もう3月20日、来週の週末には時計の針を1時間進めます。
サマータイム制も今年でオシマイ、進めた針を戻すか戻さないか、それぞれの国にお任せだそうですが、ベルギーはどうするんでしょうか。
今年に入った時点でそういう話が出てきてもいいと思うんだけど、なんといってもコロナ騒ぎの方がニュースの中心で、ちっとも耳にしません。
さすがに針を進める日には話題になるだろうとは思うのだけど。
今まではポルトガルとイギリスに行くときだけ、「1時間違うぞ」と自分に言い聞かせ確認しておけばよかったけど、この秋からオランダ、フランス、ドイツ、ルクセンブルグといったお隣の国に行くときもいちいち考えないといけなくなるかも…。
めんどくさいなあ…。
これまで10月の最終週末に針を戻していましたが、そういえば私がベルギーで暮らし始めた頃は、針を戻すのは9月の最終週末でした。
サマータイム制の導入の時期も国ごと違っていたらしいし。
ま、最初はめんどくさくとも、すぐに慣れるでしょう。
コロナといえば、また状況は悪くなるばかり、来週に予定されていた政府の対策会議も、1週間繰り上げられて昨日行われました。
学校での感染も問題になっているので、さらに先だって教育関係者との会議も木曜日に行われました。
前回の会議で示されたような段階的に少しずつ緩める方針はおあずけ、とにかくイースター休暇以降は全ての学校の教室で授業が行えるように、カフェ・レストランを5月1日以降オープンできるように、今は引き締めておきましょう、ということです。
ここにきてICUのベッドの使用が500を超えていて、今のペースで増えるなら、4月10日に1000となる、それは避けたい、と。
ICUの患者の平均年齢がずいぶん低くなりました。
高齢者のワクチン接種が進んだからであろう、と。
現在新規感染者の75%が英国型変異株によるもので、このウィルスの感染力が強いことと、重症化しやすいことも関係しているそうです。
アストラゼネカのワクチンについてのEUの方針は、前回記したベルギーの方針と一致したものとなりました。
コロナ禍に関しては、まだまだ先が見えませんねえ…。
さて、今日更新しておこうと思ったのは、昨日視聴したドキュメンタリーについてメモを残しておこうと思ったから。
そのドキュメンタリーを放送していた番組はこれ ↓ です。
たぶん地理的な制限で、日本では番組は視聴できないと思います。ごめんなさい。
でもドキュメンタリー自体は、Youtubeなどにアップされていることもあり得るかも…。
Retour aux sources というのは、モトの資料を振り返って、ってくらいの意味だとおもんですが、けっこうおもしろいので、RTBFのサイトで見つけてはよく視聴する番組です。
最新のはフランスの一歴史≪ギロチン≫っていうタイトルだったので、歴史がけっこう好きな私、フランス革命の時代のギロチンの発明にまつわるドキュメンタリーだろうと思って視聴、もちろんそういう話もありましたが、どちらかといえば死刑制を問う番組でした。
この番組ではいつも、テーマに沿った専門家がスタジオにゲストとして呼ばれ、ドキュメンタリーについての解説もします。
昨日は犯罪史と法律の学者さんとアムネスティインタナショナルで死刑廃止の仕事をしている方(この方の話は、つい最近ブリュッセル自由大学のコンフェランスでも聴いたばかり)が招かれていました。
ドキュメンタリーの話に戻りますが、フランスで最後に執行された死刑について、そこに立ち会った検事が記した詳しい記録をもとにした話が中心でした。
ギロチンを発明したのがギロタンという医者だったのは有名な話ですが、彼はユマニスト、死刑の執行についても平等に、と考えた人です。
それまで死刑といえば、釜茹でや八つ裂き、首をなたで切り落とす、火刑、などなど様々なやり方だったんですが、身分の違いで異なるのはおかしいし、苦しみが異なるのもおかしい、と考えた。
それで、全ての処刑は首を切り落とす方法と決まったんですが、今度は死刑執行人が困った。
そんなにたくさんの刃物を用意するのは不可能、と。
そこであみ出されたのがギロチン。
4メートルの高さから4キログラムの刃物が落とされます。
首が落とされるのに1秒もかからない。
しかし、死刑って見せ物、市民にとってはスペクタクルだった時代、1秒もかからないなんてつまらなくて不満だった、それを革命時、数で補ったんですねえ…。
王と王妃の処刑も≪平等≫を示すものだった。
それから150年に渡り、処刑は市民に公開されていたわけですが、よく見えるところに住んでいる人は、友人を招待したり、中にはチケットを売って商売する人もいた。
お弁当を作って家族みんなでピクニック気分でやってくるケースもあったし、英米からのギロチン見学ツアーまであったそうです。
もうビックリですよね…。
こういう公開処刑は、その動画を撮影した人がいて、それが世界中に発信されることで公開されることはなくなった。
その頃はもう死刑を廃止していた国も現れていたし、フランスってなんて野蛮な国なの!という評判を恥じたわけです。
最後の処刑が行われたのは1977年、フランスは欧州では一番最後まで死刑を執行した国です。
当時の大統領はジスカールデスタン、彼自身は死刑廃止の意見を持っていたのだけど、世論に従ったかたちです。
当時はすでに死刑廃止論者の意見がかなり大きくなっていた頃で、だからこそ多数の意見(63%)を無視できず恩赦できなかった、と。
ドキュメンタリーでは、最後の執行の様子が語られました。
執行されたのはまだ夜中の午前4時30分。
ほとんど眠られないでいた囚人(ハンサムな彼、口説いた女性たちに売春させていた。最初は優しそうなんだけど、女性が自分のものになるとガラッと変貌、売春するのをいやがると拷問、そういうわけで女性がひとり亡くなった、その罪です。)を起こして手錠をかけて刑場へ。
そこまで歩く廊下には、足音がしないように毛布が敷いてある。
刑場には椅子が置いてあり、死刑囚はそこに座ります。
そして執行人が煙草に火をつけ、死刑囚にくわえさせてあげた。
囚人が執行人に、手錠がちょっときつい、と訴えた。
執行人は手錠を解いて、「さあ、自由になった」とたちの悪いジョークを言った。
ゆっくり煙草を吸い終わり、もう1本要求。
それも吸い終わったとき、執行人はコップにラム酒を注ぎ囚人に勧めた。
それをゆっくり飲み終わる。
そしてもう1本煙草を吸った。
部屋を出てからここまで20分。
処刑台に腹ばいになった囚人。
検事は刃が落とされるとき、顔をそむけた。
怖くて見られない、というのではなく、慎みとして。
刃が落ちる音。
今こうやって書いている時もそうですが、こうやって細かく記されたその様子、もう胸が苦しくなってしまいます。
執行に囚人の担当弁護士が立ち会う。これは義務でした。
フランスで死刑が廃止されたのはミッテランの時代で、そのときの法務大臣がバダンテールだったのも有名な話ですが、彼は死刑を言い渡された囚人の弁護士として何回か執行に立ち会っています。
執行終了後、そこに立ち会ったすべての人間が「自分は罪人である」という表情をしていたと言ったそうです。
ドキュメンタリでは、世論が死刑廃止に反対、と言っても、それはただアンケートするからで、もし本当に自分が判決を行う立場なら、あるいは実際に執行する立場なら、死刑をよしとする人は0.00001%にも満たない、と言ってました。
最後の執行が行われる頃はギロチン台はもうフランスにひとつしかなく、執行場所まで持っていって組み立てていたそうです。
組み立てるのに4人がかりで45分かかったそうです。