもちゃんと自分でだまされたことに気づいたし。笑

 

 

上述のウソは、私みたいに信じるおバカがいても大した問題じゃありませんが、大きな騒ぎになったウソもありました。

SNS上で、カンブルの森でパーティやります、というウソを発信した人がいて、それを信じたのか、それをきっかけにしただけなのかはわかりませんが、2000人も若者が集まり、それを散らそうとしたポリスにものを投げつけたりしたものだから大騒ぎになった。

規則違反でとらえられた人22人、けが人もでました。

私はニュースで、ポリスが通るところに踊り出てきた男の子が馬に蹴られるビデオを見て、恐怖を感じました。

 

カンブルの森、うちからも30分くらい歩けばたどり着くところにあり、市民の憩いの場です。

ジョギングしたり散歩したりと、今のセミ・ロックダウン状態の中、外で楽しむための重要な場所でもあるので、この一件でクローズされるようなことになったら困るよね、と思ってたら、今朝のラジオのニュースで市長が、その理由でクローズすることはしない、と言ってました。

 

www.rtbf.be

 

翌日、つまり昨日も騒ぎがあったそうです。

このときは逮捕された人が11人出たけど、けが人なし。

www.rtbf.be

 

内務相(ちなみに女性、42歳、キリスト教民主党)がこの騒ぎを受けて、若者たち宛に公開書簡を記した、というニュースを今朝読みました。

 

あなたたちは若い。あなたたちの前にこれからの生活があり、世界がある。

本来なら自由を満喫し、外へ出て、友達と会い、パーティをし、恋をし、マスクなしで寄り添う。

今はそれが何もできないけど、でもまた何でもできるようになるんです。

もう今の規制にうんざりでしょう。

私たちはもう何度も、あと少しの我慢、と言ってきました。

この状況があなたたちにとってたいへん辛いものであることは理解しています。

あなたがたにとって、この状況が不公正だと思われるのもわかるが、同時に、もうしばらくしたら、私たちがそれを通り抜けることもわかっています。

もし今の問題を一気に解決できるボタンがあるとしたら、もうとっくの昔に押していたことでしょう。

"Vous êtes jeune. Vous avez la vie devant vous, le monde à vos pieds. Vous aspirez à la liberté. Vous voulez aller dehors. Retrouver vos amis. Organiser des fêtes. Tomber amoureux. Faire des câlins sans masque. Par-dessus tout, vous voulez ne plus rien devoir faire mais pouvoir tout refaire. Vous en avez assez de toutes ces mesures. Le énième 'nous y sommes presque'. Le énième 'tenez bon encore un peu'. Je comprends parfaitement. Ça a assez duré", reconnait Annelies Verlinden.

"Je comprends que ça semble injuste. Je comprends également que vous ayez de plus en plus de mal à me croire lorsque je vous dis que cette situation sera bientôt derrière nous. Bien sûr, s'il existait un bouton qui résoudrait tout d'un seul coup, je l'aurais appuyé depuis longtemps"

 

そして、今の好況が最後のひとガンバリ、ということで、

「より創造的になってください。そして私たちに、あなた方への手伝いとしてなにができるのか、教えてください。」と結ばれています。

Soyez créatifs et motivez-vous mutuellement. Pensez à un défi et partagez-le, et faites-nous surtout savoir comment nous pouvons vous aider.

www.rtbf.be

 

 

政府も経済的にタイヘンな状況ですから、自由を制限する目的で喜んでやっているとは思えない。

でも誰にとっても初体験のこの状況、失敗や間違いもあるとは思う。

だから、今回のような規制を無視したことをやると他の要因が混ざりこんでしまい、対策の良し悪しの検証がしにくくなるだろ、と思います。

 

イースター休暇後子供たちが学校に通えるように、5月に入ったらカフェ・レストランといった活動、それに文化イヴェントも少しずつ始められるように、あともうちょっとがんばろうよ、と私も思います。

 

 

メモいくつか。

 

www.rtbf.be

www.excite.co.jp

speakupoverseas.com

 

 

 追記・さっきブリュッセル在の友人がこの記事を読んで、エイプリルフールじゃない日にTECのボートの話をニュースで見たような気がする、と言ってきたので、もしかしらウソじゃないかも…。さらに調べます。

 

追記の追記・やはり友人が見たのも1日でありました。ああ、焦った。笑

 

 

 

今日はエイプリルフールだけど、これはホントの話。メモしておこうと思った。

昨日のニュースで、これはちゃんとメモしておこう、と思ったことがあったので今日もメモ。

 

2月の下旬、ベルギーの人権リーグが、国のコロナ禍政策が、デモクラティックな基盤、法的な基盤を欠いたまま個人の自由を制限するものだ(特に罰金について)、と司法に訴えていたんですが、その言い分が認められて、国は30日以内に政策を撤回するか法的基盤を整えないといけない、それに反したら1日につき5000ユーロの罰金、と命じた、という話。

 

人権リーグの代表は、きっと議論を呼ぶことになると思うが、まさしくそういう議論を起こすことがこの訴訟の目的だ、と言ってます。

 

2月の時点で、下院の議長(ちなみに54歳、女性、社会党)が、すでにこの要請に応えるべくパンデミー法の成立のために委員会が設置されており近日中に検証されること、今回の政策は緊急性ゆえに法的基盤が十分でなかったことはやむを得ない部分があったこと、を述べています。

 

今朝もラジオのニュースで繰り返しこの話題が語られています。

視聴者からの質問に、司法が訴えを認めたことで政策を無視する人が増えるってことはないか、という質問がありました。

実は私も同じことを考えた、だってすでにみんなコロナ政策疲れ、もううんざり状態ですから。

とはいえ、こうやってちゃんと「議論しましょう!」っての、嬉しい。

 

これ ↓ が昨日のニュース。

www.rtbf.be

 

これ ↓ が2月のニュース。

www.rtbf.be

 

 

今日もいい天気、エイプリルフールなんで、きっとおバカなウソニュースも流れるでしょう。

おバカながらけっこう本当っぽく語られるものだから、負けぬくらいおバカな私は信じちゃうことが多く要注意なのであります。

何せ一人暮らし、訂正してくれる人もいないので。笑

 

 

追記・今ラジオのニュースで人権リーグの人が招かれ質疑応答が行われていますが、この訴えを司法が認めたことで、市民の政策への不信感を呼ばないか、と訊ねられ、それはあるかもしれないが、我々は1年前から政府に訴えていた、その時点できちんと動いてくれていたら、もっと信頼を得たはずだ、と答えていました。

 

 

あまりにもよいお天気だったので、用事を作って出かけてみた

昨日は夏みたいなお天気でした。

気温も25℃くらい。

さすがに外に出てみたくなり、急ぎでない用事を済ませることにしようと、暑くならない午前中に出かけました。

まだ3月なのに、コートも要らなかった。

 

 

 

用事を済ませるべきところは、歩こうと思えば歩けないこともない距離とはいえ、ムリせず途中まではトラムを使い美術館前で下車。

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美術館前のフランドル伯爵の宮殿(今は財務省)は修復中でありました。

来た道を振り返ったところにある裁判所も修復中、って、裁判所の修復のための足場は、私がベルギーに来た頃はもう既にあったもの、なかなか進まず、冗談でなくまず足場の修復が必要な状態。

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久々に芸術の丘から街を見下ろしました。

ここからの夜景は、グランプラスの市庁舎がライトアップされて白く浮き上がり、庭は虹色のライトに照らされ、特に晴天の日の黄昏時はものすごく美しいのです。

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道端で亡くなった野宿者の人たちへのオマージュという桜の樹もお花がいっぱい。

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グランプラスを通って証券取引所へ抜けました。

普仏戦争の頃ブリュッセルで活動していたロダンがかかわった建築物が、ブリュッセルにはたくさんありますが、中でも有名なのがこの建物です。

やはり修復中。

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そのすぐ横にある、亡命中のヴィクトル・ユーゴーが毎日お昼ごはんを食べに来ていたというグラン・カフェの建物も、1階部分の外装が修復中。

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修復の嵐だなあ、と思いつつグランカフェの反対側を見に行くと、本来はとても美しいアールヌーヴォーのカフェ、ファルスタッフがこんな寂しい状況。

コロナ禍が落ち着いた頃は復活できるのか?と不安を感じました。

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近くの映画館、コロナ禍でシャッターが下りていました。

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ギャレリーにも行ってみようと向かう途中に前を通ったレストラン、ジョルジェット。

ジョルジェットってマグリットの生涯連れ添ったパートナーの名前です。

このレストラン、オープンしてまだ10年も経ってないんですが、オープン当時はとてもクオリティが高いのに、ランチが安くて、気楽に入れるし、お気に入りでした。

日本でガイドブックを作るお手伝いの仕事の際には、私の推薦で掲載もしてもらった。

でもコロナ禍でやはりこんな感じ。

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すぐそばにある、モーリス・ベジャールが暮らした家。

今はミュージアム

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キングのギャレリーとクイーンのギャレリーにつながる、小さなプリンスのギャレリー、その入り口にあるブチック、中が空っぽだった。泣

ここの服も靴も大好きで、服は背が高くないとムリなのが多いのでほとんど買えなかったけど、靴はよく買ってました。

オーナー夫婦はもう高齢だったんで、コロナを機にもう閉店されたんでしょうね…。

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プリンスのギャレリーにある美しい本屋さん、トロピズム。

この本屋の上にあるアパートに、ユーゴーと亡命先を常に共にした彼の愛人、ジュリエット・ドゥルエが住んでいました。

彼らはいつも一緒だけど、住むのはいつも別々。

私が歩いたのも、ユーゴーが彼女に会うために歩いた道。

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本屋さんの中。

ギャレリーができた頃はここはダンスホールだった。

だから中には鏡が貼ってあって、その分広く見えます。

コロナ対策中、本屋さんは、客数などを制限しつつ、オープンしてもよい業種の一つ。

 

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ギャレリーを抜けて大聖堂方面に上りました。

その途中にある映画館、シネノヴァ。

たくさんあった映画館がどんどんつぶれた時代、同好会が作られて生きのびた映画館。

今はミュージアムになったのね。

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大聖堂前の広場。

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足元にはサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道しるべがあります。

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大聖堂横、レオポルド2世の頃壊されて今はこんな感じだけど、ここに前ボア・ソヴァージュという名前のホテルがあって、亡命してきたマルクスが到着した日に泊まったのがそのホテル。

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大聖堂の後ろには、今も古い建物が少しは残ってます。
金子光晴のエッセイを読むと、このあたりを歩いていたっぽいです。(私の想像。証拠なし。)

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先週末、サマータイムに突入しました。
さて、今年の秋、針を戻すのか戻さないのか、やはり当日ニュースでやってました。
Brexitにやたら時間がかかったのとコロナ騒ぎで、やっぱり何も決まってない、ってことみたいです。
フランスは針を戻したくない人が多く、オランダは針を戻したい人が多い、ベルギーはほとんど同じ割合だそうで、接する国の様子を見ながら…、ってことだそうです。
この国らしいや。笑
 
 
 
メモしておこうと思ったもの。
 
アベル・ガンスのナポレオン、Netflixがお金を出して修復されるんだそう。
まだ日本にいる頃福岡で、3つのスクリーンを使った立体上映、カーマイン・コッポラ指揮でオーケストラが生で音楽を、ってやつを観たのはよく覚えています。
マラーの役はアントナン・アルトー
パンフレットに根津甚八アルトーについて書いた記事を読んだ記憶があるなあ。
 
 わりと好きだった俳優さん、パトリック・ドゥワ―ル。

fb.watch

 

フランスの死刑廃止に尽力したバダンテール氏のインタビュー。

fb.watch

 

他にもあったけど、この辺でやめておこう。