Lukas Dhont

昨日の朝、ラジオでニュースのゲストだった Lucas Dhont ルーカス・ドンツ(ドンツとは聞こえないんだけど、カンヌ映画祭の結果を知らせるニッポンの新聞にはそう記してあったので、それに従う)。

カンヌでのグランプリに続いて Close がオスカーにノミネートされたというんでゲスト。

 

Close はこちらでは11月1日劇場公開。

すごくよさそう。

まだ31歳なんですねえ。

グザヴィエ・ドランに通じる良さを感じる。

 

ラジオでは10分ちょっと喋ってました。

オランダ語圏の人なので少し訛ってますが、さすが言語に長けたフラマンの方です。

もう長いこと映画館には足を運んでないけど、この作品は観に行こうかなあ…。

切なくなりそうだけど、美しい作品だろうなあ…。

 

と思ったので、彼へのインタビュー記事をメモ。

www.rtbf.be

 

全然知らなかったので、うわあ、ひょええ、と思った記事も貼っておく。

 

www.rtbf.be

www.rtbf.be

 

 

ちょっと時間がないので、要旨も書かず、ですが。

フォトだけでもアップしておく

よいお天気で暖かい日々、まだあと数日は続くらしく、今月はベルギーでの観測史上最も暖かい10月になるらしいです。

 

昨日も例のソーシャル・レストランでランチ。

ここの話をしたら興味を抱いた友人がいたんで、一緒に行ってきました。

 

17時からは王立アカデミーでのコンフェランスに参加を申し込んでいたので、↑ との間の少しの時間、うちに帰るより王立美術館で先日始まったピカソ展をどんな感じかちょいと見ておこうと(こういうとき無料で入れるカードはとてもありがたい)立ち寄り、昼前から夕方19時まで、ものすごく久々にみっちりお出かけでした。

 

フォトもいっぱい撮ったので、それだけでもアップしておこうと思う次第。

 

 

グランプラスのヘルメス。

 

聖カトリーヌ教会近くを抜けて…

運河を超え…

昨日のランチは、ポタージュと子牛の煮込みとリンゴのコンポート

 

隣に座ったご婦人、毎日食べにくる、とおっしゃってました。

 

 

食後はフランダース通りを歩いて。

何のお店かはさっぱりわからなかったけど(骨董品を売ってる?)、ウィンドウにワンちゃんがいて可愛かった。

若い版画家さんのアトリエ、ここにもワンちゃん。

古い地図や写真を売ってるっぽいお店のウィンドウに、19世紀のこの通りのフォトがあった。

こんな古い小さな通りがまだ残っていたことに初めて気づいたんで通り抜けたのである。

17世紀頃には既にあった道。

18世紀の聖ロクス(ペストに対する守護聖人)に捧げられた門。

 

 

久々に通ると、新しいお店もいっぱい増えていて、そのうち、友人が入ったことがある、チーズケーキがおいしかった、というカフェでコーヒーとチーズケーキを食す。

アントワープあたりにあるような、とても今風の垢抜けたカフェでありました。

建物自体は古いもので、地下のトイレはモンドリアン風、家具類はアールデコかモデルニズムか、という感じだった。

実は ↑ のランチのデザート、まずくはなかったけどおいしいということもなく、ちょっとした欲求不満だったので、ふたりともそれを解消したかったのであった。

フォト撮り忘れ、残骸となった皿。

これは上のレストランのランチの値段をちょいと上回ったのだった。

 

王立美術館のピカソ展。

www.fine-arts-museum.be

こんないいお天気の日なのにけっこうたくさん人が入っていて、ちょっとビックリ。

今度またゆっくり観に行きますが、こんな感じでした。

 

今 イザベルドゥボルクグラーヴ(たぶん、読みに自信なし)という女性作家の、フリーダカーロへのオマージュといった感じの、紙のアート〈女のまなざし〉という展示もやってたので、その半分を観てきました。

www.fine-arts-museum.be

 

 

 

そうこうしているうちに王立アカデミーのコンフェランスの時間になりました。

内容はアヴェロエスについて。

知らないことだらけだったんで、とてもおもしろかったです。

ja.wikipedia.org

 

 

今日もランチは約束してるので外食。

贅沢な日々だなあ…と思う。

 

 

最後に、FB上で見かけたフォト。

D.H.ロレンスは大好きな作家のひとりです。

 

D.H. Lawrence et Aldous Huxley - Taos, Nouveau Mexique, 1929.

 

見聞きしたこと メモ

昨日アンデルレヒトというところのベギナージュ(ベギン会)で、無料のガイドツアーに参加、そのときバス停のそばの建物の壁の絵と青空がしっくりいい感じだったのでフォト。

 

 

妙に暖かい日々が続いており、昨日も最高気温20℃。

もうずいぶんお日さまが低いので、暖かくとも夏のような感じではありませんが。

スペインや南仏では30℃なんてところもあるそうで、自分のうちにいると暖房費もかかるし、というんで、節エネのために暖かいところにヴァカンスに出かける年金生活者がいっぱいいるとニュースで言ってました。

 

 

今朝のラジオのニュースに、ベルギーの若い作家であるグレゴワール・ポレという人がゲストに呼ばれていて、その話しぶりがものすごく感じよかったんでちょいと調べてみました。

この方、小説がいくつも出ていて、賞もいろいろ受賞されていますが、脚本家・翻訳家でもあり、arte によるヴィクトル・ユーゴーに関するドキュメンタリーも作っている。

これは観たいな、と思ってarteのサイトに行ってみたら、有料配信だった。

もしかしたらYoutubeに誰かアップしてないかしら、とセコい発想で検索。

でも存在しなかったわ。

そうだよね、と、少しホッとしたり。笑

この3日間で見聞きしたことを、検索した時見つけたレ・ミゼラブルの朗読 ↓ を聞きながら、メモしておきます。

このビデオの下のコメントに、21歳の子が、(たぶん大学の)先生が「読め」とものすごく薦めていた理由がわかった、と書いていて、ちょっと感動してしまった。

www.youtube.com

 

 

19日水曜日

 

夕方5時、王立アカデミーでの講演。

これ、しばらく前にここにも記した王立図書館でおこなわれた展覧会の Toots Thiemans に関するコンフェランスで、話をしたのはキュレーターだったウーゴです。

彼のコンフェランス、聴きに来る人が少なかったらかわいそう、アタマカズとしてなんとしても行こうと、以前から参加登録していたものです。

(9月末にも彼による作曲家セザール・フランクの講演があり、それも聴きに行ったのである。これは、講演者ふたりによるそれぞれの話と、フランクの曲のコンサートを組み合わせものだったので、大きな大理石の間が満員でした。二人の話では、ウーゴの話の方が圧倒的におもしろかった。もう一人の話は単なる事実の羅列で、ウーゴの話はフランクが作曲した数少ない歌曲の彼による分析だった。)

トゥーツ展のキュレーターの仕事を振られたときは、クラシックが専門分野でこの手のジャズはほとんど知らない自分は「えっ?」というところからスタート…と始まる講演は、非常によくまとまっていておもしろく、聴きに来ていたトゥーツのファンたちはほとんどコーフン状態でした。

 

アカデミーを出て今度はまっすぐ子供たちと約束していたカフェへ。

これは「若いデラシネが集まる」というもの。

ママもおいで、と、デラシネおばさんも誘われていたのである。笑

年寄りは私だけだとわかっていたので、本来ならノーサンキュというところなのだけど、実はもう2年近く前から、ニッポンの某月刊誌の「海外だより」というコーナーに、年に4回記事を書いていて、そのネタになるかも…という、またまたセコい思惑があったのであります。

集まっていたのは、ヴェトナムや韓国から養子として赤ちゃんの時ベルギーのファミリーに引き取られここで大きくなった子や、両親が異なる文化圏の子や、うちの子供たちのように混ざった子、などなど。

以前からよく知っている子もいれば、初めて会う子もいました。

オバサンにとってはみんな自分の子供同様に可愛い。

 

デラシネという言葉は、大昔に読んだ、たしか高校1年の時だと思う、五木寛之の小説「デラシネの旗」で覚えました。

ベルギーに来てすぐの頃、義母と話していたとき「ヒロコはデラシネ」と言われ、初めて「ああ、自分も根っこを抜かれているんだ」と意識したのであります。

私がよく言う「ミュータント」ともかぶってる気がする。

 

哲学の講義で読まされた文章や視聴させられたヴィデオでとても気に入ったのが、AからBへと翻訳する際の「(新しく何かを構築しない限り埋められない)距離」というものを「自由(リベルテ)」と捉えるという発想。

これこそミュータントの場所じゃん、と思って励まされたり。

 

 

 

20日木曜日

 

エネルギー危機で経済的困難に直面する人が増えたんで、医療における払い戻しの額が増えたり、電気代が安くなったり、公共の交通機関の交通費が安くなったり、というステイタスのための基準がグッと拡大されましたから、私もその対象になるかも、と、健保組合に相談に行ってきた。

必要な書類(会計士に書き込んだもらわないといけない)を用意して、また行くことに。

たぶん対象になると思う。

あいかわらず仕事はほとんどないのに、援助金はもう半年前から出ない状態の中、かなり助かる。

(追記@11月20日・対象にならないことが先日判明。ブリュッセル首都圏のコロナ対策で受け取った支援金の合計額の関係。来年4月以降なら…ということだった。)

 

このオフィス、アラブ人の人が多く住む通りにあるんで、アラブ人のパン屋さんで久々にごまパンを買ったのであった。

 

 

21日金曜日

 

月に1回のオタノシミ、友人とのランチ

 

今回はスターターが、イタリアのチーズであるブラティーナ(モッツアレラに似てるけど、リコッタみたいなクリームのような風味がある)トマト、オリーヴなどをクレープで包んでカリッとさせたもの。

おいしかったあああ。

 

メインはコートダニョー côte d'agneau  仔羊。

これもおいしかった。

 

 

 

そして昨日、22日土曜日はアンデルレヒトのベギナージュ。

 

このフォト ↓ の左がサン・ギドン教会で右がベギナージュ。

 

↑ に写ってる部分は18世紀のもので、↓ が15世紀のもの。

 

 

15世紀のまんまの天井

 

15世紀のフレスコがわずかに残る壁

 

出入口では私以外の人は屈まないと頭をぶつけるのであった。笑

 

18世紀の建物の2階。

もうすぐミュージアムになることになっており、準備中なんでこんな感じ。

 

 

ベギン会というのは、女性ひとりだけで暮らすのがタイヘンだった時代の女性の共同体なわけだけど、昨日のガイドの説明で、うわっと思ったのは、記録によると一時ここで暮らした8人のベギンたち、隣の教会に所属する男性聖職者たちの身辺の世話も義務だった、という話。

ベギン会についてはけっこういろいろ調べて学んだつもりだったけど、この話 ↑ にはちょっとゲッと思ってしまった。

 

 

 

さて、SNS上で見かけたヴィデオなど貼り付けて、オシマイにする。

 

 

www.facebook.com

 

オーブリィ・ビアズリィ

緻密な絵を見ると、ああ、いいなあ、真似っこしようかなあ、と思うのだが、緻密なことはすごく苦手、大雑把な性格だからなあ…。

でも仕事なくてヒマだし、大好きな超緻密な誰かの作品を、時間をかけて真似してみようかな、と、このヴィデオを視聴しながら思ったりした。

Dandy sulfureux, Aubrey Beardsley était un illustrateur de génie fuyant la réalité pour des paradis où l'étrange et le bizarre côtoient l'érotisme.

www.facebook.com

 

 

この10日間のメモ

10日も経ったので、最近思ったことや見かけた話題などメモしておこう。

 

ルーヴァンに研究者として来ている若い友人が、来年早々には帰国することが決まったそうで、その前にまた会いましょうと声をかけてくれたので、土曜日にランチでも、ということになり旧市街で久々に会いました。

 

証券取引所のすぐ横にLe Cirioというカフェがあります。

19世紀末の典型的なブリュッセルのカフェ、ノンストップでやってるし、食べ物も飲み物もリーズナブルな値段だし、長話するにはピッタリなので場所はそこにしました。

内部はこんな感じ。

 

12時過ぎに入って、これ ↓ でスタート。

 

久々だったので、彼女の旅や話や研究の話や、お互いの近況だなんだで、二人とも話が止まらず…、なんと8時過ぎまで居座ってしまった。

個人的には新記録。

お店のブラック・リストに載ってしまったかもしれない。

(私たちにとっては)あっという間の8時間のうち、何回も飲み物を注文はしたんですけどね。

この店ではHalve en Halve ( half and half の意味)というブリュッセル独特のカクテルを出してくれます。

注文すると、白ワインと泡を半分ずつ、シャンパングラスになみなみと溢れるほど目の前で注いでくれます。

そういう類のものを何回も飲んだので、翌朝はちょいと頭がボーッとしてましたわ。

 

当然ながら店を出るともう夜です。

グランプラスのライトアップは、国を挙げての節エネゆえでしょう、ちょっと暗め。

 

 

月曜日は美術史の講義。

大学に向かうトラムの中、ずっと眺めていたいイケメンくんがいました。

ルッキズムと非難を浴びようと、私は美しい子やカッコいい子、やっぱり好きだわ。

そういえば前年度、早朝の講義を終え帰宅のトラムに乗ると、ものすごくオシャレな50歳くらいの男性が、ときどき途中で乗り込んできてました。

大げさでなく、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、気合の入ったオシャレなおじさん。

そういう業界の人かな、と思います。

あそこまで気合を入れるのは不可能とはいえ、年取っても、というか、年取ったからこそ、やはりオシャレはしたいものです。

 

 

美術史の講義はよりおもしろくなってきました。

今回は、「モダーン・アートとコンテンポラリィ・アート、テーマとジャンルは失われたか」という講義でありました。

同じような素材を扱いながら、パラダイムが異なると、観るものにとってのインパクトが大きく変わってくる、その例を示しながらの講義でありました。

 

挙げられる例はおもしろいものばかりですが、そんな中、ベルリンのハンブルグ現代アート美術館所有だというビデオアート、Soliloquy Trilogy ↓ は特におもしろーーーいと思いました。

この美術館、2回行ったことがあるのに、これを観た記憶が全くありません。

やはりモノを知らないと、目の前のものがちゃんと見えていないものなのですねえ。

この ↓ クリント、シャロン、ジャックという3つのヴィデオ、それぞれの俳優が出演した映画作品で、それぞれのセリフがあるところだけを取り出しつなぎました、というもの。

そしたら全くabsurde なフィルムになるという…おもしろすぎる。

absurde という言葉はニッポン語だと ロジックじゃない という感じ?

オンラインで訳したら、「ばかげた」でした。

あ、このアーティストは Candice Breitz という人。

ヨハネスブルク生れベルリン在だそうです。

kow-berlin.com

en.wikipedia.org

 

 

アートといえば、日本でも話題になったと想像しますが、こんな ↓ 事件がありました。

www.rtbf.be

このようなアクションには全く共感できない私。
お金の流通とか、美術品が投資の対象になることとか、その高騰とか、そういった問題はあると思うけど、作品に罪はないよね。
ひとつしか存在しないアーティスト渾身の作品にダメージを与えてしまうなんて…と思います。
 いろんなアクション、人々の目を覚まさせ、自分たちの思想・思考を理解させることが目的だと思うんだけど、これでは反感を生むだけではないだろうか…。
現にニュースでの扱われ方は、「いかに美術品を守るか」でしかありませんでした。
翌日のラジオのニュースでは、環境問題のアクティヴィストの方が、愚かなアクションリストの第1位を獲得するだろう、とも言ってましたよ。
 
 
 
昨日火曜日、哲学の講義を受けるべく大学に行くと、先生がお病気で休講。
せっかく来たし…と思い、以前から「いつでもいらっしゃい」とおっしゃってた、大学近くに住む仕事の先輩を訪ねることにしました。
突然お邪魔して申し訳なかったけど、同時に、いつも近くまで行きながらご挨拶もせず…とも思っていたので、いい機会でした。
 
哲学の講義はD校舎です。
その入り口には公認グラフィティがあります。
アンジェラ・ディヴィスの
変えられないものを受け入れるはもうムリ、受け入れられないものを私は変える
という言葉です。

このグラフィティは、ブリュッセルのアーティスト Denis Meyers によるもの。
 
 
 
そして帰路、枝ぶりが美しいなあ、と思ってフォト。

 

 

 

一昨日シャルルロワ空港では突然のスト。

今日から飛行機は飛び始めるようですが、突然のことだったので大混乱。

普通ストをやるときは、あらかじめその旨申請し認められないといけないんで、皆それぞれ自分の予定もその情報に合わせて組み立てるんですけどね、たまにあるんです、こういうスト。

もうずいぶん前になりますが、私も同じような目に遭いました。

シャルルロワで通訳の仕事をしたんですが、終わって帰ろうとする頃国鉄が突然予告なしのストに突入。

たまたま仕事で行った先のおひとりが、モンスから車で通っている方で、その人と一緒に帰ることに。

私の仕事が終わっても、その方の仕事が終わってなかったんで待たねばならず、ただ待つのもヒマなのでお手伝いしたんだった。

www.lesoir.be

 

 

 

FB上でこういうフォト ↓ を見かけました。

Boris Pasternak, Vladimir Majakóvskij, Tamisi Naito, Arseny Voznesensky, Olga Tretyakova, Sergej Ėjzenštejn, Lilja Brik.

すごい顔ぶれの中のニッポン人 Tamisi Naito って誰だろ、と思って調べると、Tamiji の間違い(フランス語の発音だとこの綴りで ji という音になるでのではあるが)で、内藤民治。

有名な方なんですね。

またまた全然知らず自分の無知を確認した私。

こういう記事も見つけたのである。

art-museum.city.nagoya.jp

 

 

 

今日は夕方から王立アカデミーの講演を聴き、その足で子供たちとカフェでおしゃべりの予定。

明日も朝から予定あり、なんだか忙しい日々である。

金曜日は恒例の月1回ランチだし、土曜日は、エラスムスの家のすぐそばにあるベギナージュ(ベギン会、ブルージュのが有名だけど、いろんな都市にあった)の修復が終わったことで公開され始めたのだけど、ここの無料ガイドツアーに参加。

そういえば先週水曜日は久々に仕事もしたし…。

ひきこもりオバサンにしてはエライぞ、思う。

 

 

ということで、メモはオシマイ。

 

 

いくつかSNS上で見つけたフォトを貼っておこう。

 

 

これ ↓ (年よりが若者を見た時の感じで)かわいい、と思った。

 

Bob Marley, Mick Jagger and Peter Tosh, 1978.

 

 

うちの近所にこの方 ↓ の生まれた家がある。

 

Julio Cortázar en la tumba de Oscar Wilde. Cementerio del Père-Lachaise, París.

 

しばらく前はやたらエリュアールを見かけていたんだけど、最近はそれがオスカー・ワイルド

この恋人にはずいぶんひどい目に遭わされたんじゃなかったっけ?

Oscar Wilde and Lord Alfred Douglas
"the Love that dare not speak its name"
Alfred Douglas - Two Loves, 1982
 "l'Amore che non osa pronunciare il proprio nome"



今の時代に生まれたら、そこまでひどい目には遭わなかっただろうなあ、という方たちがいっぱいいるけれど、そういう方たちがひどい目に遭いながら世界を少しずつ変えてくれたのかな、とも思う…。

 

 

 

3歳のデ・ニーロとお父さん。

お父さんもお母さんもアーティストですよね。

賢そうでカッコいいお父さん、ヴィトゲンシュタインみたい。

デ・ニーロは見るからにやんちゃそう。

 

A 3 year old Robert De Niro with his father (aged 24) in 1946.

 

 

 

これ ↓ は、私が街で見かけておもしろいと思ったもの。

3つ点があると顔と認識する、ってやつ。

 

 

追記・今昼のニュースで、今日もシャルルロワ空港から飛ぶ飛行機はない、と言ってた。交渉が成立した時間が遅すぎて・・・ということらしい。

 

 

昨日知ったこと メモ

昨日はULB(Université Libre de Bruxelles =自由大学)のキャンパスにある建築物とモニュメントのガイドツアーに参加したので、そこで初めて知ったことを忘れないようにメモ。

 

大学がソルボッシュ・キャンパスに移ってきてから今年で100年なので、その記念行事でいろんなイヴェントがあり、その中のガイドツアーのうちのひとつがこれ。

参加無料。

 

お天気がよくて気温も15℃くらいだったんで、そのつもりの服装で出かけたら、陽がかげるとひゅーんと体感気温が下がるし、冷たい風が吹くしで、もうちょっと暖かいコートにすればよかったと少し後悔したのであった。

うちにいると陽当たりがよくて暖かいので、外のことがわからないですよねえ…。

 

 

 

さて、参加したツアーでのガイドの話の中で、「へえええ」と思った初めて知ったことのメモ。

 

 

1920年代にキャンパスが、万博で開発されインフラが整ったソルボッシュにレオポルド公園から移ってきたわけだけど、その前には現在のギャルリー・ラーヴェンシュタインのところにあった、というのは以前記しました ↓ 。

自由大学周辺の建築めぐり - ちびころおばァさん備忘録 (hatenablog.com)

 

そこが最初の場所だと思い込んでましたが、実は一番最初の場所は、シャルル・ドゥ・ロレーヌの宮殿だったそう。

これ、初めて知った。

で、次が上述の場所で、それはグランヴェル枢機卿の宮殿だった、というのも初めて知りました。

恥ずかしながら、かなり有名らしいグランヴェル枢機卿の名も初めて知った…。

fr.wikipedia.org

fr.wikipedia.org

 

ソルボッシュのキャンパスにOBが運んできたという古い校舎の柱、これが唯一残る16世紀のグランヴェル枢機卿の宮殿の柱。

これが古い校舎からOBが持ってきたってことはプレートで説明してあるんだけど、グランヴェルの名もその宮殿のことも記してないのよね。

こういうプレートは絶対読むので、もうちょっと詳しく記して欲しいものだ、と思ったことでした。

教会の話に触れたくなかったのかな?

 

 

第2次大戦のときレジスタント活動を行ったグループGについては、去年記しました ↓ 。

shohoji.hatenablog.com

 

で、メヘレンからアウシュビッツへ出発する列車の動きを妨害するというレジスタント活動を行ったユラさんの話もやはり何回か記しました。

shohoji.hatenablog.com

 

このユラさん、ULBの学生だったことは知ってましたが、グループGに関わっていたことは初めて知りました。

メヘレンからの列車を妨害することをグループGに提案したけれど、危険すぎるということで却下されたんだそうです。

 

グループGは、ものすごく細かくプランを立て、最小限の行動で最大の効果を生むことを是としていたようです。

例えば、わずか28か所の送電ポイントを破壊することで、国内の3分の1の工業生産をストップさせるのに成功した、とか。

 

 

 

もうひとつ、おおおっと思ったこと。

キャンパスの中心を通っている道の名は、アヴニュー・ポール・エジェールと言います。

で、このポール・エジェールさんの話になった際、シャーロット・ブロンテが恋した相手が、この方のお父さんであるコンスタンタン・エジェールだった、というのを初めて知りました。

ブロンテ姉妹はブリュッセルに縁が深い、特にシャーロットは住んでいた女子寮の管理者である男性に恋をした、というのは以前本で読んで知っていましたが、それが大学の通りの名前の方の父上だったことは初めて知った。

うちにあるその本を開いて見たら、ちゃんとエジェールという名前が出てましたわ。

 

恋してはいけない人に恋したわけで、サン・ミシェル大聖堂で告解していたそうです。

(それが、左の並びの手前からふたつめの場所をいつも使っていた、というところまでこの本には記してあった)

 

fr.wikipedia.org

fr.wikipedia.org

 

 

以上、備忘のため。

 

 

ソーシャル・レストランに行ってきた

ドイツ在の友人が数年ぶりにブリュッセルを訪れ、一緒にランチでも、と誘ってくれたので、昨日待ち合わせをして会いました。

 

冷たい日々が数日続きましたが、ここんところ少し気温は上昇。

昨日はとても良いお天気で、最高気温も18℃くらい。

少し風が冷たかったものの、とても心地よい日でありました。

 

 

火曜日は10時から12時まで大学で講義だったので、終了後大学前から旧市街まで行くバスにピョンと跳び乗りました。

 

待ち合わせ場所は聖カトリーヌ広場の教会前。

 

教会から歩いて10分くらい、運河を超えたモーレンベーク地区にある les uns et les autres という restaurant social で、とても安く食事ができるレストランです。

この ↓ サイトを覗いてもらえばフォトやビデオがありますが、まさしくそのまんまでした。

www.mloc1080.be

les uns et les autres レザン・エ・レゾートル って、クロード・ルルーシュ監督の「愛と悲しみのボレロ」の原題と同じ、いろんなみんな、くらいの意味。

(そういえば、しばらく前、クロード・ルルーシュはベルギーのボクシング協会(?)から、金のグラブを受賞してました。↓ )

www.rtbf.be

 

スターターとメインにデザートで、なんとたったの8.5ユーロ。

失業者や生活保護を受けている人、学生、低所得者、といった人なら、5ユーロか4ユーロで食事ができます。

4歳未満は無料、4~12歳は3ユーロ、12~17歳は5ユーロ。

飲み物は別料金ですが、お水はテーブルに置いてあるので無料。

 

昨日のランチは・・・

 

スターターがモッツアレラ

メインがチキンカレー

デザートがクリーム・ブリュレ (フォトを撮る前に食いついてしまったので少し欠けてますが…)

 

予約はできないレストランなので、座る場所あるかなあ…と思いつつ、でしたが、テラスもあるし内部も広々としていて、問題なくテーブルにつけました。

 

今思い出したこと追記・

このレストラン、ランチは日替わり。

金曜日は魚メニューだそうで、一番混むんだそうです。

で、流産しかかって長いこと入院したときのことを思い出した。

(次女がお腹にいるとき、父親がマラリアに倒れ死にそうになってタイヘンだったのである。父親回復後、今度は私が疲労で流産しかかった。)

病院も毎週1回だけ、肉か魚を選べる日があったんだった。

私は迷わず魚メニューを選んでましたが、4人部屋で魚を選ぶのは、私とモーリシャス人の人とふたりだけだったのである。

モーレンベークは移民の人が多いから魚の日に混むのかな?

それとも、この30年で純ベルギー人もお魚を好むようになったのかな?

 

食事は普通においしく、何より「いいな」と思ったのはお店の雰囲気でした。

働いている人たちがとても楽しそうだった。

 

建物自体はこんな天井で ↓ モトは何の建物だったんだろうと思って訊ねると、シガレットを作るところだったそうな。

 

モーレンベークは鉄道が初めて敷かれた際のブリュッセルの起点だったところだし、運河のポイントとしても重要だったところだし、それでタバコが運ばれて保管されるところがあったんだな、と思いました。

(イギリスに次いで世界で2番目に鉄道が敷かれたのが、ベルギーのブリュッセルメヘレン間です。 モーレンベークは移民の人がものすごく多いところですが、ここは運河のポイントとしても重要地点だったので、そこで働くためにもうずっと以前から人たくさん集まっていたわけです。)

 

というわけで、メモしておこうと思った次第。

 

モーレンベークは、パリやブリュッセルでのテロ事件で世界に名前を知られるようになったところ。

ここ ↓ で少し触れています。

 

ブリュッセルのテロ事件で学んだこと:私はベルギーに暮らしていることを嬉しく思う - ちびころおばァさん備忘録 (hatenablog.com)

 

今日のメモ、いろいろ - ちびころおばァさん備忘録 (hatenablog.com)

 

テロの後2年間くらい、仕事でずいぶん足を運んだところです。

久しぶりで、少し懐かしい気持ちになったことでした。

 

 

 

 

 

昨日初めて哲学の講義を受けました。

難しくてわけが分からないようならもう行かないかも…なんて心配していましたが、そんなこともなく、思考を触発されるものでけっこうおもしろかったです。

 

Aという言語をBという異なる言語に訳する際に、どうしても生まれるその距離を「リベルテ」と捉える、合致するものを既存のものから探すのではなく、合致するものを構築することが「翻訳」である。

そしてそこで、ユニヴァーサルな真理というものをどう捉えるか、みたいなお話でありました。

 

エモーションというものについても、ここんとこ考えていたことと似た考えを先生が話していたんで、うんうん、そうだよね、と嬉しくなってしまった。

 

 

 

昨日いただいた本。

 

 

FB上で見たフォト。おもしろい。

 

Robert Doisneau

 

 

 

脳内モヤモヤのメモ

FB上で見かけ、すごい・すばらしい、と思ったので貼り付けておく。

アリナリ兄弟が撮影したフォト。

このフォトについていたコメントの一つに、このアリナリ兄弟が撮ったフォトって写真技術が始まった頃の重要な研究材料になっていて、研究機関が買い上げているのだ、という説明がされていました。

 

Escalier de la tour du Palazzo Vecchio et vue sur la cathédrale, Florence, vers 1900
Photo © Fratelli Alinari

fr.wikipedia.org

 

 

これもいい。小学校の休み時間。マチスの絵を思い出したり…。

男の子の学校ですね。

私よりもう少し下の世代まで、ベルギーでは男の子と女の子の学校は別々だったんだけど、フランスでも同様だったのね、きっと。

La récréation, rue Buffon, Paris, 1959.
Robert Doisneau

 

 

 

昨日は国際高齢者デーだったようです。

ニュースで知りました。

「何歳から高齢者だと思いますか?」と路上で若い人たちや子供にインタビューしてました。

子どもたちは、50歳(これって…いくらなんでも…)、60歳、80歳といろいろ答えていました。

40歳くらいのある女性は、人に頼らず生きていける間は高齢者じゃないのでは、と答えてました(聞きながら、それは違うだろ、と思った私)。

 

 

コロナ禍でもって生活のペースがいきなり変化したのが大きく影響したのかもしれないけど、最近はほんとに何でもめんどうに感じるようになってしまいました。

お腹が空くのすら、ああめんどくさい、なんでお腹空くかな、なんて思ってしまうくらい。

私に関して言えば、この「めんどくさい」ってのが「歳を取った」ことの証拠のような気がする。

生きていること自体がめんどくさい…。

一応それなりに元気なので、そういう横着なことが言えるのかもしれませんが。

 

今でもよく覚えていることのひとつに、フランスのTV番組にゲストとして呼ばれていた晩年のアベ・ピエールの様子。

その表情から、もうやることはやった、もう疲れた、ということが見て取れ、もうすぐ亡くなるんだ、と感じたのです。

 

人気の高いアベ=ピエール、Wikiの記事もすごく長い!

fr.wikipedia.org

Il affirmait : « J’ai passé ma vie à prier Dieu pour mourir jeune », et ajoutait : « Vous voyez, c’est raté ! ». L'abbé Pierre faisait également régulièrement allusion à sa mort en évoquant son départ en « grandes vacances ». 

若くして死ねるようにずっと神に祈ってきた、うまくいかなかったけどね、と言ったそうです。

そして、死と言うのは長いヴァカンスに出かけることだとよく言ってたと。

 

日本語の記事は短いのであっという間に読めちゃう。

ja.wikipedia.org

 

 

上述したように、私なんかが「生きるのがメンドウ」なんて口走るのは横着なんだろうな、という思いがあって、言い訳のように大学の講義を受けたりもしているのである。

 

「哲学と美術史」というのが、私が思っていたのとは異なっていた、と前の記事に記しました。

哲学と美術史に分かれているんですが、火曜日の哲学の最初の講義は歯医者のアポと重なり行けず。

2回目の週は講義自体が休講だったので、まだどんな感じかわからないのだけど、大学のサイトの自分のページに行くと、宿題と思われる視聴すべきビデオと読むべきテキストがアップされていました。

それを見ると、講義のテーマがTraduire(翻訳する)だということはわかる。

おお、これはまさしくここんとこずっと自分が気になっているテーマではないか、と感動しました。

(まだちゃんと視聴してないし、読んでないけど…苦笑)

 

なんで気になっているかというと、自分の≪ミュータント化»がほぼ終了したことを実感するから、です。

ニッポンを出て36年。

もうニッポン人ではなくなっていて、多分一番得意なニッポン語の言葉すら共有している気持ちになれないのです。

かといってヨーロッパ人でもないわけで。

(ベルギー生活が快適なのも、ここはミュータントがいっぱい住むところだからだと思っています。)

ここに骨をうずめるのなら、ここの言葉をちゃんと理解しないとなあ…、と思っているわけです。

 

哲学の先生はどんな人だろ、と思って検索すると、うちの長女クンとFBでつながっている人でありました。

哲学の先生であると同時にシタール演奏家でもある。

長女クンによると、2回目の講義が休講だったのはコンサート出演が理由だったそうです。

それにしてもなんと小さな国でしょう。

興味関心が共通していると、必ずと言っていいほどつながっているんですよね。

小さすぎる、とも言えるかもしれないけど、今のように世界中が大きな困難に直面している時は、「他人事ではない」ということが実感できるこの小ささは、私にはよいことに思えます。

 

 

 

今朝読んでいろいろ考えたり思い出したりした記事を貼ってオシマイにしよう。

 

www.vogue.co.jp

 

哲学者と限らず、たとえば作曲家についても同様ですよね。
 
それに今だって「大学」に研究者として残ると、同じような構造につぶされそうになっている「若者」がたくさんいると思う。
(たまたま昨日も、大学には残らないことを選んだ長女と同様の話をしたばかり)
 
 哲学科の学生に女の子がものすごく増えたと書かれているけど、これって女の子たちに選択肢が増えたという要因もあるだろうけど、「哲学」では就職できないから男の子たちが行かなくなった、というのもあるのではなかろうか。
 
私も大学では哲学科に入ったけど、新入生への先生の「お言葉」の出だしが「就職に役立たないと思ってください」だったのをはっきり覚えています。
私の時代は日本の経済に勢いがあったし、卒業した頃はバブルの時代に入りつつあったし、就職問題はなかったですけどね。
私自身は卒業後の就職の問題など、考えもしていなかったのですが。
 
美大の彫刻科だった友人が、当時彫刻科には女の子はふたりしかいなかった、でも純美の方は就職には不利なんで、今は女の子が圧倒的に多い、と言ってたのも思い出したり。
 
いろいろと考えさせられる記事でありました。