メモしておきたい記事があったので更新

今朝FB上で見かけて読んだ記事が興味深かったので、今日はそれをメモしておくために更新。

 

shinsho-plus.shueisha.co.jp

 

私ってアジアで生まれ育ったくせに、アジアのことを何も知らないんですよね。
小さい頃から外ばっかり見てたから。
 伊東さんの記事を読むたびに、それを再確認させられるのである。
 
 
 
ついでに、Twitter上で見かけた動画も貼り付けておく。
 
 

今調べたら、この映画の日本語タイトルは「今を生きる」だった。

↑ の動画を見ただけで、切なくて泣けてくる…。

 

 

このくらいの年頃の子供たちにとって、親や学校の重圧ってものすごいものだと思う。

うちの3人娘も例外なく、タイヘンな時期を過ごしてましたからねえ…。

あと少ししたらうち(非常に独占欲の強い父親の重圧)から離れられるから、そしたら自由だよ、と励ましていましたが、その「少し」が、子どもにとっては「永遠」に思える時間ですもんねえ…。

(ホントは私自身にも同様の時期があったはずなんだけど、あまり繊細でない私の性格に加え、我が家では目の前に、ろくでもない父親というもっと深刻な問題があったので、それに紛れてしまったのである。でも、「永遠」に思えるってのは同様だったなあ…。)

 
 
 
FB上で見つけたフォトなどをまた貼っておこう。
 
"We walk among art each and every day--not just the music and the buildings and the offerings of professional so-called artists. Examine a life--any life--and you'll find the artist at work. We survive by so many means, by the crafting of characters, the stringing together of words and biographies that get us from nine to five; from humiliation to humiliation; from sunrise to sunset. Study those artists as well. And ask all of us so-called professional artists how we might encourage everyone to build and honor that artistic impulse within all of us." --Marlon Brando/Interview with James Grissom/1990/Photography by Cecil Beaton (1946)

 
おっこれは…と思ったフォト。
どんだけ待ってるの? 笑

教室の若者たちと初めてちゃんと会話した件

月曜日の午後から、この時期らしいお天気になってきました。

ちょっと湿った風が吹いて、おおお、さむい、という感じ。

 

月曜日のお昼。

この時点 ↓ では風がなかったので、冷たくとも気持ちよかったんですけど。

 

 

この日は仕事が入っていたんで当然ながらそれを優先、美術史の講義は受けず。

EU議会に行ってきたんですが、久々に行くと、以前は外にポンと置いてあった≪べルリンの壁≫がガラスのケースで守られていました。

どの方向からも、お日さまのせいでちゃんと撮れませんでしたが ↓ 。

逆光だけど、こっちの方がまだよく見えるので、今さらだけど今日18日、追加。

 

 

 

 

昨日火曜日は哲学の講義でしたが、今回はただ先生の話を聴くだけじゃなくて、4人1組になってのエクササイズをさせられました。

ゲーッ、そんなことなら来なかったのに…と人見知りな(これを言うと、ウソでしょと笑われることが多いのだがホントです)私はビビってしまいました。

ま、でもそこはオバサンですからね、恥じらうのはそれはそれでバカみたいなので(笑)一応参加しました。

同じ列に座っていた3人の女の子たちと一組になりました。

ベラ(ギニア出身、仏語が母語、フラニ語もわかる)、エリザベート(ちょっとツンデレ風、金髪で細身の白人、母語フランス語で、英語、蘭語OK)、エレオノーラ(おとなしそうな白人、母語フランス語、その他に蘭語、英語、独語、加えて最近中国語と韓国語を学び始めた)、こういう3人、うちの子たちよりうーんと若い、私の年齢なら、このくらいの歳の孫がいてもおかしくないくらいです。

 

どんなエクササイズかと言うと、Tétralemme 。

ニッポン語だとテトラレンマというようです。

fr.wikipedia.org

 

命題を決め、その説が正しいかどうかを論議するんですが、その際それぞれが ↓ の立場のひとつを選ぶことになります。

A (肯定)

-A   (否定)

A&-A(是でもあり否でもある)

-(A&-A) (是も否も、両方否定)

 

先生は、学生が予期せぬ要求に「えええええっ」とガヤガヤしているのを見て、めちゃ嬉しそうでした。

 

ちゃんと文章にして提出したら、試験の際のボーナス・ポイントをあげます、とのことなので、ツンツンいやがるエリザベートと、おとなしくて自分から言い出せないエレオノーラと、ひとりで考えるのは好きなんだけど…と戸惑うベラを、引率のオバサンという感じで説得。(私は試験は関係ないので、実はどうでもいいんだけど)

オバサンの特権(笑)で、命題を決めさせてもらい、さらにオバサンの特権でポジションも最初に選ばせてもらいましたわ。

私が選んだのは -A です。

(後で -(A&-A)の方がおもしろかったかも、とちょっと後悔)

 

というわけで、命題は私が最近考えまくっている Traduire について、「(言語Aから異なる言語Bへの)翻訳は可能である」であります。

実はね、と自分の今の関心について説明し、彼女たちが理解できる言語についてもその時点で確認したので、上述したように知った次第。

ラニ語という言語の存在を初めて知りました。

 

ある地点から別の地点へ向かう時、どういう道筋をとるか、もうすでにそこから異なると思うのだよ、と言うと、エリザベートは英語で文章を書くときにはそれを感じないと言ってました。

 

文章は2週間以内に提出しないといけません。

私にはよい練習になるかもしれません。

仕事じゃないので、私の考えた文章をネイティヴの誰かにチェックしてもらうつもりはありませんから、それを読まされる先生はちょっとかわいそうですが…。

 

というわけで、いつもはコソコソと教室に入り、講義が終了するとまたコソコソと出ていくだけなので、学生たちとお話できて、オバサンはちょっと楽しかったかもしれない。

 

 

 

 

またFB上で見かけたものを貼ってオシマイにする。

 

カミーユ・クローデルポール・クローデルに宛てた手紙です。

苛酷すぎて泣けた。

www.facebook.com

 

 

ボリス・ヴィアンジュリエット・グレコ

かわいい。

 

昨日のサープライズ 

今日は第一次大戦終戦記念日。祭日。

 

昨夜はとても嬉しい驚きがあったので、連日更新になっちゃうけどメモしておく。

 

 

昨夜はトシエ・タケウチさんの A House Placed in Between を観に行ってきました。

まだ顔の左半分が腫れてるし、体調完璧とは言えない状態(元気なんだけど、薬を飲んでいるという慣れない状況なもんで、それだけで「体調悪い」という暗示にかかる)だったけど、徒歩15分のところに、縁のある方とその作品がやってきているのに、行かないという選択はないよね、と思ったのでした。

それに、私が仕事を振ったメラニーは行くと言ってるし、彼女をタケウチさんにちゃんと紹介しないと…という親心(笑)もありました。

 

 

会場につくと、なんと!、タケウチさんがワイン飲みながら一緒に会話しているのが、このブログで以前何回か触れたことがある、やはり映像作家のフロリアンの相方であるデルフィーヌではありませんか。

ホントにビックリしました。嬉しいビックリ。

shohoji.hatenablog.com

 

デルフィーヌも映像を作る人なんですが、ふたりとも今年コンゴのゴマで開催された映画祭に招待されていたことで知り合い友人になり、しかも今回の上映会のためにブリュッセルに滞在しているタケウチさんは、フロリアンたちのうちに泊っているそうな。

「ニッポン人の伯母がいる」とは話していたそうで、その伯母ってのが私であることがそこで判明したわけです。

 

またまた、世の中って狭いなあ、と確認してしまった。

 

そうこうしているうちにメラニーも到着。

もうすでに何回も視聴した作品とはいえ、大きなスクリーンで観るのは初めてだったし、足を運んでよかったあああ、と大満足でした。

 

 

 

«Lo que uno ama en la infancia se queda en el corazón para siempre».
Jean-Jacques Rousseau

 

 

やっぱりこのドクターはダメかもしれない

ホームドクターのところから戻ったところ。

今日の予定はまだあるんで、ゆっくりブログ更新なんてしていられないのだが、やっぱりこのドクターのことを頼りないと思ったことはメモしておく。

他のドクターを探さないといけない。

 

気持ちの良いいいお天気。

気温10℃ちょっと。

 

 

私の腕に針を刺して採血している最中に、彼の3歳くらいのお嬢さんがやってきて、パパ、約束したことやってないよ、と訴えたのである。

(ママから派遣されたのかも。)

そしたらほとんどパニック状態、むちゃくちゃ慌て始めた!

血液検査の結果はちゃんと私の専門医に送ってください、と言ったら、私の専門医を知らない、などと信じがたい返事。

そんなはずはない、最初に伝えたし、しかも前回の血液検査の際に、私の専門医の処方箋を使ったでしょ、と言うと、あ、そうでした、(データから探す時間ないから)彼らの名前を教えてくださいと、血と一緒にラボに送る紙に、私から聞いた名前を書き込んでました。

 

自分の都合を優先することに私は文句は言いません。

それぞれが自分の都合を優先することをリスペクトし合う社会だから。

でもね、今目の前にあるやるべきことはちゃんと落ち着いてやってよね、と思う。

こいつ、頭悪いのかな、と思った。

(口が悪くてすみません)

というか、本当はもう以前からちょっとそういう印象を持っていたのだけど、再確認してしまった。

 

今回は専門医の診察の際、血液検査はやり直しましょ、ということになりそうな予感がする。

 

 

待合室。

ライオンの彫り物があるこの家具は、たぶん19世紀のもの。

スタイルはバロック、こういうのが19世紀にまた流行りましたからね。

 

 

ゼネストの今日 オバサンの左側の頬っぺたは腫れている

今日はゼネスト

あれもこれもストップしているようです。

今日仕事が入ったりしてなくて、よかったあ。

 

今日のニュースはまずこの件、次に米国の選挙の話、という感じ。

 

昨日は、日本に帰国していた友人から、実際の状況を確かめるためにメッセンジャーを使って羽田からTELがかかってきました。

そう言えば今日ベルギーに戻ってくる予定だったんだ。

「どういう風?」という質問。

すでにブリュッセル行きに乗り換える中継地点では、彼女が乗るはずの便はキャンセルだそうで、同じ足止めをくうならニッポンで、と決めたようです。

 

それにしても、次から次へと問題が続くこの時代、国のトップやってくのもタイヘンでしょうねえ。

まだ40代半ばの首相、このポジションについてから髪が真っ白になりました。

 

 

昨日歯医者のアポでした。

抗生物質だけじゃなくて、炎症止めや鎮痛剤まで服用しているのでありますが、明日の採血、ホントに影響ないのかなあ。

影響あるか・ないか、それを知るための採血になりそうです。

そう思って少し楽しみになってきました。

 

 

 

かわいい! とオバサンが思った、FB上で見かけたフォト。
こういう時期はほんの少しの間だけだと思うと、切ないですねえ…(笑)。
私がニッポンにいた頃は存在しなかった「腐女子」って言葉で表される人々が持つ感覚って、そういうことじゃないかと思うのだが、違うのかな?
違うかも…。
 

 
今日は顔が腫れてることをメモしておこうと思ったのである。

予定が全部キャンセルになった

ホントは今日ふたつ予定が入っていたのだけど、ふたつともキャンセルになって時間ができたので、ちょいとブログを更新しておく。

 

ふたつのうちひとつは、ホームドクターのところで、12月初頭に入ってる専門医とのアポに備えての血液検査のための採血。

これは先週ドクターからTELで、この日は都合がつかないので変更してほしいと言われ、今週の木曜日に移動したのである。

実は明日から歯医者でインプラントの処置がスタート、ちょっとした手術になるんで抗生物質を飲まないといけない。

これが採血に影響しそうな気がして、その前に、と思って入れておいたアポなので、その旨説明すると、「抗生物質は血液検査に影響ないから大丈夫」とのこと。

実は「ホントかいな」と疑っている私。

このドクター、自分の都合上そう言ってるだけなんじゃないか、と思ったりしてる。

(申し訳ないが、何回か会った印象は、自分の都合優先、というイメージ。近所だし、若いし、法外な額を要求しないという3点でヨシとしているのである。それに、自分の都合優先、って気持ちは充分理解可能。)

採血は、前日の夜から飲まず食わずで臨むので影響は少ないだろうし、こっちも固執するのはめんどくさいんで、ま、いいか、と思いました。

ホントに影響ないんですかね?

 

もうひとつは午後のULBでの美術史の講義。

先生がお病気です。

サイトでちゃんとチェックしてよかった。

気づかないままだったら、無駄足を踏むことになるところでした。

 

 

Toussaint(万聖節)のヴァカンス(お盆と同じ発想なので、私は死者の日と呼ぶ)が終了し、今週からほぼ毎日、仕事(ここんとこ少しずつ復活)・アドミ上のいろいろ・歯医者や医者関係の予定が入っていて、なんだか気持ちが落ちつきません。

コロナ禍のせいでずっとヒマでしたからね、「ほぼ毎日予定あり」というペースを完全に忘れていました。

 

前回、コロナ禍の前のことはものすごく昔のような気がする、と書きましたが、ペースが大きく変化する以前のことは全部「それ以前のこと」ということで、脳内でひとまとめになっちゃったのかもしれない。← 私の分析 笑

 

 

 

木曜日の夜は、特に大きな問題がなければ、A House placed in between という映像作品のプロジェクションを見に行こうかな、と思ってます。

www.facebook.com

 

デンマーク在の映像作家トシエ・タケウチさんの作品。

この方アムステルダムデン・ハーグでアート活動をしていたとき、仲間とスクワットしていた建物がコンゴ大使館だったもので、その関りから、この建物が放置されるに至った経緯に興味を抱き、それをフィルムにしたのでした。

この作品では英語と仏語と両方でてくるんですが、英語部分の仏訳に長女と二人で関わりました。

タケウチさんのサイトの仏訳の仕事も、長女クンの仲よしであるメラニー(仏語・独語・蘭語・英語・韓国語OK)に振ったりと、私にも縁のある作品です。

今回ブリュッセルでプロジェクションということでご招待いただき(しかも会場は我が家から徒歩圏だし)、タケウチさんにもじかにお会いするのは初めてだし。

作品自体は仕事したので何回も観ていますが。

長女クンはちょうどその日は先約があり行けませんが、メラニーは行くとのこと。

 

 

 

またまたCloseですが、こんな ↓ 記事を読みました。

主役の二人 エデンとグスタヴへのインタビューの映像を視聴し、賢そうな子たちだなあ、と思いました。

www.rtbf.be

 

 

その他、備忘のためにメモ。

 

Egon Schiele privé de réseaux sociaux

www.radiofrance.fr

ここではシーレのことを取り上げていますが、シーレと限らず、SNS上でポルノグラフィー扱いになってしまうってのが、いろんなミュージアムで問題となっているらしい。

 

arteで視たドキュメンタリー。

www.arte.tv

 

↑ のふたつもですが、アーティストのオートポートレートってのは、ものすごく意味深いものですねえ。

一生かけて研究しても終わりがないに違いありません。

 

 

ヘルマン・ヘッセを貼ってオシマイ。

 

 

Close 観てきた   追記あり

ものすごく久しぶりに映画館へ足を運び(とはいえ、しばらく前にCINEMATEKでクロサワの隠し砦の三悪人は観たんだった、と思い出した)Close を観てきた。

何年ぶりだろう…5年ぶりくらいか?…と思い、この備忘のためのブログでチェックしたら、コロナ禍の規制の少し前、2020年2月に Jojo Rabbit を観に行ったことが判明。

 

コロナ禍をはさむと、時間の感覚がおかしくなるんですよね。

直前の出来事が全部ものすごく前のことのような気がする…。

これってどういうことなんだろう。

そこらへんの記憶のメカニズムを知りたいものだ。

 

 

Closeはホントは今日11月2日から公開なんだけど、うちから行きやすいマトンゲ(コンゴの人が一番集まって住んでいる地区)にある映画館 Vendome ではAvant-Premier(ニッポン語ではなんと訳すのか?とオンラインで訳を見たら プレビュー と出た) ということで、1日早く公開されました。

昨日は Toussaint 万聖節 で祭日だったけど、ものすごく天気がよかったんで、早い時間のセーアンスなら誰もいないだろ、と思って13時のをめざしました。

ところがどっこい、人が並んでたんですよねえ。

ガーンときましたが、この小さな映画館、でっかい今どきのシネコンに比べたら人力部分が多く(笑)、チケットも窓口で買わねばならないんで(しばらく前まではキャッシュでないといけなかったくらい)、どうしても時間がかかり人が並ぶことになるだけで、実際にはそれほど混んでるわけではありませんでしたが。

それにしても、人が並んでる、ということ自体がめずらしく、一緒に並んでた方と「びっくりしたね」と話したことでした。

並んでた人が皆 Close を見に来ていたわけではなく、半分は Holy Spider を観にきてたようでした。

 

入り口はこんな ↓ 感じ。

若者はこんな明るいうちは外で遊んでいるからでしょうね、並んでいるのは年寄りが多い。

 

 

思ったとおり、切なくて泣けた。

四季の色彩も美しかった。

だいたいこのくらいの年頃の子供たち、特に男の子は、それだけで美しくて切ないところに持ってきて…ですから。

 

前回貼った記事をもう一回貼っておく。

 

www.rtbf.be

 

 

映画については、よかった、おもしろかった、好きだった、かっこよかった、くらいのことしか表現できず、批評なんてとてもできないので、この記事 ↑ で彼が話していることを少し記しておこうかと思います。

 

まず、言語について。

この作品は仏・蘭語バイリンガル

キャスティングに際して、この繊細な役柄を考え広く募集したかったゆえに、オランダ語圏に限らず仏語圏も含めたそうで、それならいっそのことベルギーらしくバイリンガルで行こう、ということになったようです。

この作品のように、両言語で暮らす人たちはとても多い、なのに文化の面で言えばそれぞれの言語で分断されているんで、それをひとつにしたかった、と。

 

主人公のレオとレミは13歳。

ルーカスは以前、米国の学者による男の子たち150人に対する調査結果を見たことがあり、それによると、13歳の頃は表現していた男友だち間の「優しさ」「友情」「愛情」が、それ以上の年頃になるともう表現されなくなるんだそうです。

まわりの視線によって固定された男性性ゆえに、そういうものは自分の中に閉じ込めてしまうことになるんですね。

そこに自身の経験との一致を見た、と。

(学校では、男の子たちと一緒にいても、女の子たちと一緒にいても、どちらもしっくりいかず、自分の居場所はなかったと、別のインタビューで話していた)

ルーカス自身はダンサーになることを夢見ていたのだけど、彼の動きがフェミニンだということでまわりの者たちが居心地の悪さを見せ始めたことで、12歳でその夢を諦めることとなる。

(彼はよく彼のお母さんの話をします。辛い少年時代に彼を支えた大きな存在だったようです)

そのまま続けていたら映画は作っていなかったわけだけど、と付け加えていました。

ダンスというのが彼の中で今も大切なのは、やはり大きな話題となった彼の前作 Girl でもわかります。

今回も、シナリオを書く作業はまさしくコレグラフィーです、と言ってます。

そして、作品では沈黙とまなざしが語りかけてくる。

主人公の内側と外側のコントラスト、内側はセリフでは表せないから、それは「コレグラフィー」で、ということです。

 

この作品において、セクシュアリティは自分にとって重要なことではなかった、と言ってます。

 

レオとレミには、「さよなら子供たち」のふたり、ジュリアンとジャンでしたっけ、が重なります。

 

 

 

話はちょいと変わるのだけど、もうニッポンを離れて長いので、ニッポンでフツーに使われている言葉で何のことかわからないものがいっぱいあります。

ネットでいろいろ読めるようになってからずいぶんわかるようになりましたが。

ヤンキー、オフ会、イケメン、アラサー、ツンデレ中二病、などなど、上げていたらキリがないくらい。

で、腐女子ってのもそのひとつでした。

最近どこかで誰かが書いていた記事に、「今は腐女子と言われるけれど、昔は文学少女と言われていた」みたいな記述があり、おお、そういうことか、と思いました。

先日「東京リベンジャーズ」のドラケンくんが好きだ、と言ったら、「ヤンキーが好きなんですね」と指摘され、これも、おお、そういうことか、と思ってしまった。

 

って、ホントにどうでもいいことなんだけど(笑)、もし自分がもっと後で生まれてニッポンに暮らしていたら、オタクで腐女子でさらにはヤンキーと呼ばれるひとだったのかも、なんて思ったのである。

別にめだちたいってことは全くなかったけど、いつも他の人がしないことをしようとするところがあり(これもミーハーの一種なのよね)、父親に怒鳴られていたことなんかもついでに思い出してしまった。

 

 

 

さて、日曜日に時計の針を戻しましたから、もう夕方17時を過ぎると暗くなり始めるようになりました。

昨日映画館からの帰り道、うちの近くのイチョウ並木が実をいっぱいつけていました。



 

備忘として記事など。

www.liberation.fr

www.rtbf.be

 

Jean-Pierre Marielle, Françoise Fabian, Jean-Paul Belmondo, Pierre Vernier et Pierre Hatet, candidats aux concours du Conservatoire. à Paris, en 1954
Photo © Studio Lipnitzki / Roger-Viollet

 

 

 

追記・

今昼のラジオのニュースでルーカスが話してたことを付け加えておく。

レオを演じたエデンくん、ゲント行きの電車に乗り合わせて出会ったのだそう。

そのときエデンくんはガールフレンドと一緒で、目を輝かして自分が感動したことの話を彼女に話して聞かせていたのだそう。

その時の表情に魅せられ、話しかけようかどうか、迷った末に話しかけたことで、キャスティングの際に来てくれたのだと。

話しかけてよかった、と言ってました。

貼り付けた記事にカンヌで賞を取った時のインタビューの様子のヴィデオもあるけど、そこでエデンがルーカスを見ている様子も、ものすごく印象的だったんですよねえ。

敬意にみちている。

こういう人生にかかわる出会いって、それだけでドラマだわ。