福岡ユネスコ協会主催「福岡国際文化セミナー2008」に参加した感想など

福岡の姉の家で、朝食をいただきつつ新聞を広げると、文化欄に鶴見俊輔さんによる追悼文を集めた本が出されたとの記事が目に入りました。
へえ・・・と思いながらその記事を読んでいると、今度はラジオから「鶴見俊輔氏による講演・・・」の声が聞こえてきました。
こういうシンクロニシティは、単純な私の脳みそ内では、「お導き、あるいは神のお告げ」ということになっちゃうんで、さっそくネットで詳細を調べた上で、電話で参加の申し込みをしたのであります。

私は全然知らなかったのですが、このようなセミナーを、福岡ユネスコ協会では、毎年同じ時期に開催されているそうです。
今年のテーマは「続・日本の文化と心」。
昨年のテーマが「日本の文化と心」でたいへんな盛り上がりを見せ、今年もぜひ同じテーマで、という要望が多かったのだそうです。

プログラムはここに。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukuoka-unesco/contents2.html

こういうことに参加できる機会は、私にはめったになく本当に貴重なので、一番前の真ん中に席を取り、パネラーの方たちの話を少しも逃すまいと、一所懸命受講してきました。

が、減る一方の我が脳みそのシワはたよりなく、今レジュメと自分のメモを見返すと、記憶はずいぶんと曖昧に・・・。(泣)
それにひきかえ、86歳になられる鶴見氏の、博識ぶりはハンパでなく、こういう人をwalking dictionaryっていうんだろうなあ、と、感心しないではおられません。

セミナーの参加者は高齢の方が圧倒的に多く、私なんて最も若い参加者だったんじゃないかしら、って、一番前に座っていたんで、後ろのことはわかんないだけど。


鶴見氏による基調講演は、「さかのぼる力」というタイトルで、その内容を一口に言うなら、日本が最もユニークなパワーを発揮することができた時代にさかのぼって、その発想に学べ、ということだったと思います。

私はもうニッポンを離れて22年近くになるので、このような話の中で、あまりにもニッポン、ニッポン、ニッポンと連発されると、それだけで心のどこかが抵抗してしまうところがあって、ちょっと話はそれるんだけれど、今回もニッポンの本屋で「詩は死とつながる、日本は死と関わってきた文化を持つ・・・云々」という帯をつけた本などを見かけたんですが、「ニッポンだけじゃないんだけど・・・」などとチャチャを入れたくなったりするんですよね。

と、話を戻すなら、こういう風に「ニッポン独自のすばらしさ」的な話し方をすると、下手すりゃ言いたいことが全く正反対の方向にいっちゃうんじゃないかしら、とか、どこまでさかのぼるかによっていろいろじゃないかしら、とか、そういうことを考えたりしました。

とはいえ、やはり鶴見さんのお話はおもしろかったです。

ヨーロッパの近代、つまり「国家」というものをニッポンも倣って導入、しかし、ヨーロッパでは第1次大戦の衝撃が大きく、国家というものを人々が信用しなくなったにもかかわらず、その部分はニッポンに伝わらなかった、わずかマンガ「兵士シュヴェイク」のみがその衝撃を伝えるものだった、という話。
これは興味深い話でした。
最近ようやく自分にも見えてきたような気がしている、ヨーロッパとニッポンでの<個>の違いは、もしかしてこのニッポンに残ってしまった「国家国民主義」あたりとものすごくかかわりがあるのかなあ、と。

「兵士シュヴェイク」は、しばらく前に長女が大学の20世紀の文学の講義のために読んだばかりだったことから、いろいろエピソードを教えてもらったチェコハシェクの作品、マンガになってニッポンに入ってきていたんですね。
これも知りませんでした。
当時3歳の鶴見氏は、このようなマンガを夢中になって見ていたと、そしてそこで学んだ発想が自分の人生の基盤になっているとおっしゃっていました。


午後行われた討議の5人の発表者の中で、私が一番おもしろく聴いたのが、川本氏の話でした。
テーマは「詩的文体の伝統と近代」。

まず、「伝統とは何か」、その定義からして、私なんかには目から鱗

<後ろを見て、使える「過去」を探し出してきて、「伝統」と名づける>

明治の初め頃、西洋の「近代」文学をどのような形で受容・導入してきたか、という話だったのですが、本当にむちゃくちゃおもしろかったです。

レジュメからちょいと引用すると、

>日本には「和歌」や「唐詩」や「川柳」など、個々のジャンル名はあっても、詩一般を指すpoetryという総称がなかった。
(詩という語は、もっぱら漢詩という特定のジャンルだけを意味した。)
しかも訳者たちによれば、漢詩や和歌や川柳などの短詩型は、「線香はなびか流星(よばひぼし)」のようにあまりにも手軽で、「簡単」すぎる。
新しい日本には、ある程度の長さを持ち、「少しく連続したる思想」を伝えるのにふさわしいpoetryのような形式がぜひ必要だという。
「夫レ明治ノ歌ハ、明治ノ歌ナルベシ、古歌ナルベカラズ」

>だが革新の意気高らかなこうした豪語にもかかわらず、「明治ノ歌」の見本となる英詩を実際に日本語に移すとき、訳者たちが媒体として選び出した「使える過去」は、意外なほど古風で平凡なもの、誰が見ても時代遅れとしか思えないものだった。なぜなら、過去の詩的遺産のなかで、近代詩のために「使えそうな過去」は、それ以外には何も見当たらなかったからである。

と、そういう状況の中で、坪内逍遥などがものすごい活動をするわけですが、

>『新体詩抄』の著者たちは、近代の長詩にふさわしい媒体を用意するために、漢詩、和歌、俳諧など、旧来の詩的定型をすべて捨て去り、その廃物のなかから、ただ古来の韻律である七五調だけを「使える過去」として拾い上げ、そこに二重の近代的「加工」をした。すなわち、(一)西洋詩に倣って、ある程度の長さをもつ一貫した「思想」を盛り込むために、「詩行」・「節」による文節構造を採用するという形式上の工夫と、それから(二)古びた語彙・語法や修辞法を刷新、というよりも排除して、表現を近代の日本語に近づけるという文体上の改変である。
>言い換えればこれらの「加工」には、そもそも「詩」とは何かという基本理念の更新と、それを具体化するための詩的形式、とりわけ文体に対する大胆な変革との両面が関わっている。そして言うまでもなく、こうして新時代に向けて仕立て直しが終わったのちは、加工される以前の「使える過去」は、今度は「克服された過去」、つまり「伝統」と呼ばれることになる。


無知な私は全然知らなかったんですが、この川本さん、著作も多数ということだったので、セミナー後、どのような本があるかと思い、いくつか教えていただきました。
そのうち1冊くらい入手してからベルギーに戻ろうと思ったんですが、残念ながら今回は実現できず、次の機会を待つことにします。

川本氏の著作からいくつか。
「日本詩歌の伝統―七と五の詩学」(岩波書店1991)
アメリカの詩を読む」(岩波セミナーブックス)
アメリカ名詩選」(岩波文庫亀井俊介さんとの共著)
「文学の方法」(東大出版会、共著)



午後の発表者の5人のうち3人は、ヨーロッパ出身の方たちでした。

ブルガリア人のツベタナ・クリステワさんは、「心のしるし―古代日本文学における「心」の意味を問うて―」というタイトルで去年も話しをされており、今回は「言文一致の日本語の表現力」というタイトルで、日本の古典について語られました。
とはずがたり」を読んだのが、日本の古典との出会いだったと、そのロシア語訳をブルガリア語に訳したそうですが、たとえば「竹取物語」の研究をされておられ、これはニッポンの最も古い生死論であり、不完全な存在であるヒトにとって最大・最重要なものが「心」であることを示している、というような話しをされました。
日本語の曖昧さにとても惹かれておられる印象で、その「曖昧さ」が現代ではすっかり失われている、と。
曖昧であることがいいというんじゃなくて、曖昧さを概念化しているところが素晴らしいんだけど、というようなことを話されていました。

「涙の詩学」という本を出されています。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4815803927/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

ロシア人の方が話されたのは、ニッポンの詩人たちが近代化の過程で、西洋の影響をどう受けたかをひとつひとつ挙げていくものだったんだけど、鶴見さんが総括された際、これがあれに影響を与え、といった枠組みからいったん離れ、世界のあっちとこっちで、たまたま同時に似た動きが出てきた、というような発想で見直してみたらおもしろいのではないか、というアドヴァイスをされていました。

ドイツ人であるエムデさんの発表は、漱石が明治の近代化の中失われていく、自らが幼い頃に身近にあった文化を、生涯大切にした、というような内容のお話でした。

5人目はニッポンの方ですが、中国文化専門の合山究さんが、誕生1000年を迎える「源氏物語」と「紅楼夢」を比較されました。


時間が限られているので、発表者の方たち、もっと話したい、話したりない、というのがあったかもしれません。
「質問は?」ということだったので、私が、
「ニッポン語を話すとき自分の人格が変わるようなことはありますか?」
というふざけた質問をさせていただいたのですが、質問の趣旨が半分変わっちゃって、「ニッポン語を話すあなたはニッポン人か?」と、でっかい話になっちゃったんです。
でも回答がおもしろかったですよ。

それぞれの祖国に戻っても、もう以前の自分と違う、と。

ロシアの出身の方が、「僕はロシア人であり、ロシアのために学問をしている」と付け加えられたんですが、ブルガリアのクリステワさんがそれに反論され、
「私はロシアが嫌いです、ロシアの人はきらいじゃあないですけど」
と言われたのが印象的でした。
彼女が言いたいのは彼女が学問をしているのは<個>のためだ、ということでしょう、共感しました。


もっといろんな話を聞いたんだけど、すっかり時間が経過しちゃって、脳みそがもう追いつきません。

でも楽しい経験でした。
また機会を見つけて、こういう場所にもぐりこんでみたいと思うのでありました。


PS・クリステワさんに関して、こういう記事を見つけました。


http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_448/yurin4.html