昨日は久々にARAU主催のツアーに参加しました。
ARAUというのは、建築家・社会学者・神学者その他からなるブリュッセルを活動拠点にしたアソシエーションで、都市における社会的、歴史的、芸術的役割の啓発その他を行うもの(だと私は理解している)で、ガイドツアーもよく実施しています。
9月の文化遺産の日にも、このグループのメンバーはガイドとして参加します。
ツアーは有料だったり、無料だったり。
今回は有料、10ユーロでした。
(シニア料金だと6ユーロ。シニア特典ゲットまであと半年!うわーい!)
内容は、ソルボッシュ地区の建築めぐりツアーです。
待ち合わせの場所は、アンパン邸 Villa Empain でした。
例によって早く到着しすぎたので、集合時間までアンパン邸で今やっている二つの展覧会を鑑賞してきました。
(この邸宅の建築家であったミシェル・ポラックに関する展覧会と、「女性のポートレート」と題する展覧会)
ミュージアムパスが使えるんで、フリーでしたし。
ちなみに、建築家ポラックはメキシコ生まれ。
アンパンというと、数年前に亡くなった男爵エドゥアール=ジャン・アンパンさんしか知らなかったので、この邸宅はもともと彼が親から受け継いだものだと勝手に思い込んでいましたが、実際は彼の叔父さんであるルイ・アンパンが建てたものだと知りました。
エドゥアール=ジャン・アンパンはルイの兄であるジャン・アンパンの息子。
ジャンとルイは、これまた超有名なエドゥアール・アンパンの息子たちです。
銀行家・エンジニア・考古学者・軍人だった人で、あっちこっちに鉄道を敷いたりで、この時代らしい桁外れの大金持ちだった人です。
カイロにトラムを敷いた時にエジプトに惚れ込み、ヘリオポリスという一つの街まで作っちゃった。
この人がレオポルド2世から男爵位を授かったのでこのファミリーは貴族となりました。
父親が亡くなって莫大な遺産を手にしたとき、ルイはまだ20歳。
この方お兄さんとは価値観がやや異なり、敬虔なカトリックでもあった。
銀行家、実業家ですが、フィラントロプとしても知られている。
そのルイさんが建てたアール・デコの邸宅。
今はミュージアムです。
この建物は、
彼が作りアートのミュージアムにしたかった → 第2次大戦時ドイツ軍に没収 → 解放後放置 → TV局RTLの所有となる → その後また放置 → ブリュッセルを拠点にするレバノン人アーティスト(苗字の末尾にイアンがついているところからわかるように、アルメニアがオリジン)がゲットし、荒れ果てた邸宅をオリジナルに忠実に修復し、ルイさんのアイディアに沿ったミュージアムとして生き返った
という経過です。
フォトを撮ったので貼っておきます。
通りからの外観。
2階の手前に少し出ているところは、スポーツ大好きだったルイさんのフェンシング練習場。
水泳も大好きだった。
というわけでプール。一番深いところは3.5メーロルだそうです。
さらに奥には厩舎。乗馬も大好きだった。
ドガやピカソのデッサンや、コンスタンタン・ムーニーエルやアンソール、モリゾによる油絵もありましたが、なにせ無料のサーヴィスのブログ、フォトアップの今月の限界が間近だと思うので、おもしろいと思った作品のうちひとつだけ貼っておきます。
そうこうしているうちに集合時間。
ソルボッシュ地区の建築めぐりですが、もともとこのあたりは森で、道もなかった。
1910年にExpoが開かれるために開発されました。
ソルボッシュ Solbosch という名前は、'sWolfs Bosch 狼の森 が語源です。
開発前から存在した2軒のうちのひとつ。
今は大使館(たしかアラブ首長国連邦だったと思う)。
フォトではわかりませんが、まだ道がない頃に建てられたものなので、道に対して平行じゃないんです。笑
上述したとおり、Expoのために開発され、そのときに道が通され道の両側に住宅が建てられました。
今はフランクリン・ルーズベルト・アヴニューといいますが、いろんな国から展覧会のために集まったので、最初はナシオンズ・アヴニューと呼ばれました。
最初は個人の住宅だけでしたが、今は大使館がいっぱいです。
在ベルギー日本大使公邸もこの通りにあります。
その住宅の数々、時代的にアールデコとモデルニズム、さらにブリュッセル独特のボザール様式などが混在しています。
キマリが厳しくて、4階以上はNG、通り沿いにグリルを作ること、家とグリルの間には庭をつくること、などが決められていたそうです。
この建物は ↓ 道を入ったところにあるので4階以上あります。
ガイドの説明をきいているとき、ちょうどこの建物に住んでいる人が帰宅してきて、「うちの台所には建築当初の家具がそのまま残っているよ」と言ってました。
自由大学でツアーを終了しました。
今のソルボッシュ・キャンパスは、Expoのあとの土地を利用するため、大学が1920年代にレオポルド公園から引っ越してきたことになります。
第1次大戦で大きな被害を受け貧乏だったので、米国がお金の面でたくさん助けてくれた。
この一番古い建物は1925年のもの。
援助してくれた米国人が持つベルギーのイメージに沿って作られた!ので、鐘楼風の塔があってフランダース風のファザードになっちゃったんだそうです。
ちょうど飛行機雲が、塔のてっぺんから発射された光線みたいに映っちゃいました。
レオポルド公園については、2年前の文化遺産の日の記事に記しています。
自由大学ですが、この ↑ 公園にあったことは知っていましたが、なんと、一番最初は今のギャラリー・ラーヴェンシュタインのところにあったんだそうです。
ギャラリー・ラーヴェンシュタインは、この記事 ↓ にフォトを貼ってます。
自由大学は、ベルギーが独立した際に、当時のフリーメーソンのメンバーや、自由な思想の持主たちによって作られた大学です。
中世から存在するルーヴァン・カトリック大学より「自由」なだけに、伝統的に学生運動なども盛ん。
じつは中世に、当時のヨーロッパのいろんな都市同様「ブリュッセルに大学を!」という動きはあったらしい。
でも「学生はうるさい」というんで、反対する市民が多く実現しなかったのだそうです。
初めて知った。なんだか可笑しい。
もっといろんなことを教えてもらいましたが、建築めぐりツアーのメモはこれくらいにしておきます。
金曜日には代表的なベルギー料理、エビクリームコロッケを食べました。
おいしかったあ。
北海で取れる灰色の小エビ、普通の小エビとはかなり違って高価、ものすごくおいしいんですが、それで作ったクリームコロッケです。
毎年一番を競ってコンクールもあります。
そしてこれが今年の一等賞を取ったものです。
今朝読んで面白いと思った記事。↓
エコロな男性はモテる、というタイトルです。
女性の方がもともと環境問題に敏感で、現在は男性に対する興味より環境問題に関する関心の方が高い、と。
いっぽう男性は、こういう問題に関心を持つのは「女々しい」という意識がまだ残っているようだが、そういう男はモテません、といった内容です。
私は自分が生まれた国の食べ物もお風呂も好きだし、マンガもアニメも好き、それにそこには大事な家族や友人も住んでいるけど、国としてみるときは全然好きじゃないし、最近は関心も薄くなってきてました。
加えてコロナ禍では「異次元の世界か!」と思わされ、ウクライナ戦争ではそれまで「知識人」と思っていた人たちが信じがたい発言をするのを見て、ついに関心が完全に失せてしまった気がします。
「国」「社会」として見るとき、心身ともに醜いオッサンの姿に見えるんだなあ、とこの記事を読みつつ気づいてしまった。
いやあ、批判ばかりしてないで、自分のことを振り返らないといけませんけどね。
めざせ、可愛いバアサン、である。
私が生まれた国の元首相が銃撃され死亡というニュースは、こちらでも当日と昨日の昼のニュースで扱われました。