ゲントに行ってきた (PSあり)

ものすごく久しぶりにゲントに行ってきました。

 

コロナ禍に突入する直前に、Van Eyck展を観に行って以来です。

shohoji.hatenablog.com

 

この ↑ 後もう1回観に行きましたから、それ以来。

 

私はゲントの街が大好きです。

街の規模、美しさ、大学があるからかかっこいい若者が多くて生き生きしているところ、古いものと新しいものが共存していて、もしオランダ語がわかるならここで暮らしてみるのにな、と思ったりします。

ブルージュも美しいですが、16世紀にカルロス5世が港を完全に閉じてからどんどん衰退し、19世紀にはほぼ死んでしまった街、今は「観光地」、ですから私はゲントの方に魅力を感じます。

 

大聖堂が地下と神秘の仔羊の鑑賞のさせ方を変えてから初めて、どうなったのかずっと気になっていたのでした。

それで「よいしょ」と重い腰を上げ行ってきた、というわけです。

 

 

ランチを食べたレストラン(手前)の路地。

まさしくフランダース!と思わされます。

レストランの中はこんな感じ。

もう昼の時間が終わりそうな頃に入ったので、何かの集まりと思われる客以外は私たちだけでした。

たぶん建物はめちゃくちゃ古い。

梁を見るとわかるのである。

典型的なベルギー料理の一つ、ワーテルゾーイを食べました。

ワーテル Water というからには、昔は水煮だったと思うのですが、今はクリームたっぷり。

チキンとお魚があるんですが、ここではお魚です。

タラとサーモンでした。

美味しかったあああ。満足しました。

 

 

手前が鐘楼。その右後方が大聖堂です。

大聖堂の中のローラン・デルヴォーによる説教台。

こういうものすごく立派な説教台がフランダースでは18世紀前半に流行りました。

私が知るかぎり最も豪華な説教台。

こんな感じで ↓ 展示されてました。

実際に見るホンモノの美しさには、このヘタクソなフォトでは程遠いですが…。

 

聖バーフさん。

小便小僧の作者ジェローム・デュケノワの二人の息子のうち、弟くんジェロームJRが作った司教トゥリーストの霊廟。

このジュニアはソドミーの罪で処刑されたのでお墓も残ってない。

 

大聖堂の前の広場を囲む建物。

繊維ホール、鐘楼、シアター、ちょっと後方に見えるのが市庁舎。

 

フランドル伯爵城。

街中にこんな中世のお城が残ってるってのもすごく珍しいと思います。

それにしても、昼なのに曇っていて暗いなあ…。

 

 

レイエ川沿い。

たまには晴れ間もあった。

 

珍しい木造の建物。

たしか16世紀のもの。

街の真ん中に、こんなに古い建物がいっぱい残ってるって、ものすごく珍しいと思います。

シント・ミヒール橋から見える様子。

 

 

 

 

 

今日の夕方は、知り合いのエクスポジションのヴェルニサージュに招待されているんで行く予定。

メキシコ在のアニェスという少し年下の人の展覧会。

モンスから、いつも私のために動いてくれる友人サビーヌも来るというので。

 

このふたりには縁を感じているのである。

 

メキシコに住んでいる頃、モト夫はベルギーから来る観光客をミニバンを運転してメキシコ中どこへでも案内していました。

あるとき人がいっぱい過ぎてミニバン1台じゃ足りなかった。

そこでもう一人、助っ人として登場したのがアニェスだったんです。

まだ長女が赤ちゃんだったとき、彼女はうちにもやってきたりしてました。

 

で、時は流れベルギーはモンス。

うちの長女クンが中等学校サクレクール(昔の女子高で今共学)に進学した時、クラスに長女同様メキシコ生まれの男の子がいて、なんだかんだと話が合って家族で行き来する仲になりました。

その男の子のママがサビーヌ。

 

モト夫(めんどくさいので、以後Pと記す)はイエズス会の男子校であるコレージュの頃、演劇をやってました。

コレージュの壁をはさんだお隣が女子高サクレクール。

この二つの学校は、伝統として年に一度一緒に演劇作品を上演していたのです。

で、Pがコレージュのレト(最終学年である6年生は、レト=レトリックと呼ばれる)のとき、彼が主演でドストエフスキーカラマーゾフの兄弟の異端審問官を上演したことがあった。

信じがたい大成功だった(P曰く)そうで、再演に次ぐ再演というちょっとした伝説になった年だったそうです。

 

で、サビーヌのお姉さんがサクレクール側でこの演劇に裏方として参加、子役の女の子が必要ということでひっぱりだされたのがサビーヌだった、というわけです。

Pとサビーヌが同じ舞台に立っていたと判明した時には、世の中、どうつながってるかわかんないものね、とおもしろく思いました。

 

あるときサビーヌのうちにディナーに招待されたとき、たまたまメキシコからベルギーに戻ってたアニェスも招待されていて、おお、あなたはメキシコで会ったアニェスではないか!ってことになったというわけです。

彼女らが仲良しだったことが判明。

 

ここでもつながっていた。おもしろーい。

 

 

 

というわけで、FBで見かけた服役中のドストエフスキーのフォト。

A rare image of Fyodor Dostoevsky (on the left) with other prisoners in a Guardhouse in Sennaya Square, St. Petersburg. Here Dostoevsky was kept under arrest on March 21-22, 1874, as the editor of the journal Grazhdanin (Citizen) he was fined and sentenced to two days in prison for violating the censorship rules.
The place was known as the very heart of the common folk's life, and that is why in Dostoevsky's "Crime and Punishment" the character Raskolnikov, before he went to the police to plead guilty of the murder he had committed, knelt and ecstatically kissed the ground of the Sennaya Square in a frenzy to repent.

 

 

 

 

これは観たい。

アントワープのモードミュージアムMoMuで4月からのモードにおけるマン・レイ展。

 

 

アントワープにも長いこと行ってないし、近いうちに行ってこよう。

美術館に行かないと…。

 

 

PS モードにおけるマン・レイ と上に書いたけど、このENってオランダ語

もしオランダ語なら、 モードとマン・レイ の意味になるなあ…