時計の針を1時間戻しました。来年はどうなるのかな?

10月最後のウィークエンドということで、サマータイム終了。

うちにある時計の針を昨夜寝る前に1時間戻しました。

来年の3月末にまた1時間針を進めると、10月末にそれを戻すか戻さないかは各国まかせ、ということで、2021年にサマータイム制はなくなりますが、ベルギーがどうするかはまだ不明。

サマータイム制の廃止には80%以上の人が賛成だということですが、夏時間のままがいいという人と、冬時間に戻した方がいいという人はほぼ半分半分、わずかに後者が多いらしい。

夏時間のままだと、一番日が短いときだと朝10時くらいまで暗いですからね、昨日のニュースでは工事現場で働く人が、安全面を考慮すると冬時間に戻して欲しい、と言ってました。

 

 

さて、Covid-19の第2波、病院の状況は春の第1波のときより深刻です。

それで、金曜日に行われるはずだった連邦政府の話し合いが木曜日の夜に繰り上げられ、金曜日の朝会見が開かれたのですが、内容は予想したほど厳しいものではなく、あらま、と思っていたらば、北と南じゃ意見がかなり違っていたので、その中間を取ったというのが理由だったみたい。

同じ金曜日の夜ワロニア政府が会議を行い、独自に連邦政府よりさらに厳しい対策が取られることに決まり、ブリュッセル首都圏はそれに半日遅れ会議、同様にさらに厳しい対策が取られることに決まりました。

 

そういうわけで、ブリュッセルでは夜間外出は22時から朝6時まで禁止、ミュージアムや映画館、劇場などは11月19日まで閉められることとなりました。

 

10月2日からブリュッセルの王立美術館でおもしろそうな展覧会が始まっていて、来週行こうと思っていたところだったのでちょっと残念ですが、病院のことを思うと、そんなこと言ってはいられない…。でも残念…。

 

 

王立美術館、昔は古典と近代の2つのセクションに分かれていましたが、その近代部門が世紀末とマグリットのふたつが新たに作られたことで、その両方にあてはまらない所蔵品がみられなくなっちゃったんです。

それで、その一部が少しずつ交代に古典部門の方で観られるようにはなっていたんですけど。

将来的に近代美術館が作られるはずらしいものの、もったいない話。

今やってる特設展はBE MODERNというタイトルで、その所蔵品がもうちょっとたくさん観られるものなんです。

www.fine-arts-museum.be

さらに同じ期間ビル・ヴィオラインスタレーションも観られるはずだった。

 

一月後、第2波がある程度収まっていることを祈るしかありません。

 

ビル・ヴィオラは、2014年、パリに出かけたときたまたまグラン・パレで展覧会をやっていて、なんとなく観にいったらすごくよくて、大好きになったのでした。

この ↓ サイトで、まだビデオが観られます。

www.grandpalais.fr

そのときのMIXIの日記を探してみると、

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ちょっとした用事で、パリに行ってきました。

せっかく出かけたし、「とてもいいらしい」という情報のあった展覧会をグラン・パレで鑑賞してきました。

出かけたのは月曜日(フランスでは、美術館の閉館日は火曜日)。

月曜日は午後8時まで開いているんで、時間はたっぷりあると、モタモタして出かけたらば、あまりにもおもしろくて、

閉館だから出てちょうだい、と、追い出されるまでいてもまだ時間が足りないくらいでした。

ビル・ヴィオラという米国のコンテンポラリィ・アーティスト。

全然知らなかったけど、ビデオ・アートでは世界的に有名なんですね。

7月21日までやるようなので、もう1回行ってこようかと思ってます。

ビデオだからDVDでもあれば、ってなわけにはいかないんですよね、すごく立体的だから。

私には、かなり宗教的な影響が感じられました。

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と記していました。

www.youtube.com

 

6年前はオーステンドの街ごと使った「The Sea」というエクスポジションで、もう閉鎖された映画館か何かの建物で彼の作品が展示されたことがあり、ちょうど日本から来ていた友人と観に出かけたことでした。

 

そういえばその時友人が「北海を見るのは生まれた初めて」と喜んだんだった、なんてことも思い出しちゃった。

このフォトはそのときのもの。

海沿いにおいてあるでっかい作品は、ゲント出身のアーティストArne Quinzeのものです。

右側の≪岩≫の前に立つ小人さんが自分だということに、今初めて気づいた。笑

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前々回記した日記の、ベグベデーの本の対話の相手のひとりに、BHL ベルナール・アンリ=レヴィがいて、ちょうどこの ↓ 記事を読んだばかりだったんで、じゃBHLのところから読み始めようじゃないか、と思ったものの、やはり友人の言ってた「スノッブなパリジャン」感否めず、半分でうんざりしてしまった…。

spinou.exblog.jp

そういうわけで、昨日ちょっと気を取り直し、フィリップ・ソレルスとの対話へ移行…。

対話形式なんで読むのは難しくない、だからサッサと読んじゃえばいいんですけどね…。

 

 

 

さて、ついに50か国に到達しましたね。

mainichi.jp

 

 

1666年のお約束 2020年に適用できる?

Covid-19の第2波の中、再びHORECA(レストランやカフェ)が今日からひと月閉めることを強制されます。

夜間の外出も禁止。

HORECAに携わる人たちのショックや怒りも大きいのですが、学校や家庭生活の禁止ができない中、それしかない、という状況のようです。

今も私なんかがもらっている政府の補償、HORECAの人たちには、扶養家族がいる場合ひと月3228ユーロ、いない場合2584ユーロ、と、倍額が支払われることになりました。

これは連邦政府の補償。

これ以外に近いうちブリュッセル首都圏政府のイベント関係、観光関係、文化関係への援助が、3000~9000ユーロの範囲で行われることが、9月中旬に決まっています。

 

もうひとつの大きなニュースは、フランスのリセの地理の先生(追記・その後のニュースでは歴史の先生と言ってたんで、おそらく歴史の先生が正しい)が殺された事件。

これについては、私はまだ自分で何か書き留めておくほど消化できないくらいショック…。

 

 

 

そんな中、昨日のニュースで「おもしろーい」と思った話があったので、それを記しておこうと思いました。

 

毎週日曜日の昼のニュースで、フランダースのニュースをいくつか紹介するコーナーがあることは以前ここに記しました。

このコーナーで知った話。

 

イギリスの国王チャールズ2世が1666年に発効した文書、Brexit交渉の中、フランダースの漁船がイギリス海域での漁に関してうまくいかなかった場合、これを持ち出すことになるかも、という話。

なんといっても、漁の半分は英海域で行われているそうなので、交渉がうまくいかなかったら、漁業従事者にはタイヘンなことになりますから。

この古文書によると、チャールズ2世は英海域におけるブルージュの船の漁を恒久的に認めています。

なんでも、2017年に行われた交渉の時にも、この文書が持ち出されたとか。

www.vrt.be

大陸で亡命生活を送ったチャールズ2世、ブルージュにも暮らしたことがあり、フランダースをとても気に入っていたのだそう。

そういえばブルージュのHoogstraatにある建物、今はホテルになっていますが、ここが彼の宮殿だったんじゃなかったかな。

建物に貼り付けてあるプレートにそう記してあったような記憶が…。

 

 

 

もうひとつ、このドキュメンタリーもおもしろかったので貼り付けておこう。

 

フェルメールの絵の分析かと思いきや、そこに描かれた帽子から見た、当時のヨーロッパの経済活動や植民地政策の話でした。

とても興味深かった。

 

www.arte.tv

この絵です。

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当時の世界の経済活動の中心だったオランダ。

プロテスタントの彼らは宗教画も描かせません。

で、裕福な男たちは帽子や衣類にお金をかけるんですが、この絵に描かれているような金持ちの帽子はビーバーの毛のフェルトで作られているんだそうです。

(この男性の服も高価そう、袖口にはレースがたっぷり使ってありますし)

冷たい水の中で暮らすビーバーの毛皮は、保温と耐水性に優れ、ものすごく高価なものだったんだそうです。

(お金のない人の帽子は、ウサギの毛で作ったものだった、と)

 

欧州のビーバーは、それゆえに乱獲され絶滅状態。

それで商人たちは北米でビーバーを確保しようとしました。

今のNYのマンハッタンは当初ニューアムステルダムと呼ばれていましたが、それはオランダ人が先住民から二束三文で買い取った土地でした。

先住民には土地を所有するという概念がなく、単なる通行料という発想しかなかったから。

オランダ人たちは、ビーバーをゲットして欧州に運ぶのが一番の目的だったんだそうです。

そのうち、フランス人たちがカナダのケベックへ進出し、現地での先住民同志での戦争まで引き起こします。

 

80分近いドキュメンタリーで、もっといろいろ語られました。

17世紀のグローバリゼーションの話でした。

 

ちなみに私のウサギの帽子。

このウサギちゃんが、この帽子のために殺されたのでなければいいのだが…。

 

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ここ数日に読んだ記事など、忘れないようにいくつか貼っておこう

Covid-19ですが、今がホントの第2波。

第1波の疲れもとれぬうちに、また病院が大忙しになってきたようです。

第2波は秋ごろかなあ、と思っていたとおりになっちゃった…。

 

やはり何がタイヘンって、こういう状況がいつまで続くかわからないことがタイヘン。

期間限定なら、同じようにいろんな我慢をするにしても、もう少し気持ち的に救われるんでしょうが。

しかも、ただでさえどんどん日が短くなる時期で、気が滅入るときですしねえ。

 

とはいえ、私は個人的には元気ピンピンです。

膝はMRIの結果、靭帯自体は損傷しておらず、膝をひねった際に十字靭帯がくっついていた骨ごと剥がされたということが判明。
3週間くらいでくっついてモトに戻るそうなので、それまで足をピンと伸ばしたりぐいっと思いっきり曲げたりしない、といった注意を守りさえすれば大丈夫とのこと。

というわけで、こちらは期間限定、状況スッキリ、なんでホッとしました。

 

そうそう、そういえば、うちの子供たちの友人たちの多くが、ドクター論文をクリア。

これはきっとロックダウンのおかげだね、と言ってました。

こういう側面もあるのね。

 

 

さて、ささっと記事などのリンクを貼ってオシマイにします。

私にしてはめずらしく、日本関係のものもふたつあり。

 

RTBFで放送された美智子さまについてのドキュメンタリー。

以前仕事で日本の皇室についていろいろベルギーとの関係を調べたことがあります。

ベルギーの王室と日本の皇室はとてもかかわりが深いのですが、このドキュメンタリーはフランスのもの。

第2次大戦直前から現在に至るまでの日本の歴史と社会、その中でいかに生きてこられたかのドキュメンタリーで、とても強く賢く、パシフィストであり、社会的弱者に寄り添ってきた方であるという紹介です。彼女の与えた社会への影響と、「出る杭は打たれる」社会の中でバッシングを受け声が出なくなったことなども紹介されてます。

止まることを知らないかに思えた戦後の経済発展も終わりを告げ、すっかり日本は貧しくなった、そして、日本は社会的弱者に寄りそうチャリティの精神が乏しい社会でもある、と紹介されていたのが印象的でした。

彼女が体現してきたものはとても脆いものでもある、守っていってほしい、と締めくくられていました。

www.rtbf.be

 

ベルギーの新政府のことをうまくまとめてあるので、これ ↓ 貼っておきます。

maga9.jp

 

エジプト、ポーランド、日本において、性的マイノリティが差別を受けている、という記事。

日本については、若者を中心に少しずつ社会の理解は深まっているものの、スギタミオのような発言をする議員もいる、と。

ミッドナイトスワンのような映画が制作されたことにも表れているように、このテーマがタブーではなくなってきている。

TVにもゲイやトランスジェンダーの人たちが出演しているが、残念ながら、これも社会に差別が存在している現実を覆い隠すことになっている、と結ばれています。

www.francetvinfo.fr

 

 

サガンの本を送ってくれた友人が、また1冊送ってくれました。

スノッブなパリジャンを味わってね、とのこと。

実際に、あるいは、イマジネーションの中でいろんな作家たちと会って、著者フレデリック・ベグベデーが対話をしていく、という1冊。

 

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アノン邸のこと & その他

傷めた膝、こじらせるとイヤなので気をつけつつ動いていますが、ずいぶん回復してきました。

それでようやく宿題を済ませる気力も出てきました。

 

アノン邸のアノンさんや建築家のことなど、ちゃんと付け加えて記しておこうと思っていたので。

 

shohoji.hatenablog.com

1904年完成。

白いレンガはポーランド製、白いフランスの石とピエールブルーが使われています。

左側に木が見えますが、その先に以前は厩があったそうです。

現在は全く異なる赤いレンガの建物が建っています。

 

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まず、この邸宅の主だったエドゥアール・アノン氏について。

 

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ソルヴェの会社に1876年に入った彼は、フランスのナンシー近郊にある、ソルヴェが発明した炭酸ナトリウムの重要な生産工場に配置されます。

その頃ナンシーは、アールヌーヴォーの中心地とみなされていました。

ソルヴェにおける彼のキャリアは輝かしく、重要な役割を担い、世界を駆け巡ります。

ソルヴェは当時の万博でも貢献しますが、アノン邸の建築家であるジュール・ブランフォーは、万博会場の建築物も多く手掛けました。

そうやって会社での重要な役職の数々をこなすことで、アノン邸建築を賄うだけの経済的余裕を持てたわけです。

 

彼のお兄さんであるテオドール・アノンは、画家・美術評論家・詩人であり、当時の芸術雑誌において重要な発信者でもありました。

フェリシアン・ロッブスやジェームス・アンソールといったアーティストたちとも親しく、アノン家はこういったアカデミーの人々の集まる場所でもありました。

 

エドゥアール・アノンは強い好奇心の持ち主でもあり、当時飛躍的進歩を遂げていた写真の分野にも深くかかわっていました。

今はもうほとんど顧みられなくなっていますが、エドゥアール・アノンは非常に優れた写真家でもあり、ベルギー写真協会の設立者のひとりだったんですが、その時はまだ21歳の若さでした。

1894年に行われたパリのフォト・クラブのエクスポジションでは、ベルギーから参加した5人のひとりで、金賞を受賞しています。

 

彼は対象を瞬間的にとらえ、オリジナルな切り取り方をする写真家で、同時期に米国で活躍を始めたアルフレッド・スティールゲッツ(調べたら、この方、アントワープ近郊のホーボーケン生れだった)と並ぶクオリティーを持っています。

 

かれの作品が、私の持ってる本に載っていました。

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パリのオルセ美術館も2点所有しているそうです。

そのうちのひとつをNet上から拝借。

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内部のフレスコを描いたアーティストは、ポール=アルベール・ボードゥアン。

このポートレートも、エドゥアール・アノンが撮影したものです。

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ルーアン生れ、パリで学んだ人。

装飾絵画の分野へと進みます。

エドゥアール・アノンといかに接点を持ったかは不明。

1903年に何回か作品についてアノン氏と協議を重ね、同年12月にエスキースをアノン氏に送った後、4月にアノン邸装飾のために到着。

階段やスモーキング・ルームのフレスコは≪生きる喜び≫をテーマにしているそうです。

 

 

そして建築家、ジュール・ブランフォー。

このポートレートもアノン氏が撮影しています。

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ブリュッセルに生まれ、ブリュッセルで亡くなった人、ゲントとブリュッセルで学んでいます。

ブリュッセルの様々な邸宅を手掛けています。

エドゥアール・アノンの友人でもある。

エミール・ガラやルイ・マジョレルの装飾や家具を用いています。

アノン邸は角のにあるので、光を多く取り入れることができるよう、丸いデザインになっています。

外部の下部の装飾を手掛けたのはヴィクトール・ルソー。

 

 

ステンドグラスを担当したガラス職人は、フランス出身でブリュセルに根を下したラファエル・エバルドル。

ティファニーのガラスを用いました。

ティファニーのガラスは、アールヌーヴォーの建築家に、その輝きでとても好まれました。)

他にも、ヴィクトール・オルタはじめ、アールヌーヴォーの建築家と仕事をした人です。

 

 

 

ということで、いくつか読んでおもしろかったり気になった記事など、いくつか貼ってきます。

 

 

this.kiji.is

これ ↓ 去年のものですが。

toyokeizai.net

 

そして、昨日のニュースで「えっ」と思ったもの。

2025年に原発ゼロにすることになってるんだけど、原発で働く人たちが職を失うっていうんでデモ。

彼らは、そうなると国外から電気を買うことになる、国内で供給できるだけの電気をつくらないと、と、ちょっとモットモっぽいことを言うんだけど、でも、それとこれとはまた別々に詰めていかないといけないことなんじゃないの?と思う私。

今だってほとんど稼働してないわけだし…。

www.rtbf.be

ということで、今日はオシマイ。

 

 

 

昨日の記事にちょっと追加 & ネアンデルタール人の遺伝子とCovid-19

昨日(このブログの日付だと今日だけど、私にとっては昨日)の記事をアップした後に、ああ、そういえば…と思い出したことが一つ。

付け加えておこう。

 

Sodadeですが、ものすごく長いイタリア映画 La meglio gioventù (邦題 輝ける青春)の中で、ものすごく効果的に使ってあり、もうその曲が流れてきたことで号泣したことを思い出しました。(歌の意味なんて全く知らなかったのにね。)

この映画、たしかイタリアでTVドラマとして大成功をおさめたことで映画化されたのではなかったかな。

日本でも公開されたはず。

68年の世代の人々の若き日々を描いた映画です。

私にとって68年の世代の人々は、ちょっとあこがれるうーんと年上のお兄さん・お姉さんだったりする。

いっぽう、私より4つ年上の私のモト夫なんかにしてみれば、年が近い分もっと身近なお兄さん・お姉さん、ついていったものの期待を裏切られた部分もあったようで、ちょっと複雑な思いがあるようでした。

 

www.youtube.com

 

さて宿題(アノン邸のこと)は残したままだけど、一昨日のニュースで知って、へえ、おもしろーい、と思ったことなど。

 

ネアンデルタール人由来の遺伝子が、年齢や既往症の有無と同様に、Covid-19の重症化に関係しているという、ドイツの研究者の研究結果の話。

23対あるヒトの染色体のうち3番の染色体に、ネアンデルタール人と共通の遺伝子を持つ人がいるんだそうです。

で、それは地球上で均等に受け継がれているものではなく、その割合は、欧州人だと16%だけど、南アジアだと半数の人がその遺伝子を持っている。

東アジアとアフリカではほぼ皆無。

バングラディッシュが最も高くて63%。

これが、英国における死者の中で、バングラディッシュ出身の人の死亡が平均の2倍だったことと関係しているのだろう、ということだそうです。

この遺伝子、ネアンデルタール人同様の化石人類であるデニソワ人は持っていないもので、ネアンデルタール人と我々人類が、50万年前に共通の先祖から受け継いだものだと考えられている。

 

www.rtbf.be

 

 

さ、そろそろお昼なんで、ごはんの用意でもします。

午後はちゃんと「お勉強」もしようっと。

 

サガンのエッセイのうちのテネシー・ウィリアムスの章は、もうだいぶ前にささっと読んでしまいました。

サガンが、テネシー・ウィリアムスを訪ね、そこでカーソン・マッカラーズやフランクと知り合ってから、マッカラーズやフランクも亡くなり、そしてテネシー・ウィリアムスも亡くなってしまうまでの友だちとしての交流の話です。

なんだか痛々しくて、じっくり読もうという気持ちにあまりなれない。

 

それにしても、「心は孤独な狩人」ちゃんと読んだのに、私はなんで何も覚えていないんだろう?

美しい曲 Sodade

ネット環境が整ったことで、聞き逃していた比較芸術史の講義を聴講しました。

そしたら、先日から自分なりにやってたお勉強が役に立つ場面がいくつかあり、なんだかそれに励まされちょっと元気が出てきました。

めでたい。

 

今日は自分に課した「ブログに記しておこう宿題」のうち、手軽な方をやっつけることにします。笑

 

セザリア・エボラの美しい曲Sodadeについて知ったことです。

CapVerdeというので、ベルデ岬なんてかってに書きましたが、ここは岬でなく島々なんですね。

大間違い。

日本語では地元の言葉に近く、カーボベルデというそうです。

下の話に出てくるサントメは、地図を見るとかなり遠い…。

 

彼女の名を国際的に知らしめたのが1992年に出たディスクMissPerfumadoに含まれているSodadeです。

 

この ↓ 4分ほどのラジオ番組のリンクで、この歌の背景を初めて知ったので、へえええ、と思ったわけです。

なんと言ってるか意味がさっぱり分からないので(カーボベルデクレオールで歌われている)、今まで知りませんでしたが、歌の印象はメランコリックで美しくも悲しい。

www.rfi.fr

ポルトガルの植民地であったカーボベルデの人々は、やはりポルトガル領であったサントメ・プリンシペのカカオ・プランテーションへ、強制労働に連れていかれていました。

非人間的な労働条件の下で働かされるわけです。

 

Sodadeは、サントメに渡る船に乗るため港へ向かう途中を歌にしたもの。

サントメがいい所であって欲しいという願いや、いつか故郷に戻ってこられるようにという希望や、そういうものが込められている。

 

作曲したのはテオフィロ・シャントルというミュージシャン。

この他にも、彼女のために40曲以上を作った人です。

曲はモルナと呼ばれる、19世紀以来のカーボベルデに独特のスタイルの音楽がもとになっています。

このモルナというスタイルを最初に取り入れたのは、ボンガというアンゴラのミュージシャン。

やはり植民地政策を批判する思いに充ちた彼の曲は、アンゴラが独立する1975年以前には禁止されていたそうです。

歌詞はアルマンド・セフェリーノという人。

 

と、そういった話が上のリンクでされていました。

 

カーボベルデの空港は、セザリア・エボラ空港と言います。

友人と、一度訪ねてみたいねえ、なんて話してるんですけどね。

 

www.youtube.com

 

 

 

アドレナリン不足 その他いろいろ

毎日、雨。

日がどんどん短くなる。

9月も半ばを過ぎてから、個人的にダラダラのリズムを変えようとスィッチを切り替え気合を入れたつもりが、膝のケガで水を差されてしまったし…。

 

そういうこと全部が重なっているからか、珍しく憂鬱な気分です。

 

ケガの後数日間は、ショックのあまりアドレナリンが分泌されていたのか、それなりに元気だったんだけど、月曜日にオルトぺディストを訪ねた後くらいから、毎日時間を決めてやっていた「お勉強」の気力も湧かなくなってしまった。

コロナ禍の中、私はうちに籠るの好きだし、なんてお気楽なことを言ってましたが、ケガをして籠らざるを得ない状況になると、こんな風にいっぺんに気落ちするものなのね。

ましてや籠ることが苦痛な人たちや、他の要因でいろんなことを強いられている人たちは、はじめからこんな風に気落ちしてたんだろうな、と、今さらのように自分のノーテンキぶりが恥ずかしくなります。

 

医者の診断は、大学のメディカルセンターの医者と同様、十字靭帯の損傷、であります。

今週の木曜日にMRI検査の予約を入れました。

その検査結果を待って、またオルトぺディストのところに行ってきます。

 

 

昨日は仏語の歴史2回目の講義でしたが、やはりムリして出かけて悪化したらよくないし、パス。仕方ない。

いっぽうNetIDがようやくもらえたので、午後の比較芸術史の講義は、うちでオンラインで聴講できました。

これは嬉しかった。

長女のインフォどおり、なかなかの内容です。

聴き逃した講義も、録画されているので視聴できます!

 

しかし、オンラインで聴くことができるに至るまでも、大学からの情報不足でひどい目に遭いました。

 

NetIDをもらえたことで、ようやく自分のページができたのですが、オンラインで講義を聴くには、さらにMicrosoftのTeamsをダウンロードして開かないといけません。

ところが、大学からもらった私のメルアドではそれができない。

Microsft365を持っていないからできないのか?それをまず購入しないといけないのか?と思いましたが、子どもたちが、このシチュエーションなら無料でスタートできるはず、絶対早まって買うな、と。

買ったのに使えない、となるともっと最悪なので、せっかちな私がグッと忍耐、まず原因探しです。

 

長女の仲良しのひとりで、大学に戻りこの春ドクターを取った子が、きっと最近のことに詳しいはずだと思い訊ねたところ、原因がメルアドにあることが判明。

メルアドのアットマークの後ろの ulb.ac.be の ac があると対応しないので、ac 抜きのアドレスをゲットしないといけないとのこと。

これはもう2019年からの事実だそうで、そんならなぜ最初からそういうアドレスを私のような新入生にくれないのか?

よけい自分たちの仕事が増えるだけじゃないか、バ●じゃないか、とムカつきます。

さっそくその旨大学にメールすると、翌朝さっそく返信。(早い返信は褒めてつかわそう 笑)

そしたら、Microsftのアプリをアクティヴェートするためのac抜きのメルアドとパスワードは、私の大学のページのメールボックスにずっと前に送ってるからそれを見よ、とのこと。

でもね、このボックスはOutlookなんです。

だから当然ながら、これもac抜きでないと開くことができないんですよ!!!

そう訴えたら、ようやく私のプライヴェートなメールボックスにMicrosftのアプリをアクティヴェートするためのメールを送り直してくれ、ようやくTeamsをゲットすることができました。

心で再び、バ●じゃないか、と思いつつもそんな失礼なことは言えませんから、「ここまで手間がかかるのは私が愚かだからかと気落ちしてきました。楽しみにしていた講義が聴けないのがとても悲しい」と、かわいそうなオバサンに徹しての訴えでありましたよ。むふふふ (悪魔の笑い)

 

もう・・・ほんとに疲れたあああああ!

 

 

さて、フランダースの極右政党が騒いだりしてたので、どうなるかしら、と心配した新政府、予定通りに10月1日にスタート。

 

首相はフランダースのOpenVLDのアレクサンダー・ドゥ・クロー 44歳。

7党から成る連立政権は、女性・男性半々で、トランスあり、移民の人あり、緑の党あり、と、悪くないんでないかい?というメンバーです。

OpenVLDは、フランダースではナショナリストのNVA、極右政党のVBに続く第3政党なんですが、フランダースから出したのはそれなりの配慮かと思います。

 

王宮でおこなわれた王様への宣誓は、全員がオランダ語とフランス語と両方で行ないました。

これも過去にはなかったことらしい。

 

www.rtbf.be

www.aoitori.be

フランダースの第1党であるNVAを除外するとなると問題になるかも、というのはあるものの、私もちょっと以前書いたように、マラケシュで行われた国連の難民問題に関する協定に署名するようなことがあれば連立政権を降りる、なんてお行儀の悪いことしましたしね。(下に貼り付けた過去記事のとおりです)

今回も、まとまりそうになるとMRを攻撃するなど、政権発足を阻んできた元凶でもある。

だいたい、彼らの目的はベルギーの分断なので、きっとうまくいかなければいかないほど嬉しいんでしょう。

 

shohoji.hatenablog.com

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9月30日には、予定通りにコラプソロジーの歴史的背景に関する王立アカデミーのオンラインの講義を聴講しました。こちらはZoom。

パリの自宅から発信された講義で、まだ若い先生のちっちゃなお子さんがちょいと登場しました。

(そういえば大学の講義では、ネコちゃんがちょいと登場 笑)

 

コラプソロジーという言葉自体はほとんど登場せず、effondrement (崩れること)という言葉がずっと使われ、このコンセプトが登場したのは18世紀末だそうです。

やはり欧州の「植民地政策」に端を発している。

それまでは「善いこと」をしているつもりだったのが、開発されいく植民地において自然破壊による災害が起こり始めたことで、「善いこと」ではなくなり始めたこと。

さらに、軍事的な発想、敵国にeffondrementをもたらすことが目的になったり…。

 

わずか2時間足らずの講義でしたから、コラプソロジーの現在については話が及ぶに至りませんでしたが。

 

 

アルゼンチンのマンガ家キノが亡くなりましたね。

バンソーコー、魂に貼るにはどうしたらいいの?と訊ねるマファルダを、スペイン語圏の友人がFBにアップしてました。

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方言が懐かしくて、思わずクスッと笑っちゃった博多弁の「好いとっと」。

www.youtube.com

 

訳します、の約束をしたものがいくつか残っているけど、今日はこれでオシマイ。

 

おっと、この記事、おもしろかったので貼ろうと思っていて忘れてた。

 

globe.asahi.com